03
「それで、安室のにーちゃんのハムサンドがすっげーうまくて!」
「近くのパン屋さんのお兄さんがレシピを知りたくて尾行するくらいなの!」
「ええ?そんなに美味しいんだ」
喫茶ポアロへの道すがら、元太や歩美が興奮ぎみに話してくる。
数日前にコナン達から、一緒にポアロのハムサンドを食べに行かないかという誘いを受けた。
どうしてあえてハムサンドなんだろうと不思議だったが、その味を知っている子供達が口々に美味しさを熱弁するので、相当評判がいいらしい事はわかった。
「いつも美味しいものをいただいてますから、ぜひ美弥さんにも食べてもらおうと思ったんです!」
「ふふ、ありがとう」
光彦も加わり、キラキラと目を輝かせる子供達。
美味しいものを食べた喜びを共有したいと、わざわざ誘ってくれる気持ちが素直に嬉しい。
確かに以前ポアロで食べた、安室が作ったというロールケーキも美味しかったから、これだけお薦めされると流石に期待してしまう。
「けど、哀ちゃんは本当に行かなくてよかったのかな?」
あの大人びた彼女は「パス」とだけ言って出かけようとしなかった。
そういう事に慣れているのか、子供達は残念そうにしながらも素直に受け入れていたが、何だか一人だけ除け者にしてしまうようで心配になる。
「灰原はいいよ、いつもの事だから」
「そうなの?……なら、お土産で持って帰ったら食べてくれるかな?」
「あー、うん、それなら食べると思う」
「哀ちゃんにお土産買ってく!」
コナンが気にしなくていいとあっさり言うので、恐らく大丈夫なんだろう。
代わりに持ち帰れる物を何か買っていこうと提案すれば、歩美が嬉しそうに手を上げた。
無邪気な子供達の話を聞きながら仲良く歩き、目的地である喫茶ポアロの扉を開けた。
「ああ、美弥さんじゃないですか、いらっしゃいませ。みんなもどうぞ」
「こんにちは」
完璧なスマイルで出迎えた安室に会釈し、慣れたように店内に入る子供達と一緒にテーブル席に座る。
「美弥お姉さん連れて来たよ!」
「ありがとう」
連れて来たよ、とはどういう意味だろう。
歩美とのやり取りを疑問に思い顔を上げると、安室が微笑む。
「この前、僕の作ったハムサンドを子供達がとても褒めてくれましてね。
美弥さんにも是非食べてもらいたいなと思っていたのを叶えてくれたみたいで……来てくれて嬉しいです」
「お姉さんと一緒に食べたかったの!」
「そうなんだ……ありがとう」
どうやら子供達との間で美弥を誘う話になっていたらしい。
彼の言葉に若干戸惑いを感じたが、それよりも子供達の方が自慢げな顔をしているのでつられて笑い返した。
みんなの分のハムサンドと飲み物を注文すると、待っている間に例の尾行話を詳しく聞かせてくれた。
ポアロに現れた怪しい男を皆で手分けして追いかけたり、安室が尾行されている所に居合わせたり。
結局は近所のパン屋の職人が、ハムサンドが美味しくてレシピをどうにかして知りたくて尾行していたのだという。
今はもう和解して、彼が快く教えたレシピを共有して互いの店で販売する事で落ち着いたそうだ。
レシピの為に尾行までするのも驚きだが、真相を突き止めようとした子供達の好奇心もすごいなと美弥は思った。
(安室さん、探偵だから尾行されても気付きそう)
彼ならそれくらいできそうだなんて考えていると、当の本人が皿を持ってやって来る。
ハムサンドと飲み物が運ばれてきて、そして何故かケーキの皿まで人数分並べられた。
「え、このケーキは……?」
「次の新メニューの為に試作したものなんですが、よければ食べてください。僕からのサービスです」
「え、いいのか!やったぜ!」
「わーい!」
「……ありがとうございます」
試作のわりにはしっかり一人前の量で、ケーキを彩るようにベリー系のソースが綺麗に描かれている。
サービスにしては奮発しすぎやしないかと狼狽えるが、子供達が喜んでいる手前、遠慮する事はできなかった。
「いいのかな、こんなに……」
「いいんじゃない?安室さん、美弥さんにご馳走したかったみたいだし」
「そうなの?」
