白い空間に現れたのは、はためくコートの漆黒の色彩。
はたから見れば普通の人かもしれないが、部屋で待っていた兄弟の目にはそう映らない。
笑顔の奥に隠された静かな瞳は、一般人ではとうてい出し得ない鋭さを秘めていたし、
ただの見舞い客というあつらえは部屋に入った瞬間に消え失せていたから。
思いの外早く到着した病室では兄弟が渋い顔をして。
奥には人形のような青白い少女が横たわっていた。
「……状況は?」
そう言った意味は敵の情報なのか、少女の容体なのか。
そのどちらでもあり、どちらでもなかった。
敵の新たな情報などたかが知れていたし、少女の様子など見ればわかる。
だけど湧き上がる不快感を抑える為に言葉を口にせずにはいられなかった。
この部屋で今一番見たかった翡翠はその重い瞼に封印されていた。
もう見ることはないと思っていた草原の色。
少女も焦がれた、エメラルドの瞳。
20th
「そのフェリアの兄の親友がキメラ達をまとめている、と?」
特等席であるベッドの横の椅子を陣取り、ロイは眉を潜めた。
その隣でエドは悪いループに取り付かれた思考を晴らそうと、体だけでも冗談っぽく肩を持ち上げる。
「たぶんな。頭を倒せば余計な雑魚は動けなくなると思う」
「だが、その男が軍でも末端の存在なら問題の根本的解決にはならないな」
「だからどうしようもねぇって言ってんじゃん……何か調べてねぇの?」
「調べた、だがハルヴァード兄妹に関する書類で死亡報告書以外は何も残っていなかった」
「……余計怪しいじゃん」
怪しい、だけど兄妹が軍に陥れられたという事実が存在しない以上身動きはとれない。
思い切ってフェリア自身で真実を公表する事もできるけどそんな危険にさらせたくはないし、
何よりフェリアはそれを望まないだろう。
「その兄の親友だったという男の名は?」
「……聞いてねぇ。かといって無理に聞き出す事もできねぇし……」
「……厄介だな」
……応援が来たところで、結局何1つ解決できていない。
同じ事を思いながら3人は暗い表情でベッドで眠る少女を見つめた。
顔以外で唯一空気に晒されている青い腕は、包帯に巻かれさらに柔らかいベッドに沈み、
力ない手のひらは何かを仰ぐように上を向いていた。
「……軍の末端だとか根本的解決にならないとか、もうどうでもいいんだよ」
沈黙を破ったのは金の瞳の少年だった。
いや……苦しそうに少女を見下ろす顔は既に少年と呼べるような代物ではなかった。
鋭く、そして慈しむような眼差しは、一人前の、戦う男。
「あの男だけは許せねぇ……絶対に……!」
拳を握りしめたエドに続いてアルも「……僕も許せない」と低く呟いた。
鎧であって決して表情などわかるはずもないのに、金の髪の少年が決意を込めて頷く様が垣間見えた。
「鋼の……少々荒っぽいやり方だが、やるか?」
手を口に添えて思考を巡らしていたロイが顔を上げた。
暗い表情とは違って、こちらも何か決意したような漆黒の瞳をしていた。
「当たり前だろ、その為にあんたを呼んだんだから」
間髪入れずエドはそう答えた。
「では状況だが……今の所音沙汰はないが、おそらく既に病院の周りは敵に囲まれているだろう。
ここにフェリアがいる事ぐらいすぐ調べられる」
ロイは現在の状況をスラスラと口にする。
「奴等も仮にも軍だろうからな、余計な騒ぎは避けて君達が出てくるのを待つつもりかもしれん。
だが、病院内に既に潜入している可能性もある。……さあどうする?」
エドとアルはその情報から最善の策を導きだそうと頭を悩ます。
「俺らは別にいいんだけど……問題はフェリアだな」
「うん……フェリアの安全が最優先だね」
どうフェリアを守りながら敵と戦うか、それが一番の課題であり難題だった。
少女はまだ目を覚まさない。
その上病院から連れ出せるような容態じゃない。
「フェリアがいても安全な所……なんて軍が絡んでたらどこにもないよね」
アルがポツリを呟くとエドは苦しそうに俯いた。
「……何でフェリアを外に出したんだよ。俺らといなかったら見つかる事もなかっただろうに……」
その台詞に、ロイは片眉をつり上げた。
「ならば私の傍にずっと置いておくか?一生、片時も離れず」
「………!」
自分が言ったセリフも忘れてエドはその場に凍り付いた。
