All I ask of you.
どこか真剣な眼差しでテレビに集中する横顔。
夕食後に見たいドラマがあると言って開始時間きっちりに見始めたのは一週間に一度放送しているという、よくある恋愛コメディなようで。
その間隣の自分は放置されているわけだが、普段はあまり見ないその表情を眺めながら酒を飲むのはなかなか楽しかった。
くっつきそうでくっつかないもどかしい展開を一緒になって何となく見届けると、エンディングになりようやく美弥がふうと息を吐いた。
「今度、名古屋に行くが欲しいものはあるか」
「えっ、名古屋?」
一区切りついた所で話を切り出せば存在を思い出したかのように此方を振り返り、唐突な投げかけにキョトンとした表情を浮かべた。
名古屋に何の用事があるのかと僅かな疑問を抱いている様子ではあったが、察しのいい彼女は遊びに行く訳ではない事はわかっているのだろう、まず先に心配そうに首を傾げた。
「お土産買う時間あるの?」
「余裕があればな」
「んー……何でもいいけどなぁ」
欲のない彼女の事だ、そう答えるだろうとは予想していた。
何かあればとは思ったが、急に訊かれて瞬時に思いつくものではないのだろう。
根気よく待つつもりでいる自分やテレビなど周囲に視線を巡らせながら、しばらく悩んだのち。
「帰ってきてくれればそれでいいんだけどな、私は」
それしか思いつかないとばかりに、ポツリと呟いた。
そう言ってくれる彼女だからこそ喜ぶ物を買ってきてやりたいんだが、と苦笑交じりに肩を抱き寄せる。
「その約束を違えるつもりはない」
愛しさを感じつつも、もっとねだってくれていいのにとも思う。
反する感情を抱えながら髪に指を通して弄っていると、ふいに腕の中の頭が持ち上がる。
「あ……味噌、とか」
「ミソ?」
「あのあたりで有名なお味噌があるの。できたら、それがいいかな」
「……了解した」
これだけ時間をかけて出てきた答えが何とも彼女らしい実用的なおねだりで思わず笑ってしまいそうになる。
だけど欲しいものを口にしただけ上等だと、少し嬉しくなって唇を寄せる。
「気を付けて行ってきてね」
「ああ」
「お土産は無理しなくていいからね」
「わかってる」
何度も念押しするように呟き、そっと服を掴む力を強めたのは、無事に帰ってきてという願いが込められているのだろう。
彼女にはこの身一つだけあればいい、その事実に救われている自分も確かに存在していた。
「その日は、お前も芝浜駅に行くんだったな」
阿笠邸での会話は聞いていたから美弥がヒーローショーに誘われているのも把握していたが、確認で日付を告げればそうそうと頷いた。
「うん、みんなの引率でね。それにもしかしたらリニアが見られるかもしれないし」
「そうだな」
自分達が名古屋に向かう日に真空超電導リニアが出発し、芝浜はその終着駅になる。
不穏な気配のあるリニアに関連した場所に行かせるのは少し躊躇われるが、彼女の嬉々とした表情を曇らせるのも忍びなく、余計な事は言わないでおいた。
これから当日までにやるべき準備がある、またしばらくは此処には来られなくなる。
だから今夜は長く楽しい夜を過ごしたいと、美弥の瞳を覗き込みながら額を触れ合わせる。
「ドラマは終わったか?」
「もしかして、終わるのを待っててくれたの?」
「さて、どうだろうな」
せっかくの彼女の楽しみを邪魔する気はないが、終われば後の時間は自分のもの。
そろそろ此方にも集中してもらいたいなと唇を啄めば、美弥は頬を緩ませてゆっくりと目を閉じた。
――少し前までは、こんな穏やかな時間が自分に訪れるとは思いもしなかった。
今でこそ彼女はよく笑うようになったが、出会った頃は酷いもので。
それに便乗して利用していた自分の精神状態も、思い返せばそれなりに荒んでいたのだろう。
◆
初めは気まぐれだった。
