第9戦、イタリアグランプリでようやくアスラーダが復活した。

エンジンの構造欠陥を何とか解消させて戻ってきたマシンに各マスコミが集まり、
本来の力を取り戻したであろう青のマシンはカメラのフラッシュを浴びていた。

それを遠巻きに静観し、これからが本当の戦いになると琉奈はグッと力を込めた。
こういう時のハヤトは強い、それをよく知っている。
加賀を見遣れば彼もいつも以上に鋭い目をしていた。

「……勝てるでしょうか、あのアスラーダに」
「勝つんだよ、それ以外はねぇって言っただろ」
「そう……ですね」

不安を払拭させるように加賀ははっきりと言い放ち、確かな足取りでアオイへ歩いていく。
彼はさらに無理をするのだろうとはわかりきっているのに、琉奈はその背中を見送る事しかできなかった。

(勝って欲しい……だけどそれで加賀さんが危ない目に遭うのなら、勝利なんかいらない)

目指すものは互いに同じ、だけど優先順位が琉奈と加賀では違う。
勝たせてあげたい、だけど生きて帰ってきてくれればそれでいい、そんな葛藤が琉奈の中でせめぎ合う。

文字通り命を賭けている加賀にはそんな事伝えられなくて、
複雑な眼差しのままサーキットに消えていく凰呀を見つめた。


ついに火蓋が切られた2人の真剣勝負、結果はやはりアスラーダが勝った。
コーナーで何度もけしかけたものの、完璧なリフティングターンを破る事はできなかった。

悔しそうな加賀の表情は、見ている此方が苦しくなるぐらいだった。

「勝てねぇなあ……やっぱ凰呀でもダメか」
「…………」

もうグランプリも終盤に迫っていて、レース数も残り少ない。
凰呀でアスラーダに挑めるのも、もう数回しかないのだ。

(凰呀が負ける、か……)

それならそれでいい、アスラーダには勝てなかったという答えが出るだけだ。
名雲もそれで納得するだろう、諦めがつくだろう。
だが琉奈の心の奥で、それでは気持ちが晴れない部分がある。

あの凰呀がここまで走ってきたのだ、ドライバーと少しずつ共闘しながら。
愛着が湧いてしまったのだろう、凰呀に勝利を味わせたいと僅かでも考えている自分は欲張りだ。

加賀が勝って、凰呀が勝って、誰も死なずに帰ってくる、そんな虫の良い展開になる訳がないのに。

「……あの子はプライドが高くて、自分が完璧で一番だと思ってる。
だから未熟なドライバーに操られるのがすごく嫌で、すぐコントロールを失って振り回す。
でも本当は、誰よりも優勝したいと思ってる。どんなに乱暴でも強引でも、あの子は勝つ為に生まれたのだから……」
「お前ぇ……それは、凰呀の事か?」

驚いたような加賀の声に、琉奈はハッと我に返る。
無意識に妙な事を口走っていたのだと気付いて、申し訳なくて俯いた。

「すみません……変なつもりで言った訳ではないんです」
「いや、あながち間違っちゃいねぇしな。けどお前、やっぱ変わってんな」
「……そうでしょうか」

未熟なドライバーと言ってしまったが、それは決して加賀の事ではない。
彼は気にしていないと穏やかな口調で笑い、疲れの取れない顔を緩ませた。

「お前みたいに"許せる"人間ってのは、そうそういねぇと思うぞ」
「…………」

自分が悪評を浴びせられても、それでも許して救おうとするのは並の人間ではできない。
そういう意味で加賀は言ったのだが、大事な部分を教えてもらえなかった琉奈はただ首を傾げるばかり。

「勝ってやるさ、お前ぇ達の分まで」

その言葉は琉奈や名雲だけでなく、凰呀も含まれているようだった。
だがそれが至難の業であるのはわかりきっている。
努めて明るく振る舞っているものの、少し間を置けば加賀はすぐさま厳しい目で遠くを見る。

先へ進めないと以前に言っていたように、負けてしまったら彼は終わりなのだ。
彼にとっては命を捨ててもいいぐらいに欲しい勝利。

(負けてもいいなんて思ってはダメなんだ……)

ここまで来てしまった以上、もう勝たなければいけないのだ。
凰呀を選びアスラーダと戦う道を、自分達は進んでしまったのだから。


だが次の第10戦でも、凰呀はアスラーダに勝てなかった。






8・悪夢に魅入られて






琉奈、お前ぇ来期からはどうするんだ」

急にそんな話を振られて琉奈は一瞬戸惑った。

ハヤトに勝てなくて、恐らく余裕のない彼は口数も減ってあまり笑わなくなったというのに。
その悔しさもわかっているから何か言う訳でもなく後ろに立っていたというのに。

もう次の11戦と最終戦しかない、その事実がどうしようもなく皆を焦らせて。
全体的に重苦しい空気が漂っていた彼から久しぶりの普通の話題。
そういう所で何となく気遣いが感じられて申し訳なく思ったが、彼がそれを望むので琉奈は少しだけ微笑んで答えた。

