「馬鹿だなぁ殿も、こんな姫の想いに気付かないなんてな」
新月の夜に別れを告げる。
満ちて欠けて、そして変わらず雨が降る。
非情な刻に消える事のない、煉獄にも似た生きた哀しみ。
戦の世でなければ、何か変わっていただろうか。
立場が違えば、定めが違えばこんなに苦しむ事もなかったのだろうか。
雨音が止まない。
新月に弔う雨の姫
「お久しぶりです三成様。御正室様はご息災でしょうか?」
「ああ」
三成は表情を変える事なく返事をする。
「そちらは今は大きな争いもないのだろう?」
「ええ、季節の変わり目を楽しめるほど平穏に暮らしております」
「そうか」
父親が秀吉の家臣だという事もあり、三成と綾葉が出会ったのはもう随分昔の事。
三成はその不器用な性格ながらも綾葉の事を気に掛けていた。
「疲れているようだが、どうした?」
「……やはり気付かれてしまいましたか。
近頃、父が私を嫁がせようとしているようで、気が気ではなくて……」
「だが、お前ももういい年だろう?今までなかった方がおかしいではないか」
「まあ、三成様。女子にそのような事言うものではありませんわ」
くすくす笑っていた綾葉だったが、すぐに表情は陰りを見せる。
「……今までは逃げていたんです。ですがそろそろ、そう言えなくなってきました」
「………」
「三成様、お子様は可愛いですか?」
他人の感情に敏感でない三成には真意がわからない。
だが振り払うように顔を上げた綾葉の明るい口調に何も聞く事はできなかった。
「……まだ生まれていないからわからぬ」
「そうですよね」
「…………だが、悪くない」
綾葉の口角が微かに上がった事に、三成は気付かない。
「そうですか、安心しました。子を持つ事が少し怖かったんですけど、潔く嫁ぎたいと思います」
まだ少女と呼べた頃を思い出し、随分成長したなと三成は感慨に耽った。
もっと無邪気だった気がしたが、今は落ち着いて大人っぽくなった。
可愛いとは一言も言えなかったが確かにそう思っていた彼女が巣立っていくのは、やはり少し寂しい気がする。
「もう、頻繁にはこちらに来られなくなると思いますが……お元気で」
「ああ、祝言の日には俺も伺おう」
「…………ありがとう、ございます」
もう届かない想い人へ、精一杯の笑顔を作った。
三成との対面も終わり、自分にあてがわれた部屋で静かに虚空を見つめる。
そんな時訪ねてきたのは彼の家臣である男だった。
「綾葉」
「ああ、左近殿……どうなさいました?」
明るく振る舞う必要がなくなった綾葉は、溜息を隠そうともせず左近に微笑んだ。
消え入りそうな、人生を諦めきったような暗い目で。
「……やつれたな、痛々しいほど」
「そうですか?以前よりはきちんと食べていますよ」
「辛かったな、綾葉」
「何を今更。助け船ぐらい出されてもいいでしょうに」
それをしなかったのは綾葉のなけなしの気丈さを壊したくなかったから。
左近はゆっくりと綾葉を抱き込み、壊れ物のような体を包んだ。
「俺が娶ってやる。俺が……全てを賭けてお前を愛してやる」
何度も冗談交じりに言われてきた言葉、だけど今日は痛みを伴って胸に響く。
それは、本当は"あの人"から言われたかった。
「だから……泣くな」
決して枯れない、涙。
泣いてばかりいる彼女、想い人である三成は全く知らないであろう姿。
頬につたう雫を拭うのが習慣になっている左近には、それが彼女を愛する事になったきっかけだった。
気丈に笑う綾葉をいつの間にか愛していた。
腕の中の綾葉は突然くすりと声を上げた。
今までは、どんなに言葉を囁いても一度も応えなかった彼女が。
「そうですね……貴方なら、忘れさせてくれるのかもしれない」
「……ああ、あんたみたいな良い女は男の腕の中にいるのが一番だ」
俺の腕の中にな、そう囁いた左近を綾葉はゆっくり見上げた。
「……誰かに嫁がなくてはならないのなら、いっそ……」
もう、"あの人"に想いは届かないのだから。
「左近殿…………私を、愛してくださいます?」
「嫌と仰っても遅いがね。とっくの昔にあんたを愛してる」
「……ならば貴方に答えましょう。私も貴方を愛するよう努力いたします」
嫁ぐと決めたなら左近の為にも生半可な気持ちではいけない。
綾葉は腕を離れ、淑やかに両指を畳についた。
「必ず……貴方から頂くものと同じだけ、お返ししますから……」
心の底から愛そう、私を愛してくれると言った彼を。
こんなにも涙をぬぐい、温もりを与えてくれた彼を、あの人よりも。
「だから少しだけ時間を下さい……あと、少しだけ……」
―――雨は、いつか止むのだろうか。
「あら、三成様」
縁側で日向に当たっていると、現れた客人に綾葉はふんわり微笑んだ。
相変わらず彼は仏頂面で、だけど不器用ながらも気遣ってくれる。
「体はどうだ?」
「ええ、もうすっかり。元気に動いてくれるのが嬉しくて」
「そうか」
破裂しそうな程大きくなってしまった腹を慈しみながら撫でる。
それを見下ろした三成は何故か腑に落ちない表情をしていた。
「未だに、お前が左近に嫁いだ事が信じられん」
「そうですか?」
「お前はもっと……誠実な奴が似合うと思っていた」
「ふふ、あの人はあれで結構誠実なんですよ?