コナンに言われて思わず視線を上げると、安室は笑顔で他のテーブルの接客をしている。
もう一度コナンを伺ってもニッと笑みを浮かべられただけで、結局どうして彼が美弥にご馳走したいと思っているかはわからず仕舞いだった。
「あ、美味しい……」
気を取り直してハムサンドを口にすると、噂に違わず確かに美味しかった。
パンは柔らかくしっとりしていて、中のレタスは冷たくないのにシャキシャキしていて、そして特にソースの味が良い。
マヨネーズと何かが和えてあるようだが、わからなくて中身を凝視していると。
「これ、味噌が入ってるんだって!」
「え、そうなんだ」
意外な隠し味に驚いていると安室がやって来る。
「美弥さんに喜んでもらえてよかったです。僕としては、美弥さんの手料理が食べてみたいですけどね」
「私のですか?至って普通ですよ?」
「すっげーウマいよ!」
「へえ、そう言われると余計に興味が湧きますね」
美弥が首を振るも、元太が自信たっぷりに答えるので安室もそれに乗る。
そんな、改まって食べてもらうようなものではないけど悪い気はせず、また何かの機会に、と答えれば安室は頷いた。
ケーキも試作とは思えないほどに完成された味で、子供達は大満足な様子だった。
幸せな時間を堪能して、そろそろ帰ろうかと席を立つ。
子供達には先に出てもらって会計をしようとするが、予想していた値段よりもだいぶ安くて美弥は顔を上げた。
「お会計これだけですか?」
「ケーキはサービスですし、子供達は子供料金ですから間違ってはいませんよ」
そんな金額設定があるのかと困惑してみても、安室が自信たっぷりに言うのでそれ以上の異論を唱える事はできなかった。
「すみません、ケーキまで頂いちゃったのに……」
「いえいえ。また来てくださいね、美弥さんが来てくれるのを楽しみにしてますから」
「……はい」
端麗なスマイルで微笑まれて、これは世の中の女子が黙ってはいないやつだなと思った。
「――怖がらせてしまったお詫びです」
「……え?」
おつりの小銭を受け取る瞬間に何かを呟かれた気がして、聞き返してみても安室は笑っているだけ。
教えてくれそうにない雰囲気に負け、ぺこりと頭を下げて扉を開けようとすると。
「そういえば例の彼とはその後、うまくいっているんですか?」
背後から尋ねられて、振り返れば笑顔のままの安室がいる。
「例の彼とは、誰の事ですか?」
「貴女が手作りの料理を差し入れした相手の事ですよ。何か良い事でもありました?」
手作りの料理、とは工藤邸に行った時の事を言っているのだろう。
美弥は少し考えて、くすりと笑った。
「……何も、変わってないですよ?」
「そうですか」
報告するような事は何もないのでそう答えれば、安室は完璧すぎる笑顔のまま頷いた。
持ち帰り用のビニール袋を受け取って店の外に出れば、いつの間にか美弥のすぐ隣にいたらしいコナンが苦笑している。
「……美弥さんって、結構凄いね」
「何が?」
「ううん、何でもない」
言葉の意図がわからず首を傾げるが、コナンは構わず仲間達の元に行ってしまった。
皆で阿笠の家に戻ると、留守番をしていた哀と阿笠に土産を渡した。
ハムサンドは喫茶店という特性上、時間が経つと味が落ちてしまうらしく、それならと持ち帰っても問題なさそうなケーキを選んだ。
「ケーキも食えてよかったな!」
「ええ、やはり安室さんの作るものは何でも美味しいですね!」
「そう、よかったわね」
子供達に囲まれた哀はまるで母親のように静かに聞いている。
出掛けたくないと言っていたがケーキはちゃんと口に合ったようで、密かにはにかんでいる様子を見て安心した。
「みんなの言う通りハムサンドも美味しかったしね。連れて行ってくれてありがとう」
「ううん!また行こうね!」
目を輝かせている歩美が可愛いなと思った。
それからいつものように皆でゲームをする事になった。
交代でコントローラーを握り、ああでもないこうでもないとはしゃぐ。
ふと窓の外を見遣れば、隣の大きな屋敷が見える。
最近は工藤邸ばかりに行っているから、阿笠の家にお邪魔するのは何だか久しぶりなような気がする。
