09




『ごめんね美弥ちゃん!助けて欲しいのー!』

夜半にかかってきた有希子からの突然の電話。
今までにない事で、どんな緊急事態なのかと思わず固唾を飲んだが、彼女はいつもと変わらない明るい声色のままで。
詳しく聞けば、工藤邸に沖矢の知り合いが大勢滞在していて、食事を用意しようにも人手が足りないから助けて欲しいという内容だった。

(シュウの知り合いって……FBIって事?)

直接的な言葉はなかったが話の内容からして、どういう訳かFBIの人達が来ているらしい。
有希子の口調から猫の手も欲しいぐらいの状況らしいので自分にできる事があるなら協力したいと思うし、頼られるのは正直嬉しかった。
だけど有希子からの頼み事とはいえFBIと関わっていいものか美弥には疑問だった。
少なからず赤井も関係しているだろうから、彼の知らない所で勝手に動いていいのだろうかと。
なので、すぐに折り返す旨を有希子に伝えて電話を一旦切り、赤井に確認しておこうとメッセージを打ちこんだ。
簡単に事情を説明して、FBIが集まるような所に自分が行ってもいいのかと送れば、返事はすぐに返ってきた。

『巻き込みたくはないが、有希子さんがどうしてもと言うから止められなかった』

返信の文面を見つめて美弥は苦笑する。
有希子が美弥を呼びたいと言い出して、彼が難色を示しながらも彼女に強く出られず渋々頷いた光景が何だか目に浮かぶ。

『私、断った方がいい?』
『いや、押し掛けているのは此方だからな。お前がいいのなら有希子さんを手伝ってくれ』
『わかった』

彼が了承しているなら大丈夫そうだと短いやり取りを終える。
その後有希子に承諾の連絡をしてから美弥は急遽翌日の仕事の休みをとり、ある程度必要そうな食材を多めに買って朝から工藤邸に向かった。

何度も訪れて慣れてしまった玄関の扉をくぐると、既に有希子が待ち構えていた。
だけどそれだけでなく、その背後から外国人が数人でやってきたと思ったら美弥を突然取り囲んだ。

「!?」

様子を見ている有希子に驚きの目を向けると、彼女はにっこりと笑いながら人差し指を立てて口元に当てた。
喋るなという意味だろう、狼狽しながらその場で動けずにいると、外国人達は手に持った機械を近づけて美弥の全身を上から下まで往復させた。

「OKです」
「ごめんねぇ美弥ちゃん、ビックリしたよね?盗聴器とか知らない間に仕掛けられてないか、念のためにね」
「ああ、なるほど……」

盗聴器の類いがないか調べ終わると、外国人達は美弥に一礼してさっといなくなる。

(あの人達もFBIなのかな……)

ようやく喋る事を許されて、普段とは違う物々しい空気に戸惑いを隠せない。
やっといつものように中に入って廊下を歩いていると、リビングのドアが勝手に空いた。
つい立ち止まって視線をそちらに移すとドアを開けた人を含め、奥にいる何人もの外国人達が一斉に此方を見るので美弥は思わずビクリと固まった。

「彼女が……」
「あの子か…」
「赤井さんの……」

美弥の事を知っているのかヒソヒソと興味深そうな、検分されるような視線が集中すれば動揺せざるを得ない。
怪しまれている訳ではなさそうだが、どうみても場違いな空間でひきつった笑みを浮かべるしかなく。
まるで外国に来てしまったようで、典型的な日本人の美弥は挙動不審気味に頭を下げる。

「こ、こんにちは……」

そもそも日本語で通じるのだろうか。
とはいえ英語など喋れないので話しかけられても応えられないのだけれど、と内心困っていると。

美弥!来てくれたのね!」
「ああ、ジョディ……っ」

やっと見知った顔が人垣の間から現れて少し安心した。
近くにはキャメルもいて、やっぱりこれはFBIの集団なんだと思った。

「驚いたでしょう?こんなにもFBIの捜査官が集まってるから」
「う、うん……」

苦笑してみせるが、こんなやり取りもじっと見られている気がして未だにドキドキしている。
どういう経緯で彼らに美弥の事が知らされたかわからないが、興味を持たれているのは何だか居た堪れない気分で、肩身も狭い。
元々そんなにこういう事が得意という訳でもないのだ。