それを面白そうに見てロイはさらに続ける。
「これ以上安全な場所はないぞ?常に私の傍にいて、誰の目にも触れられない」
驚きの後は次第に眉間に皺を寄せていくエド。
文句があると言いたげに強い金の瞳が見上げてくる。
……兄さん……やっぱりフェリアの事……
兄の周囲に溢れる不快オーラを嬉しく思ったのは後ろでやり取りを見ていた弟。
フェリアが大事なクセして、その事を妹のような存在だからと言った兄からは考えられないような威嚇の目。
それは、つまり……大佐に取られたくないという嫉妬。
気付いていないだけで、兄はしっかりフェリアを好きでいる。
大佐にも兄にも悪いけど、等身大カップルって感じで結構いいと思った。
そんなアルの心中とは裏腹に微かに流れた緊張感を、大佐はフッと冗談っぽく笑って拭った。
「……嫌か?ならば道を作れ、フェリアが怯える事ないような世界を」
真剣な瞳の奥に、どこか儚さを覚えたのはアルだけではなかった。
鈍感なエドも感じたのは、ふとした時に点在する違和感。
だけどそれが何なのかは今の段階では知るよしもなかった。
「ではあまりにも無謀な作戦を伝える。お前達2人で病院の周りの雑魚を片付けろ」
「でもそんなことしたらフェリアが……!」
「私がいるだろう?今なら幸い誰にも見つかっていないからな、敵もフェリアが1人でいると考える」
不安そうなアルとは反対にロイは冷静に話し続ける。
先程とは違う緊張が部屋に漂い始める。
戦いの前のどこかピリピリしたものと言った方が正しいかもしれない。
「フェリアの兄の親友というのは一筋縄ではいかない。
だが話を聞く限りでは、フェリアを殺すのは自分でという意思が強いように思う」
「…………」
激しい形相で血まみれの手を何度も叩いていたフェリア。
青白い稲妻に命が吸い取られて、そして弾ける紅の涙。
そんなビジョンを思い出してしまい、エドは眉をしかめた。
「……確かではない情報と推測ばかりの作戦で、上手くいくか?」
「兄の親友という男なら確実にやってくるだろう、フェリアが1人でもそうでなくてもこの部屋に。
それ以外は……そうだな、確かな事などなにもない」
しれっと受け答えするロイ。
「大佐1人で相手にするのか?」
「難しいな。だから2人で雑魚を相手にしろと言っている。さっさと倒してさっさとフェリアを助けに来い」
「…………」
「…………」
何とも無謀すぎる、作戦とも呼べない作戦。
「やるか?」
敵が他の事を考えていたら、他に何か戦力があったとしたら。
軍とか体裁とか何もかも捨てて全力で病院に攻めてきたとしたら。
そんな危険性はいくらでもある。
だけどこれが一番手っ取り早く、フェリアが助けられる方法。
もっと最善の策があるかもしれない、だけどそんな時間はもうなかった。
金の髪の兄弟は、ゆっくりと顔を上げた。
「当たり前だ」
「フェリアが守れるやり方なら、なんだってやります」
「だから……フェリアを頼みます」
「…………フェリアを頼む」
愛しき少女を、これ以上苦しませない為に。
「…………大佐」
「目が覚めたか?」
「……起きてた……ずっと……」
「……そうか」
だけど翡翠の瞳は天井を仰いだままだった。
ここで策を練っている間も起きていたというフェリア。
ならばこの戦いがどれだけ危険かわかっているだろうに、あえて寝たふりをしていたという事になる。
驚きも狼狽もせず、気付かれる事なくただひたすら虚空を見据えて。
「……殺して……私を殺して、大佐……」
やっと自分を見たかと思えば、はっきりと呟いたその言葉。
「……何を言い出す」
フェリアを拾った当初、何度も聞いたその台詞。
泣き喚いて、うわごとのように連呼して、また暴れて。
ティーカップや花瓶を叩き割って、その破片で必死に自害しようとさえしていた。
青白く痩せた頬、ベッドにしなだれる金の髪。
「私がいるから、エドが死ぬの……私がいるからエドが危険になってる……」
だけど唯一違うのは、翡翠の瞳だけは一点の曇りもないという事。
死だけを望んでいた頃とは全く違うフェリアの色。
殺してしまった兄の為に、贖罪で命を否定した少女が。
鋼のの為なら、命も惜しまない……そういう事か。
それはひとえに……
「……殺して……」
