――子供を身籠もった。


相手はまだ若い統合軍のパイロット、ずっと好きだった男の人。
恋人なんていう関係じゃなかった、だけどずっと憧れで、いつも目で追いかけて。
友人という垣根を越えて、ちょっとしたきっかけで私と彼は数回夜を共にした。

彼に子供ができたなんて言える訳がなかった。

だって、私は何者にも縛られない自由な彼を、傍若無人に空を飛び回る姿が好きだったのだから。
それに彼は性格故に一つの部署に長く留まっていられない、誰も彼を扱いきれないのだ。
この星系に来たのだって"飛ばされた"と言っていたし、またすぐ彼は別の地へ行く事になるだろう。

彼に迷惑なんてかけたくなかったし、きっと彼は私の事は本気で好きではない。
承知の上での関係だったし、それでもいいからと傍に居続けたのは私なんだから。

結婚して欲しい訳じゃない……ただ、子供という宝物を授けてくれただけで幸せだった。
不思議とそんな気になったのだ。


もちろん両親は私が一人で子供を産む事に大反対だった。
父親の名も告げず一人で育てると言った私に、厳格な家の父と母は激怒した。
結婚させてもらえないのなら堕ろせとまで言われて、
このまま此処にいたら彼にも、世間体を気にする両親にも迷惑がかかる。
それにこんな環境では子供を大切に育てられないとわかっていたから、私は家を飛び出して地球へ飛んだ。

一人でもいい、誰の助けもなくていい、この人類の母星で私は彼の子を育てよう。
自由に生き何者にも囚われず、やりたいと思った事を一心不乱にできる子を。

愛して愛して、愛し通そうと誓ったのだ。




――子供は女の子だった。

私はその子を"リチェル"と名付けた。
奇跡のような子、私の元に生まれてきてくれてただ感謝の言葉しか浮かばなかった。
新しい命に涙しながら私はまだ目も充分に開けられない子に囁いた。

リチェル、貴女の父親はね……どこまでも自由で、空だけを愛してる人なの。
規律ばかり破って、喧嘩っ早くて、荒くて……だけどとても優しい人」

彼は悪くない、彼を恨んだ事なんて一度だってなかった。

「あの人を縛りたくない……だから、ごめんねリチェル……
もう会えないけど……貴女は空に愛され、私に愛された子」

父親がいなくて苦労するかもしれない、悩む時期もあるかもしれない。
だけど私が父親の分も愛するから、大切にするから、幸せになって欲しい。


それから、子供を預けながら私は必死に働いた。
疲れて動けない日もあった、お金に困って食事を抜いた日もあった、
だけど……リチェルはいつも笑っていた。

……そう、蒼い空ばかり見上げて嬉しそうに笑っているのだ。

この子にはわかっているのだ、この空こそ"父親"なのだと。
父親の血なのか、自我もはっきり目覚めていないうちから無意識にも空を欲している。
眩しい太陽の愛情を浴びて、リチェルは幸せそうに手を伸ばして。

リチェル……貴女も自由に生きて、そして幸せになって」

そして涙を流しながら、私とリチェルはいつまでも一面の青を目に焼き付けた。
この子がいるから私は生きていけるのだと、心からそう思った。




―――だけど、そんな生活は長くは続かなかった。

部屋に帰ってきて、眠るリチェルを冷たく見下ろしていたのは……父と母。
彼らは、家出した私をわざわざ地球まで迎えに来たのだという。

「子供は養子に出す」

冷酷に言い放った父に、泣き叫ぶように縋り付いた。

「どうして!?私の子供よ!!私一人でもこの子は立派に育ててみせるわ!」
「馬鹿な事を!子供にどれだけ金がかかると思っているんだ!それをお前一人で稼げる訳がないだろう!
貧しい暮らしで一生潰すくらいなら、しっかりした家に引き取られた方が子供にとっても幸せじゃないのか!?」

正論だけど、簡単に頷ける程度の軽い覚悟で地球に来たりしない。
我が儘でリチェルの"父親"をなくしてしまったのだから、命を賭けてでも守る決意をしたのだ。

「嫌です!この子を手放すくらいなら死んだ方がマシです!!」
「それはお前の自己満足だろう!子供の事を考えろ!」

本来なら、彼にも責任があるのだから子供の事を告げなければならなかったのだろう。

(でもそれは絶対に嫌だ……彼の妨げにはなりたくない!)

