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失礼な事をしてしまったと、美弥はあれからずっと頭を抱えていた。

彼は悪くないのに美弥の個人的な事情で避けてしまって、わざわざ車で送ってくれたというのに逃げるように帰ってきてしまった。
あれ以来、沖矢からの連絡はない。無理もないと思う。
傷付けてしまったかもしれないと思うと、どうにかしなければと気が急くばかりで溜息が増える。

ちゃんとしないと駄目だ。
何度も助けてもらって感謝しているのに、誤解が生じたままでは彼に申し訳ない。
本当の理由が言えないまでも、ちゃんと誠実な言葉で伝えなければならない。
会って、謝らなければ。そんな事ばかり考えていた矢先。


――それは、いつもの日常を引き裂いた突然の出来事だった。


警察と名乗る人から電話がかかってきて、緊急で事情を伺いたい事があると言われた。
少し前のお花見の時に美弥はスリに財布を盗られていたから、その関連かもしれないと思った。

自宅から出れば時刻はもう夜だったが、指定された場所に行くと外灯の下でスーツ姿の強面の男性が立っていた。

美弥さんですね?」
「はい、そうです」

警察手帳を見せてきた男性に頷いた瞬間、全身に痛みが走った。

「っ!?」

何かを押し付けられたような感覚、それを感じるよりも先に体が勝手に痙攣して、美弥の視界が暗転した。

そして次に目が覚めた時、全然知らない場所に座らされていた。
驚いて動こうとして、両手が背後の壁に縦に沿うパイプに拘束されている事に気付いた。

(なに、これ……!)

理解できない状況に恐怖が湧き上がる。
結束バンドのようなもので繋がれている両手首を無理に引っ張ろうとしても、皮膚に食い込んで痛いばかり。
慌てて周囲を見渡してみるが、窓の向こうにあるビルの明かりが入ってくるだけで、この場に照明なんてものはない。
次第に目が慣れてくると、埃っぽいコンクリートのフロアの隅に壊れたようなデスクや椅子がゴミと一緒に無造作に寄せられているのが見えて、
まるで放置された廃オフィスのような場所だと思った。

その壁際の端、美弥がいる場所と対角線上に、同じように拘束されて意識を失っている男性がいた。

(ど、どういう事!?)

あれは、美弥が意識を失う直前に会った警察だと名乗っていた男だ。
ニヤリと口角を上げた顔が脳裏に残っているから、美弥はその男に気絶させられたのだと思っていたのだが、どうして彼まで縛られているのだろう。

動揺した美弥の身じろぎに合わせて、金属製のパイプがカタンと音を立てる。
それに気付いたのか、気絶している男の近くの影から、違う男性がライトを手にふらりと現れた。

「!?」

その出で立ちに、美弥は今度こそ言葉を失った。
そして震える唇から零れたのは、美弥が唯一教えられた、彼の名。

「……シュウ……っ?」






*****



昨日から父親が帰ってこないと、蘭が言った。
心配する蘭の代わりに、コナンは手掛かりを元に小五郎が出向いた痕跡を追いかけ、どうやら巷で有名な強盗団に潜入しているらしい事を知った。

コナンがカジノに突入すると、警察が強盗団を捕まえようと動いている所だった。
一斉検挙して解決するかと思いきや、小五郎は強盗団と共に逃走してしまった。

「もういいんだ毛利君!潜入作戦は終わったんだ!」

困惑する目暮警部の言葉で、警察の作戦や事情は理解できた。
大方、蘭には内密で警察に協力して、共同で強盗団を捕まえる手筈だったのだろう。
だけど何故、変装もバレてしまった小五郎までも一緒に逃走してしまったのかは謎だった。
コナンは逃走経路を先回りして、強盗団のメンバーである女の車のトランクに侵入した。
しかし運転手の女の勘は鋭かったようで、隠れている事が露呈してしまった。

小五郎と一緒に敵の拠点に連れて行かれると、スピーカー越しのボスが小五郎に要求する。
一年前に死んだ強盗団のメンバーはボスの息子であり、その息子を殺した裏切り者を暴いてほしいと。
当時の現場が再現された部屋で、小五郎とコナンは犯人の推理をする。
監視カメラの映像から、結局は強盗団三人が結託して息子を殺した事実に辿り着いた。