たまたまバーで出会い一夜を共にした彼女は何も聞いてこなかったし、無理な要求もしてこなかった。
ただ本当に人肌を求めているだけのようだったから、狭いベッドで肌を寄せればそれだけで彼女は安心して眠りについた。
経歴は一通り調べさせてもらったが、一緒に住んでいた人間が事故で亡くなったのも本当なようで。
身元に怪しい点もなく、後腐れがないおかげで気が向けば足を運ぶ機会が増えていった。
そうやって、何度も同じベッドで夜を過ごせば多少の情は湧いてしまう。
欲求を満たせない日があっても、まあ別にいいかと思えるくらいにはあの部屋は居心地がよかった。
静かで寒くもなく、さらに食事さえ出てくるし、恋人として下手に気遣う必要もないのは楽だった。
組織と対峙していく中で自分の死を偽装しなければならなくなった時、一瞬だけ美弥の顔がよぎった。
死んだ事にするのならもう彼女の家に行く事はできなくなるなと。
せっかくのセーフハウス代わりをなくすのは勿体無い気がしたし、彼女に悪い気もしたが、それだけだ。
任務の為だ諦めてくれと、そう思っていた。
病院で偶然に見かけた時も、此方に気付いた彼女が声をかけてくるかと思った。
だけど瞬時に状況を把握したのか、話しかける事もなく他人の振りをして横を通り過ぎていった。
別に話しかけてきてもよかったのだが、随分察しがいいのだなと感心したのを覚えている。
安全確認の電話で、彼女には理解できないだろう謝罪の言葉を告げて一方的に通話を終えた。
僅かな罪悪感が沸いたものの、彼女とはそれきりにするつもりだった。
だけど、米花百貨店で人に押し流される彼女を見つけた。
崩れ落ちて動けなくなった姿に、変装した状態で思わず手を差し伸べていた。
「シュウは……死んだの……?」
迷子の子供のように声を震わせ大粒の涙を流した彼女を目の当たりにして、その時初めて後悔した。
彼女はそもそも恋人を唐突に失っていたんだという事を思い出した。
自暴自棄になるくらい大切だったのだろう、現実逃避の為に慣れない酒を煽って、人肌を求めて自分に縋ってきた。
元々大きな傷穴があった所に、縋る人間すら失ったせいでさらに二つ目の傷を開けてしまったのだ。
これから彼女はどう生きていくのだろう。
またバーで泥のように飲み潰れるのだろうか、また誰か違う男に縋るのだろうか。
いや、本来は真面目な性格らしい彼女の事だからそれすらもできなくなってしまう可能性の方が高い。
今度こそ彼女はふらふらと消える選択をしてしまうかもしれない、そう思ったら放っておけなくなってしまった。
――(あの頃は、償いの気持ちの方が強かったはずなんだがな)
そんな事を思い出しながら駐車場に車を停めてエンジンを切ると、赤井は軽く息を吐いた。
スマホを取り出して画面を確認するが、当然のごとく彼女からの連絡はない。
此方に遠慮しているのか、邪魔してはいけないとでも思っているのか、非常時を除いて向こうからメッセージが送られてきた事はほとんどない。
どんな内容でも送ってきても別に構わないのだが、そういう奥ゆかしさを好意的にも思っているから複雑ではある。
だからこそ大切にしてやりたいと思うし、二人きりになった途端に緩やかに甘えられると胸に響くものがある。
(ハマっているのは自分の方かもしれないな)
通知のない画面に多少の寂しさを感じている自分に苦笑して、車から降りる。
「今、名古屋国際空港に着いた所なんだが――」
姿を変え音声も変え、偽りの沖矢を演じながら小学生の少年に狙撃についての依頼を告げた。
◆
彼女に二度も失わせてしまい、それに自分も関わってしまった後処理として遠巻きに見守るつもりだった。
どう生活しているのだろうかと陰ながら様子を窺えば、今まで以上に死んだような目をした彼女が力なく歩いている。
自分が家に押し掛けていた時は薄く笑うぐらいはしていたのに、やつれきっていて食事すらとれていないのは明らかだった。
