束の間の楽園




「うわぁ……すごく良い雰囲気」

上品な宿を目の前にして、思わず圧倒された声を出してしまった。
森の中にある隠れ家といった落ち着いた雰囲気の、和風だけど洗練された旅館。
呆けるように辺りを見渡す美弥に比べて、いつもと変わらない様子の赤井…ではなく沖矢。

子供達と温泉に行ったのに満足に泊まれないまま事件に巻き込まれてしまったのが少し前の事。
何となく残念に思いながらテレビの温泉特集を見ていたら、突然赤井が「行くか」と言い出した。

普段変装しているから温泉には行けないと思っていたが、露天風呂が付いている部屋なら彼でも入れる事に気付いた。
温泉は好きだし、何より赤井と一緒に行けるのが嬉しくて美弥は上機嫌で頷いた。
ここへ来る道中も、気持ちが浮ついている事を自覚しながらマスタングの助手席に乗っていたが、着いた宿を見て気後れしてしまった。
露天風呂付きの部屋にするという事は通常よりも部屋代がかかる事もわかっていたし、
値段は気にしなくていいと言われてちょっと遠慮しながらそこそこの宿を選んだのだけど、こんなに良い所でいいのかなと申し訳なくなってくる。
温泉宿に泊まるのは初めてではないが、露天風呂付きの部屋は実はユキとだって行った事がない。

「どうした?」
「一体、いくらしたのかなって……」
「滅多に出掛けられないのだから気にしなくていいと言っただろう?」

買ってきた情報誌の写真だけで選ばされて実際の料金は教えてくれなかった。
旅行バッグを抱えて固まっている美弥を余所に、沖矢はすたすたと中に入っていく。
どことなく気品すら感じさせる女将に出迎えられ、チェックインを済ませて部屋に案内される。
そこまでの内装の雰囲気もいいし、テラスから見える美しい花と緑の庭園に感動しながら美弥は沖矢の背中を追う。

「こちらがお部屋でございます」
「ありがとうございます」

こういう時、慣れたように振る舞う彼は本当に度胸があるというか、肝が据わっているなと思う。
今までにも来た事があるのだろうかと余計な事が頭をよぎったが、まぁそれはお互い様なので言いはしない。
二人だけになり、バッグを置いた美弥は改めて部屋を見渡した。
入口から入った先にある充分な広さの畳の和室は、歴史を感じるというよりお洒落で和モダンなリビングといった感じで、そこから繋がる隣の寝室には洋風のベッドが並んでいる。
和室のガラス窓を挟んで向こう側に木製のテラスと木の良い香りがしそうな露天風呂が備え付けられている。

「え、すごい、本当にお風呂があるよ」
「風呂付きにしたからな」

わかってはいるけど、テレビや雑誌で見るような部屋の外にある温泉に思わず感動してしまう。
ガラス戸を開けて外に出れば、湯の流れる音と温かそうな湯気が立っている。

「もう入れるよこれ」
「そうだな」
「すごい……」

いつになくはしゃいでいるからか、笑っているような相槌が聞こえてくる。
さっきからすごいしか言えてないがこんな所泊まった事がないのだ。
テラスから眺められるのは、綺麗に剪定された木々と色彩を飾る花が植えられた二人だけの静かな庭園。
誰にも邪魔される事のない空間で、癒されるにはもってこいの場所だなと美弥は思った。

「気に入ったなら何よりだ」
「うん……ありがとう」

隣に立つ沖矢を見上げれば、目は見えないけれど穏やかな表情が浮かんでいた。

「ここならシュウも気兼ねなくくつろげるよね?」
「ああ」
「よかった」

美弥が行けなかった温泉のリベンジではあるが、今回は彼にもゆっくり休んでもらえるようにと思っている。
代わりに今日明日と工藤邸にはジョディやキャメルが詰めているだろうけど、だからこそ休める時にはめいっぱいリラックスしてほしい。
目的が達成できそうで密かに頷いた美弥は、一通りの部屋の探索を終えて荷物の整頓を始めた。

「食事まで時間がありそうだが、先に入ってくるか?」

部屋にお風呂は付いているが、ちゃんと大浴場もある。
雰囲気もよさそうで広々とした場所らしいので行ってみたい気持ちはあるが。

「ううん、後でいい。外、気持ち良さそうだから歩いてみない?」

美弥は入れるが、彼は大浴場には入れない。
夕食後までは旅館の人が出入りする事もあるかもしれないので変装を解く訳にはいかない。
彼を置いてまでお風呂に入りたい訳ではないし、どうせなら散歩がしたいのでそう答えれば、眼鏡の奥の細い目が小さく笑う。

