06




「温泉楽しみですねぇ!」
「温泉まんじゅう~!温泉まんじゅう~!」

光彦の声と元太の歌を聞きながら、美弥は僅かに緊張していた。
久しぶりの運転、そして同乗しているのが子供達となれば、ハンドルを握る力は自然と強くなってしまう。

美弥さん、大丈夫?」
「うん……だいぶ思い出してきた」

いつになく険しい表情になっていたのか、助手席にいるコナンに気遣われる。

美弥さんって免許持ってたんだね?」
「うん。地元では乗ってたけど、東京だとあんまり車が必要ないからね」

美弥は今、レンタカーを運転している。
阿笠と少年探偵団のみんなで温泉宿に行く事になったのだが、流石に阿笠の車に全員は乗れない。
宿泊用の荷物も乗せなければならないので、美弥がレンタカーを借りて二台で行く事になった。
久しぶりの運転で固くなってしまい最初はコナンに心配されるぐらいだったが、ようやく勘を取り戻せたのか気持ちに幾分か余裕が生まれてきた。

「でも、どうしてボクは指名だったの?」
「あはは、ごめんね」

二台で行くにあたって、実は少し揉めた。
元太、光彦、歩美は物珍しい美弥の運転で行きたいと言った。
コナンと哀は別にどっちでもいい派だったので、阿笠の車に乗ってもらえばそれで解決だったのだが。
美弥はできるならコナンに助手席に乗って欲しくて、それを主張したおかげで変に偏りができてしまった。
だけど結局は歩美が哀と一緒に乗れるならという事で、二人で阿笠の車に乗ってくれる事になった。

「だって、コナン君が隣にいてくれれば安全かなって。私が道を間違えそうになったら教えてくれそうだから」
「ああ、なるほど……」

年下の小学生に言う事じゃないなと、申し訳なく思いながら照れ笑いを浮かべればコナンは納得したように苦笑した。
もちろん哀でもその役はよかったのかもしれないが、咄嗟に口から出た名前がコナンだったのだ。

「ボクも案内できますよ!」
「オレは食べもんがある所ならわかるぜ!」
「ふふ、ありがとう」

聞き逃さなかった後部座席の二人も身を乗り出す勢いで言ってくれるので美弥は笑った。

「あ、美弥さんそこ右だよ」
「はーい、ありがとう」

コナンはしっかりとナビをしてくれるし、明るい車内の雰囲気が楽しいなと思った。

せっかくだから何か音楽でもかけようと慣れていないオーディオを弄ると、たまたま聞こえてきたラジオでは連続殺人犯のニュースが流れていた。
ここ数日で女性が何人も殺されているという恐ろしい事件で、犯人は未だ逮捕されていないそうだ。
怖いなと思いつつ、今日の空気には似つかわしくないので美弥は楽しそうなチャンネルに変えた。

前を行く阿笠の車に付いてしばらく走ると、見慣れた市街地を離れ少しずつ景色に自然が増えていく。
曲線を描く道路のすぐ傍を流れる大きな川や橋から見下ろせる渓谷は、美弥のような地方育ちの大人にはどこか懐かしいような気にさせられるものだった。
都会に住んでいる子供達にはやっぱり物珍しいのか、窓ガラスにへばりつくようにして外を眺めている姿がバックミラー越しに見えて微笑ましく感じた。
時には見える風景がほとんど森の緑色ばかりになって目新しいものがない時間もあったが、緩やかな上り坂の山道をさらに奥に進んでいくと、ようやく山間の集落が目に入ってくる。
立ち並ぶ宿、そこかしこに見える温泉の文字が入った看板に、まるで別世界に来たようで美弥の気持ちも一気に浮ついた。

目的の宿に到着し、阿笠の黄色の車に並んで駐車する。

「着いたぞ。ここじゃ」
「わーい!着いたー!」

心地よい疲労感で息を吐いている間に、子供達が真っ先に車を降りて飛び跳ねている。
それにならい、美弥も外に出て静かに深呼吸をする。
標高が高いからか、どこかいつもとは違う澄んだ空気が気持ちいい。
そこに加えて、温泉街らしい硫黄の匂いが僅かに混ざる。

「運転お疲れ様、美弥さん」
「……ありがとう」

コナンが「何か飲む?」と、持ってきた荷物からドリンクボトルを見せてくれる。
相変わらず大人の男性のような気遣いをする子だと苦笑しながら、有り難くそれを受け取った。