誰かに助けを求める事もせずそのまま行き倒れてしまいそうな空気を見捨てる事ができなくて、せめて繋ぎ止める役ぐらいはしようと結局沖矢昴として関わる事になってしまった。
初対面の沖矢に対して表情を崩さず、感情の起伏を忘れたかのように虚ろで絶望に満ちた目。
現実逃避の拠り所すら失った彼女はもう必要以上に他人に近付く事をやめたようだ。
自分の責任とでも思っているのだろう。彼女のようなタイプの人間が考えそうな事だ。
スーパーで顔を合わせる程度の赤の他人相手じゃ彼女はもう心を開かないだろうし、何の救いにもならないなと思っていた所に、あのボウヤが彼女と接触した。
ちょうどいいと、手っ取り早く料理を口実にして顔見知りから知り合いになった。
彼女は子供が好きだったようで、遠慮なく集まってくる子供に対してあんなに素直に笑っているのを見たのは初めてだった。
ああ、本当はこういう人間だったのかと。
傷を負っていない本来の彼女の本質に気付かされて、それは子供達に感謝している事だった。
子供達に気に入られれば必然的に誘われる機会も多くなったらしく、阿笠博士の家によく来るようになった。
そこからは知り合いの一人として付かず離れず接していたが、いつからだろう、見守る以外の感情で関わるようになったのは。
何かと理由を付けて彼女の料理を食べさせてもらった時、それを眺めてくる表情は満足そうで、柔らかい笑みを浮かべていた。
人が食べている所を見ても面白くないだろうと思っていたが、彼女は何よりも嬉しそうで、その細められた目が印象的だった。
もしかして自分が以前に家に行っていた時も隣でそんな表情をしていたのだろうか。
あの頃は意味もなく出された食事に手を付けていただけで、彼女がどんな顔をしているのか興味もなかったのだ。
恐らく丹精を込めて作っていた他所にはない料理、何かを強要する事もなく静かに見守るような穏やかな目をもう少し早く知っていればよかったと今なら思う。
そして彼女は時折、沖矢に対して奇妙な反応をするようになった。
フラッシュバックを起こして意識を朦朧とさせていた時も、うわ言はずっと"ユキ"の名前だったのに抱き上げれば"シュウ"と口にし、
体温を求めているのは知っていたから同じように寄りかからせてやれば震えが収まり安心したように眠っていた事もあった。
何も気付いていないのはわかっていたが、内心でどこか喜んでいる自分がいた。
それからしばらくして、ある時を境に彼女は沖矢に接触してこなくなった。
彼女の周りを表立ってうろつきはじめた安室の彼とは何回か会っているようだが、自分はどうしてか怯えたような目をされる。
彼に絆されて今度は彼を求めるようになったか。それとも沖矢の悪い噂でも吹き込まれたか。
仮に彼の側についたとしても、彼女が提供できる情報はないからそれに関する危機感はなかった。
単純に体温を求めるのなら別に自分である必要はなく、それこそ彼であっても問題はない。
無理に此方側に繋ぎ止める必要もなかったが、それでは面白くないと思っている自分がいた。
自分には会おうとしないのに安室の彼には頼って、涙を拭われていた。
だから此方から出向き、都合よく彼女を家まで送るという名目を作ったりもしたが、車内で彼女を問い詰めて腕を伸ばしたのはたぶん衝動的だった。
だけど結局泣きそうな顔で逃げられて、これ以上はどうしようもできないなと沖矢の姿である事に歯がゆさを覚えた。
それでも彼女は、沖矢の中に自分を見つけた。
誘拐された彼女を助け出した瞬間、無意識だとは思うが変装しているはずの沖矢に向かって咄嗟に"シュウ"と本当の名前を呼んだのだ。
それに驚いている自分がいて、そのまま明かしてしまいたいとすら思った。
だが脅威は去っておらず、まだそうするわけにはいかないと振り絞って彼女の手を離した。
目の前にいるのは沖矢だと再確認させればショックを受けた彼女。その呆然とした目が頭から離れなかった。