翡翠の瞳は微笑んでいた。
……これ以上エドとアルが傷つく事なんてない。
敢えて危険を冒しに行く必要なんてない。
どれだけそう伝えてもエドはただ笑って済ませてしまう。
私さえいなくなればこの話は全て終わるのに。
敵に追われる事も、敵と戦う事もなくなるのに。
―――「フェリアちゃんが彼を殺すんだよ」―――
その通りだ……私が、エドを殺してしまう。
私がみんなを巻き込んでいる。
そんなの嫌だ。
傷ついてほしくない、無茶してほしくない。
そんな事してまで守ってほしくなんかない、そんな優しさはいらない。
エドが苦しまなくてもいい方法。
エドが戦わなくてもいい方法。
エドが怪我しなくてもいい方法。
エドが死ななくてもいい方法。
……それは、私が死ねばいいんだ……
簡単すぎた答えに笑いが込み上がる。
「……大佐、殺し―――」
続きが言えなかった。
大佐の顔が目の前にあって、唇が私の口を塞いでいたから。
「……よかったなフェリア」
唇を離してロイは優しく微笑んだ。
「お前も、人を愛せるようになったんだな」
「え………?」
「……鋼のの所に送って正解だったな」
フェリアは現状がよくわからないまま頬を赤く染めて見上げた。
だけど漆黒の軍人はそれ以上笑顔を崩す事はなかった。
大佐がくれたキス……それに特別な想いが含まれている事ぐらいわかってる。
それなのに大佐は、私が誰かを愛していると……
「……私が、人を愛している……?」
「そうだ」
初めて触れた他人の唇は柔らかくて、不思議な感触で。
大佐の鍛え上げられた体の一部とはとても信じられなくて。
大佐を見ていてもそればっかりが頭を占めて、
ついには口元しか見つめていない事に気がついたから、反らすように天井を見上げた。
ふと頭をよぎったのは、太陽のような人。
少し怒ったように拗ねていた金色の輝き。
「……大佐、愛するって何……?前にエドにも聞かれたの、『大佐が好きか』って……」
「それで何て答えたんだ?」
「……みんな好きって……」
そう言うとロイがふっと含み笑いをするのを見てフェリアは不思議そうに首を傾げた。
「……そうだな。お前は確かに私も鋼のもアルフォンスも好きなんだろう。だが……お前が愛しているのはただ1人だ」
「………誰?」
「わからないか?」
「だって……急に愛とか言われても……わかんない」
さっきまでその『たった1人』の為に死のうとしていたのに、全く気付く素振りがない。
気付かせるのは癪だが、それを教えてやれるのは今しかないかもしれない。
自覚すれば、少女はここを飛び出して風となるだろう。
そしてもう俺の所には戻ってこない。
……だが、俺はそんなお前が見たくて籠から出してやったんだ。
「そういうのは人それぞれだが……命を捨ててまで人を守ろうとするのも、愛と呼ぶだろう」
「………!」
……私は、誰の為に死のうとしていた?
……私は、誰が傷つくのが一番嫌だった?
「…………エド………」
その名を口にすると、不思議と胸が温かくなるような気がしてた。
「愛してるとかよくわからない……だけど、誰よりも……エドに死んでほしくないって思う」
彼の近くでその太陽の光を浴びるたびに、何かが洗われていく気がしてた。
傍にいてほしい、そんな気さえしてくる。
ついに届かなかった日光より、ずっと眩しくて近いその存在に。
「…………だから、殺して……っ」
エドが好きだから、もう余計な血を流してほしくはない。
「私がいなくなればエドは傷つかなくてもいい……」
思わずベッドから起きあがるフェリアを抑えるようにしてロイは首を横に振った。
「もう遅い、彼らは首を突っ込んでしまった。
たとえ今フェリアが死んだとしても、秘密を知った鋼の達は逃がさないだろうな」
「じゃあどうすれば……!」
次第に目頭に溜まる雫、それをロイは指でなぞってやった。
「……鋼のを守る為に……死ぬこと以外でお前は何ができる。もうすでに戦いは始まっているだろう……さあどうする?」
……死ぬ以外で、エドを守る方法……
エドはもう危険に晒されている。
敵に囲まれ、思うように錬金術が使えていないかもしれない。
私が、こんな所で1人泣いている間に、エドの体にまた1つ怪我が増える。
私には何ができるの……私には何があるの……?
