07




「よかった……顔色は悪くないみたい」

久しぶりに会った友人は遠慮がちに頬を緩ませた。
話し声が混ざり合うカフェの店内は適度に騒がしく、食器のかち合う音も時折聞こえるなかで、二人は言葉少なに対面する。

彼女――亜里歌はバーテンダーをしている星司の恋人であり、今は奥さんだ。
ユキの親友である星司に彼女だと紹介されてから、ダブルデートのようにして一緒にいるようになった。
とは言っても、男友達がただ遊んでいる所にお互いの彼女がくっついているだけの状態だったが。
いつも遊んでいれば自然と、一歳年下なだけの亜里歌とは個人的にも仲良くなっていった。

美弥ちゃん、引っ越ししたんだね……何もお手伝いできなくて、ごめんね」
「ううん、急に決めたから言うタイミングを逃しちゃって……」
「お店、違う所の方がよかったかな?」
「そんな事ない。ここ好きだったから、来れてよかったよ」

ユキがいなくなってからは遊ぶ事がなくなった。
最後に会ったのは葬儀の時だったかもしれないが、あの頃は気が動転していて記憶がはっきりしない。
連絡は以前よりも確実に減った。
彼女自身もショックだっただろうし、恐らく美弥を気遣って逆に何も言えないのだろうと思う。
それでも、"何かあったらいつでも連絡してね"と近付きすぎず、だけど支えてくれようとしている気持ちは有り難かった。

美弥ちゃん、調子はどうですか?美弥ちゃんの気持ちに余裕がある時でいいから、少し会えない?』

亜里歌からそんなメッセージを受け取れば、行かないという選択肢はなかった。
複雑な気持ちではあったが、断れば余計に心配させてしまうだけだからと、美弥は二人でよく行ったカフェに足を運んだ。
よく見知ったメニュー、そして慣れた店内、此処で互いの彼氏の愚痴や悩みなんかをいつまでも喋っていた。
あんなに楽しく話していたのが嘘のように、今は気を遣って遣われて苦笑いで座っているなんて、奇妙な感覚だ。

そう、この辺りはユキと暮らしていた街だ。
久しぶりに足を踏み入れたそこは変わらなくて、だけどどこか変わったようにも思える。
至る所に、ユキとの思い出がある。

亜里歌は美弥がまだ前の住所に住んでいると思ったからいつものカフェを指定したのだろう。
言ってなかったのは此方だ、彼女が申し訳なさそうな顔をしなくていいと美弥は笑って見せた。

「ちゃんと食べて、眠れてる?」
「最近は、なんとか」
「ご飯は作れてるの?」
「うん、大体は」

一人で生活する事に慣れてきた事を告げれば、眉尻を下げていた彼女は少し安心したのか表情を和らげた。
ぬるくなったカフェオレを口に運ぶと、ふわりと懐かしい甘さが広がっていく。

「星司くんがね、飲みにも来ないから逆に心配だって言ってた」
「ああ、うん……いつも飲んだくれて、軽い食事まで作ってもらってて迷惑かけちゃったね」
「それは全然いいの……だから、今どうしてるかなって……」

飲んで潰れるばかりではあったが、それはそれで生存確認ができていたのだろう。
星司から話は聞いていたから、美弥があまり行かなくなって不安になったと亜里歌は言う。
自殺でもするのかと思われただろうか。

美弥ちゃん、気持ちとか溜め込んじゃう人だと思うから……」
「……うん。大丈夫だよ、何とか生きてる」

彼女や星司が本気で心配してくれている事はわかっている。
だからこそ、いびつになっている自分の今の状況に、何だか自分で笑えてしまう。

「私も、星司くんも、いつでも美弥ちゃんの助けになるから」
「……ありがとう」

微笑みながら美弥は、どこか裏切っているような罪悪感を覚えた。

「星司君の様子はどう?」

彼もまた大切な親友を喪ったのだ、辛くないはずがない。
美弥は自分の事で手一杯で、周りの人の事まで気遣えていなかったように思う。
切り替えるように訊ねれば亜里歌が苦笑する。

「うん……悲しいのがなくなる訳じゃないけど、少しずつ、ね。
もしかしたら、美弥ちゃんを支える事で気持ちを保とうとしていた部分もあるのかもしれない。
けど、いつかは向き合わないといけないんだから……」
「…………」

ユキ、と明るい声でそう呼んでいた星司。
"ユキ"は愛称ではあるが、中学の頃から男友達にそう呼ばれていたから美弥も自然とそうなり、気付けば星司や亜里歌も呼ぶようになった。

もう昔のように屈託なく呼ぶ事ができないんだなと、思った。
いくら呼んだって、その先にいる人はもういない。

「……ごめんね。私、自分の事しか考えてなかった」
美弥ちゃんが謝る事じゃないよ。けど、たまにはお店に行ってあげてね?星司くん喜ぶと思うから」
「、……うん」

喉に力を入れて泣きそうになるのを我慢して、窓の外を見ながら返事をする。
亜里歌は、そんな様子をわかってかしばらく何も言わなかった。

店内の女性達の楽しそうな笑い声が聞こえる。
時間から取り残されたように、ここのテーブルだけが重苦しい空気に満ちている。

しばらくカップをいじっていた亜里歌が手を止め、言いにくそうに口を濁す。

「こんな時期に、言うのもどうかと思ったんだけど……」
「うん」

こういう切り出しの時は、次にどんな話題が来るか何となく予想が付く。
それは社会に出て人生経験を多少積んだからなのか、いつの間にか察せられるようになってしまった。

「……妊娠したの」
「そっか、おめでとう」

カップを支えていた指に自然と力が入る。
彼女の言葉に、美弥は用意していた笑顔を向けた。
暗い表情をしているのは彼女の方だった。

「ごめんね。ユキくんがいなくなって、美弥ちゃんが辛い時なのに……」
「謝る事なんてない。よかったよ」

素直に喜ばしい事だ。
辛い現実に光明が差すようじゃないか。
そう思っているのに、同時に言い知れない感情が湧き上がる。

自分は、あの人と普通の夫婦にもなれなかったんだと。
本当なら結婚して、いつかは子供だってできたかもしれないのに。
もうそれすら叶わないんだと、突き付けられているようで。

