05
『お前に会いたいと言っている人がいる』
赤井からそんな連絡が来て、今度は誰なのだろうと美弥は思わず身構えた。
紹介してくれるのは嬉しいが、いつも思いもしないような相手だったりするから緊張するのは仕方ないと思う。
彼に呼ばれるまま意を決して工藤邸の門戸を叩き、そわそわしながら返事を待つ。
「いらっしゃい!貴女が美弥ちゃんね!」
「は、はじめまして……橘美弥と申します」
今までこの家で見た事のない凄い美人に出迎えられて放心していると、間に入るように沖矢が女性の隣に並んだ。
「彼女はここの家主の工藤有希子さんだ。先日アメリカから帰国してこられた」
「えっ!あ、いつもお邪魔させていただいてすみませんでした!」
家主、と聞いて美弥は慌てた。
いつも我が物顔で家に上がっていいのだろうかと気になってはいたので、本来の住人と顔を合わせると恐縮してしまう。
まるで恋人の実家に招き入れられたような感覚になって深く頭を下げるが、有希子は終始嬉しそうに笑っている。
「大丈夫よ~話はいつも聞いていたから!」
「勝手をして、すみませんでした」
というかこの人、芸能界に疎い美弥でも見た事がある。
確かそうだ、かなり人気があったのに突然結婚を発表して引退した女優さんだ。
結構前の事なのに今でもたびたび話題に上るから覚えがある。
(女優さんを生で見たの、初めてだ……)
伝説化されている人が目の前にいると思うとさらに緊張してしまう。
それでなくとも、美人のアップというだけで圧倒されるものがあるというのに。
「ずっと気になってたのよ~。彼が大切にしている女性ってどんな人なのかな~って」
美弥が家に入る許可はとってあると赤井は言っていたが、一体何と言ってあるのか少し不安だ。
「でも素敵そうな女性で私まで嬉しくなっちゃった!もう、貴方も隅に置けないわね!」
「恐縮です」
一歩引いたような言葉を返す沖矢の姿をした赤井は、FBIの仲間達といる時とは態度が少し違うように感じた。
彼なりに気を遣っているのだろうか、なんて考えていると明るい有希子の声を聞きつけたのか、さらにリビングから別の男性が現れる。
何となく既視感があるような顔立ちの、落ち着いた紳士といった雰囲気の人。
「どうも、工藤優作です。君の事は聞いているよ」
「あ……橘美弥です。すみません、今までご挨拶もせずに……」
「いや、私達は海外にいたからね。逆に留守を預かってくれて有り難かったよ」
自然に美弥の前に右手が差し出されるので、恐る恐る握手を返してみる。
よくよく見れば、彼の顔もまた覚えがある。
確か以前にマカデミー賞を獲った事もある有名な小説家だと気付いて、美弥は内心で狼狽えるばかり。
(どうしてこんなに有名人ばっかり……!)
そういえばコナンや蘭がよく口にする工藤新一という人も、新聞などで取り上げられるほど有名な高校生探偵だった気がする。
という事は、この有名人夫婦の息子という事で。
(どうしよう、どういう態度をとったらいいの……!?)
ただの一般人なのにメディアに出ている有名人ばかりに囲まれて思わず眩暈がする。
まるで現実味がなくて呆けたような返事しか出てこない。
「キッチンとか、そこらじゅうがピカピカなのよ!掃除してくれてたのよね?」
「は、はい……勝手ながら使わせてもらってたので、台所は特に……」
「あら、お料理が得意なの?」
「得意というほどではないですが、作るのは好きです」
「えー!食べてみたい!せっかくなら今日一緒に作らない?」
「えっ、あ、はい」
何だか、お姑さんに花嫁試験を受けさせられているような気分だ。
どうしたらいいのかと助けを求めて沖矢をチラリと見るが、彼の目は頑張れと言っているだけのようで。
(シュウでも止められないのね……)
二人の関係性がわかった気がして、美弥は諦めを悟って苦笑いを浮かべた。
結局、有希子とはしゃぎながら昼食を作って、四人で仲良く食事を囲み、後は談笑しているだけで一日が終わってしまった。
(……何しに来たんだっけ?)