「……どうしましょうね、来期から」

スゴウにはもう戻れないから、正直決まっていない。
朧気に考えてはいるものの、今期が終わらない限りはどうもはっきりできない。
それはすなわち職を失ってしまうのだが、今はそんな事を呑気に選んでいる場合ではないのだ。

「アオイに留まりゃいいじゃねぇか、お前ぐらいの腕ならすぐ正式採用してもらえると思うぞ」
「そうであれば有り難いですけど……実はシュトルムツェンダーからも誘われてて」
「へぇ、引っ張りダコだな」

アオイが来期もと言ってくれるなら嬉しいし、ハイネルからは直々に勧誘を受けた。
それらは自分にはもったいないと思えるぐらい素晴らしい話なのだが、
これからもサイバーでやっていこうかという決心がまだ琉奈自身ついていない。

アスラーダのある世界、すなわち父親から離れてみるという手もある。
だが全ては凰呀次第な気がしているから中々決められない。

「好きな所でいいんじゃねぇの?サイバーじゃねぇけど、何だったらグレイの所でも構わねぇと思うし」
「そうですね。どこだっていいんです、最高なチームでメカニックとして腕を振るえるのなら」

最高というのは成績がいいとか金がいいとか、そういう事じゃない。
ふわりと笑う琉奈の眼差しが遠くを見ていて、妙な確信を覚えた加賀はずっと思っていた事を口にする。

「でもはっきりできねぇのは……本当は待ってるからか?」
「…………」

何を、とは言わなかったが琉奈には伝わっていた。
忌々しいとばかりに途端に眉を顰めたからだ。

「私はあの男と手を切るつもりで協力したんです、冗談じゃありません」
「……そうか、なら俺の気のせいか」
「そうですよ。それにあの男は多分、この勝負が終わったら何処かに行ってしまう気がする」

二度と、この世界には帰ってこないような気がする。
少なくとも……もう琉奈の前には姿を見せないのだという事は確かに感じる。

何にも囚われず、何にも執着せず、あの風情のまま自由に飛び立っていくのだろう。
今度こそ、呪縛から解き放たれる。

「だから私も……今度こそ、吹っ切れる」

長かった贖罪は全て終わり、ようやく未来に手を伸ばせる所まで来た。
そして、また新しい夢を持てればいいなと思う。

「もしサイバーに残るとしたら、シュトルムツェンダーに行くかもしれないです。
友人の手助けをしたいですし、私の実力でどこまでやれるか見極めたいので。もしくは、インディに戻ります」
「……ああ、いいんじゃねぇの」

加賀は自分が投げ掛けた話題にも関わらず「好きにすればいい」と言い、それから小さく謝った。

「少し前に……あいつに会った」
「え……?」

どうしても勝てなくて、悶々とした気分で帰路についていた時。
名雲邸に連れて行かれた時と同じように男の車が待ち構えていたのだ。








―――「素晴らしいバトルだったね。風見君に勝つのも時間の問題じゃないか?」

相変わらずの人を食ったような目で、車から降りた名雲は至極楽しそうに言った。

「次は、期待していいのかな」
「…………」

一向に勝てない現状に痺れでも切らしたのだろうか。
それは挑発だとわかっていたが、加賀は不機嫌な顔を隠さずに睨み付けた。
今名雲と会っても余計に苛立ちが募るだけだ。

「凰呀はもう既に君に教えたはずだよ。どうすれば彼らに勝つ事ができるのかをね」
「、何……?」

だがそれは予想外な言葉で思わず目を見開いた。
勝つ方法をあれが知っていて、それをもう教えているとは一体どういう事だろうか。

「……お前ぇ、わざわざそれだけを言いに来たってのかよ」
「君は凰呀の性能を確実に引き出しているが、風見君に勝つにはまだ足りない。だからアドバイスという奴さ」
「そりゃご丁寧にありがとよ、心配されなくとも勝ってやるさ!」

明言するだけあって確かに考える価値がありそうだ。
だがこの男に諭されるなんて気にくわない、言い負かされてばかりいるというのは癪に障る。

「それよりもお前ぇ、あいつはどうするつもりなんだよ?」
「……彼女の事かい?」

仕返しで動揺を誘うつもりだったが、名雲は緩く首を傾げただけだった。
存在を忘れていた、とでも口にしそうな程の無関心さで。

「どうもこうも、私と彼女には元々何の関係もない。今は利害が一致しただけの事さ」
「…………」

琉奈の気持ちに気付いている加賀はそんな返答では納得がいかない。
そして名雲に対してもある程度の見当を付けているからこそ、どう思っているかを聞き出したいというのに。
決してさらけ出そうとしない、それだけでなく本音と嘘を織り交ぜて何が本物だかわからないようにしている。

