深夜の病室に、足音のない気配が近づいてくる。
遠くからでも感じるのは狂気に満ちた殺意。
人間が発せられる類のものじゃない……もっと動物的な、荒々しい気。

かつての、兄の親友。


静かに、目的の病室のドアが開かれた―――



「―――待っていたぞ」

明らかに女の声ではないそれに、フェレスは歪んだ顔を不機嫌なものに変化させた。
やられた、フェリアがいない。
そしてあの男は確か……東部の……

「!!!」

気付いた時には遅かった。

フェリアのいた病室は、跡形もなく爆破された。






21th






「……はぁ……っ……はぁっ……!」

大佐に言われた通り、道ではなく森の中を走る。
何度も足を取られ、そのたびに力なく倒れてしまう。

頭がフラフラする、気持ちが悪い。
一歩一歩踏み出すだけで吐き気が止まらない。


血が……もう残り少ないんだ……


「っ……エ、ド……っ!」


私に光を与えてくれた人。

貴方の傍にずっといられればいいんだけど、そんな事は望まない。
私の手は罪に濡れているから。

だけど。
貴方だけは守る。


……エドが、好きだから。


「……そ、っか……これが……『好き』ってこと、なんだ……」


残りの血……全部貴方にあげるから……

貴方は……生きて……


「……あっ!」

何かにつまずいて大きく転んでしまう。
膝に手をつくと、夜の闇にさえも青白く映る自分の肌があった。

「……はぁっ……転んで、ばっかりだね……私って……」


でも大丈夫、あの時とは違う。
大丈夫、もう見失ったりしない。


「大丈夫だよ……お兄ちゃん……」


たった一つの大事なもの……もう見つけたから。
私は……お兄ちゃんのように……なれると思うから。

見ててね、お兄ちゃん。











フェリア!?」

物音がしたかと思ったら、それは病院で寝ているはずの少女だった。
エドは既に動かない物体と化しているキメラ達の間を縫って、フェリアを抱き上げる。

「何で来たんだよフェリア!大佐は!?」
「……大佐は……『まだやることがあるから』って……」

倒れかかった青白い体を、エドはしゃがみ込むように支える。
それを見てアルも思わず走り寄りそうになったが、キメラ達の生き残りがいないかを見張る事に何とか徹していた。

「っていうかお前フラフラじゃねぇかよ……!」

エドは赤いコートをフェリアに巻き付けて、その上から強く抱きしめた。
息を荒くさせながらもフェリアは金の瞳を見上げて微笑んだ。

「あはは……温かいね、エドは……」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ!何で無理して来たんだよ!!」
「……何でだろうね……エドに、『好き』って言いたかったからかも……」
「なっ……!」

一瞬赤面するエドだったが、否定するように慌てて首を横に振った。

「そ、それは前にも聞いたじゃねぇか!俺もアルも大佐もみんな好きなんだろ!?」
「……違うよ」
「…………っ!!」

今度こそエドは固まった。
フェリアがエドの首に両腕を回して、弱々しい腕ながらもキュッとしがみついてきたからだ。

「みんな好きだけど……エドだけは特別なの。私をあげられるのは、エドだけ……」

そしてフェリアは申し訳なさそうにアルにも笑いかけた。

「……ごめんね、アル」
「いいんだ、フェリアは最初から兄さんだけ特別だったもんね」

アルは心から祝福するように笑った。
鎧だからわからないはずなのに、確かに笑っていると思ったんだ。

「…………フェリア


ようやくエドが口を開いた。
愛しむようにフェリアの金の髪に指を通して、撫でる。


「俺だって、お前だけだ……妹なんかじゃない、1人の女として、大佐にもアルにも取られたくねぇ」


妹の訳がない。
大佐がフェリアを守ると聞いて、それが最良だと思いながらも嫉妬していた自分。
一瞬でも、危なくてもいいから傍に置いておきたいと思ってしまった気持ち。

