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「すまんのぉ美弥君、急に呼び出して」
「いえ、お誘いありがとうございます」

阿笠や哀とテーブルを囲み、美弥は微笑んだ。

出勤する前に携帯を確認すると、阿笠からのメッセージが届いていた。
『急で悪いんじゃが今夜、よければ哀君も一緒に夕食を食べに行かんか?』と。
特に予定もなかったし、今日は定時で帰れそうだったので了承の返事を送った。
会社から出るとわざわざ車で迎えにまで来てくれて、雰囲気の良いファミリー向けのイタリア料理店にやって来た。

元々コナンと三人で行く予定だったが、コナンが急用で来られなくなり、キャンセルするよりはという事で美弥に声がかかったそうだ。

「それにしても、誘拐されるとは災難じゃったのぉ」
「そうですね……」

コナンから聞いているのだろう、前菜のサラダをつつきながら阿笠が言う。
数日前の話なので美弥もあの時の事は鮮明に覚えている。

「犯人はまだ捕まっておらんのじゃろう?」
「直接誘拐した犯人は捕まったと聞いたわ。それを指示した黒幕はまだ捕まってないそうだけど」
「おお、そうか……」

的確に答えたのは哀だった。

警察を装い、美弥をスタンガンで気絶させて誘拐した犯人は捕まった。
美弥が脱出した後に本物の警察が突入すると、一度は目を覚まして動いていた男は再び縛り上げられていたそうだ。
恐らく、あの声の枯れた男がそうしたのだろうなと思っている。

後からコナンに聞いた話によると、誘拐犯を動かしていたのはとある強盗団で、その強盗団を陰から動かしていた人物がどうやら変装の男らしい。
コナンが小五郎と協力して強盗団を捕まえた時に、美弥が誘拐された事を知ったのだという。

(あと、沖矢さんも……)

コナンが沖矢に連絡し、二人で男の目を欺きながら美弥を助ける作戦を立てたんだと教えてくれた。

表立って動けば男に気付かれて阻止されてしまうかもしれない。
だから誘拐犯の拘束を解き、目を覚まさせた誘拐犯にあえて男を襲わせ油断させた。
あの男なら誘拐犯と対峙してまた拘束してくれるだろうと予想していたらしい。

男が誘拐犯を押さえ付けた瞬間に煙幕で視界を遮り、警察が突入してくると思わせた隙に沖矢が美弥を助ける、それが一連の流れだったという。
その説明を聞いた時、美弥は目が点になったのを覚えている。
小学生と大学院生で、よくそこまで考えたものだと。
感心した美弥に、コナンは慌てて"新一から教えてもらった"と付け足していたが、それを実行に移せるだけでも凄い事だ。

(それに、あれは銃声だった……)

誘拐犯が立ち上がる前に聞こえた発砲音は、詳しくない美弥でも銃声だったような気がしている。
あれが誘拐犯の拘束を撃ち抜き、衝撃で目覚めさせる要因になったようだが、そもそもあれは誰が撃ったものなのか。

(きっと沖矢さん、なんだろうな……)

シュウだと思い込んでいたから気にならなかったが、彼はドアを破る時にも撃っていたから、そうなのだろう。
一体彼は何者なんだろうと思う。
だけど、不思議とその先を暴いて深く知ろうとまでは思わなかった。
美弥を助けてくれた、だから悪い人ではない。美弥にとってはそれだけで充分だったのだ。

彼に対して酷い態度をとってしまったままで、それを謝る事もできないでいるのに、それでも彼は動いてくれた。
どうして彼は、そこまでしてくれるのだろう。
警察に任せておけばよかったかもしれないのに、わざわざ助けにきてくれるなんて。

「どうして、あなただったのかしら?」
「えっ?」

哀の声に、深く考え込んでいた美弥はハッと顔を上げた。
パスタに刺したフォークをくるくると器用に回す少女が意味ありげに言う。

「あなたを誘拐して、その黒幕は何が目的だったのかしら」
「…………」

どうして自分だったのか。
それは美弥がシュウと関係があったからだ。
男が美弥を使って、"赤井秀一"を誘い出してどうしたかったのかまではわからないが。

恐らく犯人はシュウの事を知っている人物なのだろうが、それが誰なのかは美弥には知る由もない。
コナンはもしかしたら知っているのかもしれないが、それが誰かは彼は言わなかった。

「……よくわからないの」

あの時の事は事情聴取で警察にも説明した。
警察は全力で黒幕の男の行方を追っているらしいが、きっと捕まらないのだろうなと美弥は思う。
用意周到で、自分の手は汚さずに動いているように見えたから、男に繋がる手掛かりなんて何も残っていなさそうだ。