優しくて、私の体調が悪いとずっと看ててくれるんですから」
何度も口説いてきたあの頃よりもずっと優しくなった。
見かけによらず意外と一途な性格だったんだと思った事は、旦那には内緒だ。
「……惚れているんだな」
「でなければ夫婦になどなりませんよ」
それでも三成は面白くなさそうにしながら、了承を得て綾葉の腹に触れた。
一人の女では満足できなさそうな左近が父親とは、些か将来が不安だ。
「しかし、お前を左近にやるとは……」
「妬いて下さっているのですか?」
「な……、そんな訳がないだろう!」
三成は血相を変えて声を荒げる。
端整な顔を背け、少しだけ頬を赤らめながら庭の景色を見遣る。
「ただ……少し、悔しいだけだ……」
「……ありがとうございます、三成様……」
その言葉で、充分だ。
「ありがとうございます……」
柔らかく微笑んだ綾葉は太陽の光を浴びて、輝いていた。
「三成様……ややこが大きくなったら、お子様達と一緒に遊んでいただけますか?」
「ああ、あれも喜ぶだろう」
「ええ……楽しみです」
いつか、そんな日が迎えられたらいい。
将来を描く綾葉は確かに幸せそうだった。
「ではな。お前も、あまり風にあたるものではない」
「ありがとうございます」
名残惜しさもなく立ち去った三成を見送ると、待ち構えていたかのように後ろから抱きしめられた。
この強さと気配は彼のものだ、変わらないなと思った。
「どうなさったんですか、旦那様?貴方の主は行ってしまわれましたよ?」
「俺の姫が攫われては堪らんからな、特に殿には」
「大丈夫ですよ。言ってるじゃないですか、私は貴方だけだと」
「どうかな。あんたは泣いてばかりいる雨の姫だからな」
「昔の話です」
こんなにも心が穏やかでいる、それは確かに左近のおかげだ。
彼が全身全霊で愛してくれたから、今がある。
「ねえ、左近……私は幸せですよ?」
振り向いて左近の傷のある頬に指を滑らせると、ゆっくり微笑んだ。
「そうしてくれたのは、貴方です」
「まだ殿に想いは残ってるだろう?」
「意外と嫉妬深いのね。正直に言うと残ってますけど、
たぶんそれは貴方が殿に向ける気持ちと同じ。もう恋慕ではないのですよ」
「そうかい?」
「……それに疑り深い」
綾葉に宿っているもう一つの命は、自身が想う相手が変わった証拠だというのに。
珍しく話を蒸し返す左近に、綾葉はやはり愛しさを感じた。
「貴方でなかったら、きっと今も泣いたままだったかもしれません」
涙は枯れないと思っていた、一生死ぬような想いを抱えて生きていくのだと思っていた。
こんなにも気持ちが穏やかになるなんて想像もつかなかった。
「雨は、いつか止むんです」
「そうだな、あんたは笑ってる方が可愛い。泣いてる顔もそそるがな」
「左近」
「へいへい、大事なお姫様ともうすぐ生れる小さなお姫様には敵いませんな」
「……どうしてこの子が"姫"だとわかるの?」
「わかるさ、俺がそうだと思ったんだからな」
すぐに真剣な目で綾葉の唇を指でなぞり、左近は静かに囁いた。
「俺を愛してるか、綾葉?俺が与えるものと同じぐらいに」
何を今更と、溢れんばかりの笑顔で答えた。
「お慕いしています……誰よりも貴方を」
晴れ渡る青空、雨はもう降らない。
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長い間温めていた突発短編。
左近の尋常じゃない色気にやられ、勢いで書ききりました。
これ左近夢かな……でも略奪愛だからいいのだろうか。
悲恋っぽくなりつつ、
それでも一歩ずつ幸せになろうという光を感じていただけたら本望です。
左近見ると孕みます(お前がかよ)、大人最高。
余計な事は考えない。年齢差とか気にしない。