繋ぎ止める手の持ち主は
美弥の代わりに沖矢が鍵を開けてくれて、彼の首に腕を回したまま自分の部屋に入る。
ドアが閉まった後、彼はまず美弥の体を上から下まで軽く触れていった。
なんだろうと不思議だったが、黙っていろという顔をされたのでじっとしていれば。
「盗聴器の類はない。もう普通にしていいぞ」
「…………」
安室はそんな事もするのかと戸惑いを隠せずにいる美弥に、沖矢は小さく笑いながら何かを見せてくる。
「代わりに、小さなナイトの護衛が付いていたがな」
「え、……え?」
袖口から出てきたのは、小さな円形のボタンのようなもの。
これは?と首を傾げる美弥に、沖矢――赤井はコナンからの連絡を思い出す。
――「昴さんマズいよ、美弥さんが連れて行かれた!」と、コナンから焦ったような連絡が来たのは早くの事。
聞けば、半ば騙されるような形で遊園地に行き、安室と二人きりになるよう仕組まれていたのだという。
赤井の事を探る為に二人にさせられたのだとは赤井自身もコナンもわかっていた。
どんな事を探られるか心配する少年はどう対処するべきかを悩んでいた。
下手に此方が動けば余計に怪しまれかねない。
そして赤井には何となく確信があった。彼女なら、恐らく大丈夫だろうと。
美弥からの連絡はない。
先日安室に対して怯えた様子を見せていた彼女が、それを忘れてただ楽しんで帰ってくる事はないと思っている。
彼女は彼女で、状況を理解して慎重に行動しているに違いない。
もし本当に危うい目に遭うような事態になれば助けを呼んでくるだろう。
それを口にすれば意外そうな声が聞こえた。
少しの逡巡のあと、「……わかった。昴さんを信じる」とおよそ少年らしくない返事をしていたが――
「念には念を、というやつか」
「?」
それは美弥の与り知らぬ所で行われたやり取りで。
良くないものなのかと不安げな表情を浮かべた美弥だったが。
「これは問題ない。そのうち持ち主に返しておこう」
沖矢は自身の変声機のスイッチを切りながらそう言って玄関先の物入れに置いた。
それが結局何なのかわからずじっと見下ろしていると、視線を目の前の人物に戻される。
「それで、大丈夫だったか?無理な事はされなかったか?」
「……うん」
盗聴器の確認の為に離れていった体温にもう一度触れたくて、美弥から手を伸ばして抱き締めて、全身で彼を感じる。
「助けに行けず、すまなかった」
その言葉に胸が詰まって、胸元に顔を埋めたまま美弥は首を横に振る。
(いい、わかってるから)
彼の事情も、その言葉ににじむ悔しさも。
だから、知っていてくれただけでいいのだ。
筋肉の固さと、受け止めてくれる柔らかさ、それから体温。
静かに聞こえてくる彼の鼓動に安心を覚えて、胸がじわりと温かくなっていく。
「……シュウに、会いたかった」
「ああ」
髪や後頭部を撫でてくれる感触を感じながら長い間そうしていたのち、ようやく声が零れた。
「心細かった……」
「ああ、今夜はずっとお前の傍にいる」
「うん」
そう言ってくれるだけで嬉しくて、また泣いてしまいそうになる喉を堪えて深呼吸をする。
沖矢に変装している時に使っている香水と煙草の匂いを吸い込むと陶酔感で頭がクラクラした。
背中に回していた手を下ろし、するりと赤井の指先を掴む。
(シュウの手だ……)
沖矢昴に変装していても変わらなかったもの。
骨ばった、少しかさついた指を確かめ、指を絡めてきゅっと握る。
安室のとは違う。美弥が触れたかったのはこれだと確かに感じた。
「……本当に大丈夫だったのか?何かされたのか?」
美弥の好きなようにさせてくれていたが、やはりいつもと違う様子を察知されたのか、怪訝そうな赤井の声が降ってくる。
何もないよと言いたい所だったけれど、今回ばかりは色々な事があって気持ちが弱っているのか、やっと助けが呼べると安心したのか、本音が漏れる。
「……ずっと手を繋がれてた」
「ほう……?」
声が一段低くなったように聞こえたのはきっと気のせいじゃない。
「それで、他には?」
「他は、特に……事件があったけど、助けられちゃったし……」
手を繋いでいたのは犯人をあぶり出す為だったらしいから本当は文句を言ってはいけないのだけど。
事件にも巻き込まれはしたが何だかんだ助けてもらったし、手を繋いだ以外は直接何かされた訳じゃなくて、次第に言葉が尻すぼみになっていく。