阿笠が商店街のくじで当てたという老舗の宿は昔ながらの純和風な旅館で、綺麗に手入れされているのか年季も味になっていて風情がある。
慣れない土地まで運転をするのは少し不安だったが、子供達は楽しそうだし何より温泉だし、有意義な時間になりそうだと美弥は一人で頷いた。
チェックインを済ませて部屋に荷物を置くと、早々に子供達は夕食までの間に外に出たいと言い出した。
畳の良い匂いがする和室も、子供にとっては何もない部屋で退屈を感じてしまうのかもしれない。

「ワシは部屋に残ってるから、行って来てくれんかの?」
「大丈夫ですか?」
「しばらく休憩すれば治るはずじゃ」

運転疲れなのか腰をさする阿笠に「すまんなぁ美弥君」と頼まれる。
美弥も少し散歩がしたい気分だったので特に問題はなく、阿笠を気遣いつつ頷いた。

「早く行こうぜー!」
「ちょっと待ってね」

主に元太にせがまれながら外出の準備をしていると、持っていた美弥のスマホが震えだす。
かかってきた電話の相手を確認して、少し驚いた。

「もしもし?」
『今どこにいる』
「えっと、ついさっき旅館に着いた所だけど……」

場所について簡単に説明すれば、電話の向こうの赤井はしばらく無言だった。
その空気感がどうも美弥の運転が心配だったからかけてきた、という訳ではなさそうで。

「……何かあった?」
『……いや、いい。気を付けて行ってこい』
「う、うん……」

そのまま通話は終わってしまい、腑に落ちないまま終了が表示された画面を見下ろす。

「電話、誰からだったの?」
「昴さんから。よくわからないけど、気を付けろって……何かあったのかな」
「…………」
「昴さんも心配症なんですねぇ」

悟ったように光彦が頷いているが彼は意味もなく電話をしてくる人ではないし、そういう雰囲気でもなかった。
旅行の事も事前に言ってあるので知っているはずだし、その時にも運転について言及される事はなかった。
言わないだけで気掛かりな何かがあったのかもしれないが、それ以上は美弥には知る由もない。
「羨ましいのか?」なんて笑っている元太や色恋に憧れを抱く歩美の隣で、美弥以上に難しい顔をしているコナンがいて、
どうもあらゆる可能性を考えさせてしまっているようで何だか申し訳ない気持ちになる。

「待たせてごめんね、行こっか」
「……うん」

ポンポンと軽く頭を撫でれば、コナンは躊躇いながらも頷いた。
気を取り直して皆と一緒に旅館を出て、土産物店や飲食店の店頭販売が並んでいる中心街の大通りを練り歩く。

「オレ温泉まんじゅう食べたい!」
「この後夕食なんだから食べ過ぎるなよー」
「わかってるっての!」

コナンの指摘もなんのその、両手に抱えた饅頭は次々と元太の腹に消えていく。
見ているだけでお腹いっぱいになってしまいそうな光景だったが、止まる事を知らない元太はさらに遠くを指差した。

「あ、オレあっちも食べたい!」
「もう~元太君まだおまんじゅう持ってるじゃない!」
「あそこに行くまでには全部食える!」

食べながら走るという何とも器用な事をする元太。
だけど他の観光客も行き交う道で急に方向転換をしたせいか、その肩が通りすがりの誰かとぶつかった。

「ってぇ!」
「あ、すみませんっ」
「…………」

駆け寄った美弥が咄嗟に謝るが、男性は元太をギロリと睨み、何も言わずに去って行った。

「なんだ、あいつ」
「…………」

元太が不思議がるのも無理はない。
ぶつかられた事に腹を立てているというより、どこか普通の観光客とは雰囲気が違うような気がしたのだ。
地元の人かとも思ったが、たまたま見えた目がどうしてか怖ろしく感じて美弥も驚いて黙り込む。
近くにいた歩美も見たのか同じような感想だったらしい。

「元太君、だいじょうぶ?何か変な人だったねー」
「なー」

だけど急に振り向いたのは元太の方で、悪いのは此方だから仕方ないと美弥は苦笑するだけに留める。
気を付けろよとコナンに注意されて少しの反省した後、すぐに切り替えたのか元太はまた違うものを食べながら歩いた。
その一方で歩美と哀の女子組は無料の足湯を見つけ、入りたいと言う歩美に付き添って美弥もベンチに座って足を湯に浸す。

「あったかーい!」
「気持ちいいね」
「そうね、悪くないわ」

足を動かす歩美の隣で哀が静かに笑っている。
普段あまり感情を動かさない彼女が満足そうに微笑んでいるので、楽しんでるんだなと思うと美弥も嬉しくなる。

「コナン君達も入ろうよ!」
「いや、オレは……」
「オレは湯に入るより食べ物探してるほうがいいぜ!」
「風情がないですねぇ元太君は……あーもう、待ってくださいよ!」

