01
――罰が当たったんだと思った。
ユキがいない寂しさを埋める為に他人を利用してしまったから。
心の傷を他の誰かで埋め合わせしようとした事が過ちだったに違いない。
依存して、シュウの心でなく体を求めて、一時の快楽に逃げた。
だから、その人までいなくなってしまったのだ。
あの後、百貨店からどうやって帰ってきたのか覚えていない。
見知らぬ男性と少年にとても心配されて、送るとも言われたかもしれないが、それらに耳を傾ける余裕はなくて。
ほとんど無意識で足を引きずりながら歩いて、気が付けば部屋に戻って来ていた。
(シュウも、もういない……)
どうして自分の傍にいる人ばかり奪われてしまうのか。どうして自分は独りなのだろう。
美弥に関わる人は必然的に死んでしまう運命にあるとでもいうのか。
それとも別の男に逃げた美弥を、ユキが怒っているのか。
どちらにせよ、これはきっと現実から逃げた弱い美弥への天罰。
シュウが死んでしまったのは自分のせいだとすら感じている。
自分と関わってしまったばかりに命を絶たれてしまったのではないだろうか。
そう、悪いのは自分だ。
美弥が彼を殺したようなものだ。
だからごめんと、美弥は冷え切った部屋で謝りながら泣いた。
次第に部屋がぐちゃぐちゃになっていくけれど、何もかもがどうでもいい。
何かをしようという気が全く起きなくて、ユキが死んだばかりの頃のような物が散乱した部屋に逆戻り。
いや、もっと酷い状態になったのかもしれない。
ベッドは使えなくなってしまった。
ユキとの思い出が辛くて引っ越しをしたのに、今度はシュウとの記憶が残っていて。
満足に眠る事などできず、美弥はソファにしか居場所がなくなった。
此処にだって彼の気配は残っているが、ベッドよりは幾分かマシだ。
このまま何もせず死ねるならそれでもいいと、美弥は泣き腫らした目で呆然と虚空を見つめる。
だけど、死んで欲しくない人は呆気なくいってしまうのに、死にたくても人間は簡単には死ねない。
二人で座ると狭いくらいに感じていたソファは、今は体を投げ出しても残る空間が物悲しい。
やっとできるようになった料理もしていない。
食事をしても体が受け付けないのだ。だからいらない。
意味もなく呼吸を繰り返すだけでも時間は勝手に流れていく。
望まない朝がやって来て、仕事だけは行かなければと美弥は力を振り絞るように体を起こした。
「橘ちゃん、どうしたの!?」
よほど酷い顔をしていたのだろう、出勤してすぐに同僚がギョッとして声を上げた。
ここの所調子良さそうだったのにと彼女は眉根を寄せて、そして恐る恐る美弥を窺った。
「何かあった?あまり力になれないかもしれないけど……話は聞けるよ?」
「……ありがとう」
気遣ってくれる気持ちはとても嬉しい。
だけど、ユキがいなくなった寂しさを他の人で紛らわしていたら、その人までいなくなってしまいましたなんて、言える訳がない。
誰かに相談できない時点で、やっぱりいけない事だったんだなと美弥は自嘲する。
そして、親切にされているのに打ち明けられない自分が情けない。
何も言わなさすぎるのは逆に拒絶と受け取られてしまうと、わかっているのに。
(駄目だな、本当に……)
言えないのなら、心配されないようにしなければならないのにそれもできない。
そして、こんな精神状態じゃ無理して仕事をしようとしても満足にできなくて。
あまりに心配した同僚達に早退を強く勧められ、結局半日もしないうちに半ば強制的に退勤させられた。
自分の不甲斐なさに辟易しながら、だけど意地で留まっていても迷惑なんだろうと、美弥は諦めて会社を出た。
自宅に向かう足取りがフラフラと覚束ない。
誰も待っていない家に帰ったって、どうなるというのか。
(どうして、私が生きてるの……?)
ロクに働けもしない、何の役にも立ちはしない自分が生きて、どうして必要な人がいないのか。
ああ、やっぱりこの世は地獄だ。苦しくて仕方ない。
俯いていたせいか固いコンクリートに躓いて足がもつれた。
食事をしていない体では力が入らず、地面に顔から突っ込むだろうと思っていたのに、横から伸びた腕が美弥を受け止めた。
「大丈夫ですか?顔色が良くないようですが」
「…………」
定まらない焦点で振り返れば、眼鏡をかけた茶髪の男性が美弥を見下ろしていた。
彼の風貌をどこかで見たような気がするのだけれどはっきりしない。
それよりも知らない人に助けられた事が申し訳なく、何とか力を入れて自力で体勢を戻す。
「……ありがとう、ございます」
発した言葉は自分が思ったよりもか細かった。
「具合が悪そうですね。病院に行かれた方がいいのではないですか?」
「……大丈夫、です」
「そうですか?よろしければ近くまでなら送っていけますけど」
「いえ……いいんです」
美弥は心配してくれている男性から離れた。
誰かの体温は駄目だ、自分はまた誰かに頼ってしまいそうになるから。
(独りで、生きなきゃ)
美弥に関わった人はきっと死んでしまうから。
だから誰にも頼ってはいけない。
朦朧とする頭を下げて礼をすると、重い足を無理矢理動かして歩いた。
背後にいた男性は何か言いたげな顔をしていたが、美弥に振り返る気力はなかった。
もう、誰かに縋るような事はしない。
*****
休養したらどうかと、上司に真剣な顔で言われてしまった。
ここ連日の美弥の不調を見兼ねたのだろう。
美弥としては休養したからといって何になるんだと思っているが、裏を返せば美弥が会社の戦力になっていないという事だ。
気遣い半分、それ以外の本音が半分の上司の言葉に溜息がでる。
会社は満足に一人前に働ける人間が欲しいのが当然だ。
無理して働いて、それでミスでもされたら余計に邪魔なだけだろう。
気を遣われて、心配されて、本当に申し訳ないなと思う。
(仕事、辞めた方がいいのかな……)
いっその事、潔く退職した方がいいのかもしれないと思った。
そうすれば新しい人材を確保する事もできるだろうし、美弥だって働ける精神状態ではない。
だけど仕事を辞めればマンションの家賃は払えなくなる。
必然的に実家に戻らなければならなくなる。
(今度は、実家に逃げるの?)