丁寧に挨拶をして工藤邸を後にする。
赤井が送ってくれるというので、帰りの車内で二人きりになるとようやく緊張が解けたらしく、ドッと疲れが押し寄せてくる。
「すまないな、有希子さんがお前に会いたいと強く希望していたからな」
「ううん……今まで家にお邪魔してたから、全然いいんだけど……」
気さくな人達だったので話は面白かったし楽しかったのだが、どうもやっぱり失礼があってはいけない気持ちが強くて、言葉もかなり選んで話していたので気疲れしてしまった。
二人は帰国してしばらくは日本にいるそうなので、家主がいるならもうあの家では好き勝手な事はできなくなる。
「これからはお前の家に行く」
「……うん」
必然的にそうなるだろうなと美弥も納得している。
今日も本当なら彼に会いに来たつもりだったけどあまり触れられなくて、若干の物寂しさを覚えている。
この状況がまるで親に隠れて逢瀬を重ねる学生カップルみたいで、背徳感のような甘酸っぱいような気持ちで胸がムズムズする。
(まだ一緒にいたい、なんて)
雰囲気に触発されているのかもしれない。
そのまま家にまで入ってきてくれないかな、なんて思うけど彼は工藤夫妻の前でそんな事は言ってなかったから、早々に戻るつもりなんだろう。
徐々に慣れた街並みが見えてくるにつれて、増していくのは自身の欲張りな心。
名残惜しさに背中を押されて、ついに美弥は遠慮がちな言葉を零した。
「……もう、私送ったら帰っちゃうんだよね?」
「ん?」
「帰らなきゃ、いけないんだよね?」
「…………」
はっきり言えばいいのに随分回りくどい言い方になってしまって僅かな後悔。
確認するように隣をチラリと覗けば、細目が此方を一瞥してまた前を向く。
何も言ってくれないのかな、なんて思っていたら、信号が赤になったのと同時に左手が伸びてきて、うなじの辺りを持たれて引き寄せられる。
グッと距離が近づいて薄く開いていた唇を食まれる。
急な事で、誰かに見られていたらどうしようと咄嗟に目線だけ外に向けてみたが、それは周到な彼の事、心配は無用だった。
啄むだけの軽いそれは、離れるかと思いきやもう一度角度を変えて合わせられる。
「多少は遠慮するつもりだったが、これでは帰せなくなる」
開かれた目は困ったような、だけど柔らかく揺れていて、美弥はつられて笑みを零す。
離れがたいと思っていたのは自分だけじゃなかったようで嬉しくなる。
「ウチ……来る?」
「ああ。責任はとれよ?」
負けず嫌いらしい彼がニヤリと笑うので、お手柔らかにお願いしますと心で返す。
信号が変わって動き出すと、ふいに美弥のマンションに進む道とは違う方向に車が曲がる。
「せっかくだ、その前にドライブでもするか」
「……うん」
思いがけず延長されたデートに、美弥は照れ臭さを隠すように外を眺めながら頷いた。
それから工藤邸にはあまり行けなくなったが、代わりに赤井が美弥の家に来る機会が増えた。
だけど役目があってあの家にいたはずで、頻繁に出てきていいのだろうかと心配になったが、交代で人がいるからたまには大丈夫らしい。
もちろん工藤邸に行けないという訳ではないし、むしろ有希子には気に入られていつでも遊びに来てと言われているので、招かれれば仲良くお茶をして過ごすのだが。
正直言えば、やっぱり気兼ねなく二人きりになりたいのが本音だった。
居候の身では何かと気も遣うだろうからと、いつでも来て好きに過ごしていいよという意味で美弥の自宅の合鍵を渡した。
そのおかげか、家に帰ると赤井がいる事も多くなった。
仕事終わりにスマホを確認して、『お前の家にいる』とメッセージが入っているのを見つけると正直かなり嬉しかった。
本来一人きりの部屋は暗く、待っている人などいない。
だけど今夜帰る家には明かりがついていて、そして彼がいる。
その事実だけで胸がいっぱいになって、飛び出すように帰路についた。
逸る気持ちを抑えながら自分の鍵を使って中に入ると、変装すらしていない赤井が煙草を咥えながらキッチンに立っている。
「帰ったか」
「うん……ただいま」
筋肉が付いているのにスラリとした細身のシルエットに眩しさすら感じ、そして料理をしているらしい事にも驚いた。
沖矢の姿であるならまだ違和感は少ないが、赤井の見た目というアンバランスさが何とも言えないなと美弥は思う。
「ご飯、作ってくれてるの?」
「これぐらいはな」
せっかくお前に教わったのだからな、と彼はコンロの火加減を見ながらさらりと口にする。
何だか感動してしまって、思わず近寄ってそっと背中に抱き付いた。
「……ありがとう」
「ああ。着替えてこい」
「うん」
手早く着替えを済ませると、既に出来上がっている料理を並べて二人でローテーブルの前に座る。
いただきますと、いつもより気持ちを込めて手を合わせ、美味しそうな肉じゃがに箸を伸ばした。
「これ、美味しい……!」
思わず目を輝かせてしまうくらい驚きの味だった。
特別なものは入っていないように見えるけれど、旨味というか、染み渡る味の深さが違う。
顔を上げれば、赤井が満足そうに口角を上げている。
「先日、美味い肉じゃがの作り方を教えてもらったんでな」
「そうなんだ……すごい」
とある先で出会った夫人から聞いた、家庭の直伝の味らしいと彼は言う。