「……そうだな」

一旦部屋を後にして一階に降りると、広い庭園へと繋がる出口から外へ出た。
最初此処に来た時に見かけて綺麗だなと思っていた大きな池のある庭はかなり広く、まるで森の迷路のように小さな道が伸びている。
池を覗けば魚がいた事に小さな喜びを感じ、池を横断する石の小道を渡り、木陰の中を進むと不思議と澄んだような空気が胸を満たす。

「なんか、こんな風にのんびりする事ってあんまりないね」
「たまにはな」
「大丈夫?退屈じゃない?」

美弥は満喫しているけれど、彼が木々に囲まれて癒されているイメージは正直ない。
男の人はこういう所つまらなかったりするんじゃないかと、ちょっとだけ心配になったが。

「問題ない。お前と一緒じゃないと経験できない事だからな、楽しんでいるさ」
「ならよかったけど……」

来た道を振り返った沖矢は、庭園と旅館を眺めながら静かに佇んでいる。
涼やかな風を受けた茶色の髪はさらさらと揺れ、その表情はどこか気持ちよさそうに見えたから彼なりに面白さを見いだしているのだろう。

気を取り直して歩道を進んでいくと正面から人が歩いてきた。
多くはないが他の宿泊客も散策をしているようで、友達同士らしい女子達とすれ違う。

「今の人カッコよくなかった?」
「見た見たー」

コソコソとは話しているけれど、背後からそんな会話が聞こえてしまった。
この場にいるのは自分達と女子達しかおらず、という事は必然的に沖矢の事で。
思わず美弥は隣を歩く長身を見上げた。

「…………」

そういう反応を目撃するのは初めてではないし、此処に来る道中にもあった。
休憩で寄ったサービスエリアでお手洗いを済ませて戻ってくると、何かに興奮している女子達が目に入って、何だろうと思ったら視線の向こうに彼の姿を見つけた。

確かに顔は違うけれど体格は彼本来のもので、高身長だしスタイルもいい。
出会った当初は美弥に余裕がなくて気付かなかったが、顔は整っているから切れ長な目をしたイケメンにも見える。
一見すると物静かな人に思えるのに、ポケットに手を入れていたりちょっとした仕草に本来の男らしさが滲み出ているのが格好良いなと思った事もある。

「どうした?」
「ううん……昴さんでも、モテるんだなって」
「ああ……」

作られた顔だって事はわかってる。
だけど彼である事には変わりないから、きゃあきゃあ言われると何となくモヤモヤする気持ちが湧いてしまう。
視線だけで背後の事情を察し、それから此方に向き直った細目が笑んだのがわかった。

「……なんか、嬉しそう?」
「ああ。嫉妬してくれたという事だろう?」
「え、これ嫉妬なのかな……ごめん」

素直な感想を言っただけでそれを向けた訳ではないのだけど、でも結局はそういう事になるのかもしれない。
彼は嫌がっている訳でもなくむしろ愉しんでいるようだけど美弥だって一丁前に嫉妬する。
けどそう思っている自分が嫌でなるべくなら嫉妬だと認めたくないし、束縛するような重い女に思われたくなくて言動に出してはいなかった。
意図せず嫉妬のような事を言ってしまって少しの後悔をして、迷惑だったろうかと眼鏡の奥を覗いたが彼は全く何とも思っていない様子で。

「こんな嫉妬など可愛いものだ。だが、この姿は俺であって俺ではないからな、持て囃されようとも意味はあまりない」
「それは、まあ……確かに」

"沖矢昴"に対する周りの声は気にするなと言いたいのだろう。
彼女達は沖矢の一面しか知らないのだから、仮に恋をしたとしてもそれは架空の存在に対する事になる。

「もし……私が本当の事何も知らない時に、沖矢さんに好きだって告白したら、どうしてた?」

ふとそんな疑問が浮かんだ。
沖矢が"シュウ"だと知らないままだったら。
出会って早々に沖矢に恋をして、それを打ち明けていたら。

「……複雑だったろうな」

彼はふと遠くを見つめた。

「その時に全部明かしたかもしれんし、沖矢をやめるまで上辺だけで付き合っていたかもしれん」
「そう、だよね」

自分が逆の立場だったとしたら、好きだと言われてもそれはある意味偽りの自分であって、だから嬉しいのにどこか虚しい気持ちになるのかもしれない。
もしそうなっていたら今のような関係にはなっていなかったかもしれないと思う。
自分で訊ねておいてどうしてか気落ちしている美弥に、沖矢に変装した赤井が一歩距離を詰める。