二度目の傷を作り、偽りの人間で近づき怯えさせて、そしてまた悲しませた。
振り回し続けた彼女に対する誠意、それは正体を明かす事だと思った。
――銀の弾丸を送り込み、車に戻る直前でスマホをタップすれば数コールもしないうちに電話が繋がる。
「今どこにいる」
『え、…っと、芝浜駅だよ』
いつも余計な会話もせずに要件から伝えてしまっているが、それでも彼女は律儀に答えた。
その順応力を買いながらそのまま一方的にメッセージを続ける。
「何が起こるかわからない。念の為すぐに駅から離れろ」
『えっ……う、うん、わかった。みんなにそう言う』
「悪いな」
リニアの到着を見たがっている子供達を説得しなければならない事もわかっているが、戸惑いながらも彼女はすぐに承知した。
相手の言葉も待たず即座に電話を切った後で、以前にもこんなやり取りがあった事を思い出した。
病院の事件の時もそう、何が起こったのか聞く訳でもなく、どうしてと理由を尋ねる事もなく受け入れていた。
意味もわからず従っているのでもない、恐らく信頼されているからなのだろうと思う。
彼女は彼女なりに考えて、そして自分が言う事なら間違いないと思い、狼狽えはするがすぐさま行動に移せる。
それができる人間は一般人ではそう多くないだろう、そして自分も彼女ならできると思っている。
多くの言葉がなくとも気持ちが繋がっているような感覚はどこかくすぐったいような気もするが悪くはなく、自然と笑みが漏れてしまう。
無条件の信頼を寄せてくれる彼女に感謝しながら、目の前の仕事に意識を戻した。
◆
沖矢の秘密を打ち明け、赤井として姿を現せば彼女は泣いた。
騙されたと怒る事もなく、生きていてくれてよかったと、ただそれだけを喜んだ。
利用するだけ利用して突き放し、別人になっても困惑させ悲しませた自分にこんなにも心を寄せてくれるとは流石に予想していなかった。
泣きながらも、嬉しさを溢れさせた美しいくらいの微笑み。
誰にも心を許さなかった彼女のその眼差しが、赤井としての自分に向けられている。
それに気付いた時、自分の中で何かがはっきり変わった。
いつの間にか、彼女の纏う穏やかな空気を欲するようになっていた。
贖罪の気持ちで見守っていたものが、自分が望んで彼女を選び、手を伸ばしたいと思うようになった。
特に記憶に残っているのは、おかえりと言われた事。
急遽阿笠邸に行く用事ができて、わざわざ家にまで来た彼女を置き去りにしたにも関わらず、戻ってきた自分に対して文句を言う事もなく、そう笑って出迎えた。
あの時、言い知れぬ感動すら覚えて、それまで無意識に抱えていたらしい緊張感や疲労感のようなものが消えてなくなった。
ただの一言で、一瞬で絆されてしまったのだ。
彼女の元に帰れば自分は警戒や疑いを持つ必要もなく、気を張らずに自分本来の姿でいられる。
それは、一歩外に出ると自分を偽って生きている人間にとっては貴重な存在だった。
欲がなさすぎるのは少し心配ではあるが、何も聞かず傍に寄り添い、控えめに求めてくる腕。そして食事が美味い。
それはつまり、自分には彼女が必要なのだと気付いた瞬間だった。
――犯人を確保した報告を受け、此方の仕事が全て終わった後で車を脇に停めて外に出る。
火をつけた煙草と一緒に澄んだ空気を吸い込むのは気持ちが良く、陶酔感と共に白煙を吐きながら再びスマホから電話をかける。
「無事か」
『うん……っ、みんな何ともないよ』
少し慌てた美弥の声の後ろで騒がしさも聞こえるが、緊迫した空気ではなく生還を喜ぶ声なのだろう。
『今コナン君と真純ちゃんがリニアから助け出された所だけど、まさかリニアが突っ込んでくるなんて思わなかったよ……』
「ある程度想定はしていたが、日本の警察は後処理に苦労するだろうな」
とぼけたように言えば美弥が苦笑する気配を感じた。