(シュウ、今日はいるのかな)
そんな事を考えていると、ちょうどスマホがメッセージを受信して震えた。
『もし時間に余裕があれば此方にも来て下さいね』
「…………」
よく知ってるなと思ったが、もう深くは考えまい。
恐らく彼は何でも知っているに違いない。
それに、そう言ってもらえるのは嬉しかったから了承の言葉を打ち込んで送信した。
「画面に向かってニヤニヤしてるわよ?」
「えっ」
顔を上げれば、哀が意地悪そうな目で此方を見ていた。
「……顔に出てた?」
「ええ。しっかり緩んでたわよ、顔」
(ああ、恥ずかしい)
学生でもないのにメッセージ1つで喜んでしまうなんてと、美弥は頬を押さえて誤魔化してみるが。
哀の隣にいるコナンもまた、美弥を見て苦笑している。
「もしかして昴さん?」
「あら、何だかんだ上手くいってるのね、よかったじゃない」
「あ、はは……」
二人は子供なはずなのに全然子供っぽくなくて、少し怖いとすら感じる。
コナンは特に、美弥が誘拐された時も一番に助けに来たし、赤井と会わせてくれた時も橋渡し役になっていた。
(コナン君、どこまで知ってるんだろう)
時々急に子供っぽくなって知らない振りをするけど、彼もまた何でも知っているような気がする。
だから赤井が沖矢に変装している事も、もしかしたら知っているのかもしれない。
「次、美弥ねーちゃんだぞ!」
「あ、うん」
ちょうどいいタイミングで声がかかり、助け舟とばかりに美弥は二人の視線から逃げてゲーム画面の前に座る。
それからもひとしきり遊んで笑っている内に、あっという間に太陽が傾いて帰る時間になった。
「じゃーなー!」
「お姉さんまた遊ぼうね!」
「うん。気を付けて帰ってね」
阿笠の家を出て子供達にそう言えば元気な声が返ってくる。
走る後ろ姿に頬を緩ませて、美弥は踵を返す。
「美弥さん、帰らないの?」
「あ、私、こっちに用事があるから……」
コナンが不思議そうな顔をするが、隣を指差せば「ああ……」と納得している。
きっと彼ならばそれで察せるだろうなと思い、コナンに手を振ると美弥は数歩歩いた先の門の前に立つ。
インターホンを押そうと指を伸ばした瞬間。
「今から昴さんに会うんですか?」
「、え!?」
急に光彦に声をかけられて、振り返れば帰ったはずの子供達がそこにいた。
どうも彼らは世間一般の子供達よりも数倍好奇心が旺盛らしい。
「途中まで美弥お姉さんと一緒に帰ろうと思ったらいないんだもん」
「昴のにーちゃんとゲームでもするのか?」
「えっ、と……」
「お前らもういいだろー、帰るぞー」
コナンの声にも耳を貸さずに美弥をじいっと見つめてくる複数の大きな目。
どう答えたものかと、言葉を濁していると。
「それは僕が美弥さんを呼んだからですよ」
「あ、昴のにーちゃん!」
絶妙なタイミングで家から出てきた沖矢が、美弥の代わりに答えた。
「ゲームして遊ぶのか?」
「いいえ、少しお話があるんですよ」
「もうすぐ暗くなるよ?」
「それは、僕がちゃんと送りますから」
質問攻めにされても沖矢は穏やかに笑ったまま。
すると、「うーん」と何かを考えていた光彦が突然声を張り上げた。
「わかりました!お二人は、もしかしてお付き合いをしているのではないでしょうか!」
確信に迫られ、美弥は思わず沖矢を振り返るが。
「さあどうでしょう。いずれは、そうなるかもしれませんが」
「やっぱり!」
「きゃー!恋人同士ってこと!?」
男女のなんたるかを本当の意味でわかっているのかは不明だが。
きゃらきゃらと色めきだつ子供達を余所に、沖矢はニッコリと笑っている。
「という訳で、これから秘密の話がありますから君達は暗くなる前に帰った方がいいですよ」
「はーい!」
「美弥お姉さんまたねー!」
「う、うん……またね」
沖矢の言葉に満足したのか子供達は素直に帰って行った。
だけどコナンだけはそこに残り、沖矢に近付いて声を潜める。
「昴さん、いいの?あいつら本気にするよ?」
「まあ、その方が自然だろう」
「……昴さんがいいならいいけど」