エドが1つでも多くの傷を作らないようにするには、私はどうしたらいい……?
「…………戦う」
……そうだ、戦うしかないんだ。
「エドは私が傷つくのは嫌だって言った。だけど私は……エドとアルが生きてくれたらそれでいい」
その為の力が私にはある。
「たとえ私が死んだとしても……」
「……兄を殺した錬金術を使ってか?」
「…………っ!」
ロイは渋い顔でフェリアを見つめた。
あえて禁断のフレーズを口にすると、フェリアの瞳は微かに揺れた。
だけどそれを……焔のようだと感じた。
「……お兄ちゃんは、守るものがあるならどんな事をしても守れって言った……」
―――「フェリアが俺の妹で、俺と同じ錬金術師で……それだけで俺は誇りに思っていたよ」―――
―――「……それでも、フェリアはお兄ちゃんを越えて……生きなさい……」―――
―――「死に方なんて関係ない……生き方が大事なんだ……」―――
夢の中のお兄ちゃんが言っていた……だけど現実だとしてもお兄ちゃんはそう言うのだと思う。
いつまでも兄を殺したと言っていたら、私は何もできないまま。
大事な人さえ守れなくなってしまう。
私の錬金術……それは、兄のようになりたかったから覚えた。
そして兄は……私を守って死んだ。
最初から最後まで、兄は自分の意思を貫き通して……
……私も、兄と同じ錬金術師になれて誇りに思っているから。
自信を持って使わなくちゃ『お兄ちゃんの錬金術』のようにはなれないね。
ごめんなさい、兄を殺した錬金術だけど……大事な人を守るのにどうしても必要なの。
私は私の意思を貫きたい、兄のようになりたいから。
生きる為に、守る為に……私は錬金術を使いたい。
……どうして、死ぬことよりも簡単な事がずっとでてこなかったんだろう。
フェレスさんの言葉より……兄の言葉を信じなくてはいけなかったんだ。
「だから私は、エドを守る為なら、あいつらを倒す為なら、お兄ちゃんを殺した血の錬金術さえも使う……!」
そうしてフェリアは自身の腕に繋がっていた管を取り外してベッドから起きあがった。
地に足をつけると一瞬視界がボヤけて倒れそうになったけど、大佐がそれを受け止めてくれた。
「お前はとっくに兄を越えている……もう振り向くな」
血まみれの錬金術師の瞳に生が宿っている。
過去を振り切ってこそ、本当の意味で過去を背負う事ができる。
「……行くといい……そして、生きてこい」
そう言った大佐はどこか悲しそうだった。
何となくその意味を理解したけど、それは言ってはいけないのだと思った。
「……大佐……私を拾ってくれてありがとう……私、少しでも誰かの役に立てるのが嬉しいの」
精一杯の笑顔でそう伝えると、大佐は私を引き寄せて抱きしめた。
ボロボロの体が潰れそうなくらい、だけどとても優しい力で。
そして2度目の唇。
今度は熱い舌が入り込んで来ては私を掻き乱す。
大佐は自分の事はほとんど言わないけど、こうやって直接何かが伝わってくる。
本当は、大佐も私に戦わせたくないんだ。
だけど私の意思を尊重して何も言わずにいてくれるんだ。
「餞別だ」
代わりに、溶けるような気持ちをくれる。
私がもう大佐の所には戻ってこないかもしれないから。
「……ごめんなさい大佐……私、エドの所に行ってくる」
「ああ……それと、これを持っていけ」
「……銃……?」
手のひらにはズッシリと重い、鈍色の火器。
「錬金術だけが戦う術じゃない、充分に生きろ」
「……ありがとう、大佐」
貴方は……ずっと遠回しに私を守ってくれてたんだね。
ありがとう……そして、さようなら。
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大佐が不憫な役回りになってます、ヒロインが大分立ち直りました。
ここから、最後の戦いになっていくのでそれまでのみんなの気持ち確認って感じです。