05
「気が向いたら、また来る」
帰り際にそう言った通り、シュウと名乗った彼は時々家に来るようになった。
連絡先を交換したが互いに余計な会話はないし、美弥から連絡をとった事もない。
彼が来たいと思った時にそれが送られてきて、返事をするだけ。
彼もまた美弥の事を何も聞かない。
どういうつもりなのかわからないが、だけどそれは美弥にとっても好都合だった。
やって来る間隔はバラバラで、あまり予測はつかない。
最初に家に呼んだ時は部屋を大して片付けていなかったけど、それからはいつ来ても大丈夫なように綺麗にするようになった。
元々引っ越ししたてだったので散らかったりはしていないが、人を呼べるレベルの整頓はしておきたかった。
問題は、段ボールから出していないユキの私物。
出す事もできず捨てる事なんてもっとできないけれど、常に目に入る所にあるのは精神的に辛いし、罪悪感も強い。
投げやりで契約した部屋で、住めればなんでもいいと思っていたので部屋に余りはなく、仕方なしに備え付けのクローゼットがまるごとユキの荷物入れとなった。
その代わり自分の物をしまえる場所がないので、寝室のベッド以外の空間で何とか収納スペースを確保している。
彼は、どうして衣類や荷物がこんなにも外に出ているのか疑問に思っただろう。
だけどそれを訊ねられた事はなかった。
それから、自分だけの料理も少しずつするようになった。
料理は好きだった。というより、それぐらいしか趣味と呼べるものはなかった。
ユキに満足してもらいたいと作っているうちに、だんだん楽しくなっていったみたいで、
色々アレンジを加えたり酒や飲み物と合う料理だったり、そんな事ばかり考えていた。
きっと、誰かに食べてもらって喜んでいる顔を見るのが好きだったのだろう。
だから自分自身に作っても楽しくもなんともなくて、作る気力が失せていたのだけれど。
彼が来る日もバーに行って食べさせてもらう訳にはいかないので、必然的に家で夕食を作って食べるようになると、段々それに慣れてきた。
部屋を片付けて、料理をして食事をして、仕事に行って、眠る。
いつもいる訳ではないのに、彼が来るようになってから少しだけ人間らしい生活を送っている事に気が付いた。
(今の方がまともな生活してるって、変な感じ……)
よっぽど荒れていたのだろう、職場の同僚達にも「健康的になった?」とやんわり喜ばれた。
事故の事は同僚達も知っているし、しばらくショックで仕事に行けない時期もあった。
それでも同僚達は美弥を叱咤する事もなく、必要以上にお節介になるでもなく、少し離れた所で見守ってくれていて、その距離感に感謝していた。
星司にも「あまり来なくなったな」と言われた。
確かに、ほぼ毎日だったバーに行く頻度が少しずつ減ってきている。
売上的にとかではなく、酒に頼らず生きている事に安心してくれているのだろう。
ただ、その理由に関しては言えるようなものでもなかったので、美弥は苦笑いで濁す事しかできなかったが。
シュウは部屋に来ても何もしない。
持ってきた度数の高い酒を飲みながら煙草を吸って、特に何かを喋るでもなくぼうっとしている。
美弥は、彼が来る前に自身の夕食を作るついでに酒のつまみをいくつか用意する。
冷蔵庫にあるもので簡単に作るので豪華なものはない。
ネギとツナをごま油で合わせたものだったり、ほうれん草と椎茸をおひたしにしたものだったり。
彼の好みがわからなかったので色々作ってみて、箸が進んでいそうなものがあれば次回はその味を増やしてみたり。
彼は何も言わない。
目の前に並べられた物に対して感想などはなかったが、残さず全部食べてくれた。
美弥は彼の半身に密着するようにくっついて、それをただ眺めた。
回数を重ねていくと彼は本を持ってくるようになり、それを読みふけりながら酒を嗜んでいる。
全部英語で書かれたそれ、美弥にはさっぱりだが真剣な眼差しは見ていて飽きなかった。
あまりインドアなイメージはなかったのだが、難しそうな本なんて読むんだと意外に思った。
一人きりの部屋に増えたのは、吸い殻を入れる灰皿、それから美弥には飲めそうもない酒の瓶、読みかけの本。
切りのいい所まで本を読み終えてグラスの液体を飲み干すと、舌が絡んできてベッドに移動する。
美弥が体温を求めているのを知ってか、彼はすぐ帰るのでもなく一緒に寝てくれた。
肌を寄せて、まだじんわり熱いくらいの人肌を感じながら眠りにつく。