「訊き方を変えよう。彼と手を繋いで、何をしてたんだ?」
「……普通に、園内を回って、色々乗ったりしてた……けど」
「そうか」
なんかこれだけ聞くと普通にデートして楽しんできたみたいで。
慌てて顔を上げて彼の目に訴える。
「違うの。嫌だったんだけど、逃げられなくて……シュウを呼びたくても、呼んじゃいけないと思ったし」
「ああ、わかっている」
そう言いながら、どうしてかもう片方の手を同じように握られ、指に力が入れられたかと思ったら沖矢の顔が近づいてくる。
「なら今夜はずっと手を繋いでいてやる」
「え、……っ」
嬉しく思いつつも、少しの嫌な予感がして。
真意を問おうとした声は唇を食まれて消えていく。
スキンシップの程度ではない、確実にその先への欲を引き出すかのように舌を吸われ、粘膜をなぞられる。
力が抜けそうになって、だけどここがまだ玄関先だという事に美弥は僅かな戸惑いを覚えた。
「ねえ、シャワー……」
「後でいい」
「でも……っ」
はっきりと言い竦められる強さに彼の雄の部分を感じ取って確かに背筋が震える。
だけど、それでも一日中外で歩き回っていたので何とか抗議を続ければ、沖矢が渋々動きを止めた。
「……わかった」
両手を繋いだままだけれど、浴室に連れて行ってくれるので安心したのも束の間。
単身者用の狭い脱衣所で身を寄せ合いながら、美弥の服を脱がそうとしてくる指に気付いて俄かに慌てる羽目になった。
「え、ちょっと待って……一緒に入るの?」
「言ったろう?ずっと手を繋いでいると。できない場面では密着で我慢してやる」
「ええ、そうなの……っ?」
有言実行の上に、何か追加されている気がする。
嫌とかではないが羞恥心が勝ってしまい、その近さに狼狽えていると空いている唇で塞がれる。
「自分で脱がないのなら、俺が全部脱がせてやるぞ?」
「っ……や、やる」
明るい電気の下で、さらに至近距離で見下ろされた状態で服を脱ぐなんて。
だけど脱がされるのはもっと恥ずかしいから、彼が待ってくれている間に半ばヤケになって衣服を落としていく。
それに満足したのか、彼は眼鏡を洗面台に置いてから顎の下あたりに手を添え、皮のようなものを一気に剥いだ。
(ああ、シュウだ……)
艶やかな黒髪、シャープな頬のライン、それから邪魔するものが何もない状態で見える、深くて美しい色合いの瞳。
隈がある目尻が少し細められて、ゆっくりと美弥の元に降りてくる光彩とキスに胸が高鳴って、心が震えたのを自覚した。
いつの間にか赤井は着衣を全て脱ぎ捨てていて、そのまま浴室に押し込まれる。
「ねぇ、この状態で洗うの……?」
「ああ。何なら洗ってやろうか?」
「う、ううん」
互いに裸の状態で、背後から腹部に腕が回されて抱き締められている。
何やら固い感触のものは意識しないようにして、恐る恐る後ろに尋ねればどこか楽しそうな声が返ってくる。
離してくれる気はさらさらないらしい。
もう手早く洗ってさっさと終わらせてしまおうと諦めた美弥は、自由になった両手で洗顔をしたり髪を洗った。
もっと変に触ってきたり悪戯されたりするかなと思ったが、意外にもそんな事はなかった。
時折片手だけを伸ばしてシャンプーの液を出して器用に洗っている気配を感じながら、同じタイミングでシャワーで洗い流す。
「変なの」
「ん?」
彼はどうやっても腹部に回した腕を離さない。
片手が使えなくて不便だろうに、抱き締められながら二人で何とか体を洗っている事が次第におかしく思えてきて美弥は吹き出した。
「何でこんなに、必死なの?」
「別の男に独占されていたんだ。その分を取り戻そうとするのは自然だろう?」
「そういうものなの?」
わかるような、わからないような。
優しく、だけどしっかりと回された腕の強さと、背中を覆う濡れた肌の感触は安心感を覚えるものだから。
まあいいかと思えるようになった美弥はスポンジを泡立て始めるが、とはいえ恥ずかしいものはやっぱり恥ずかしい。
「体洗うから、あっち向いててくれる?」
「手伝おうか?」
「大丈夫です。シュウは、自分で洗ってね」
「……ああ」
からかい混じりに笑っている赤井は無視して、何とか自分の全身に泡を行き渡らせる。
そのスポンジを赤井に渡すと、これまた器用に体を擦っていく音がする。