そこまで考えて、美弥は首を横に振った。
そうじゃない。
きっと、それは違う。
今、自分がしなければならない事は誰にも頼らず生きる事だ。
逃げずに一人で立って、一人で生活をしなければならないのだと思う。
それに、実家に帰ったところで美弥の傷は癒されたりしない。
心配させる人を無闇に増やしてしまうだけだから。
(ご飯……食べなきゃ)
生きて、何の意味がある。
今でも本気でそう思っているけど、食べなければ周りが心配する。
大丈夫と強がりながらも自分が具合が悪い顔をしているから皆に心配させてしまうのだ。
だから、せめて表面だけでも取り繕わないといけないと思った。
帰り道を力なく歩きながら、冷蔵庫の中身を思い返してみるが。
食べられそうな物は入っていなかった気がするし、残っていた物ももう痛んでしまっているだろう。
いい加減何か口にしなければと、近くにあるスーパーに立ち寄った。
重い食事は到底受け付けないだろう、だから少しでもいいから体に優しいものを、とウロウロ歩いていると。
「貴女、この前の」
「あ……」
背の高い、茶髪に眼鏡をかけた男性と顔を合わせた。
数日前に道端で倒れそうになっていた美弥に声をかけてくれた人だった。
「もう具合はいいんですか?顔色はまだあまり良くなさそうに見えますが」
「この前は、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
具合に関しては何も変わっていないが、とりあえず礼だけはしなければならない。
頭を下げれば、男性は穏やかに笑う。
「いえいえ。倒れそうになっている人を助けるのは当然の事ですから」
「……ありがとうございます」
当たり障りのない言葉を口にして、美弥は買い物を続けた。
生鮮食品コーナーで何を買おうか悩んでいると、男性もまた近くで商品を選んでいるのが見えた。
チルド食品の一つを手に取り、何やら困ったような顔をしている。
「あのー、すみません」
「……はい?」
「これって、そのままで食べられるものですか?」
普通に話しかけられ、美弥は戸惑いながらも返事をした。
此方に向けられた商品を近付いて見てみれば、加工された厚揚げのパックだった。
「……食べられない事はないんですけど、基本調理して食べるものだと思います」
「ああ、そうなんですか。ありがとうございます」
質問に答えると、男性は初耳とばかりに頷いて商品をカゴに入れ、丁寧に礼をして去っていった。
切れ長の目をさらに細めるので奥の色は窺えなかったが、不思議な雰囲気の人だなと思った。
それから、あまり多くを買っても使いきれないだろうから必要最低限の物だけを買って会計を済ませた。
以前は二人分だったレジ袋の重さは一人分になり、いつしか一人分より少し多いくらいの量になった。
そしてまた、一人分。それよりも軽くなった重みが寂しさを助長させた。
家に帰って、誰もいない部屋の電気を灯す。
無音が嫌でテレビの電源を入れ、適当に賑やかな音を流しながらキッチンに向かう。
片付いていないシンクに溜息を吐き、少しずつ何とかしていかなきゃと思いながら棚から片手鍋を取り出す。
水とお酒を入れて火を点け、ひと煮立ちさせた後にだしの素と醤油を加える。
塩と砂糖で味を整えてから溶き卵を細く流し入れる。
軽く混ぜてから火を止めて、スープカップによそった。
ごくごく簡単なかき玉汁だが、こんなのを作るのも久しぶりだった。
食欲はないけど食べなければと、ほとんど義務感でローテーブルの前に座る。
ふわふわと湯気を立ち昇らせているそれを見下ろし、意を決してスプーンで掬うとそっと口に付けた。
自分が自分の為だけに作った簡素な食事。
だけど温かくて、出汁の味がじわりと体に染みた。
「……、美味しい」
どうしてか涙が流れた。
意味もわからず喉が熱くなっていくけれど、噛みしめるようにゆっくりと飲み干した。
胃から気持ち悪さが上がってくる感覚はあるが、これくらいなら戻しはしないだろう。
ふう、と大きく息を吐けば、近くに置いていた携帯が震えた。
『元気か?たまには顔出せよ』
星司からの、ぱたりと行かなくなってしまった美弥を心配してのメッセージだった。
バーにも行けなくなった。
あそこに逃げて酒に溺れたせいでシュウと出会い、そして死なせてしまったから。
だからもう行けない、行ってはいけないと思った。
けれどそれを星司に説明する訳にもいかず、美弥はどう返信しようか少し悩んだ。
『私、強くならなきゃいけない』
誰にも頼らず、自立しなければならないんだ。
また滲んでいく目尻を拭いながら、美弥は打ち込んだメッセージを送信した。
Back Top Next
2章開始。短め。
サブタイトル長くてすいません。