「お前……本当はあいつが欲しいんじゃねぇのか?」
「君にしては面白い表現をするね。そうだな……見てて飽きない玩具だとは思うよ」
「本当にそれだけか?何とも思ってねぇんだな?」

執拗に迫ってくる目に、名雲は大きく溜息をついて失笑する。
その態度は心底この会話を面倒に思っているようだった。

「私にどう言って欲しいんだね、君は。"実は愛してます"とでも言えば満足するのかい?」
「……はっ、てめぇにこんな事訊いた俺が馬鹿だったぜ」

駄目だ、こんな奴に何を言っても無駄だ。
琉奈の為と思って名雲の真意を窺ってみたものの、やはり飄々とした空気でやり過ごされて苛立つばかり。
むしろさっさと忘れて次に行け、そう琉奈に言いたくなってしまう程に。

懐から乱暴に煙草を取り出して火を付けていると、ふっと笑みが聞こえた。

「やたら彼女と私を繋げたがっているが、仮に私が手を出したら彼女はさらに汚れてしまうけど、それでもいいのかい?」
「……良くねぇな。琉奈はああいう性格だから色んな奴に必要とされてる。
俺が言う事じゃねぇけど、それなりに健全な道を生きて欲しいと思う。間違ってもお前なんかにはやれねぇ」

想像して嫌そうに顔を歪めた加賀に、名雲は満足そうに口角を上げた。
結局は名雲が何を考えているのかわからなかった……いや、わかってしまった部分もある。

だからもう話しても仕方ない、加賀は荒々しく煙を吐き出して歩き出す。
すれ違いざまに一度だけ立ち止まり、そして遠くを見つめながら目を細めた。

「だけどな……俺はあいつが一番望む生き方をすればいいとも思ってるぜ」

たとえ周りがどんなに非難しようとも悪評が立とうとも、自分は応援してやれる自信がある。
だが自分はどうしたってこの目の前の男が気に入らない。
少しは理解できたかもしれないが、それでもあの琉奈を左右させる事ができる人間だと思うと腹が立つ。
だから彼女が本当に望むならの話だが。


遠くなった足音を見送って、やれやれと肩を持ち上げた名雲は車に乗り込んだ。

「……愛か……何とも便利な言葉だ」

自身も煙草に火を付けて紫煙を思い切り吸い込んだ。
肺に有害物質が浸透していくのを感じながら、名雲はクッと笑った。

「これをそう呼ぶなら、随分と歪んだ愛もあったものだ」

その呟きは加賀の耳には入らなかった―――








「くそっ……あの野郎」

釈然としない苛立ちを思い出して加賀は悪態をつく。
そこからどんな会話がなされたのか、琉奈は容易に想像を膨らませた。

「どうせ嫌味の一つでも言いに来たんでしょうね」
「まあな……焚き付けてきやがった」

名雲の言葉もあり、琉奈がどういう気持ちでいるのだろうか確かめたくて来期の話題を振った。
だが彼女は自分の道を歩き出そうとしている、ならばもういいのだろう。

(それでいいんだろう?あのバカ野郎はよ)

互いがそれを選んだのなら、もう自分は何も言いはしない。

「だがあいつのおかげでわかった事がある。アスラーダに勝つ方法ってやつをな」
「……それは、どういう?」

勝つ方法、というかそれしか勝つ手段がない。
単純で簡単な事だが、そこに全身全霊を賭けなければならないのだと気付かされた。

「コーナーだ。そこじゃねぇとハヤトには勝てねぇ」
「確かにそうですけど……でも、ハヤトには」

リフティングターンがある、それは言わずとも周知の事実だった。

「それを抑えれば勝てるって事だ。だから、やってみるっきゃねぇ」

立ち上がって背中を向けた加賀の拳が、いつもより決意に満ちて握られている。
振り返って見せてくれた笑みは、久しぶりに強さをまとっていた。

「その為の凰呀なんだろ?あと一つぐらい持ち技見せてくれねぇとな」

何だか今日の加賀には不思議と安心が感じられた。
ああ、この人なら勝てるかもしれないと、そう思わせてくれるようなものが。

まだ負けてはいない、彼らは少しずつアスラーダに近づいているのだ。
琉奈ではわからないが、確かな信頼が生まれている気がした。

「……はい、きっと凰呀は応えてくれると思います」

そんな淡い期待を受けながら加賀は再びサーキットへと旅立った。
耳をつんざくような爆音を轟かせながら、紫の獣が走り出す。

残り少ないレースのうち、ついにやって来た第11戦。
そこで凰呀と加賀は進化を遂げるかもしれないと、
もしかしたら新たな奇跡が起こるのかもしれない、琉奈はそんな事を期待していたというのに。


――ずっと危ぶまれていた事が現実に起こってしまった。


「っ……、!!加賀さんっっっ!!!」


勝利を目前にマシンが砕けていく光景は、まさしく悪夢だった。











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忙しい回でした。
11戦の詳しい話はまた次回。