「依頼を果たしたぜミスターヘッド!すぐに殺し屋に中止命令を出せ!俺の娘に、蘭に手を出すな!」
「っ!?」

何故小五郎が大人しく強盗団に付き従い、殺人犯を割り出そうとしたのか。
従わなければ蘭を殺すとでも脅されていたのだろう。
コナンが慌てて蘭にメッセージを送ろうとしていると、強盗団の女に見つかった。
スマホを渡せ、と無言で要求されるので渋々手渡すと、女は画面を確認して、そのままそれをコナンに返した。
見逃された事を不思議に思いながらも、幸いとばかりにメッセージを送信する。

「悪かったね、探偵さん。ボクも巻き込んですまなかったよ」

結論から言えば、強盗団のボスと呼ばれていた人物はこの女だった。
息子を殺した事がバレた腹いせに他のメンバー達が女を殺そうと襲いかかったが、
コナンが隙を作るとボスが隠し持っていたスタンガンでメンバー達を全員気絶させた。

「あんたの娘は無事だよ。元々、殺し屋は差し向けていないんだ」
「なに!?それは本当だな!?」

蘭が狙われていると思ったが、どうやらその危険はなかったらしい。
何度も確認する小五郎の隣でコナンは安堵の息を吐いた。だが、

「ああ……だが代わりに、ある女を誘拐するようにと言われたんだ」
「それ、どういう事!?」

告げられた真実に新たな疑惑が浮上する。

「とある奴に持ちかけられたのさ。息子の死の真相を知りたくはないかと。
ムスタッシュの正体を毛利小五郎だと教える代わりに、美弥という女を殺し屋に誘拐させろ、と」
「な、に……!?」
「毛利小五郎には娘を殺すと脅しをかけるだけでいいとも言われた」

急に出てきた名前にコナンは驚愕する。

「それを指示したのって誰なの!?」
「音声で会話しただけだから名前も姿も知らない。その女を誘拐してどうするつもりなのかも私は知らない」
「その名前……どっかで聞いたような」
美弥さんだよ!テニスコートで安室さんと一緒にいた!」
「ああ!……って、あの子をか!?なにが目的だ!?」

思い出して時間差で慌てだす小五郎を余所に、コナンは内心焦っていた。

確かに今回の事件にはどこか違和感があった。
そもそも、どうして強盗団に潜入するのが毛利小五郎だとバレていたのか。
そんなもの、普通ならば警察関係者しかわからないはずなのに。

(情報が漏れてる……!?)

嫌な予感がして、コナンは声を張り上げる。

「声から何か特徴はあった!?若いとか、男の声とか!どんな事でもいいから!」
「あー、男だったとは思うが、どうも声がガラガラで若いか年寄りなのかはわからなかった」
「っ!」

声がガラガラの男、その特徴に思い当る人物が一人いて、コナンは目を見開いた。
少し前に花見に行った時の事件で出会った男、彼はバーボンの変装だった。

(まさか、バーボンが!?)

「どこに連れて行かれたの!?」
「具体的には知らないが、位置は口頭で伝えた」

教えられた緯度と経度を頼りに、コナンは走り出す。

「あ、おいコナン!?」
美弥さんを探さないと!!」

スマホを取り出して場所を特定する。
背後で強盗団の男が起き上がりボスの女が撃たれてしまっていたが、同時に警察も突入してきたのでこの場はじきに解決するだろうと予測して、
コナンは構わずスケートボードに乗った。

外は既に朝日が顔を出していて、明るくなった道路を突き抜ける。
港から離れ、人の気配がない工業地帯の倉庫の一つに辿り着くと、傍には一台の車が停められていた。
ボードを降りて車内に誰もいない事を確認し、倉庫の中もそっと覗いてみる。
僅かな希望を持っていたのだが、やはり一筋縄ではいかないようだった。

「くそっ、やっぱいねぇ!」

美弥も、誘拐を頼まれたという殺し屋の姿もない。
予想通り、別の場所へ移動されてしまった後だろう。

「何か手掛かりは……っ!」

ヒントが落ちていないかと周囲を探してみたが、足取りが掴めそうなものは見当たらない。
残された車も外から覗いただけでは何かあるようには見えず、そうなると美弥がどこに連れて行かれたのかわからなくなり、コナンは焦りを吐き捨てる。

どうしてこんな事になったのか、そもそもバーボンの目的がわからない。

(いや、目的はきっと……!)