彼女は悪くない。むしろ大事な時期なのに気を遣わせて申し訳ないとも思っている。
だけど、現実が美弥を刺す。

他の人を探せと、なかには言う人だっているだろう。
だけど自分は彼がよかったのだ。

振られたり、別れていたらもっと次に行こうという気持ちにもなれたかもしれないのに。
未だに美弥はユキが好きで、彼もまた自分を好きでいてくれていたと思う。
その先に続くはずだった未来の糸が切られ、どこにもいけない美弥の糸が宙ぶらりんでいつまでも漂っている。

「産まれたら教えてね。二人の子供に会えるの楽しみにしてる」
「……うん」

彼女に遠慮させてはいけない。
彼女達には幸せになってもらいたいと思っているのは本当だ。

美弥が微笑むと、亜里歌は今まで以上に真剣な眼差しで此方を見つめる。

「これからも、何でも言ってね?辛くなったら吐き出してね。ちゃんとだよ?」
「……うん、ありがとう」

笑って応えながら、本当の事を言えていない現状に自嘲する。

(シュウの事は言えないな)

本名も身元も知らない人とセフレ状態ですなんて、彼女には口が裂けても言えない。
自分がどんなにユキを好きだったか知っている人に、言える訳がない。

これが裏切り行為だってわかっている。
ユキ以外誰も好きにならないと思っているのに、体だけは別の男に抱かれている。

ユキの写真を眺めながら、シュウを迎え入れている。
本当にどうかしている。
いくら互いに利害が一致した関係であったとしても、シュウに対しても悪い女だとは自覚している。

(だけど、きっともう依存している)

ユキのいない世界で美弥が生きていく為には、シュウの存在が必要になってしまっている。
人間らしく、人並みの生活を送る為の土台になってしまっているのだ。

だけど、それでも美弥にとってはユキだけが全てだ。

この壊れた世界で、周りだけが刻一刻と変わっていく。
酷い女にならなければ、美弥はそんな現実を正気で生きていられないのだ。





亜里歌と別れ、今の自宅までの帰り道。
近くの駅までの街並みが、懐かしいようで物悲しい。
風が寒く感じられて、身を縮み込ませて小さくなって歩く。

(ここは、ツラい)

一緒に行った店、一緒に歩いた道、待ったり、追いかけたり。
そこかしこに思い出があって、どこを見てもユキの顔が浮かぶのだ。

泣かなかっただけ偉いと自分で思う。
亜里歌を困らせなかっただけ、ちゃんとできたはずだ。

自然と歩く速度が速くなっていく。
何も見たくないと俯いて下を向いて、思い出と現実から逃げたくなっている。
自分が弱い事なんて自分自身がよく知っている。
誰かに縋っていないと生きられない人間なのだ、結局は。

信号待ちで顔を上げて、ふと隣にあったビルのウィンドウディスプレイが目に入る。
ガラスの向こうに白くて眩い、ウェディングドレスを来た女性が笑顔でいる写真が飾られていた。

ブライダル関連のブランド名を呆然と見つめて、気付く。

(そっか……私はもう、これ着れないんだ……)

思い出すのは数年前の亜里歌と星司の結婚式。
亜里歌にベタ惚れだった星司は早々に結婚の約束を取り付けていて。
純白のドレスを身に纏った友人はとても綺麗で、女なら誰でも一度は憧れる笑顔をしていた。

出会った月日も交際期間も自分達の方が長かったけれど、それはユキなりの考えがあるだろうと思って何も言わなかった。
だけどいつかは、とずっと思っていた。
結婚式の帰り際に、ユキが「お前、あれ着たい?」と急に聞いてきた。
がっつきすぎたくもなくて、平静を装って「それは私も一応、女ですから」と答えれば「だよなぁ……」と呟いた。
ユキが恥ずかしがりで、あんな風に着飾って人前に出るのが苦手なのを知っていた。
けど困ったように苦笑するユキからは、美弥の気持ちを尊重してくれている空気を感じたのだ。

だから、いつかは、着させてくれるんだと。
信じて疑わなかった。

「……っ!」

ボロボロと勝手に涙が溢れだす。
道端でウェディングドレスを眺めながら泣いている女に、周囲の人間は困惑しているようだったが、それでも止められなかった。

必死で拭って、何度目かわからない青信号の横断歩道をフラフラと歩く。
悲しい、苦しい、虚しい。

バッグからハンカチと一緒に携帯を取り出して、じっと見下ろす。

(……今日は、連絡なさそうだな)

そう都合よくはいかないかと、何の通知も来ていない静かな画面に美弥は口角を上げた。
どうして笑えたのかは、自分でもよくわからなくなっていた。











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亜里歌(アリカ)はオリキャラです。