「ジェイムズも貴女に会いたがっていたのよ」

こっち、と腕を引かれてリビングに連れられ、屈強そうな男達の間を通って奥に行くと、アッシュグレーな髭を蓄えた紳士的な男性がいた。
雰囲気からして、この中でも上の立場の人なのだろう。

「おお、君か。ジョディ君達から話は聞いていたよ」
「は、はじめまして、美弥と申します……」

穏やかに手を差し出されるので、緊張しながらそっと握り返す。

「あの赤井君が選んだ女性というから前々から気になっていたんだ。会えて嬉しいよ」
「そんな……私は、ただの一般人で……」
「そんな事は関係ないさ。此処に来ている時点で、君はもう既に相応の信頼を得ている」

ジェイムズに微笑まれ、辺りを見渡せばジョディやキャメルも頷いている。

(信用されてるって事かな……?)

確かに、いくら赤井にひっついている女だとはいえ、素性もわからない人間をこんなFBIだらけの隠れ家に入れたりしないだろう。
FBIの人達がこんなに日本にいた事にも驚きだが、この事実が組織に知られたら大変な事になるだろうとは流石の美弥でもわかる。
だからこの場に入れてもらえるだけで凄い事なのだろう。

「我々は君を歓迎するよ。こんな状況じゃなければもっとゆっくり話をしたいんだがね」
「……ありがとうございます」

包容力のある笑みに、美弥も強張っていた頬を少し緩ませた。

美弥、そこにいたのか」
「っ、ここにいます……」

一番聞きたかった声が耳に入って反射的に振り返れば、変装もしていない本来の赤井がいた。
やっと狼に取り囲まれた羊の気分から脱せられると、美弥はか細い声で助けを求めた。
赤井はそんなSOSをわかっていながら僅かに口角を上げ、それから皆によく見えるように美弥の背後に回って肩を持つ。

「彼女が美弥だ。構うのはいいが、手加減してやってくれ」
「、……」

(それ、どういう意味?)

まさかの援護に絶句する。
仲良くしてやってくれ、という意味を込めた冗談なのかもしれないが、美弥にとっては軍隊の中に放り込まれた新人兵みたいで。
承知したと言わんばかりの捜査官達のスマイルに、結局美弥はまたぎこちない笑みを向けるしかできなかった。






「仕事はよかったのか?」

ようやくリビングから解放されて赤井と一緒にキッチンに移動する。

「うん、お休みもらったから」
「そうか、すまないな」

落ち着いた場所に来てから、現在の状況についての詳しい話を聞いた。
数日前からFBIの仲間が次々と殺され、拠点にしていたホテルの場所が知られてしまったかもしれないという事で、
赤井が身を寄せていた工藤邸に一時的に避難してきたそうだ。
それはいいのだがいきなり大所帯になってしまい、デリバリーを頼むのも人数が多すぎて不自然なので、
有希子と料理のできるFBIの人で食事を賄う事になったらしいのだが、何せ人手が足りない。
料理ができて、かつ初対面の人よりも面識のある美弥を応援に呼んでほしいと有希子が赤井に懇願したという。
そして美弥が呼ばれたという経緯らしいが、食事云々よりも美弥が思ったのは。

(それって深刻なんじゃ……)

赤井はいたって冷静で、有希子も明るいのでそう見えないが、仲間が何人も殺されて拠点から逃げてきた状況は結構な非常事態ではないのか。

(一体どんな凶悪組織なの……)

彼らが以前から追いかけているという組織について美弥はよく知らないが、人間の生き死にが当たり前のように起こる世界がすぐ近くにあって底知れない恐怖すら感じる。

「お前を危険な目には遭わさないから安心しろ」
「う、うん……それはそんなに気にしてない、けど」

不安を感じていると赤井は思ったらしいが、美弥は自分自身の身が恐ろしいのではない。
そんな組織と対峙しなければならない赤井や他の人達がこの先、命の危険に晒されるかもしれないという事が怖い。

「極力此処にいて、簡単な食事を作ってくれればいい」
「……うん、わかった」
「人数が多くて悪いな」

赤井は美弥の肩をポンポンと叩くと、「じゃあ有希子さん後はお願いします」と言ってリビングに戻っていった。
表情には出さないけれど、結構慌ただしい状況なのだろうなと思った。