チラリと目線だけで振り返れば、白い泡を纏わせた筋肉質な体が目に入る。
痩せて見えるのに脱げば意外と鍛えられている上半身に、抱き付きたいなぁという衝動が生まれる。
だけど自身も裸なので、そこまでの羞恥心は捨てられずに何とか抑えながら前を向いてシャワーを浴びた。
どうせこの後に抱き付く展開が待っているのだけれど、今ここでそれをしたらシャワーが長引いてしまいそうだったから我慢したのは内緒だ。
そんな、いつもより大変だったシャワーを終え、バスタオルでお互いの体を拭き合うなんていう付き合いたてのカップルのような真似をして、裸のまま寝室のベッドに倒れ込む。
「随分なおあずけだったな」
「……うん」
ようやく、と言わんばかりに組み敷かれ、両手がシーツに縫い付けられるように握り込まれる。
シャワーが浴びたいと言ったのは自分だけれど、触れたかったのは美弥も同じだ。
それからも赤井はずっと美弥の手を握ったままだった。
両手が固定されているのは少しもどかしかったけれど、指が絡んだ手のひらは熱く包まれていて、彼の手の重みも感じられて安心する。
嬉しくなってそっと握り返せば、顔を上げた赤井がじっと此方を見つめている。
見透かされているとわかっているのに、彼にならいいと思っている自分がいるのは何故だろう。
「わかるか?お前が今誰に抱かれているかを」
「……うん、わかる……」
この手が、熱が、美弥を安心させるもの。
求めていたものを与えられて頬を緩ませれば満足したのか、また唇に肌を吸われた。
だけど良かったのはそこまでだった。
もしかしたら彼は怒っているのかもしれないと、ふと感じた。
気を遣ってくれてはいるのに、息つく間もなく我が物顔で欲をぶつけられた。
言葉や態度で美弥に対して言いはしないが、安室に対しては静かに怒っていたりするのかもしれない。
手を繋がれていたと白状した後から、対抗するようにずっと繋ぎ続けているから。
執着や嫉妬の裏返しのような掌の強さ。
ごめんね、とも思うのにどこか嬉しくて、仄暗いような感情すら湧いた。
だけどそれさえかき消すように揺さぶられて、頭が真っ白になり、何も考えられなくなっていく。
わかるのは、掴まれている手の絶対的な安心感と、脳天に襲いくる快感だけ。
もう許してとも思う。だけど求められて悦んでいる自分がいる。
痛いくらいに一層強く握り締めた指先から伝わる彼の熱い欲に、心が震えた。
「シュウ……っ!」
弾けた思考はぐちゃぐちゃに溶けて、意味もわからず目尻から流れたものがシーツを濡らしていく。
荒い呼吸音に混じって、ただ彼を求める言葉だけが決壊する。
外では軽々しく口にはできない彼の名。
そして今日ずっと呼びたくて呼べなかった名が、今なら言えるから。
感情が名前になって、何度も何度も零れていく。
「っ、シュウ……シュウ…!」
「…………」
助けを求めるようにさめざめと泣く背中に、息を整えていた赤井が動きを止める。
いつもとは違う様子の美弥の体を掬い上げ、向かい合わせの状態で膝の上に乗せる。
ようやく深い目の色と表情が見えて、引き寄せられるように抱き付いた。
ずっとこうしたくて堪らなかった。
どうしてか涙が止まらなくて、彼の首にしがみ付きながらすすり泣いていたら優しく抱き返される。
「美弥」
「シュウ……っ!」
「ああ……俺はここにいる」
「っ、…うん……!」
「大丈夫だ、もう心配ない」
嬉しいのか悲しいのかよくわからない感情でまた名を呼べば、あやすようにポンポンと背中を撫でられた。
きっと彼には、その意味もお見通しだったのかもしれない。
(ああ、私はずっと怖かったんだ)
彼を失うかもしれない恐怖とずっと戦っていたのだろう。
全ての緊張が溶けきって涙となって、赤井の胸の中で静かに落ちていった。
「安室さん……やっぱり、沖矢さんがシュウかどうかを知りたかった、のかな?」
「そうだろうな」
美弥が落ち着いた後、力の入らない体を支えられながら二度目のシャワーを浴びた。
今度は結局何だかんだ手伝われてしまったので恥ずかしい事この上なかった。
改めて一緒にベッドに入り、抱き寄せてくれる腕を甘受しながら今日の顛末を思い返せば、あっさりとした言葉が返ってくる。
美弥としては切り抜ける事に必死だったが、赤井には想定内の事だったのだろう。
