「まさか綾葉が浅井家に仕えていたなんて…」

既に落ち着きを取り戻しつつある城内で、ねねがポツリと呟いたのを三成は聞いた。

「今回の戦は辛かったでしょうね。それだけじゃなくて、
この軍にいて近江の地を踏みしめている事自体、綾葉にとっては屈辱的な事だったと思うのに」
「………………」


数年前まで秀吉様が居住していた長浜城は、浅井家を滅ぼした後に建てられた城だ。
近江という地は綾葉にとっては故郷であり、そして辛い記憶が眠る地でもあるのだと、おねね様は言う。


「あれから綾葉の様子はどう?」

女性であるという事もあるだろうが、おねね様は人一倍配下の事を心配なさる。
こうして、夫の配下のさらに配下である綾葉すらも気にかける。

「至って普通です。何事もなかったかのように振る舞っています」
「……それは余計に無理してるわね……」

戦から数日は経ったが、綾葉が心身に支障をきたしているようには見えない。
それでなくても、あれは戦の前からもほとんど表情が変わっていない。

あの時、俺の背後で遠くを見ていた事だけが唯一の変化だったが。

「三成、これからはちゃんと支えてあげるのよ?」
「仕事に害が及ぶものではないからよろしいのではないですか?」
「…………本当に、そう思ってるの?」
「……………………」

それは本当に思っている。
仕事に差し支えなければ、どのような心身であろうが構わぬと。


………だが、それではすっきりしないのは確か。
この数日自分も含めて綾葉を観察してきたが、この引っかかりが消えたようには感じなかった。


「………………ですが………私では、あれは心を開きません」
「そんな事はないでしょ?そうでなかったら綾葉は、三成じゃなくてかつての主を選んでいたはずよ?」
「知りません。内面はどうであれ今は私の配下なのですから、あれがとった判断は妥当だと思いますが」
「……………三成……」


失言をしたと、自分でも後悔した。

確かにそう思っている。
だが、それだけではこの俺にまで影響している心の気持ち悪さは解決しそうにないとも、わかっている。


「…………私の言葉は人を不快にさせることしかできません」

少なくとも言葉で人を喜ばせた事など皆無だった。

「言葉じゃなくていいの。何でもいいから、あの子が喜びそうな事をしてあげて?」
「…………善処します」


言葉でないなら、何をしろと言うのだ?






16・言霊






「あ、三成様……ちょうどそちらに伺おうと思ってたんです」
「……………」

相変わらず、出会った頃とそうも変わらない笑顔。
綾葉が俺に対して使う、いわば仕事用の顔だと最近気付いた。

「戦後の補給報告書をまとめましたのでご覧になって下さい」


人形のようだと思った。


「すぐにお茶をお持ちします」


……あの時、お市様に向けていた言動はこれとは正反対だった。

敵同士という事も忘れ、涙を流し、そして追い付くはずもない馬を叫びながら追いかけていた。
ロクに事態も判断できない我が儘な子供のようだと思った。

普段の綾葉ならそのような誤った判断などするはずがない。
だが、自分が思っている「普段」の認識が間違っていて、もしあれが…………本当の表情だとしたら。

ただ隠していただけで、あのような激しい感情を持っているのだとしたら。


それは、無性に裏切られた気分に駆られる。


「…………三成様?」
「……………俺は……お前の事を何も知らない」


あれを垣間見てしまったからには、今のお前が嘘のようにしか見えない。


「何が好きで、何が嫌いで……何を考えているのかも、俺にはわからない」


おねね様がわからないのだから、俺では更に理解できるはずもない。
だがそれは、主として腹立たしいと感じる。


「……俺では……不足か?」


何故、そのような顔をしている。
何故、そんなに悲しい。
何故、それを誰にも打ち明けようとしない。

人の気持ちが理解できない自分に、苛々する。
そしてそれらを全て隠し、偽りの顔で俺に忠義を払うお前に、苛々する。


「………ご命令とあらば、何でもお答えいたします」
「っ!そういう事を言っているのではない!!」

カッと頭に血が上ったまま叫ぶと綾葉を残して部屋に戻った。


……今思えば、何故自分はあのような事を口走ったのかわからない。
冷静に考えれば、配下として主に忠誠であるという至極当然の返答であったとも思う。

だが自分でそう納得しているのに怒りは一向に治まらないのは……何故だ?
焦燥と失望と………そして同時に拒絶された気分だった。











…………あの三成様が、声を荒げていた。
冷静沈着で感情に左右されないあの三成様が、私に怒りをぶつけた。

「………………謝ら、ないと……」

だけど足は石のようになって動かず、両手で握りしめた書類は震えで破けてしまいそう。

あんな風に怒らせるつもりはなかった。
ただ、戦で醜態を晒してしまった自分が恥ずかしくて、
それを何とか払拭させようと思って仕事に取り組んでいただけだ。

戦では子供のように泣きじゃくり、さらに敵であるお市様に走っていった私を見て三成様はどう思われたのだろう。
それだけが不安で、失望されたくなくて暗い気持ちを悟られないようにしてた。