バーボンが狙う、美弥に関するものといったらそれぐらいしか思い浮かばない。

(駄目なんだよ!あの人は組織とか秘密とか、そういうのと無関係の、普通の人なんだよ!)

何も知らなくて、だけど無闇に立ち入ってきたりもしなくて、事件が起きれば怯えてしまうような人。
事件や秘密に喜んで首を突っ込んでいくような自分達とは違う存在なのだ。

携帯を取り出して美弥に電話をかけてみるがやはり繋がらない。
コナンは舌打ちをしながら、出るかわからないと思いつつもかけずにはいられなくて、祈るように何度も電話をかけた。









「えっ……!?」

闇から現れた人物に美弥は息を呑んだ。
すらりと伸びた身長、黒色ばかりの服、そして帽子。
少しだけ垂れた前髪から覗く、あの目は。

「……シュウ……っ?」

絞り出した声は想像以上にか細かった。
信じられないと思いながらも胸は勝手に跳ね上がる。

(どうして……?)

彼は死んだはずだ。
そう、ジョディだってそう言っていたのに。

(火傷が、ない)

火傷の彼は誰かの変装だったと聞いた。
だけど、そこに立っている人の顔に火傷はなくて。

「ほ、本物……なの?」

震える声で呟けば、彼は小さく笑みを作って近付いてくる。
一つ一つ響く靴音に、美弥の涙腺が壊れそうになる。

信じられない。もう二度と会えないと思っていたのに。
これは夢なんだろうか、気持ちがぐちゃぐちゃで訳がわからない。

窓から漏れる明かりが彼の目を照らす。
その色を一心に見つめて、美弥は違和感を覚えた。

彼の瞳は、こんなだっただろうか。
美弥の記憶に残るシュウの目は確かに鋭くて、獰猛だった。
だけどじっと相手を見透かすような静寂さも浮かんでいて、そして時には孤独のような色を纏わせていた。

(……違う)

これは、バーで美弥が思わず話しかけてしまったシュウの目じゃない。

「……シュウじゃ、ない?」
「よくわかったな。それなりにできた変装だと思ったが」
「っ!」

ニヤリと口角を上げて笑った男からシュウの気配が消え去る。
笑い方や喋り方ががらりと変わり、美弥の一縷の望みは打ち砕かれた。

「火傷がなくとも見抜けるとは、やはり貴女はそれなりに赤井秀一と近い関係だったようだ」

歪んだ美弥の表情を見てか、ずっと黙っていた男が口を開く。
シュウとは似ても似つかない声は、まるで風邪を引いた時のように枯れ切っている。
このガラガラ声、少し前に聞いたような気もするが記憶が定かじゃない。

(この人は、誰なの……?)

顔だけなら似すぎていて、ああこれが変装というやつかと、美弥は天を仰ぎたい気分だった。
どうして、誰が、何の為にシュウに変装して此処にいるのか。

生きていると一瞬でも喜んでしまった自分が馬鹿だった。
助けにきてくれた、なんて可能性はきっとないのだろう。
期待が全部絶望に変わって怒りすら浮かび、どこか楽しそうな顔で見下ろしてくる男の目をキッと見据える。

「君はそこにいる男に誘拐されて此処にいる。だが男は気絶させたから安心していい」
「…………」

美弥を助けたのだと彼は言いたげだが、全然助けられた気はしない。
そうであるなら何故美弥はまだ拘束されているのか、そして彼はそれを解こうとしてくれないのか。
誘拐した男と、彼は一体どういう関係があるのか。

理解できない事ばかりで、身動きがとれないのに無意識に体が後ずさり、投げ出された足だけがジャリ、と小さな音を立てる。
気持ちだけは負けたくないと冷静を装っても、開こうとした唇は震えていた。

「目的は……なんですか」
「興味があるんだ。君が命の危機に晒されたら赤井秀一は姿を現すのか、という事だ」
「そんな……っ、でも、彼は死んだって……!」
「そういう事になっているが、俺はそう思わない。あの男が簡単に死ぬはずがない」

まただ、と思った。
美弥は彼の事をほとんど知らないのに、美弥の周囲にいる人達は皆、彼をすごく気にしていて。

(シュウって、一体何者なの……!?)