「いい加減にしないか!私はお前をそんな恥さらしに育てた覚えはないぞ!」
「好きな人の子供を産んだ事がどうして恥さらしなの!?」
「なら何故父親は名乗りでない!?結婚を許してもらえないような相手なのか!
不倫の子ならば私は二度とお前を外に出歩かせんぞ!そうでなければ結婚するのが筋ではないのか!?」
「やめて!!……でも、言えません!」
「なら子供は諦めろ!子供は父親と母親がいてこそまともに育つのだぞ!」
「どうして決めつけるの!?そんなの偏見じゃない!!」
「こんな事なら……お前を軍なんぞで働かせるべきではなかった!」
「お願いです……リチェルは私の子なの……私が、育てますから……!」

許しを請う私を気遣う人間は、誰一人としていなかった。
実の母親でも父親がいないのならば、養子としてでも両親に育まれた方がいいからと。


……子供の幸せの為、だったら嘘でも"一緒に育てよう"と言ってくれたっていいのに。
初めから子供を捨てるつもりで、貴方達は私だけを追って来たんだね。

そうだね、貴方達にとってリチェルは世間的に許されないもの、そして私は自分達の安泰の為に。
僅かでも優しさを貴方達に求めてはいけないって、わかっていたよ。


「引き取り先が決まった」

どれだけ説得しても、私を無視して父は上機嫌に言葉を重ねていく。

「とある軍人筋の紹介でかなりの地位の軍人夫婦だそうだ、家柄も申し分ない。
子ができないそうでな、"父親はパイロット"だと伝えると是非にと申し出があった」

目を輝かせて喜んでいたのは母だ。
どうして……もし、貴女だったら自分のお腹を痛めて産んだ子を手放すなんてできるの?

「跡継ぎに相応しい血が必要らしい」
「それじゃ軍人になる為に養子にさせるって事!?どうしてリチェルの将来を勝手に決めるの!?」
「軍人の子ならば軍人に引き取られるのが本望だろう。まあ本当は誰の子かわかったもんではないがな」

どうして、私の話を聞いてくれないの?

そして彼らは、私が外出している間に部屋に入り、勝手にリチェルを連れて行ってしまった。

「もう引き取っていった、お前がいたら進む話も進まないからな」
「どうして!?リチェルを返して!!」

お願い!確かに父親はパイロットだけど、子供までそうさせようなんて思わない。
将来を決めさせたくなんてないのに!

リチェルには、ただ自由に幸せに生きて欲しいだけなのに!!

「帰るぞ、もう地球に用はないのだから」









―――自分の半身が奪われたかのように思えた。


もう、何もわからなかった。
歩く事すらも、目を開けている事すらも億劫で、何処かに消えてしまいたい衝動にばかり駆られる。
全てが耳鳴りのようにざわついて、もう日に日に大きくなっていったあの子を抱く事もできない両腕は、
糸の切れた人形のように宙を彷徨うばかり。

「帰りますよ、これ以上私達に恥じかかせないでちょうだい」
「……………」
「今日は、何だか混んでいますわね」
「確か式典があるとか言っていたからな、皆それを見に行くのだろう」

輸送船へと足が進まない。
このまま帰れば、また父と母の言いなりになって、早々に見合い話でも持ってくるのだろう。
両親の望んだ相手と結婚し、そして両親の望むように大企業の跡取りとの子をもうけて、育てるだけ。

彼と出会ってもう2年は経った……きっと彼はあそこにはいないだろう、そんな気がする。
彼にも会えない、リチェルにも会えない。
涙が止まらない。

どうして駄目なの?私は何か悪い事したのだろうか?
ただ好きな人ができて、子供ができて、迷惑かけないように2人で生きていこうとしただけなのに。

「……リチェル……」

例え私が悪かったとしても、責任があったとしても、あの子は何も知らない。あの子は何も悪くない。
ちゃんと引き取られた先で愛されて育つのだろうか、幸せに生きていくのだろうか。
軍人にさせられてしまうのだろうか……あの子の意思と関係なく。

そんな……あの子は、彼の子なのに。

何を見て何を考え、そして何を夢見て生きるのか、そんな事も見守れないなんて!
どうして……あの子の成長を見られないの!?

あの子は……私の子なのに!!!


「あ、……何処へ行くの!?待ちなさい!!」


リチェル!!リチェルっっ!!!