コナンが答えるよりも早く、まさに食い気の権化である元太がフラフラと歩いて行ってしまうので、残された男の子二人は呆れ気味で追いかけていった。

(男の子にはまだ早いかな)

活発な背中を見送る女子達は苦笑の眼差しで。
あんまり遠くに行かないでねと一応声をかけてみたが、しっかりした二人がいれば大丈夫だろうとは思う。

「まあ、いいわ。私達だけで楽しみましょう」
「そうだね!でも哀ちゃんも美弥お姉さんもいるから楽しいよ!」
「うん、ありがとう」

気心知れた友達のような哀と、歩美の無邪気な笑顔に美弥も絆される。
足から伝わってくるぽかぽかした温度に、リラックスの息を吐きながら顔を上げれば、真っ直ぐ奥まで伸びている本通りを行き交うたくさんの観光客が見える。
友達同士だったり、揃いの浴衣で歩いているカップルだったり、皆思い思いにグルメや散策を楽しんでいる。

ふと、さっき旅館を出る前に声を聞いた赤井の事を思い出した。
どうせなら沖矢として一緒に来てもよかったのではないかと思うが、もう既に子供達の誘いを断っていたようで。
変装しているので子供達の前で湯に浸かれないし、他人とあまり長時間一緒にいるのはリスクが高いのだと言われれば納得だった。

(でも、どうして確認してきたんだろう?)

声色がどこか険しかったので、何か言いたい事でもあったのだと思うけれど。
しばらく考えてみたものの、美弥にはやっぱりわからなかった。

充分に温まった足をタオルで簡単に拭き、足湯を後にして通り沿いを歩けば、観光案内所近くにいる男の子たちを見つけた。
お待たせと言いながら合流すると、光彦が観光マップを興味津々に読んでいる。

「へー、近くに滝があるそうですよ。その手前には吊り橋もあるそうです」
「面白そうだなー、行ってみようぜ!動いて腹すかさねぇと!」
「元太君まだ食べる気ですか?」

温泉街の地図を見る限り中心地から少し戻った所、泊まる旅館の手前あたりから脇道に逸れているようで、
結構距離はありそうだから大丈夫なのかと気になったが、確認する前に元太と光彦は争うように走って行ってしまった。

「元気ね……」
「ホントだな……」

隣にいる哀とコナンが美弥の気持ちを代弁するように溜息をつくので、「ね……」と苦笑いで賛同する。
でも行ってしまったものは仕方ないと、見失わないように子供達の後を追い、賑やかな大通りから山へ向かう小道に入る。
市街地を離れて次第に細くなっていく道路をぐんぐんと奥に進むと、山沿いの道路から山の中へと登っていく脇道が現れる。

遊歩道入り口と書かれた看板を通り過ぎ、緩やかな水が流れる小川にかかる橋を渡る。
人がすれ違える程度の幅の遊歩道に入ると、視界に飛び込んでくる全てのものが自然の色になる。
木々と土の匂い、葉が風にこすれる音、澄んだ空気がとても気持ちいい。

途中で道が二手に分かれていて、そこに設置されている案内看板通りに滝の方向へ進む。

「おわー!すっげ―揺れる!」
「ちょっと元太君揺らさないでくださいよ!」

木でできた階段を上ってさらに歩いていくと視界が開け、大きな川を横断する為に渡された吊り橋があった。
古びている訳ではないが吊り橋である以上、人が乗ればどうしたって多少は揺れる。
真ん中あたりで立ち往生している子供達と距離が近くなれば美弥の足場もゆらゆらと上下する。

「おい早く渡れよ」
「もー元太君、後ろがつかえてるんだよ!」
「そんな事言ったって揺れるんだからしょーがねーだろ!」
「……あれ、あそこにあるのは何でしょうか?」

騒がしい橋の真ん中で、ふと光彦が視線を眼下の川に落とす。
「え?」と皆が同じように光彦の見ている先に目を凝らす。

どれだろうと美弥も視線を彷徨わせて、岩や石が多く集まっている川岸に何かの塊を見つけた。
あれは何だろうか、布のようにも見えるがそこから何かが伸びているようで。

「っ!!」

いち早く状況を理解したコナンが何よりも先に美弥を振り返る。

美弥さんは見ちゃ駄目だ!」
「えっ」

腕を強く引かれて無理矢理しゃがみ込まされる。
そして動かさないとばかりに小さな両手で頬をがっちりと固定されて、美弥の視界を埋め尽くすのは険しい表情をしたコナンの真っ直ぐな瞳だけ。
強くて、だけど澄んだ色に見入ってしまいそうになった瞬間、遅れて響き渡った子供達の悲鳴に彼の意図をようやく理解した。











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