感情が読めなくて何を考えているかわかりづらかったけど、悪い人ではない気もしていた。
朝になればいつの間にか彼の姿は消えているが、そこにあまり寂しさは感じなかった。
*****
彼との行為は気持ち良かった。
優しさというものはなく、互いにただ快楽だけを追い求める獣のようだった。
いとも簡単に見つけられた美弥の弱い場所を的確に追い詰められると、一気に昇りつめて何も考えられなくなる。
優しくされると、大事にされるときっとユキを思い出してしまうから、それが逆によかった。
汗ばんだ肌が触れ合うと気持ちが落ち着いた。
二人の吐く息、淫猥な音、それから嬌声。
それだけが存在しているベッドで、恥ずかしさなんて今となってはもうない。
好きあっている関係じゃないから取り繕う必要がないというのは楽だった。
美弥が昇りつめた後も、彼は自分が満足するまでは執拗に攻めてくる。
待ってと訴えてみても意味がない事はもう覚えた。
激しくて、熱くて、頭の中がそれだけに支配される。
心を見透かしてくるような彼の鋭い眼差しに見つめられると、それだけで背筋が泡立つ。
あの色に自分は確かに欲情していた。
だけど冷めたような目はして欲しくなくて、自然と彼の頭を抱き締める。
自分が慰められてる代わりに、少しでも彼の苦しみがなくなるのならと。
この一歩外に出れば残酷な現実で、自分だけが貴方の味方になってあげるからと。
きっと彼はそこまで望んでないだろうけど、どうしてか守ってあげたい気がした。
そうして果てて、意識を朦朧とさせながら舌を絡ませ合って熱を交ぜる。
そのまま疲れたように寝てしまうのだ。
他人の体温が残っているうちに惰眠を貪りたいと思うのに、それでも翌日はしっかりと仕事がある平日で。
いつもと同じ時間に鳴る目覚ましアラームを忌々しい気持ちで止め、気怠い体で寝室のドアを開けると、浴室から出てきたシュウとばったり出会った。
「シャワー借りたぞ」
「あ、うん」
あちらが遅いのか美弥が早いのか、まだ彼が此処にいるのは珍しい。
いつもは知らない間にシャワーすら浴びて、部屋から出て行った後に美弥が起きてくるからだ。
彼は夜ではなく朝にシャワーを浴びる派らしい、そして浴槽も使わない。
「朝ご飯食べる?」
「いや……コーヒーがあるなら貰いたいが」
「わかった」
聞いてみたものの、やはりイメージ通り朝食は食べない人らしい。
いつもと違う朝に少し慌てながらコーヒーをドリップして、その間に自分の朝食を手早く用意してローテーブルに並べる。
彼の前にはマグカップだけを置くと、それを静かに飲みながら携帯を弄っている。
その隣で朝のニュースを聞きながら朝食を咀嚼していると、ふとシュウがじっと此方の手元を見ている事に気付いた。
「どうかした?」
「……それは何だ」
「炊き込みご飯だよ、鶏肉とさつまいもが入ってる。昨夜の残り物」
説明に軽く相槌を打ちながらも、視線がそこから動かない。
彼が興味を示すなんて珍しい。
「食べる?まだあるよ」
「……少しだけでいい」
僅かに考えながら頷いたので美弥は小さく笑うと、もう一つの茶碗にご飯をよそって渡した。
彼は左手で器用に箸を持ち、味を確かめるようにゆっくりと口に運ぶ。
「美味い」
「そう?よかった」
今回は中華風味の味付けで、なかなかに箸が進む味なのだ。
味噌汁も飲むかなと思って一緒に出せば、それにもちゃんと手を付けてくれた。
黙々と平らげる様子を眺めて、美弥はどこか懐かしいような気持ちになった。
ほのぼのとしてしまったが、出勤の時間は刻一刻と迫っていて。
こうしてはいられないと支度の為にパタパタと動き回っていると、彼が先に部屋を出ようとしている所に出くわす。
見送る事なんて初めてだったから、美弥はとにかく何かを言わなければと彼の背中に声をかける。
「いってらっしゃい、シュウ」
「ああ」
一度も此方を振り返る事もなく、彼は現実へと帰って行った。
この日を境に、シュウは朝ご飯を一緒に食べるようになった。
美弥と同じ時間に起き、美弥が食事を準備している間にシャワーを浴び、同じローテーブルの前に座る。
たくさんの量を食べる訳ではないが、控えめに用意した食事を全て食べてくれた。
彼は何も言わなかったけど、美弥はじっとそれを眺めては小さく笑んだ。
変わらなかった彼との距離感が、少しだけ変わった気がした。
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何回か分が凝縮されてます。