『そっちは大丈夫?怪我とかしてない?』
「問題ない」
『そっか、よかった』
「戻ったらそっちに行く」
『……うん。待ってる』
リニアの件に自分が関わっていた事も言っていないし、何をしに名古屋に来たのかも教えていない。
何となく把握してはいるようだがそれを確認する事もなく、訊ねたのは怪我の有無だけ。
短い言葉の応酬しかしていないのに、会いに行くと最後に告げれば満足そうな返事。
(良い女だな、本当に)
素直な感情を抱きながら吸い終わった煙草を消し、運転席に乗り込む。
「兄さん、誰と電話してたの?」
「ん?起きてたのか」
後部座席で恋人と一緒に寝ていたはずの秀吉が寝ぼけ眼を瞬かせていた。
「なんか兄さん、いつもと違って嬉しそうな顔してたから、誰なのかなって思って。仕事仲間って感じじゃなさそうだし」
一見ぼんやりしているように思われがちだが、彼の洞察力は侮れない。
ある程度の確信を持って笑っている秀吉に、此方も負けじと口角を上げる。
「そのうちお前にも紹介する。いや、お前達に、かな」
「やっぱりそうなんだ。楽しみにしてるね」
それだけ言うと満足したのか、秀吉はまた平和そうな顔をして眠りについた。
仲良く寄り添って眠りこけている二人を見ていると、帰る場所があるというのは幸せな事なんだろうなと思わされる。
なるべく起こさないように発進し、東京に戻るべく車を走らせた。
美弥のいる所に帰りたい、そう湧き上がる素直な感情を抱きながら。
――彼女が、恋人や結婚という決定的な形に踏み切れない事はわかっている。
全てが終わった後にアメリカに付いてくる事は了承してくれたが、それでも頷く事はなかった。
だがどんな形であっても感情は変わらないのだから構わないと言ったのは自分だ。
美弥の中に残っている"ユキ"に、何も思わないという事はない。
自分の腕の中で笑いながらも、ふとした時に暗い顔をしていたり、寝ながら「ユキ」と呟く時もあるから。
だけど忘れてくれと思った事もない。
彼が美弥を愛していたから彼女の人間性が形成されて、そして残酷ではあるが彼の死によって今の美弥が作られた。
生まれてから今までの経験があるからこそ、自分が大事にしたいと思う美弥が存在しているのだ。
美弥が自分を見つめて、笑っていてくれればそれでいい。
どんな記憶を抱えていようと、共に生きる事を選んでくれるのならそれでいい。
その為に自分は、必死で繋ぎ止めなければならないのだ。
この関係が何年も続き倦怠期のようなものが訪れたとしても、彼女の中に永遠に居座っている男に持っていかれないように。
(ずっと、彼との勝負だな)
慢心する暇などない。
だからこそ生まれる独占欲の分、自分は本気でいくのだと心に誓った。
*****
真っ直ぐ帰って来たつもりだが、変装し直したりイレギュラーがあったおかげで、マンションに着く頃には随分と遅い時間になっていた。
合鍵を取り出して、なるべく音を立てずに差し込んで部屋に入る。
電気は点いているがもしかしたらうたた寝しているかもしれないと控えめに歩いていると、自分の手が届くより先にリビングのドアが開いた。
「おかえり、シュウ」
寝ずに待っていたのだろう、穏やかな溶けるような笑み。
その一言を聞きたいとずっと思っていた。
返事の代わりに美弥を引き寄せて、唇を絡ませる。
恍惚の色を浮かべる瞳を至近距離で見下ろして自身もその甘さに酔う。
ひとしきり咥内を愉しんで満足した頃、ふいに美弥がモゾモゾと動いて沖矢の姿をしている此方の背中や腕に手を滑らせる。
「怪我は……なさそうだね、よかった」
「ああ、心配かけたな」
「ほんとだよ。あのリニアにコナン君達が乗ってるって知って血の気が引いたんだから……」
「すまなかった。全員無事だ」
確認して安心したのか首の後ろに腕を回し、そのまましがみ付くくらいに全身を密着させてくる。