「だが実際は、お前は沖矢昴の中にいた俺に気付いた。それがどんなに嬉しかったかわかるか?」
「…………」
「だからお前以外にはあり得ないんだ。どんな女に言い寄られた所で、俺が愛せるのはお前しかいない」
「っ……」

そこに飛躍するとは思わなくて、不意打ちで恥ずかしくなって顔をそむけた。
挙動を見られているのはわかっていたけど、見つめ返す事なんてできなくて美しい水面に視線を逃がす。

「もう……いつもストレートに言ってくるの、ずるい」
「そういう俺が好きなんだろう?」
「っ」

もう何も言い返せない。
赤くなった頬を隠したくて、苦し紛れに俯きながら彼の指を握る。
変装していても彼のままな指先を撫で、そしてキュッと絡ませる。

「……意地悪」

小さく呟けば、ふっと笑った声が頭上から聞こえて、そのままゆっくりと歩き出す。
好きだ、なんて答えはきっと見透かされていた。






夕食は文句なしに美味しかった。
個室のレストランで普段は食べられない懐石料理に満足して部屋に戻ると、ようやく彼が変装を解ける時間になったのだけど。
いざ部屋の中からしっかり見える露天風呂を前にして、なんだか落ち着かない気持ちになる。
昼間とは違い暗闇の中で穏やかな間接照明に灯されたそれは、一気に夜の雰囲気に変わる。

(あそこで、二人で入るんだよね?)

当たり前だけど服を脱がない限り湯には浸かれない。
別に初めてではないけれど、この解放感の中ではいつもとは違う勇気が必要になってきて。

「風呂、入るか」
「……う、うん」

でも今日の目的はあれだ。入りたくない訳ではない。
もじもじしていても仕方ないと一歩近付いて、はたと立ち止まる。
露天風呂に入る前に体を洗わなければならないのだけど、その隣にある簡易的なシャワールームの仕切りは透明で丸見えで、そこで洗うのは何だかとても気が引ける。

「どうした?」
「……そこで、洗うんだよね?」
「まぁ、そうだろうな」

女子には色々あるのだ。
隅々まで綺麗に洗いきった後なら諦めもつくが、その工程を見られるのは少し、いやかなり見られたくない。
戸惑っている美弥の横で、ばさりと音がする。
振り返れば沖矢の顔、というか抜け殻が下に落ちていて、見上げれば本来の黒髪が現れている。
そして躊躇いもなく上半身の服を脱ぎ始めるので思わず狼狽えた。

美弥、来ないのか?」

少し汗ばんだ静観な顔、癖のある黒髪をかきあげて赤井が笑む。
引き締まった上半身が月明かりに照らされてとても綺麗で、美弥の胸が跳ね上がった。

「っ……わ、私、大浴場に入ってきてからにするね!」
「今更恥ずかしがるのか?」

此方の心情なんかわかっていて、彼はどこか意地悪く笑った。

「さ、先に入ってて……」
「ああ、わかった」

堪らない色気から逃げるように美弥は部屋を飛び出した。

(心臓、もつかな)

火照ってしまった頬をどうにか冷ましながら美弥は大浴場を目指した。

慌ててやってきた大浴場だけど、広々とした温泉はとても気持ち良かった。
だけどあまり待たせる訳にもいかず、手早く体を洗って手短に石の露天風呂を楽しむと、美弥はおずおずと部屋に戻った。
それでも結構な時間がかかってしまった気がするからもうお風呂から出ているかもしれないと思ったが、部屋に彼の姿はない。
ちらりと外に続く扉を開くと、それに気付いた彼の声が聞こえる。

「ああ、美弥。悪いが部屋にあるワイン持ってきてくれ」
「…………」

彼は風呂の隣にある、ゆったりと寝そべられるほどの大きさの木製デッキチェアに浴衣姿で優雅に横になっていた。
さっきまで湯に入っていたのだろう上気した顔に、雫が小さく滴る黒髪。
浴衣は適当に羽織っただけのようでほとんどはだけていて、生足がだらりと投げ出されている。

「お前も飲むだろう?グラスも2つ頼む」
「う、うん……」

ずるい。彼は本当にずるい。
こういう絵になるような事が平然とできるなんて。
しかもそれがとても似合っていて、格好良くて、目が泳いでしまう。
浴衣姿なんてよく考えれば初めて見たけど黒髪によく似合っているし、一言で言えば非常に官能的。
動揺しながら彼に言われたワインの瓶を冷蔵庫から取り出して、軽く深呼吸をして外に出る。