(これからも、ああいう事あるのかな……)
安室は諦めてくれたような雰囲気だったけれど、彼でない他の人が現れたりするのだろうか。
「すまない」
「え……?」
いつものような強さがない呟きに美弥は思わず顔を上げる。
いつかの電話の時のような声色に、安室の事よりも赤井が何を言いたいのか不安になってしまう。
「俺と関わっている事で、この先もお前は今日みたいに絡まれる事も多いだろう」
美弥が思っていた事と同じ事を彼も考えていたのだ。
美弥の髪を弄りながら赤井は遠くを眺めている。
「そのたびに、苦労をさせてしまうな」
「……私は平気なの。ただ、私が迂闊な事をして、シュウが危険になるのが怖い」
「そうやって気を遣わせている事も知っている。お前を、普通の世界から此方側に引き込んでしまった事、すまないと思っている」
今日の出来事を、彼は自分のせいだと気にしているのだろう。
怒っているように感じたのは、安室に対する感情と、不甲斐ない自分への怒りのようなものもあったのかもしれない。
「……色々巻き込まれるようになったけど、それを嫌だとは思ってないよ」
隣を見上げて、赤井の双眸をじっと見つめてはっきりと口にする。
気疲れもしたし怖くもあったけど、だけどそれは守りたいものがあったからだ。
全てを捨て去り、なにもなかった頃に戻りたいと思った事はない。
「シュウがいれば、それでいい」
「……殺し文句だな。それでは手放すに手放せない」
「……手放しちゃうの?」
手放されても困るんだけれどと、窺うような目をすれば、赤井がどこか諦めたような顔をした。
「いや。俺はお前を守ると言った。お前が俺から本気で逃げない限り、そうするつもりは端からない」
(本気で逃げたら追わないんだ……)
絶対に逃がさないとかじゃなく、最後の逃げ道だけは残す人。
どこまでも美弥の事を考えた言動に、胸がキュッと詰まるのを自覚しながら苦笑する。
「……無理なの、知ってるくせに」
「どうだかな」
赤井は冗談交じりに小さく笑い、美弥の指先をするりと撫でた。
今日一日、違う男性の体温に包まれていた感触を思い出す。
しっかりと掴まれた力加減と伝わってきた温度は、やっぱり赤井とは違うものだという事を思い知った。
「あの人は……悪い人、なんだよね?」
こんな事聞いていいかわからなかったけど、コナンや赤井が警戒する理由の答えが多少なりとも欲しかった。
そして心のどこかではこんな作り話のような美弥の推理を、全くの見当違いだと言って欲しいような気もしていた。
「そう思っていてくれれば間違いはないが……言えるのは、油断はできない相手だが基本お前に対しては危害を加えるような人間ではない」
「う、うん……?」
それは結局どういう事なんだと、腑に落ちない美弥は首を傾げる。
「これ以上は彼の株を上げかねないから断言はしたくない、という事だ」
「……そう、なの……?」
悪い人だと思っていればいいけれど、それだけじゃない。だけど理由は言いたくないらしい。
どうして株が上がるのかはわからないが、確かに安室に追及はされたが物理的な危害は加えられなかった。
自分が危ない目に遭いそうだったのに咄嗟に助けてくれもした。
「……悪い人だと思うけど、よくわからなくなってくるの」
「危険だな。それ以上は、はまってくれるなよ」
「え……?」
美弥がポツリと零した呟きに、赤井は珍しく嫌そうな声を出した。
「それでなくとも彼がお前を必要以上に構うのが気に食わないというのに」
「私、シュウだけだよ?」
「知っている。だが心中穏やかでいられないのだから仕方ない」
「…………」
彼には悪いが、その執着は嬉しく感じられるもので。
指と指で絡み合った手のひらをキュッと握り、美弥は上体を起こして赤井の唇にそっと自分のを触れさせる。
せめて少しでも安心できるようにと想いを乗せながら啄めば、幾分か機嫌を直してくれたようだった。
「今度、遊園地にでも行くか」
「ふはっ……うん」
赤井と遊園地という似合わない取り合わせに堪らず吹き出すと、負けず嫌いの唇が美弥を黙らせた。
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盗聴器がまだ生きているのを知ってるのに、玄関先で事に及ぶ確信犯。
こちらは省略版。