……本当は最初から気付いていたのに。


「……大丈夫だよ、もう決めたから。私は、エドだけだから……」
フェリア、好きだ………お前の、その笑顔も、涙も、全部……」

ボロボロの少女が壊れないように、エドは柔らかく、だけど力強く抱きしめた。
その腕の中で、フェリアは心から幸せに満ちていた。


……エドとアルがフェリアの言葉の本当の意味を知るのは、全てが終わった後の事―――











「話は済んだかい?」

ガサっと草むらから現れたのは病院で引き留められていたはずのフェレス。
しかし、いつものようなニヤけた顔ではなく不機嫌に眉を潜めてはいたが。

「……大佐はどうした?」

大佐がこいつを引き留めている間に、雑魚を片付けて病院に行く作戦だったのに。
少しずつ、フェレスの口角が気持ち悪く引き上げられていく。

……まさか、そんなはずはない。


「大佐はどうしたんだよ!!」
「……さすがの僕も焦ったよ、焔の大佐殿がどうなったのかもわからず仕舞だし」

フェレスはそう言うとボロボロになった服を見せびらかした。
布きれと化したそれとは対照的に、体は一切の傷も見られないとはどういう事か。

「……っ!」
「だ、大丈夫だよ兄さん、あの大佐がやられるはずないよ……」
「……あぁ、そうでなきゃ困る」

アルは俺が大佐の生死について怒っているのだと思ったんだろう。
……違う、俺は目の前の男が『焦った』と言いながらも、全くの無傷な事の方が頭を占めていた。

数日前、フェリアが発動させた爆発に巻き込まれたはずなのに、その形跡もない。
エドはフェリアを木の陰に寝かし、立ち上がりながらフェレスを睨んだ。

「あんたも、キメラなんだろ?」
「え……っ?」

隣でアルが驚き、フェレスは獣のように尖った牙を剥き出して笑った。

「しかも、ここにいたキメラ達よりももっと強力に合成されて」
「あ~あバレちゃった、これ一応企業秘密ってやつなんだけどね」

隠そうともせず無傷の腕で布を振り回した。

「という訳で死んでもらうよ」
「はぁ!?最初から俺らを消す気だったん―――!」

エドの言葉がそこで詰まった。

ニヤリと笑ったかと思うと、フェレスから放たれる殺気が異常に増していく。
ミシッ、バキッ、という音と共に、フェレスの体が変化する。
頭からは角が伸び、腕と足と爪は熊のように太く鋭く、全長までもが見上げるほどに大きくなり。
今までのやつとはケタ違い……それは理解できるが、何体合成されているのか見当もつかない。

ただ恐ろしく威圧的で、熊が豹のような速さで獲物を狩れそうだと、本能で感じ取った。
そして何より、フェレスの背からは大鷲のような翼が生えていた。

「……あ……ぁ……!」

フェリアはその禍々しい殺気に全身を震わせる。

フェリア、お前はそこを動くなよ!何もするな!!」
「何があっても出てきちゃいけないからね!?」

エドとアルに制されるまでもなく体は動かなかったが、フェリアは素直に頷いた。
翡翠の瞳が大きく見開かれ、在りし日の記憶が蘇る。


お兄ちゃんは……あんな奴と友達だったなんて……
……親友だと思っていたお兄ちゃんが……可哀想だ……っ


「別にすぐに殺したりはしない、放っておいてもいずれ死ぬだろうからな」
「…………っ!」
「その前にテメェを殺す!」


声までも野太くなったフェレスの言葉がきっかけで、エドとアルは駆け出していった。






どれだけ時間が経ったのかわからない。
薄れそうになる視界の中で、延々と続く立ち回りの音。

次第に目に見えてわかるエドの疲労。
全身の至る所に赤い傷が生まれ、そこから苦しみの涙が流れる。

痛みに顔をしかめる、黄金の瞳。
太陽みたいだと思った輝く髪と瞳が……曇っていく。


イヤだ……このままじゃ、エドが……っ


フェレスが空を飛ぶせいで、エドとアルは思うように攻撃ができない。
錬金術を使ってその差を埋めようとしても、フェレスは簡単にやられない。
万一傷がつけられたとしても、その驚異的な回復力によりすぐに傷は塞がる。

このままじゃダメだ、回復力を上回る程の傷を与えないと。
その為には、フェレスを地上に降ろさないといけない。

翼が邪魔なんだ、あの翼と足さえなくせば後はエドとアルが何とかしてくれる。


「……はぁっ……ぅ……っ」


眩暈がする……気持ちが悪い………でも、やらないと。


大佐にもらった銃を取り出して、弾倉を外して弾を確認する。
7発……でもこんな弾の傷なんて、あいつならすぐ回復させてしまう。
もっと、翼を吹き飛ばせたなら、恐らく回復するのにも時間がかかるだろう。

そう、吹き飛ばせたなら……


――お前はそこを動くなよ!何もするな!!――


「ご、めんねエド……はぁっ……でも、もう決めたんだ………っ」


弾を全て取り出して、一番奥にある弾に石で傷をつける。
私が、兄から学んで作った、私の錬成陣。
ちょうど今夜は綺麗な満月……きっとたくさん月光が集まる。


――月はね、太陽の光を反射しているんだ。だから月光も実は日光と同じなんだよ――

……月光は日光……力を貸してね、お兄ちゃん。


カシャン……という音を立てて、小さな武器はいつでも撃てる準備が整った。


木に寄りかかるようにして立ち上がると全身が震えた……寒い。
エドがかけてくれたコート……エドの匂いがする……

……温かい……何もかもが温かい。
頬を伝う涙さえも熱くて。

好きだよ、エド……もう、これで、幸せなんだ。


……愛してるよ……だから……



私をあげる―――











ザシュッ……


「ぅ……こ、の野郎!!」
「兄さん!!」

生身の腕、左の掌から赤い血が流れる。
それとは反対に傷一つない頭上のフェレス。
すでに人間のものではない体でも表情は変わらず冷酷に歪む。

「アル、もう一回俺を上に飛ばせ!」
「う、うんわかった!」

アルが地上に書いた錬成陣を発動させると、塔のように空に伸びていく土。
それに乗り勢いをつけてフェレスよりも頭上に跳び上がるエド。
またか、といった感じで避ける準備をしていたフェレスだったが、急に背後に気配を感じた。