「すまないな」

美弥は赤井の隣にあるもう一つの椅子にちょこんと座ると、グラスにワインを注ぐ。
旅館なので流石にバーボンの類はなかったらしく、彼曰く別に何でも飲めるとの事でワインになったという。

「浴衣はいいな」
「本当?ありがとう」

綺麗に着込んだ浴衣を誉められ、素直に喜んでワインを口にする。
美弥の為に甘口だったようで飲みやすく、ジュースのようにゴクリと飲むと喉がじわりと熱くなる。

「温泉、もう入った?」
「ああ」
「気持ちいいよね。普通のお風呂とはやっぱり違う気がする」

これだけくつろいでいるのだから彼も満足しているのだろう。
楽しめているならよかったと美弥はニコニコしながらワインを飲み干した。
変装しながら生きるのは不自由な事もあるだろう。
だから今日ぐらいは現実というか、外の事を忘れてのんびりしてもらえたらいい。
上品に照らされた庭を眺めながらお酒を飲むと、アルコールがいい感じに回ってきてフワフワする。

「そろそろ冷えてきたな」
「そうだね――っ!?」

ふいに隣から引き寄せられて唇を塞がれる。
粘膜の柔らかさに酔っていると、そのまま体を持ち上げられる。
歩くというより運ばれながらあっという間に浴衣から下着から脱がされて、湯船に入れられる。
驚きに固まっていると、すぐさま背後に赤井の体が滑り込む。
2人分の体積の分、溢れた湯がザバリと周囲に溢れた。

「急に……っ」
「そうか?」

狼狽している美弥を余所に、飄々とした声が深く吐き出される。
別に一緒に風呂に入った事がない訳ではないけど、家とは雰囲気が違う。
背後から腹部に腕が回され、背中が密着する。
いきなりの事で戸惑いはしたが彼の体温はやっぱり安心するし、目の前に広がる景色はとても綺麗で、突然の事への不満は次第に消えていく。

「……気持ちいいね」
「そうだな」

僅かにとろみのある柔らかな温泉が肌を滑っていく。
彼に寄りかかりながら夜空を見つめているなんて、なんていう贅沢だろう。
彼の代わりに工藤邸に詰めている仲間達に感謝しなければならない。

「シュウとこういう所泊まれると思ってなかったから嬉しい。前の時はゆっくり温泉に浸かる事もできなかったから」

結局宿の温泉を楽しんだり食事すらできなかった。
それに、子供達は好きだけど大人として子供達を危険な目に遭わせてはいけないと気を張っている部分もあったから、こんなに何も考えずに身を任せる事はまずない。

「子供相手ではこんな事もできないしな」
「……それはそうだけど」

こんな裸で密着なんて、するはずがない。
振り返って膨れてみせれば彼の双眸がニッと笑む。

「……シュウとしか、しないよ」
「そうしてくれ」

機嫌がいいのか、ご満悦な様子。
いつの間に持ってきたのか、湯船から伸ばした手で器用にワインをグラスに注いで、くいっと煽る。
水滴が滴る喉仏が、こくりと上下するのを美弥はじっと見つめる。

「……ずるい」
「ん?」

ポツリと呟いた美弥は体の向きを変え、引き寄せられるように赤井の唇を食んだ。
僅かに舌を這わせればアルコールを感じて気持ちが浮ついた。
赤井の首に腕を回し、さらにぎゅっと密着させて抱き付いた。

「……全部、恰好いい」

ふわふわ、お湯が熱くて。彼の体温が熱くて。
普段言わないような事が勝手に口から零れていく。

「それを言うなら、酒に酔ったお前も反則に近いがな」
「え?っ……」

ワインを口に含んだ赤井が、美弥の後頭部を支えながら唇を塞ぐ。
ふいに流し込まれた液体に戸惑いつつも、それをゆっくりと嚥下する。
じわりと熱くなる喉、お酒のせいかキスのせいか余計に火照っていく頬。

「甘口のワインを飲ませた甲斐があった」

確かにジュースみたいだからと結構飲んだような気がする。
もしかして自分は酔っているのかと、ぼんやりした思考で赤井を見つめる。

「シュウ……っ」

吐息のように名前を呼べば、満足気に唇が持ち上がる。
触れられた指先が明確な意図を持って美弥の肌をなぞる。
ぞわぞわとくすぐったさと共に欲が引き出されて、さらに息が漏れる。

「熱いよ、シュウ……」
「その方がいいんだろう?」
「……うん」

温泉にのぼせたのか、酒のせいか、それとも彼のせいか。茹だってしまいそうな思考はただ彼だけを求める。
負けじと煽るように目の前の濡れた首筋に唇を寄せて舌を這わせてみる。
まるで彼は自分の物だとでも言わんばかりに、独占するように。

