「涙の水?」

列車の中でアリィンは気になる文面を声に出した。
今回の任務は、イノセンスが存在する可能性がある地点にアクマが現れたという情報から。

数日前、その街の命綱とも言える川の水に異変が起きた。

「はい、確かに川の水を飲むとどういう訳か気持ちが酷く沈み込むのです」
「……くだらねぇ」

案内役の探索部隊の報告に悪態をつく神田。


何となく鬱になる気分ならそこまで気にする事象ではないかもしれない。
しかし突然多くの住民が、泣き叫んだり、塞ぎ込んでしまったり、はたまた自殺する人などが続出した。
街は嗚咽の声でいっぱいになったという。
その為に『涙の水』なんて呼ばれるようになったのだろう。

これが奇妙な噂となって黒の教団までたどり着き、教団はイノセンスかもしれないという結論を得た。


「街全体が暗い雰囲気に包まれていたちょうどその頃、アクマの集団が現れたのです」

おそらく、アクマもイノセンスを奪いに来たのだろう。

「逃げる気力さえなくした住民達ですから、次々とアクマに殺されていきました」

今は他の探索部隊が何とかアクマを抑えています、と付け加えた。

「ふん、レベル2はいねぇんだろ?」
「今の所はまだ進化していない、との事です」
「ならさっさと帰れそうだな」

疲れた顔付きで神田は背もたれに体重を預ける。
そしてちら、とアリィンを一瞥する。

「足引っ張んじゃねぇぞ」
「はいはい、わかってます」
「言っとくが俺は一切お前を助けない。自分の命は自分で守れ」
「……神田くんには守りたいものがあるの?」
「は……?」

突拍子もない事を聞かれ、神田は一瞬意味がわからなかった。

「ただ仲間意識がないだけ、そう言ってしまえばそれで終わりだけど……
自分一人で生きてる人って……奥に信念を抱えてる人なんだって思う時があるから」
「…………」
「ごめんね、意味もなくそう感じただけだから」

黙り込んだのを、アリィンは俺が怒っているとでも思ったのだろうか。


……変な女。


甘い奴だけど時々全てを悟ったような顔をして。
違う事を考えてるはずなのにいつも笑顔で過ごしていたり。


とりあえず、自分とは正反対な存在だと思う。


「……年の功か?」
「…………はい?」
「変な言動をするのは年のせい―――」
「どうせ年増ですよ……!」

目くじら立てて怒るアリィンを見て神田は一瞬あっけにとられた。


ほら、こんな感じで感情を微かに表すかと思えば。


息の荒いアリィンは軽く深呼吸し、落ち着いた所でそんな怒りは消え去り。

「……年がいってる分、経験した事が多いのかもしれないね……」


また笑顔を貼り付ける。


「……訳わかんねぇ」
「神田くんはまだ10代だから」
「お前はもうすぐ三十路だったか?コムイと同い年なんだってな」
「(み、みそじ……!!)」

『三十路』という言葉が決め手だったのか、アリィンは体に重力を思いっきりきかせて落ち込んだ。


……面白ぇ……


神田はよくわからないおもちゃを手に入れた気分だった。






10・Trespass






「界蟲『一幻』!!」

神田の武器がアクマを2体同時にたたきつぶす。

「カオスブレード!!」

アリィンも棍を振り上げ、衝撃波でアクマを両断する。
量が多くてもボール型のアクマばかりなので今回は手こずる事はない。

棍を高速回転させてアクマの攻撃をはじき飛ばし、家の屋根を踏み台にして跳び上がる。
そして次々と衝撃波と刀身でアクマを粉砕していき、今神田が戦っているものが最後となる。

「神田くん!最後の一体!!」
「わかってんなら自分で倒せよ!!」

そう悪態をつきつつも神田は六幻で粉々に破壊した。

「ありがと」
「お前に礼を言われるような事はしてねぇ」
「でも神田くんの方が倒したアクマ多いでしょ?」
「お前が遅ぇからだろ!?」

神田はどこか不機嫌でスタスタと川を歩く。


……あれ?もしかして照れてるのかな?


どことなくいつもと怒り方が違う。

……何よ、神田くんだって普通の感性してるじゃない。
それがわかったというだけで妙に嬉しくなった。






街の中心を流れる川。
この流れてくる川全体がおかしいという事は、上流に何かがある可能性がある。
そう結論付けて一行は川を沿って山奥を目指す。

「結構上流ってきついね」
「何だ、もうバテたのか?」
「……また年とか言わないでね」

川の水は深みを増し、流れも激しくなってくる。
その隣の草の茂みを掻き分けて歩いているので決して楽な道ではない。
アリィンも日頃から体は鍛えているが、さすがに体力の限界が近づいていた。

「……でもどこにイノセンスがあるんだろう?」
「さあな、イノセンスがどんな形してるかも知らねぇんじゃな……」

神田もこの坂道に嫌気がさしているみたいだ。
ざあざあと流れる川の音も段々鬱陶しくなってくる。


ガサッ!