「じゃあ、ちゃちゃっと作っていっちゃおうか」
「そうですね」

有希子と一緒になって何を作るかを話し合い、やっぱりサンドイッチのような軽食メインがいいんじゃないかという結論に至った。
きっとゆっくり食べてなんていられないだろうし、なんだったら立ってでも食べられるものがいいだろう。
基本はサンドイッチやホットサンド、ご飯も炊いていくつかはおにぎりにして、後はつまめるおかずを数品作ってビュッフェスタイルのように用意する事にした。

張り切ってキッチンに向かい、分担した通りに手際よく作っていく。
まとめて具材の皮を剥いたり切っていくが、とにかくそれぞれの量が多い。
玉ねぎを切るだけの作業ですら一体何個切らなければならないのかと途方もなく感じる具合で。
家庭にあるようなボールではすぐに山盛りになってしまう。

「大人数って結構大変ねぇ……」
「私もこんな大勢の分は作った事ないです」

普段は大体二人分か一人分だし、みんなで分ける為のホールケーキだったりは作るが、同じものを大量に作った経験はあまりない。
まるでどこかの食堂の厨房のようだと二人で苦笑する。

「ねえねえ、美弥ちゃんは彼と何処で知り合ったの?」
「えっ?」

ふいに有希子が手を動かしながらも内緒話をするように距離を詰める。

「だって~最近そういう甘酸っぱい話聞かないからさぁ、コイバナしたいじゃない~」

今まで何度か話をした事はあるが大体その場に赤井もいたからか、そのあたりの話題は出なかったように思う。
周囲にハートを飛ばしそうな勢いの有希子は、邪推でない純粋な少女のように目を輝かせている。
その一方で思い返してみても、期待されている"コイバナ"という初々しい単語が似合う状況ではなかったなと、美弥は苦笑いを浮かべる。

美弥と赤井の出会いは、そんな甘いものではなかった。
だけど、時々思うのだ。
あの時美弥が声をかけたのが赤井でなかったら、自分は一体どのように生きていたのだろうと。
もっと言えば、あの日にあのバーに行かなければ彼を見かける事すらなかった。
そうであったなら自分は未だに泣き暮らしているままで、もっとおかしくなっていたかもしれない。
もしくは良くない人に縋って、戻れなくなって、破滅していた可能性だってあった。

偶然に偶然が重なって生まれた今。
出会ったのが"シュウ"だったから今の美弥の周りにいるのはとても良い人達ばかりで、守られ大切にされながら美弥は笑って生きている。
有希子や優作とだって、きっと出会わなかった。
こうやって他人様の屋敷のキッチンに立っている事もなかった。

「……知り合いのバーで、私が、彼に声をかけました」
「え!?美弥ちゃんから誘ったんだ!?」
「そう、なりますね。自分でも驚きです」

普段だったらはぐらかしていたかもしれないけど、彼女ならばと口にすれば意外だったのか有希子がはしゃぎだす。
言葉にすると、当時の酔った自分はとんでもない事をしたものだとつくづく思う。
だけど、あの時の自分によくやったと言いたい気持ちもあって、美弥は何だか可笑しくなって目を細めた。
こうやって笑って話せる日が来た事もまた、数ある出会いのおかげなのだろう。

「いや~んロマンチック!運命感じちゃうわ~!」
「……そうかもしれませんね」

ユキを亡くした事を運命だとは思いたくないけれど、バーで話しかけた事は確かに通常では有り得ない事だった。
そのあたりの事情を知らない有希子の言葉も必要以上に暗く感じる事もなく、腑に落ちたような感覚で美弥は小さく笑った。

そんな風に女子トークに花を咲かせながら次々と料理を作り終えると、作戦会議をしている書斎の隅に簡易的なテーブルを設置し、そこに食事を運んで並べていく。
色鮮やかな野菜をダイス状にカットしたチョップドサラダ風、数種類のサンドイッチとおにぎり、唐揚げや煮豚などのおかず、それから味噌汁や洋風スープ。
これなら好きな時に食べられるだろうと、食事に埃が入らないように乗せたラップを直しながら一息ついていると。