「フッ、恥ずかしがっていたのが嘘のようだな」
「シュウ……ここじゃ…」
「もう出るのか?」

まだ余裕でいるらしい赤井に焦れたのは美弥が先。
それでも湯に入ったままというのは流石に憚られて、なけなしの理性で控えめに頷く。
赤井としては別にここでも構わないが、湯の中ではいずれのぼせてしまうし、汚しでもしたら酔いを醒ました美弥が後で悲鳴を上げるのは目に見えている。

「……わかった」

夜はまだこれからだった。






*****



翌朝、夜の諸々の痕跡に気付いて大慌てで片付けてから。
部屋付きの風呂を一回だけにしてしまうのはもったいない気がして、せっかくだからもう一度入ろうと、変装する前に二人して露天の温泉に沈んだ。

「明るい所で入るの、ちょっと恥ずかしいね」
「まぁ、普段はないな」

背中は譲らないとばかりに筋肉質な胸板が占有していて、後ろから低い声が聞こえる。
こんな明るくてほとんど外のような場所で裸でいるのは、夜とはまた違った意味で心許ない気がしてしまう。
けれど熱いお湯に浸かりながら、朝の独特なひんやりとした庭園を眺めるのは何とも言えない心地よさがある。

「でも朝から入るなんて贅沢、滅多にできないからいっか」
「温泉の上書きはできたか?」
「うん、もちろん」

念願の温泉旅行、しかも彼と一緒に。
連続殺人犯に追いかけられて首を絞められた事は、これでもう忘れられると思う。

「もし今何かあっても、シュウがいるから怖くないしね」
「そう頻繁に事件が起きても困るがな」

苦笑交じりの彼の言葉は少し意外だった。
事件が好きそう、とまでは言わないけど、事件を解決させようとする姿勢には積極性を感じたから。

「……でもシュウの本当の仕事って、かなり忙しいよね?次から次へと事件が起きるって感じするけど」
「まあな、一度事件が起きれば家に帰る事もできなくなるな」
「そうだよね……」

FBIが定時で帰ってこられる職業だなんて流石に思っていない。
彼の口から聞かされる肯定の言葉にやっぱりと美弥も納得する。

「だから、お前には寂しい思いをさせるかもしれない。慣れない地で頼る者もおらず、一人で家にいなくてはならない時も必ずあるはずだ。
実際それで離婚したり別れたって話も少なくない。それでもいいのか?」
「…………」

チラリと後ろを覗えば、濡れた深い色の眼差しがいつもより真剣さを帯びて此方をじっと見つめてくる。
楽な生活ばかりではないと、そう目が語っている。
今の美弥が考えている以上に困難が待ち受けているのだろう。

「……それでも私は、たぶんシュウを待ってるのが仕事だと思うから」

その意味を頭に反芻させて少しの間だけ考えて、美弥は負けじと赤井の目を見つめ返した。

「寂しかったり不安になったりするかもしれないけど……シュウが帰ってこられる場所を作りたいから。生半可な気持ちで決めたんじゃないよ」
「……そうか」

付いていくと決めた時点で美弥ができる範囲でFBIについて調べたし、それを生業にしている人と一緒に生きる事の大変さも学んだつもりだ。
きっと、世間一般な普通の恋人の同棲のようにはなれない。
ちょっと怖気づいた部分もあるけれど、それでも傍にいたいなら頑張るしかないって思ったのだ。
だからちゃんとわかってる、と真面目な顔で頷けば、腹部に回された腕にキュッと力が込められた。

「なるべく寂しくならないよう尽力しよう。おまえの決意を後悔させたりしない」
「でもちゃんと、生きて帰ってきてね。それが一番の条件だからね」
「ああ、もちろん」

背後から抱き締められ、美弥の耳に濡れた唇が寄せられる気配がする。

「お前に日本を捨てさせようとしている事も、わかっているつもりだ。日本にいる間になるべく色んな場所に行こう」
「……うん」

日本を離れる前に思い出をたくさん作ろうと、彼は言ってくれている。
緩く笑いながら目の前に広がる緑花を眺め、これからの事に思いを馳せる。
密着しているからか、結構な時間が経ったからなのか、湯に包まれている体からの熱がじりじりと頬に昇っていく。

「……そろそろ、のぼせそうだね」
「そうだな」

二人して苦笑しながら、勢いをつけて一緒に湯から出た。
まずはこの旅行を最後まで楽しもうと、美弥は思った。











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スパダリがやばい。
またイチャイチャしてるだけになってしまった。