そこから話題は思いもよらない怪盗キッドの名前が出て、美弥は数度瞬きをした。
「怪盗キッドって……ちょっと前にもニュースでやってたね」
「ああ、用事があって俺もそこにいた」
「へえ……」
夫人の持っていたご主人の遺品の絡繰箱の中に宝石が入っていて、それを開ける為にキッドがやって来るかも、という事になり。
結局宝石が奪われる事はなく、その時に色々あって夫人がご主人との思い出のレシピを皆に教えてくれたそうだ。
「……怪盗キッドに会った事ある?」
「早々に逃げられたからな、直接的にはない」
美弥にとってはテレビの向こうの世界という感覚だが、世の中には怪盗なんていうのもいる。
最早驚かなくなってきているが、それでも怪盗なんて類は美弥にとっては未知の存在だ。
「興味あるのか?」
「ううん……どういう人なのかなって思っただけ。なんで怪盗なんてやってるのかなって……」
「さあな。彼なりのポリシーはあるらしいが、俺の範疇じゃない」
警察ならまだしも、アメリカのFBIと日本の怪盗では確かに互いの領分が違いすぎる。
謎解きだったり事件の推理をする事には積極的なのに、興味なさげにきっぱりと明言するのでその温度差が少し可笑しかった。
美弥にしても怪盗の存在にはいまいちピンときていないし、夢物語に近い。
だけどその怪盗キッドがいたから今日の肉じゃがはとても美味しくて。
だから、それだけは感謝してもいいのかもしれない。
「美味しいね」
「気になるなら作り方は教えてやれるが、俺はお前の作る味の方が好みだが」
「…………」
嬉しい事を真顔で言ってのけるので、つい言葉に詰まってしまった。
赤井の強い眼差しと温かい肉じゃがを見比べて、照れ臭さを隠しながら美弥は頬を緩ませる。
「どう作ってるのか気になるけど……これはシュウが作ってくれた味だから、私はそのままでいい」
「そうか」
美弥の味が好きだと言ってくれるならそれでいい。
それに、これはもう"彼の味"になったのだから奪いたくないとも思った。
「これはまた作ってやる」
「うん……楽しみにしてる」
できる事ならまた食べたいなと思っていたら、心を読まれたのか彼がそう言った。
緩く細められた目に、胸が温かくなった。
食後はいつものようにソファで隣り合って体を触れ合わせて、思い思いにゆったりと過ごす。
それが自分達の定位置で当たり前の習慣で、色々な変化があってもそれは変わらない。
テレビを見ながら内容やその時思った事なんかを何気なく隣に呟いたりして。
何度か小さく相槌を打っていた赤井が、ふいに動いて美弥の方へ体を寄せる。
「シュウ?」
そのままずるずると上半身が傾いていき、気付けば美弥の膝の上に彼の頭が乗っている。
調子でも悪いのかと一瞬慌てたが、後頭部をポスンと良い場所に落ち着かせ、真下から彼の目がじっと此方を見上げている。
この状態はまさかの膝枕ではないかと、また違う意味で驚かされる。
「どうしたの?」
「いや」
何でもないって事はないはずだけど、彼は真顔のまま。
だけど視線を外し、ふうと吐いた息にどことなく疲労を感じた。
「……お前と一緒にいるのは苦じゃないんだがな」
「…………」
そういう事かと、合点がいった。
今までは居候でも家主は留守だったので問題はなかったろうが、今は家主と一つ屋根の下で。
いくら良さそうな人達とはいえ、ずっと一緒に過ごすのは気も遣うだろうし疲れるだろう。
だから、それなんだろうなと思う。
(もしかして、甘えられてる?)
気を許してもらえている事が嬉しくて、美弥は鬱陶しくならない程度に彼の髪を撫でた。
普段は見られない漆黒の髪は艶っぽくて、僅かについている癖が緩やかに曲線を描きながらふわふわと美弥の太ももをくすぐる。
「新鮮だな、この眺めは」
「……恥ずかしいんだよ?」
下から見られるのは女心としては避けたいのだが、頭の重みが嬉しくもあり。
控えめに彼の髪を弄っていると、手を伸ばされ、引き寄せられる。
前屈みになる事に苦しさを覚えながらも、唇を吸われる感覚に甘さが染みる。
離れていく彼の目が綺麗で思わず見とれてしまいそうになるけれど、美弥は必死で目を逸らす。
「もう……あんまり見ないで」
「わかった。なら次の機会にはお前にもやってやる」
「意地悪しない?」
「どうだろうな」
「…………」
不満の目を向けると、赤井が楽しそうに目を細めた。
その色は、以前と比べてどこか穏やかになった。
出会った頃はもっと寂しそうな、空虚な闇を帯びていたのだが今はそれほどでもない。
だけどこの方がいいなと美弥は思う。
そして、その優しげな眼差しが向けられているのが自分であると思うのは自惚れだろうか。
(こんなに平和でいいのかな……)
平穏な日々が続いていると、いつか全てが壊れてしまいそうで怖い。
何もかもが突然変わってしまう事、嫌というほど経験しているからこそ余計に感じる。
膝の上で器用に煙草を燻らせている赤井と一緒にテレビを眺めながら、美弥は密かに不安を抱いた。
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イチャイチャしただけになってしまった。
原作軸はそれなりに進んでます。