おねね様が頻繁に私の様子を見に来てくれている事も知っている。
辛かったねと、私を責めようとしない優しい言葉。

だけど私は、お市様を取るか、三成様を取るか、一瞬でも迷ってしまった。
選択した後に後悔して未練がましく追いかけもした。

私は確かに三成様の為に生きて死のうと誓ったはずなのに。
そして……過去に私は、お市様を守ろうと確かに誓ったはずなのに。


「(所詮………私の誓いなど……本気の誓いじゃなかった……)」

綾葉は渡せなかった書類をどうしようか悩み、近くにあった縁側の柱に体重を預けた。

「(でももう………三成様しかいない……)」

過去に誓いを立てた2人はもう既にいない。
ならば、後はもう三成様しかいない。

……………だけど今、そのように一瞬でも消去法で考えた自分が腹立たしい。

「(お市様………私は、良い子なんかじゃありません……)」


都合の良い方に転がろうとする浅はかな自分が、嫌いだ。


「……でも…………謝らないと……」

お優しい三成様を怒らせてしまったのは事実なのだから。

相変わらず、三成様もおねね様も優しい。
だって敵に走った事ではなく……この辛い感情を晒け出せなかった事を咎めているんだ。

「大丈夫?」と何度も聞いてきたおねね様。
そして、私の心配をしてくれとおねね様に頼んだ三成様。
…………「俺では不足か?」と………自ら私の身を案じてくれた、三成様………


「私は………幸せ者だ……」


あの方達がいたから、私はお市様を選べなかった。


――「信頼できる人がいるならば、その心を開きなさい。
貴女は甘える事を知らない………もっと、その顔で、その口で、気持ちを伝えなさい」――


不器用なのは………自分だ………


「……………謝らないと………私の、主に……」

私に怒ってくれた、不器用で優しい主に…………



綾葉はおもむろに姿勢を正すと三成の部屋へと向かった。

足取りは一歩一歩重く、こんなにも主の元へ行く事に緊張した事などなかった。
今まで数え切れないほど主を変えてきたけれど、そのどれも上手く立ち回ってきたと思う。
不興を買った事もなかったし、それよりか自分の信ずるものと違うと思えばさっさと見切りを付けて去った事もあった。

こんなにも自分が動揺して、主に嫌われたくないと思ったのは初めてだった。

「…………失礼します三成様……綾葉です……」

襖ごしに話し掛けても返事はない。
自分と主を隔てる冷たい壁、既に不安と恐怖で鼓動は限界まで速く打ち付けていた。


捨てないで……私にはもう三成様しかいない。


「あ、あの……三成様………すみませんでした………」

襖が仕切られたままで綾葉は謝罪を述べる。

「三成様の気持ちを考えず、失礼な事を―――」



急に目の前の襖が開けられ、頭上からは冷たい目の主が見下ろしていた。

「み、三成様……」

蔑むような視線に刺され身動きが取れずにいると、
三成は綾葉を無視して乱暴な足取りで部屋から出ていった。

「あの……申し訳ありませんでした……!」

必死に追いかけながら謝っても主は全く振り返らない。

「命令であるなら何でもいたします!でも、そういうつもりで言った訳ではないんです……!」

数十歩進んだ廊下で三成の背中がピタッと止まった。

「俺は、お前の事が信用できぬ」

綾葉の肩がビクッと震え上がった。
あまりにも冷たい声で、ようやく振り返った端整な顔は完全に綾葉を拒絶していた。

「お前のその人形のような目を見ると虫酸が走る!」
「!!!!」

三成はハッと我に返った。

今までもそれほど感情を表に出さなかった綾葉が初めて見せた表情が、
あまりにも傷ついた目をしていたからだった。
自分が怒りに任せてぶつけた言葉でそうさせてしまったと気付き、三成は言い過ぎたと後悔した。