赤井の気配をさせた口調でコナンと話しているので、ああやっぱり彼は知っているんだと気付いた。
コナンがチラリと、此方の顔色を窺う。
頭の良い彼は美弥の過去だったり、傍から見れば奇妙な関係を不思議に思い、美弥の真意を知りたそうな目をしている。
それもどちらかというと探るというよりは、どうも心配されているような雰囲気で。
美弥は苦笑して、優しいコナンの頭を撫でた。
(いつも気遣ってくれて、助けてくれてありがとう)
言葉にはしなかったが、そう思った事が伝わっただろうか。
コナンは何か言いたそうな顔をしながらも口には出さず、照れくさそうに瞳を揺らした。
「コナン君も一緒に来る?」
「えっ、いや、遠慮しとくよ……」
来てもらっても構わなかったのだが、コナンは「邪魔はしないよ」と苦笑すると走って行ってしまった。
元気な足音が聞こえなくなると途端に静寂が訪れる。
変装している沖矢は相変わらず目を細めていて、何を考えているかわからない。
静かに中に入っていく背中に続いて庭を通り、玄関の扉が閉まったと同時に彼が振り返る。
「美弥。付き合っているという事にするか?」
「えっ?」
ふいに赤井の声だったので美弥はドキリとした。
冗談めかしてない双眸が、じっと此方を見据えている。
「そうしておいた方が、今のような時に答えやすくはなるだろう?架空の人物である沖矢昴となら、あまり支障はないと思うが」
ああ、そういう事かと思った。
美弥とシュウの繋がりを、沖矢昴でカモフラージュする事を提案しているのだ。
「お前がよければだが」
「…………」
確かに隠れ蓑にするならちょうどいいのだろう。
沖矢と付き合っている、そんな話がもし広がったとしても沖矢昴は架空の人物であるから実際の所は違う。
美弥もいつもシュウとの関係について言葉にできなかったので、多少は答えやすくなる。
それについての異論はない。
「……シュウはいいの?」
「俺は構わない」
「……なら、いいよ」
彼との繋がりがあるなら、どんな名目だっていいのだ。
それに、"確かな形"じゃない方が美弥の罪の意識は薄れるから。
薄く笑って腕を伸ばせば、力強く引かれてキスを送られる。
(シュウは、私の事どう思ってるんだろう)
仮初だとしても彼との関係に名前が付いて嬉しいと思う反面、"赤井秀一"とじゃない事が僅かに引っかかっている自分がいる。
だけどそんな感情なんて、気付きたくないから蓋をする。
そう、彼がどう思っていようと美弥の立ち位置は変わらない。
だからそれでいいと、瞼と一緒に意識を閉じる。
「――それで?彼と仲良く談笑してきたんですか?」
「、え?」
いつの間にか変声機のスイッチが入れられ、再び沖矢の声で囁かれて美弥は目を瞠る。
「彼って?」
「ポアロにいる、安室という男ですよ」
「談笑っていうほどはしてないけど……どうして昴さんなの?」
「さあ、何故でしょうね」
二人きりになったのに沖矢は丁寧な敬語のまま。
至近距離で微笑む気配がいつもより凄みがあって、美弥は思わず後ずさっていた。
キスが降ってくる事なんていつもの事なのに今はどうしてか身構えてしまった。
何だか怒っているような気がする。
「隙だらけですね。あの男にもこんな風に言い寄られたら貴女は受け入れるんですか?」
「こんな事、しないよ……」
「そうですか?そのわりには彼と親しくされているみたいですけどね」
「そ、れは……っ」
もしかして、何回か食事に行ったり、出掛けたり、協力してもらったりした事も知っているのだろうか。
だけれどもそこに余計な感情はないし、誰彼構わずこんな事をする訳がないのに。
戸惑いながらも深くなる唇を享受して体を預ければ、しばらくしてゆっくりと離される。
「……すまない。少し、悔しく思っただけだ」
唇を親指でなぞられながら小さく呟いた言葉に、心が震えた事を自覚した。
そうして美弥はまた囚われる。
自ら足を踏み入れた先はきっと、抜け出せない檻だった。
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ハムサンド回。
沖矢さんにも一応考えがあります。