あの子の母親は私だ!私の……私の子!!
リチェルに会いたい!!!


走った、ひたすらに足を動かして走った。

「ごめん……ごめんね…っ!!」

独りにしてごめん、何があっても絶対貴女の手を離してはいけなかったのに。

何度も転びそうになって、それでも一度も止まらなかった。
中心街へ行けば式典が催されている、そうすればリチェルを引き取った軍人もそこにいるだろう。
誰かなんてわからない、だけど全員に聞いて回ればいい。

自身を赤く照らし続ける夕日が一瞬翳った気がして、空を見上げると。


―――風が、鳴った。


「、あ……あの白い、バルキリー……」

初めて目にした、前進翼の戦闘機。
その白い機体は鳥のように舞い、エンジンの音を唸らせて薄闇色の空を駆け抜ける。

あの飛び方はきっと彼だ、見間違えるはずがない。
青い機体と共に、まるで流星が絡み合うように孤を描く。

「……あ、はは……」

立ち尽くして、また涙が溢れた。
だけどそれは悲しかったからじゃない、嬉しくて、笑いながら白のバルキリーを見上げ続けた。


――こんな所で、貴方に会えるなんて


「もう会えないと思ってたのに……本当に貴方って、突拍子もない人だね……」

思わず手を高く掲げた。
親指と小指を左右に広げ、空を泳ぐ"鳥"に合わせながら夕闇に透かせて。

彼は、いつもそうやって空を見ていた。

「……ありがとう……」

いつまでも、小さくなっていく鳥をいつまでも送り出して。

そして現れた赤い機体の繰り出した光が私を一面に覆い、体が浮いて、視界が暗転しても。
突然に訪れた死期を悟っても、脳裏には白い戦闘機に乗るパイロットの姿が見えていた。

ただ1つの気がかりを残しながら、それでも私は満ち足りた気持ちに浸っていた。


――最後に、貴方に会えて……よかった……


この人生を不幸だなんて、一度も思った事ないよ?

だって、家に縛られて両親が望むレールを歩いていただけの私を連れ出してくれたのは彼、
短い間だったけど自由を教えてくれた、広すぎる空を教えてくれた。

両親のいない世界を見せてくれた……だから、幸せだった。
彼の子を産んだ、それだけで私の人生には意味があった。

生まれてきた意味があった。


――……これで……いつでも貴方とリチェルに会える……


だから今度は……風になって、貴方の翼を押し上げよう。
どこまでも高く広い一面の蒼い空へと、貴方を連れて行こう。



貴方の愛した空に、私はなろう―――
















リチェルさん、それ好きですよね」

ふいにミハエルがリチェルの瞑想を遮るように呟いた。
彼女が頻繁にやるものだから、アルトにまでそれがうつって方々で真似ている。

「どうしていつも親指と小指を広げるんですか?
VF-19系みたいな前進翼ならまだしも、25は違うじゃないですか」

指の構造上それが一番飛行機としての形を成しやすいのだろうとは予想していたが、
冗談っぽくからかってやりたい気持ちで質問を続けた。

なんだか、いつまで経ってもパイロットを夢見る子供のようにも思えて、
端で見ているミハエルとしては少し恥ずかしかったからかもしれない。

「何でだろう……小さい頃から、戦闘機といったらこの形だった……」

リチェルは真に受けたのか深く悩み出してしまった。
真剣に考えないで下さいよ、と苦笑しながらリチェルを止めようとしたその時。

「だってこの方が、高く速く飛べそうじゃない?」

青一色の空に"翼"をかざすと、振り返ってふわりと笑ったリチェル

安易な答えだな、と脱力させられたミハエルだったが、次に込み上げたのは笑みだった。
彼女の目はどこまでも深くて、穏やかで……だけど格好良かった。

「………そうですね」











―――ねえリチェル……もう一度だけ、貴女に会いたかった。


でも貴女の頬をくすぐって笑わせる事はできる、涙を拭う事もできる。
いつだって見守っているから、貴女の好きに生きればいい。

貴女が望むのなら……私が、貴女を空へと導いてあげる。


あの人が愛した、彼方の空へ。



そして自由に生きて、幸せになって―――






風になった少女










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本編より以前のお話でした。
ヒロインの本当の父親が誰かの、ほぼ答えです。

わかる方は、わかると思います(笑)