「………………」

この世の終わりを見るかのような目が耐えられなくて三成は顔を背けた。


互いに言葉が見つからず、沈黙が辺りを包む。
チラと綾葉を盗み見れば、その全身は震えていた。



「………お前は何故俺を選んだ?」

三成はずっと疑問に思っていた事を、背中を向けたまま投げかけた。

「お市様と共に果てればよかったと言っているのではなく……その………ただ、気になって……」

相手の事など一切気遣わない三成が、
どうやったらこれ以上綾葉が傷つかないだろうかと、珍しく言葉を選んで話していた。

「俺は……お前に何もしてやれぬ。
気持ちを察してやる事もできぬし、もしできたとしても優しくする方法など知らん。
俺はただ秀吉様を天下に据える事しか考えていない」


そんな器用な事ができていれば、もっと上手く生きてこれただろう。


「だが……逆にお前がそうやって何食わぬ顔で姿を見せるのも、不快で堪らぬ」


自分では何の役にも立たないと言われているようで、苛々する。
だけど何故そんな事を思うのかという事すらも、わからない。


「どうすればいいのか、お前をどうしたいのか俺にもわからぬ……」


ただの配下であるなら余計な感情だ。
配下がどう思いどう行動するかなど、本来ならどうでもいい話であるのに。

配下はただ、与えられた任務を忠実にこなす、ただそれだけでいいはずなのに。


「俺自身矛盾しているのはわかっているが……
義務感で俺の下にいるのなら、ここから去れ」


そんな事、主にとっては然したる問題でもないのにと思う。
しかし同時に、そう言ってしまった自分を後悔したのは何故だろうか。




「私は…………私は、三成様を心から敬愛しています……」

綾葉は上擦った声を絞り出した。

「忠義や義務感ももちろんありますけど……本当は……そんな事ではなくて………」


不器用な主を置いて死ねる訳などなかった。


「……私が三成様のお傍を離れたくなかったのだと思います……」

その場に跪いた綾葉は、三成が驚いた表情で振り向いたのを知らない。

「三成様の傍にいるだけで私は救われるんです……!」

誰かが通るかもしれない廊下の中央で綾葉は構わず叫んだ。

「何でもします!命を賭けてお守りします!もっと、心配おかけしないように頑張りますから!
だからお願いします……っ、私を……見捨てないで下さい!お願いします……っ!!」


最後の方は、ほとんど涙声だった。


……それは、去っていくお市様を必死で追いかけていた姿に似ていた。
あの時感じた幼い子供のように、小さくなって震えている。

そんなに俺が言った事が辛かったのだろうか。
そんなに俺の下にいるのがいいのだろうか。

俺にはよくわからない……だが、あの人形のようだった綾葉はどこにもいない。
まさかここまで取り乱すとは思ってもみなかった。


「………………わかった、もういいから立て」


俺から離れるのが嫌だと言った、それは嘘ではないだろう。
裏切られた気分だと怒っていたのに、今はもう綾葉を傷つけた罪悪感で居たたまれない。


「その…………悪かった……」


結局綾葉は、俺の傍を離れたくないからお市様よりも俺を選んだ……そういう事、なのか?
それを再認識すると急に恥ずかしく感じて、その場に立っているのが落ち着かなくなった。


「これからは何かあったらおねね様に言うように努力しろ。
俺は許す以外に、お前に何がしてやれるのかわからぬ」
「…………いえ………ありがとう、ございます………っ!すみませんでした……っ」
「もういい」

許しただけなのに、どうしてそんなに嬉しそうにするのだろうか。

未だに綾葉の顔が見られず、次第に早口になっている事を三成は自覚していない。

「その……代わりと言っては何だが、今日くらいはお前に暇を与える」
「え……?」
「そういえば柴田軍との戦以降、まともな休暇を与えていなかった。
誰か誘って、遠乗りでも何でもいいから気分転換してこい」


本当はおねね様に、お市様を亡くして無理しているだろう綾葉を、
気晴らしに遠乗りに誘えと念押しされていたのだが、
そんな機会も自分が怒鳴って壊してしまった為に言えずにいた事だった。

おねね様は何やら必死な形相をしていたが、何も俺でなくてはならない事はない。
気の合う奴がいればそいつと行った方が気も晴れるだろう。


「少しは無理して笑わなくても済むだろう?
その辺りの対処をしてやれなかった俺にも非はある」


それぐらいしかしてやれない。

だが綾葉は何故か呆けた顔で俺を見上げていた。
どこか、落ち着かなくなる表情で。


「……誰を誘ってもいいんですか?」
「1人で行きたいなら好きにしろ」

しかし綾葉は予期せぬ言葉を口にした。

「なら……あの………………三成様と、行きたいです」


「…………………は?」



期待に膨らんだような、何とも言えない顔で見上げる綾葉から目が離せなかった。











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ちょっと喧嘩(?)
ヒロインにとっては、お市様に対する表情も三成様に対する表情も本物です。
代々将軍に仕える家だったって事もあって(裏設定だけど)、主に仕えることが本当に幸せだと感じてます。

次回は遠乗りデート。
っていうか三成と会話できるヒロインって凄いと思う。
ウチの三成様、ツンツン率3割増しぐらいな気がする(当社比)