「「!!」」


同時に神田とアリィンは音のした草むらに構えた。

「あ、あの、貴方達は……?」

街の女性だろうか、私達2人を見比べて不安そうな顔をしている。

「……ええ、イノセンスを探してるんです」

アリィンははっきりと答えた。
女性は恭しく律儀に会釈をした。

「そうなんですか……あの、よかったら私上流までの道を知ってますけど……?」
「……そうですか……では案内してもらえますか?」
「はい、ではこちらです」
「……わざわざお越し頂いてありがとうございます」
「いえいえ……当然のことですから、ね!!」
「!!」


ザシュッ!!


女性の背中が変形し、突然大砲らしきものがあらわれた。
しかしアリィンは至極驚くこともなく冷静に飛び退り、棍を女性に投げつけた。
刀身は見事に女性の体に穴を開け、女性であったアクマは音もなく倒れた。


「……っ…はぁ、嫌だな、人間を信用しないってのも……」

アリィンは溜息をついた。
最初から神田もアリィンもすぐ武器を扱えるように構えていた。
アクマは人間の姿に化ける。
だから、人間は疑ってかからなければならない、その常識はもうアリィンにも身に付いていた。

「ならお前がアクマにやられるか?」
「それはそうだけ―――ど!?!?」
「な、おい!」

突然アリィンの足場が崩れて、アリィンは崖を滑り落ちた。
そしてそのまま深い川に落ちてしまった。

「……チッ!足引っ張るなって言ったじゃねぇかよ…!」

神田はそのままアリィンを置いて先に上を進もうかとも思った。
しかし、神田は先程倒したアクマの後ろにアリィンの対アクマ武器が落ちているのに気がついた。
あれがなければアリィンはアクマと戦えない。

神田は悪態をついてアリィンが流れていった下の坂道を戻った。






……結構流れ速いなぁ……


アリィンは器用に息継ぎをしながら川の流れに身を任せていた。


……あれ?何か……おかしい……


ふと、心臓の鼓動が段々と速くなっていく。
そして次に込み上がってきたのは、悲しみだった。


わからない、何故か急に胸が苦しくなっていく。
それは深く水に沈むほど強く、少しずつ気持ちが高ぶっていく。


イノセンスが近いのかもしれない……!!


アリィンは思い切り息を吸い込んで水中に潜った。
流れに沿って石の下などをくまなく探していく。
強まっていく負の感情で、イノセンスがどこにあるのかが何となくわかる。


あ、あれは………?!


大きな石に下敷きになっている大きな鏡を見つけた。
川の中としては似つかないその光景に、アリィンはゆっくりその鏡を引き抜いた。


!!!


心臓が血を流し込むたびに、頭に一つ一つ記憶が蘇っていく。
ドクドクという鼓動の音と共に、忘れていたつもりの光景が。


――「……ごめん……アリィン……!」――

――「何言ってるの、最初からそういう約束だったじゃない」――



なに……!?頭にイメージが……勝手に湧き上がる……!!



――「……さよなら……コムイ……」――



いや……何でこんなに鮮明に思い出すの……!?



――「……っぅ……ごめん……愛してたよ……私っ…貴方を愛してたよ……!!」――



やめて……もう昔の事じゃない……!!



――「コムイ……」――




そんな思い出呼び起こさないで!!