「!!」

避けきれずにフェレスの腕からは血が溢れた。
そしてフェレスと同じように地上に落ちた物体は、エドではなくエドに似せた丸太だった。

「……少しは頭を使うな」
「へっ!変わり身の術だ!!」

……兄さん、それはちょっと違うと思うよ……
そう思っていたアルだったが、とりあえず突っ込まない事にした。
そして間髪入れずにフェレスに錬金術を放つ。

だけどフェレスはそれをことごとく避けながら、傷を回復させていく。
そして一瞬という速さでエドの目の前に現れる。

「!!!」
「悪いがフットワークも軽い方でね」
「……ぐ……ぁあっ!」
「兄さん!!!」

片手で軽々とエドの首を持ち上げ、もう片方の爪が機械鎧の腕に食い込んでいく。
ミシッという嫌な音を上げて鋼の腕が変形していく。

錬金術を使ってもエドに当たるかもしれないと判断したアルが突進して行っても、
牙のような爪の生える太い足でなぎ倒され、遠くで木々が崩れていく。

「ァ………アル……っ!!」
「……お前も一緒だな、シオンやフェリアと。自分よりも他人の事ばかり心配する」
「あ……たり前だろ……っ!!お前も……元はにんげ、ん……だろっ!」

首を絞められながらもエドは声を振り絞る。

「さあな、もう覚えていない。この体だって何体合成されているのかわからないぐらいだ、人間の部分など残っていない」
「な、ら……なんで、あいつらと一緒にいたんだよ……っ!」
「……何故だろうな、あの兄妹は馬鹿すぎて面白かったんだろう」
「違うっ!!お前は……た、のしかったんだろっ!?フェリアの兄と、フェリアと一緒にいて……っ!!」
「……………」
「少しでも人間の心が……ぐぁ……あぁっっ!!!」
「……喋りすぎたようだな、さっさと死ね」

一瞬力が弱まったが、不快を露わにしたフェレスは手に力を入れた。
爪が首に食い込み、血がにじむ。



パァン…………ッ



フェレスの足に一発の銃創が生まれる。
一瞬何が起こったか分からなかったエドも目を凝らすと、震えながら銃を構えているフェリアがいた。

「はぁっ……エ、ド……っ!!」

顔面蒼白で冷汗まで流れているのがこんなに遠くからでもわかる。
ダメだ、ダメだフェリア!今出てきたら……!!


フェレスは興味をなくしたかのようにエドを投げ捨て、代わりに遠くの少女を睨み付けた。
このチビに変な事を言われたからであろうか、あの少女が、憎くてたまらない。
かつて親友だとほざいた奴と同じ、金の髪と翡翠の瞳……どうしてこんなに体がざわつく?


「……そんなに先に死にたいか、月光の娘……ならば殺してやろう!」


あいつと同じく、何かを乱していく女……今すぐ殺してやる!!


「ゴホッ……っ、フェリア……!!!」

エドはフェレスが飛びかかっていくのと同時に駆け出した。

走らなくてはいけないと思った。
どうしてかはわからない、だけど……嫌な予感がしたから。

次々と発射されていく弾、それは全てフェレスの足に命中するがびくともしない。
フェレスは翼を広げ、まっすぐにフェリアに飛んでいた。

フェリア……!!!!」


怖いんだ。
フェリアがフェレスにやられるかもしれないのが怖かった。

だけどそれ以上に、こんな状況でありながらも笑っているフェリアが……怖かった。


そしてまた一発、二発、三発……


「やめろフェリア!!!!」

とっさに生身の腕をフェリアに伸ばした。



パァン…………ッ



銃口から最後に放たれた弾。

どこか、淡く光っているのは気のせいか。
そしてその弾は足ではなく、右の翼に向かっていた。

「っっ!!!!」



バシュッッッ…………!!!!


……突然、前を飛んでいたフェレスの翼がはじけ、勢いで体ごと後ろに吹き飛んだ。

スローモーションのようにゆっくり流れていくその姿を横目で見ながら、だけどエドはひたすらフェリアに向かって走った。


走らなければならなかった。
だってあの光は錬成反応だったから。

だってフェリアは、笑っていたのだから……


光に満ちた笑顔で、唇が声にならない言葉を紡ぐ。


「あ り が と う」と……



フェリアーーーーー!!!!!」



エドの左手がフェリアの肩に届いた瞬間、突然襲う脱力感と共に……






フェリアの背に現れる、血の翼














Back Top Next



次で最後です。