どんな人で、何をしていた人なのか。
それほど影響力のある人と関係があると美弥が名指しされている。
あまつさえシュウを誘き出す為のエサにされていて、美弥は混乱するばかり。

だけど彼は死んだのだ。それでも目の前の男は信じないと言う。
どういう事か訳がわからない。

「彼は、君を助けに来るだろうか」
「っ……」

至近距離で彼に似た顔で覗き込まれて、ぞくりと背筋に恐怖が走る。

「口は塞いでないから泣いても叫んでもいい。もちろん、これで奴に助けを呼んでも構わない」

傍には美弥の鞄が置いてあり、男がそこから美弥の携帯を取り出して見せてくる。
"シュウを呼べ"と言いたいのかもしれないが、そもそも美弥はシュウが死んだと聞かされているのだ。
生きているかもなんて、そんな仮定を信じられるほど現実が甘くない事を美弥は知っている。

生きている訳がないと、そう訴えた所でこの男は聞く耳を持ってくれないのだろう。

「来なかったら来なかったまでの事。君はここで殺される運命だ」
「っ……!!」

ライトを持っていない方の手には銃が握られていて、ビクリと美弥の体が硬直する。

(死ぬ、の……!?)

ゾワリと、嫌でも経験させられた死の気配が美弥を襲う。
殺されるかもしれない、その事実が怖くて堪らなくて、体の奥からの震えが止まらない。

赤井秀一を誘いだすと男は言った。
だけど死んでいる人が助けになんて来られない。だから、来ないという事は自分は死ぬ。
たとえ万に一つの可能性があったとして彼が生きているのだとしても、体の関係しかなかった美弥を助け出す必要が彼にあるとは思えない。

(私は、シュウとは何でもないのに……!)

男が期待するような存在ではない。
ただの、傷を舐め合うだけの、本当の名前すらも知らない人だったのに。

だからつまり、美弥はここで殺されてしまうのだ。

「っ!!」

溢れだして限界に達した恐怖が涙となってコンクリートの床に落ちていく。
誰か助けてと叫びたくても、助けに来てくれるような誰かなんていない。

(殺されてもいいなんて、馬鹿だった)

辛い事ばかりの現実なら早く死んで、ユキやシュウの所に行きたいと思ったのに。
まだ自分はこんなにも命に執着していたなんて、知らなかった。
死にたくないと心が叫んでいる。
わかっていなかったんだと、少し前の自分を呪いたい気持ちすらあった。

もう動かなくなったユキ、美弥の世界から消えたシュウ。
自分ももうすぐそうなるという現実が、絶望と恐怖になって美弥に襲いかかる。

「っ、……は……っ、!」

苦しくて、どれだけ酸素を吸い込んでもどんどん苦しくて。
頭が痛い、怖い、気持ち悪い、息ができない。

「はぁ、……っ、…!」
「…………」

男がじっと見下ろすなか、涙をボロボロ零して口を開閉させるばかりの美弥
異様な呼吸音と、言葉すら聞こえていないような虚ろな瞳を見つめて、男は重い溜息を吐いた。

「ゆっくり息を吐け」
「ひ……は、……っ!」
「ゆっくりだ、そのままでは苦しいだろ」

どうして男にそんな事を言われるのかわからない。
だけど苦しくてこのまま死んでしまうのかと思っていたから、美弥は無我夢中で男の言った通りにした。

「そう……落ち着いたな」
「っ……ど……どうして……、」
「巻き込んですまないとは思ってる」

どうして急にそんな事を言うのか。
過呼吸は治まったものの荒い呼吸を繰り返していると、男は近くにあったパイプ椅子に尊大に腰を下ろした。

「さあ、迎えが来るまで話でもして待とうか」
「…………」

絶望の夜は、まだ明けそうにない。











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アニオリの「あやつられた名探偵」の事件を元にしています。
本事件はあまり必要なくて端折ってあるので、何となくで読んでもらえると助かります。