笑ってはいるがその力はいつもより強く、指は微かに震えている。
もちろん美弥の体のラインが感じ取れてしまうがそれは構わないらしい。
電話では平静を保っていたが、やはり怖かったのだろう。
聞きたい事もあるだろうに深くは尋ねず、その代わりに全身で無事を噛みしめている姿は胸に込み上がるものを感じる。
この先もこんな事が何度もあるだろう。
そのたびに彼女はこうやって何も聞かず、ただ自分の帰還だけを待っているのか。
気の毒だとは思う。
だが、だからといって手放してやれるほど自分はできた人間ではなかった。
「美弥、愛してる」
「な、ん……急に、どうしたの」
「そう思ったから口にしているだけだ」
胸元に埋まっていた顔を上向けさせ、慈しむように頬や耳にキスを送る。
直接的な言葉に弱いらしい美弥は、珍しく顔を赤らめて狼狽えている。
「嬉しいけど、ちょっと恥ずかしい……」
「それは光栄だ。もっと色んな表情を見せてくれ」
そう言えば、美弥は少しだけ怒ったような目で此方を見上げてきた。
意地悪だ、とでも思っているのだろう。だがそんな感情すら自分にとっては悦ぶ材料にしかならない。
自分にだけ見せる顔をもっと。そんな欲が顔を出す。
「お前が俺にくれる愛の分、俺もお前に返す」
いやそれ以上にな、と呟きながらゆっくりと唇を食む。
自分がここにいる事を確かめさせる為に深く重ねて舌を吸う。
鼻から抜ける声を小さく漏らし、美弥がそろりと睫毛を持ち上げる。
「……もう充分、愛してもらってるよ?」
「いや、まだ足りない」
そう言ってくれるのは嬉しいが、これで満足してはいけないのだ。
「俺にして欲しい事はないか?お前の望み通りにする」
何でもいい、呑み込んだ言葉の代わりに想いを吐き出してほしい。
美弥になら我儘でも甘えでもいいのだ。
「……今夜は、朝までいられる?」
「ああ、流石にもう呼び出される事はないだろう」
考える仕草を見せ、少しだけ上目遣いで美弥は口を開いたが。
「じゃあ、朝まで一緒にいて欲しいかな」
「それから?他にはないのか?」
朝までいる事など、最初からそのつもりなのだから要求の内に入らない。
もっと、と続きを促すが彼女は結局そんな事は口にしないのだ。
しばらく困ったように眉尻を下げて考えを巡らせていた美弥は、そっと俯いて胸元に額を当てた。
「……シュウ」
「どうした?」
「私……シュウの名前が呼べるの、嬉しい。外じゃ簡単に呼べないから……だから、いっぱい呼びたい」
「…………」
最終的に出た望みがそれなのかと、堪らないような気持ちが押し寄せる。
完敗だな、と溜息に似た熱さを吐き出して頷くしかなくなる。
「わかった……とりあえず今夜は寝かさないからそのつもりでいろ」
「う、うん」
何をするかはまた自分で考える事にして、とにかく今は全身で愛したくて仕方がない。
変装しているままだった事を思い出して、シャワーを浴びてくると言って体をゆっくり離す。
美弥が僅かに寂しそうな顔をしたが、それはお互い様なのだから我慢してくれと思う。
「お腹すいてない?何か食べる?」
「いや、大丈夫だ」
そう訊ねられて思い出した。
浴室ではなく玄関に戻り、置きっぱなしにしていたものを取りに行き、美弥の前に差し出す。
「忘れていた。名古屋土産だ」
「ふふ、ちゃんと買ってきてくれたんだ」
「もちろん抜かりはない。お前の事だ、これでまた美味いものを作ってくれるんだろう?」
「うん。ありがとう」
綻ぶように笑った美弥。
ありがとうと言うのは自分の方だと、赤井もまた目を細めて笑んだ。
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本編中、こんな事を考えてたんだよというまとめと緋色の弾丸を混ぜたらこうなりました。
やっと映画にも絡むようになりましたが、今回は遠巻きぐらいだったので赤井さん視点で書きました。