02
小学生の頃から地元の同級生で、中学時代に同じクラスになったあの人とは、初めは仲の良い友達だった。
親しくない頃は何を考えているかわからなくて少し怖いなと思った事もあったけど、打ち解けると結構気さくに話す人だった。
こう言うと怒られるかもしれないけれど、あの人は素直じゃないだけで、言葉はぶっきらぼうだけど実はとても優しかった。
だから、ある事をきっかけに意識してしまうようになった。
ずっと好きだったけど、友達の関係を壊すのが怖くて気持ちを伝えるなんて事できなかった。
だけど卒業間近になって、疎遠になってしまうのが嫌で意を決して告白したら、なんと受け入れてもらえた。
俺も好きだ、なんて言う人ではなかったけど、どこか怒ったような強張った顔で「早く言えよ」と。
後から思えば、あれはあの人の照れ隠しだったんだろう。
友達以上の関係になれた事が嬉しくて、それだけで泣いてしまいそうだった。
高校も大学も別々だったけれど、頻繁に連絡を取り合ったり会いに行ったりして必死で繋ぎ止めた。
あの人はそんなに心配しなくていいと言っていたけれど、誰か違う女の子と仲良くなってしまわないか、ずっとやきもきしていた。
あの人の為に料理を覚えて、大学で一人暮らしを始めたアパートにご飯を作りに行っている間に、そこにいる時間がどんどん長くなっていった。
これだけ長く一緒にいると、あまり相手をしてもらえなくて寂しい時もあった。
「私は家政婦?」と拗ねた事もあったけど、あの人は少し困ったような顔をしてごめんと呟いた。
その頃ぐらいからだろうか、あの人の友人関係の集まりとかに普通に連れて行ってもらえるようになったのは。
デートとか甘酸っぱい時期は通り過ぎてしまったけど、一緒にいるのが当たり前のように思われている事が嬉しかった。
あの人が就職する時、一緒に付いていきたい事が言い出せずにいたら、
「もう少し広い部屋にするか」と、当然のように二人で暮らす話をされて感動した事を覚えている。
あの人の両親とも学生の頃から仲良くさせてもらってて、このまま行けば結ばれるのかもしれないと思っていた。
不安な事もあったけど、たぶん幸せだった。
いつも追いかけてばかりだったけれど、一方であの人も自分を大切にしていてくれたように思う。
言葉ではあまりないけれど、時々照れくさそうにする目がそれを伝えてくれた。
好きで、好きで。
美弥の世界はずっとあの人を中心に回っていたのに。
突然に美弥は置いていかれた。
仕事帰りに交通事故に巻き込まれ、呆気なく死んでしまった。
遺言とか、美弥に何の一言もなく逝ってしまった。
美弥は一瞬にしてあの人のいない世界に一人放り出された。
自分の中にはあの人との思い出ばかりが詰まっているのに、大好きな人がもういない。
まるで地獄だと思った。
あの人がいないのなら生きてる意味なんてない、そう思うのに自分で死ぬ勇気はなくて。
ただ、意味もなくあの人のいない世界で呼吸をしているだけ。
仕事と家の往復、ただそれだけの人生になってしまった。
あの人の両親はそれでも優しく「何かあったら頼ってね」と、ただの他人になってしまった美弥に言ってくれた。
だけどあの人に少し似ている人に会うとどうしても涙が止まらない。
自分の実家に帰るという選択もあったけど、それこそ実家には今までの思い出が全て残っていて辛い。
親に気遣われるのも申し訳なくて戻れなかった。
だから二人暮らしの部屋を引き払い、一人用のマンションに引っ越した。
思い出に包まれた場所に一人でいるなんて心が壊れてしまう、そう思ったから引っ越しをしたのに、
一つも捨てられないあの人の遺品は、小さな一室で段ボールに詰められたまま静かに置かれている。
前を向いて生きなければと、奮い立とうとする自分が言う。
だけど前を向いて生きて何の意味があるのだろうと、絶望している自分が言う。
とにかく今の自分にできる事は、周囲の人間に気を遣わせてしまわないように振る舞って、
仕事をして、お金を稼いで、残りの人生を生きるだけ。
――なんて、つまらない人生なんだろう。
だけどもう全てがどうでもいい。
寂しくて、寂しくて、どうにかなってしまいそう。
そう感じるたび、あの人の優しかった体温を思い出してしまって涙が溢れる。
家に帰りたくない。一人きりの部屋は嫌いだ。
唯一の逃げ場は、あの人の一番の親友が働いているバーだった。
美弥を心配して、「せめてウチに来いよ」と半ば無理矢理に連れて来られてからは入り浸っている。
浴びるほど酒を飲んで、前後不覚になりながら家に帰って、何もわからないうちに寝落ちする生活。
誘った人間なはずなのに飲みすぎだと心配されているが構わなかった。
酒に溺れた姿を見られても今更だ、取り繕う気すら起きない。
その日も、他の客の目に入りにくい一番端の席を陣取り、無理矢理に自分を酔わせていた。
時折やって来る男性客に話しかけられる事もあったが、返事をするのも億劫で、曖昧な返事をして会話から逃げる。
またしばらくすると、ふらりと見慣れない客が一人で入って来て奥のカウンター席に座った音がした。
顔を上げて最初に、目が強い人だと思った。
一度だけ此方を見た視線はそれだけで相手を射抜けそうなほどに鋭かった。