「あの人、ただの悪い人に見えなくて……」

あの変装した男は確かに美弥を誘拐するよう仕向けたが、誘拐犯はきちんと捕らえていたし、殺すと脅されながらも一度も傷つけられる事はなかった。
そればかりか助けを呼んでいいとまで言って携帯を渡してきたし、さらには過呼吸になった美弥を落ち着かせようとまでしたのだ。

悪い人物だったんだとは思う、だけど完全にそうとも言い切れなくて、よくわからない気持ちになるのだ。

「それ、ストックホルム症候群に似た現象だから危険よ」
「ストックホルム、症候群?」

難しい言葉に美弥が目を丸くしていると、哀が解説をしてくれた。
端的に言えば、誘拐された被害者が行動を制限されている状況で、
誘拐犯が僅かでも被害者の為にしてくれた行為を優しさと勘違いして好意を感じてしまう現象だそうだ。
そう説明されれば、美弥も当てはまってしまうのかもしれない。

「犯罪者がどれだけ優しくしても犯罪者には変わりないわ」
「そうだね……」
「……まあ、心に傷を負わされてはいなさそうだから、よかったけど……」
「……うん」

誘拐された事はとても怖かったが、その後の出来事が強烈だったので恐怖心が吹き飛んでしまったような気がしている。
警察にも心のケアというか、その辺りの話をされたが、美弥は思ったより引き摺っていなかった。
元気いっぱいって訳ではないが、仕事だって普通に行けている。
どちらかというと全部が現実的じゃなくて、未だに夢を見ていたような気分になっているのが正しいのかもしれない。

口調は強いが、結局の所彼女は美弥を心配してくれているのだ。
その気持ちが嬉しくて「ありがとう」と笑えば、哀はキッと眉を吊り上げた。

「本当に悪い奴ほど良い人の振りをしているから。あなた騙されやすそうだから気を付けた方がいいわよ」
「こ、これ哀君……」

捉えようによっては辛辣な言葉だが、これは照れ隠しなんだろうなと思う。
それに笑顔で塗り固められた嘘を呟かれるより、素直な言葉を投げかけてくれた方がよっぽど信用できる。

(騙されやすいのか……)

自分ではそう思っていなかったが、男を憎みきれていない所にその片鱗があるのかもしれない。
見知らぬ人といきなり一夜を過ごしてしまった事もあるのだから、ある意味間違ってはなさそうだ。

(……沖矢さんは、どうなのかな)

彼もまた、どうやら素性が知れないような気がしてきたから。

「私、騙されてたりするのかな?」
「さあ、どうかしらね?」
「哀君……」

自問するように訊ねると、意地悪そうな笑みが返ってくる。
だけど自分が何に騙されていて、何が本当の事なのか、考えれば考えるほど訳がわからなくなっていく。
オロオロしている阿笠を余所に、うーんと頭を捻る美弥に哀はさらに口を開く。

「実は私、本当は子供じゃないって言ったらあなたどうする?」
「えっ?」
「騙された、って怒る?」

突拍子もない質問を投げかけられて美弥は一瞬面食らった。
とても現実的ではないが目の前の哀は大人びた笑みを浮かべていて、普段から子供っぽくないなと感じていたから、
もし仮にそうだったとしても最初に少し驚くだけだろう。

「ビックリはするけど……納得できる気もするし、哀ちゃんは哀ちゃんだから怒ったりしないよ」
「冗談よ」

結構真剣に考えたのにあっさりと切り捨てられた。
内心でガクリと肩を落としたが、そういう所も何だか彼女らしい。

「結局、自分次第って事よ。真実を見極めるのはあなた自身なんだから」
「……うん、そうだね」

きっと今の冗談は彼女なりのアドバイスなのだろう。
難しい言葉ばかりであったが、美弥はそれを心にしっかり受け止めた。

沖矢の事は、よくわからない。
実際どういう人で、どういう気持ちで美弥と接しているのかも。
何か特殊な事情があるのだとしても、それでも信用はしているし頼りにもしてしまっている。
だからそれでいいのかもしれないとも感じている。

(シュウも……)

シュウの事など、もっと何も知らない。
結局悪い人か良い人かわからずじまいなままなのに、彼が助けに来てくれたと錯覚した時、美弥はただただ嬉しくて泣いた。
だから自分はいつの間にか彼を信用していたという事で、彼になら騙されてもいいなんて思っている部分もある。
騙されやすいとはこういう事かなと、美弥は自嘲する。
哀の言う通り、真実を見極めたいなとは思うが、彼はもういないのだったと美弥は密かに苦笑した。