「ありがとうございます、美弥さん」

キャメルが作業の手を止めてわざわざ美弥の元へやってきた。

「いいえ。足りなくなったら言ってくださいね」
「はい!美弥さんの作ったものは美味しいと仲間達に伝えてありますので、皆楽しみにしているんです」

キャメルが力説している背後で、何だかとても期待を込めた目で此方を見てくる人達がいる。
気恥ずかしく思いながらも、その子供のような目は少し嬉しくて美弥は頬を緩ませる。

「お時間ができたら、食べてくださいね」

そう言えば、日本語や英語が入り混じった「ありがとう」が返ってきた。
書斎の大きな机を囲んで対策や作戦の議論をしている集団にチラリと視線を遣れば、その中心で真剣な表情をしている赤井の姿が見えた。
集中しているんだなとクスリと笑うと、美弥は静かにキッチンに戻った。

これでしばらく食事は大丈夫になったが、予想していたよりも大人数だったので工藤家の蓄えも美弥が持参した食材も底をついてしまった。
これは早めに買い出しに行かなければならないという話になり、有希子と優作の三人で車に乗り込んで家を出た。

夫婦の何気ない会話を耳にしながら、優作の運転する車に揺られていた美弥はふと我に返る。
気さくな人達だから忘れてしまいそうになるが、マカデミー賞受賞作家と元人気女優の二人と一緒になって買い物なんてどんな状況だと。

(ホント、別世界みたい……)

屋敷にはFBIが大勢いて、有名人二人と同じ車に乗っているだなんて。
すごい人達と知り合いになってしまったものだと、混ざり込んでしまった一般人の美弥は後部座席で小さく座っていた。

近くのスーパーに到着すると、手分けして商品を取りに行っては有希子が持っている買い物カゴに入れていく。
あらかた必要なものをカゴに納めると、同じように品物を抱えた優作も戻ってくる。

「あと他にいるものは?」
「えーっと、野菜は買ったから……あ、あと調味料だ!いっぱい使ったから一気に減っちゃって」
「わかった、行ってくる」
「ごめんね~」

苦笑しているが文句も言わず商品を探しに歩いていく有名小説家の背中をしげしげと眺めた。

「……仲良いですね」
「そう?でもその分喧嘩も多いわよぉ」

天真爛漫といったイメージがピッタリな有希子と、落ち着いた雰囲気の優作で一体どんな喧嘩が繰り広げられるのだろう。

美弥ちゃん達は喧嘩しないの?」
「……そうですね」

そもそも喧嘩にならない。
彼の言う事に反発したり不満を漏らした事もないから、言い合いになんてならないのだ。
美弥のそんな空気を察したのか、有希子が首を横に振る。

「いくら相手が彼でも、ちゃんと言いたい事は言わないと駄目よ?対等な関係になって、初めて一緒に生きていけるものなんだからね~」
「対等な関係……」

その言葉は少し響いた。
はじまりが普通でなかったからか、赤井と対等な位置にいようという気がさらさらなかったように思う。
別に今も美弥自身は後ろに下がって彼を支えられるならそれでいいと思っているが、有希子はそれでは駄目だと言う。
確かに、何も言わずに付き従っているだけなのはきっと違うのだろう。
ちゃんとした恋人であるなら、の話ではあるが。

「なんて、年長者のおっせかいだったかしら?」
「いえ……似たような事を彼に言われました。私は無理してるつもりはないんですけど、言わなさすぎるみたいです」
「そうでしょう?男の人だって人間なんだから、不安になっちゃう事もあるはずよ」
「……そう、ですね。ありがとうございます」
「うんうん、たまにはガツンと言わないとね!」
「ふふ」

拳を握りしめて悪戯っぽく笑う有希子は少女のようで、可愛い人だなと思う。
母のようで、だけど姉のように親身になってくれる存在はよく考えれば今までいなかった。
赤井との事だってそもそも口にしずらい関係だったので、誰かに詳しく話した事もなかった。
だから彼女の言う"コイバナ"をしている自分がどこかくすぐったくて、だけど嬉しかった。

「物騒な会話をしないでくれ、有希子……」

何かを察知したように苦笑いを浮かべて戻ってきた優作に、有希子と美弥は顔を見合わせてまた笑った。











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原作話です。