アリィンは水中で頭を抱えた。
止まらない頭痛と、塞き止められないあの頃の思い出。


「いやあああ!!」


鏡を抱きしめて、アリィンは泣き叫んだ。





……悲しいよ……辛いよ……



あの時、私は泣かなかった。

約束だったから、いつか別れなければいけないのは。

だけど誰もいない部屋に帰ったとたん涙が止まらなかった。


悲しくて。

苦しくて。

寂しくて。


もう、愛しい人は帰ってこない。

もう、あの人を愛してはいけない。

もう、あの人を愛すのはやめなければいけない。


もう2度と帰ってこないのだから。










「………何やってんだよお…前………!」

神田は浅瀬でようやく川から上がったアリィンを見つけて走り、そして息を呑んだ。
呼吸の荒いアリィンは大きな鏡を抱え、そして拳を震わせて泣いていた。

「はっ……はぁっ……っ……!!」

うずくまったまま、焦点の合わない瞳からボロボロと大粒の雫が溢れる。
その光景に何と言ったらいいのかわからず、神田は一瞬立ち尽くした。

「……っ……神田くん……これ……」
「……それが……イノセンスか?」
「た…ぶん……」

泣いているのに、笑顔で会話を続けようとするアリィン
抱え込む事ができるほどの大きさの鏡は、豪華な金の装飾がなされていた。

「この鏡が悲しみを引き起こした原因に―――!?」
「!!」

アリィンが鏡を覗き込むと、突然鏡から光が放たれて一瞬何も見えなくなる。
神田も眩しくて顔を逸らす。



――「コムイ……」――



自分の声が鏡から聞こえた。

「な、何が起こってる……!?」

神田の声とほぼ同時に、光は収束していき完全に消え失せた。
その代わり、鏡には自分の顔は映っていなかった。


鏡には、数年前の自分と、まだ若いコムイが仲睦まじげに笑い合っている姿が……


「……っ!!!」
「何でコムイが……」

心臓が高鳴り、再び涙が溢れてくる。


――「コムイ……私、コムイが大好きだよ……!」――

――「……ああ………」――


「!!……いやぁっ!!!」

鏡の中の2人は笑顔でそう囁き合う。
カッと頭に血が上るほど恥ずかしくなってアリィンは鏡を自分の体で覆い隠した。


――「…っ……私……コムイがいないとっ……!!」――


知られた!見られた!

私の過去を!私の心の奥底を!!



ベッドで泣き叫ぶアリィンを最後に、鏡は何も映さなくなった。



「………」
「………」

茫然としている神田を見れなくてアリィンは震えながら俯いていた。
そしてに神田も何が起こったのかわからなくてただアリィンを見下ろしていた。


「………帰ろうか?」

突然アリィンが笑顔で見上げてきた。

「……あ、ああ」

神田はそう返すだけで精一杯だった。











「…………」
「…………」


またしても帰りの列車では会話がなかった。
アリィンは布を巻き付けた鏡を抱き、一心不乱に窓の外を眺めている。
その向かいに座る神田は、俯いてずっと眉をしかめていた。

「……よかったね、イノセンスが早く見つかって」
「……ああ…」

アリィンの瞳にはもう涙はなかった。


「……結局、そのイノセンスは何だったんだ?」

ぽつりと神田が呟いた。

「……記憶を見せてくれる物。たぶん……鏡に映った人が一番強く記憶しているものを。
そんな奇妙な鏡だから、誰かが川に捨てたのかも。
……で、悲しい記憶を呼び起こす力だけ水に溶け込んだのかもしれない」
「………」


アリィンの記憶』にいたアリィンは、確かに今よりも若く見えた。


「じゃあお前……コムイと……」
「もうずいぶん昔の話よ」

言いかけた所でアリィンに遮られてしまった。

何も聞くな、そうアリィンの横顔は語っていた。
しかし神田も聞きたい事が多くて口を閉ざすのをやめなかった。

「……『世紀の大恋愛』って……コムイの事か?コムイがお前を振った―――」

突然アリィンの人差し指が神田の口元ギリギリにあてられた。
急に接近した距離に言葉を詰まらせると、アリィンはその指を自分にもっていきにっこり笑った。

しゃべるな、そうアリィンは言っている。

よく見ると瞼が赤く腫れている。
泣いていた証拠だ。


「もう……終わった事だから……」


疲れきったように吐き出された言葉は、自分に言い聞かせているように感じた。











「ご苦労様、鏡はヘブラスカがイノセンスに戻して保管してくれる」
「……わかった」


帰り道では必死で平静を保っていたのに、コムイを前にするとどうしても目頭が熱くなる。
数年前、私から離れていった愛する人が今目の前にいる。


「……どうしたアリィン?」
「……何でもない」


優しい声で私の名を呼ばないで。


「顔色悪いよ、今日はゆっくり休むんだよ」
「わかってる……」


あの時どれだけ、貴方の声を聞きたいと思ったか。


「だいじょう……ぶ…」
「……っ!」
アリィン!?」


あの時からどれだけ、貴方に会いたいと思ったか。






……周期的なリズムが心地よい。
お姫様抱っことかそんな可愛らしい抱き上げ方じゃないけど、私を支えてくれる手は優しかった。

「……なに泣いてんだよ」

ふと視界が反転したかと思ったら、隣にいた神田が抱きかかえてくれたらしい。
部屋を出るまでは耐えたけど、そこからはもう限界だった。

「……っ……ぅ……何でもない……!」


止まらない、寂しさが止まらない。


「まだ……好きなのか?」
「な、に言ってるのよ……っな、何年前の…話だと思ってる、の……?」
「……説得力ねぇよ」
「今は……ちょっと…ナーバスに…なってるだけ、だから……」
「……はいよ、わかったわかった」


コムイに会いたかった。


ずっと……会いたかったんだ。



ずっと好きだった。



だけど、私の想いを残したまま月日は無情にも過ぎていく。











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さて、変なイノセンスのせいでおかしな展開に(笑)

神田くんが段々変わっていきます。
あ、あと勝手にヒロインのイノセンスに必殺技の名前が付いていますが、気にしないで下さい(笑)
作者の趣味で一応全部付いてるんです。