食後のデザートもゆっくりと頂き、そろそろお開きにする頃合いなのだが、どうしてか阿笠は携帯を見つめたまま動こうとしない。

「博士、まだ帰らないの?もう食べ終わって結構経つんだけど」
「そうなんじゃが……」

哀が提案しても阿笠は何度も携帯を確認するばかりで立ち上がろうとしない。

「さっきから何を気にしてるの?」
「し……コナン君が、良いというまで帰ってくるなと言うから連絡を待ってるんじゃが、一向に連絡が来ん」
「なにそれ……また何か面倒な事になってるんじゃない?」

困ったように唸る阿笠に、頬杖をついて溜息を吐く哀。

「いきなり食事に行こうなんて言っておきながら本人はドタキャンで……家に帰らせたくない理由でもあるのかしら」
「さ、さあ……」

はははと阿笠は白々しく笑っているが、これは何か知っている顔だろう。
事情がよくわからない美弥は首を傾げてやり取りを見つめているばかりだったが、相手がコナンなら何かが起きていても不思議ではないとも感じていて。

(また危ない事に関わってたりしないよね?)

美弥を助け出した時も、いくら注意を引く為だからとはいえ男の前に姿を見せるのは無防備すぎではないだろうか。
下手をすれば殺されていたのかもしれないのに。
あのヒントかどうかもわからなかった言葉だけで、場所を探し当てて辿り着いてしまうくらい彼は頭が良くて頼もしくて、そして危なっかしい。

ヒントについても、『あれはね、"クイーン"の看板があるビルからの、美弥さんがいる建物の位置を教えてたんだよ』とコナンは言っていた。
詳しく聞いてみると、楽し気な顔で一つ一つ丁寧に解説してくれた。

女王はトランプのクイーンを意味していて、それにならえば"召使い"はジャックの事を表している。
"黒の召使い"はそのまま"ブラックジャック"となり、カジノでも行われているカードゲームの事になる。
ブラックジャックは1枚ずつ配られたトランプの合計が21に近付くようにするゲームで、何度もカードがもらえるがそれを超えてしまうと負けになる。
このゲームにおいてクイーンなどの絵柄のカードは10として数えるので、最初に配られたカードがクイーンであるなら、
次にもらうカードで合計11が揃えば"ブラックジャック"が完成する。

『組み合わせはいくつもあるけど、場所を教えるのなら"クイーン"のビルを中心にして、地図をチェス盤に見立てたんじゃないかなって』とスラスラと言葉が続く。
チェスでクイーンの駒は前後左右斜めのどこにでも動く事ができる。
クイーンが進む事ができる位置を座標と捉えるなら、合計11になるカードの数字の組み合わせもある程度絞られるようで。
『例えば3と3と5の組み合わせならチェス盤では東に3件、北に3件分斜めに動かせて、そのビルの5階とかになるんじゃないかなって』
もらうカードの枚数が増えると座標で合わせられなくなるから、4枚以上は候補から除外されているらしい。
それで当てはまる位置を順に地図で照らし合わせていき、そこに廃業した建物があれば"当たり"、だと。

コナンの説明を最後まで聞いたものの、全部を理解する事なんてとてもできなくて美弥は曖昧な相槌を返すしかできなかった。
たまたまカジノにいたから気付いたと彼は言っていたが、それだけでここまで推理できるものなんだろうか。
放心したように見下ろしていると、コナンは慌てて「し、新一兄ちゃんに電話して聞いて、あとは昴さんと協力して解いたんだよ!」と言った。

瞬時にそこまで計算したヒントを出せる男の頭脳も相当なものだろうし、それを解ける人達も只者ではないのではないだろうか。
なんだか、美弥とは住む世界が違う人達ばかりだなと思ったものだった。

だけど、いくら命の恩人とはいえコナンはまだ小学生。
あまり危ない事はしないで欲しいと思った。

心配になる美弥の前では哀の追及と煮え切らない返答が何回か続いていたが、ようやくといった感じで阿笠の携帯が小さく震えた。

「お、もういいらしいぞ!」
「……はぁ、まぁいいわ帰りましょう」

色々と面倒になったのか、諦めた哀が席を立つので美弥もそれにならった。

会計を済ませ、来た時と同じように阿笠の車に乗せてもらう。
自分で帰れると最初は遠慮したが、「今日は送らないといけないのじゃ」と力説されて美弥は渋々頷いたのだ。

信号待ちで停まった車窓から、街に設置された映像パネルの光が見える。

(そういえば今日はマカデミー賞の日だったな)

テレビの向こうでは小説家の工藤優作が表彰されてインタビューに答えていた。
その様子を横目に見ながら、夜の街を走った。











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マカデミー賞の日の話。

補足ですが沖矢さんが使っていた銃は誘拐犯のものです。
沖矢合流時にコナンと一緒に車をピッキングして中にあった銃を拝借したという裏話。
本編に入れたかったんですが、そこまでは夢主に話さない気がしたので。