ニット帽を被り、全体的に黒っぽい服を身に纏っている男性の雰囲気はどこか普通でなく、一般のサラリーマンにはあまり見えない。
度数の高い酒を喉に流しながら、慣れた手つきで煙草を吹かしている。
いつもだったらそこで興味を失うのだが、今回はどうしてか気になってぼんやりと視線を戻す。
ふと、吐き出した煙がゆらりと立ち昇って消えていく様子を見つめる表情に、どこか空虚さを感じた。
さっきまで意志の強そうな眼差しだったのに、遠くを見る視線の奥は一変して冷めきっていて。
まるで現実に絶望しているような、孤独な色をしていた。
気のせいではない、あの目は見た事がある。
そう、あの何の色も宿していないような目が、鏡に映った自分の顔に似ていたのだ。
「……寂しいの?」
思わず口から零れていた。
鋭い目が此方を向くが、酔っていた美弥は怯まなかった。
「誰か……大切な人でも失くしたの?」
「……なぜそう思う」
「私と同じ目をしてた気がする、から……」
「ほう……」
ああ、これじゃナンパみたいだなと、まともな自分が思う。
知らない人にいきなり話しかけたりした事なんてないのに、つい聞いてしまっていた。
どうして大切な人を失くしたと思ったのだろう。
寂しそうな目をする理由は他にもあるだろうに、勝手に決めつけてしまっているなんて失礼な話だ。
だけど、どうしてか彼を気になっている。
もしかしたら彼もそうなのかと、自分と同じ闇を抱えているのだろうかと。
肯定も否定もなかったが、美弥の発言で気分を害しているようには見えなくて少し安心した。
無理に酔わせた頭がグルグルと回り、何かを考えようとしても靄にかかってわからなくなっていく。
あまり迷惑をかけてはいけないと思うのに、それでも自分は何かを口走ろうとしている。
これは一体何なのだろう。
彼も、自分と同じ思いをしているのかもしれないという一種の親近感、連帯感のようなものが何かを掻き立てる。
「隣……座っていい?」
――ああ、私は何を言っているのだろう。
何もわからない、全てがどうでもいい。
ナンパのような事をしたっていいじゃないか、だって私の大切な人は来てくれない。
「美弥ちゃん……」
「……別に、構わないが」
「すみません……」
星司がやめろという声を出すが、それに反して彼から了承を得た。
ほらやっぱり、と思った。
同じ目をしたこの人なら、美弥の気持ちをわかってくれるかもしれないと思ったのだ。
覚束ない足取りで立ち上がると、ふらふらと移動して彼の隣にすとんと座った。
久しぶりに至近距離に誰かがいる感覚に心が震えた。
「……ありがとう……一人で、いたくなかった……」
「…………」
元々ここはユキの友人である星司の店で、以前はよく二人で立ち寄っていた。
美弥の隣にはいつもユキがいて、こっそりと身を寄せればユキの質量を感じた。
あの人は美弥が無駄にくっついていても、あえてそれには触れずに普通に友人と話すのだ。
人前でいちゃいちゃする人じゃない事はわかっていたが、放っておかれているような気がして少しだけ面白くない。
だけどいつまでも甘えていても仕方ないと元の姿勢に戻すと、ユキが一言だけ「寒い」と言って振り返る。
え、と顔を上げると、「寒いから寄ってろ」とつっけんどんに言われたのだ。
あの人は美弥を放っておいたのではない、寄りかかっている事を当たり前だと思っていたという事で。
本当に素直じゃないなと思って、また一つ愛おしくなったのだ。
「っ……」
誰もいない、一人きりの感覚が嫌で見知らぬ人の隣に座ったのに、結局思い出してしまった。
反射でボロボロと溢れてきた涙を見られたくなくて、俯いて息を殺す。
ユキ以外の男なんて嫌だと強く思う。
だけどその人はもうどこにもいない、その事実が息ができないほど苦しい。
誰か助けてと心が叫ぶ。
ぐちゃぐちゃだった。
何でもいいから助けてほしくて、縋るように隣の人の肩に身を寄せた。
彼が動いた気配がしたが、何も言われなくて美弥はそのまま目を閉じる。
気配も匂いも違うのに、体温だけは同じものを感じる。
いつも傍にあったのに消えてしまった、人間の温かさを感じる。
体温に安心して、だけどそれ以上に胸がきゅっと締め付けられて痛い。
それでも離れられない。離れたらまた寒くなってしまう。
この温かさを永遠に感じていたいと思っている自分を、冷静な自分が叱咤する。
駄目だ、いつまでも迷惑をかけてはいけないと。
ほら、離れなければと。独りになってでも、離れなければいけないのだと。
さあ立て、と自分を奮い立たせて、彼から身を引き剥がして立ち上がる。
何の感情も浮かんでいない彼の目が、此方を見上げている。
「……ごめんなさい」
それだけ絞り出すと、逃げるように星司に会計を頼んだ。
「美弥ちゃん、送るよ」
「いい」
酔いに酔っている自分を一人で帰すのを躊躇うかの気遣いを美弥は断った。
そもそも星司は既婚者なのだから送ってもらう訳にはいかない。
外に出れば、また独りきりの現実が待っている。
誰もいない寒々しい部屋、愛しい人がいない世界。
(ああ、もう本当に……地獄だ)
――誰でもいい、私を助けて欲しかった。
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星司=セイジ