03




美弥が毎日使う駅前近くの大通りは、普段から車の交通量が多い。
夜に浮かんで流れていく赤いテールランプは見慣れた光景だったけれど、そのうちの一台が路肩に停まったのが視界に入った。

(あれ……?)

白いスポーツカーから誰かが降りたかと思えばそれは金髪の男性で、さらに真っ直ぐに美弥へと歩いてくる。

「こんばんは、美弥さん」
「……貴方、この前の」

暗闇でも目を惹く容姿はつい先日知り合ったばかりの、シュウの事を聞きに来た探偵だった。

「今日はお詫びに伺いました」

思わず身構えた美弥の前で安室は律儀に頭を下げる。

「先日は、貴女の気持ちも考えずに無遠慮な事を聞いてしまったので、申し訳なく思っていたんです。
お詫びといってはなんですが、よろしければ僕に食事をご馳走させてほしいんです」
「えっ、いえ、そんないいです」

あれぐらいの事で謝罪する必要はないと慌てて手を振るが、安室は眉尻を下げつつも引き下がろうとしない。

「遠慮しないでください。それとも今夜は予定がおありですか?」
「……予定はないです、けど……」
「では僕にお付き合い下さいますか?」
「…………」

物腰は丁寧で優しいのに、此方が逃げようとしても逃げ場をなくされるような、周りから固められて逃げられなくなるような感覚。
それが探偵という職業故か彼の性格なのかはわからないが、押し黙った美弥はそれ以上の言葉が浮かばない。

結局、無理に断る気力もない美弥はまたしても安室に連れられてしまう事となった。

「少し移動しますから車に乗ってください」

車まで案内されてご丁寧にドアまで開けてもらって乗せられると、反対側を回って安室が運転席に乗り込む。
狭い密室に押し込められたようで、必然的に近くなってしまった距離に否が応にも緊張してしまう。
無言で固まる美弥を余所に、エンジンをかけられた車は緩やかに他車の流れに乗って走り出す。

(また何か、聞かれるのかな……)

食事だけなら別にいいけれど、シュウの事を聞かれやしないかと不安がよぎる。
どちらかというと美弥自身がまだシュウの事を消化しきれていないから、色々と聞かれると記憶を掘り起こしてまた泣いてしまいそうだからだ。
そもそもユキ以外の人間と繋がりがあったというだけで罪悪感を感じているのに。

「そんなに警戒しないでください」

窓の外の灯りばかり見ていたら安室に苦笑された。

「もう探偵業はしません。何も聞き出そうとしませんから安心してください」
「……はい」

そう言われて多少は安堵したものの、なら何故わざわざ美弥を食事に誘うのだろう。
疑問に思っていた事が通じたように安室が口を開く。

「今日は付き合って欲しかったんです。近くに美味しそうな店舗を見つけたんですが、
メイン客層が女性ばかりで、男一人で入るのは勇気が要りそうだったので……美弥さんをお誘いしました」
「……どうして私なんですか?」

彼くらいイケメンならば喜んで付いてきてくれる女性など他にいくらでもいそうだ。

「それは、その店が今の貴女にはピッタリかなと思ったので」
「…………?」

どういう事かと首を傾げてみても、詳しくは店に着いてからのお楽しみですと微笑まれ、美弥の力のない返事だけが車内に漂った。

ピッタリという意味は皆目見当も付かないし、あまり重いものは食べられないけど大丈夫なのだろうか。
やっと食べられるようになってきたが食はまだ細く、ガッツリ系だったり脂が多そうな食事は到底無理だ。
だからそういうお店だったり、コース料理のようなしっかりした量が出されてもきっと食べきれない。

それを口に出したかったが、そうしても彼は「じゃあ今日はやめにしましょう」なんて言わない気がする。
あわよくば食事もなしにしてもらいたいのが本音だが、有無を言わさないような雰囲気は美弥では太刀打ちできない。

「帰りはいつもこのくらいの時間ですか?」
「……ええ、まあ」

前回も同じように帰りがけに話しかけられたのだから、そんな事くらい彼は知っていそうだと頷きながら思う。
名前だって知っていたし、探偵という人種がどれだけの情報を集められるのか美弥では計り知れないが。

気を紛らわせる為か、安室から世間話のようなものを振られながら走る事、十数分。
パーキングに車を停めて、徒歩で向かった先に見つけた店を示されて美弥は少し驚いた。

シンプルながらもオシャレな店構えで、掲げられたメニュー表に並んでいたのは数種類のお粥だった。
そこは以前にテレビでも話題になっていたお粥の専門店だと気付き、ようやく顔を上げると安室が笑っている。

「一度見かけて気になっていたんです。体に優しいお粥ばかりですから、食が細くなっている貴女も食べられるんじゃないかと」
「…………」

お粥と言っても病気の時に食べるようなただの塩味の粥だけではない。
洋風や中華風など出汁の種類も色々あって、見た目にも美味しそうな具材が乗っている。
店内から漂ってくる良い匂いに、あまり食欲はなかったはずなのにお腹が動いたような気がした。

「食べられそうなの、ありますか?」

首を傾げて尋ねてくる安室に、美弥は自然と頷いていた。

「……あると思います」
「それはよかった」

入りましょう、と男一人では勇気がないと言ったわりには躊躇いもせず店内に足を踏み入れる。
大人しく付いていくと、彼は自分の分と美弥の分も手際よく注文を済ませた。
またしても美弥は言われるがまま席に座っているだけだった。
奢ってもらっていいのだろうかとそれとなく聞いてみるが、お詫びなのでと簡単に制された。

ぐるりと見渡すと、テーブル席にいる客は確かに女性が多い。
店内はこじんまりとしているが、テーブルや壁が明るい木目調に統一されているので居心地は良い。

「あまり食べれていないですよね?」
「……そうですね、少し」
「先日は探偵として話を聞く事に躍起になってしまって、貴女を傷付けてしまい本当に申し訳ありませんでした」

改まって真面目な顔をするので、もういいですという意味で首を振った。

「私こそ、取り乱してしまいすみませんでした」
「いえ、当然です。……僕も友人を亡くした事があるので、気持ちはわかります」

ああ、彼もそうなんだとじっと見つめてみるが、彼の表情には隙がなくて寂しさのようなものは読み取れなかった。

「だから僕個人の勝手な感情ですが、貴女の力になりたいと思ったんです」

その言葉に美弥は苦笑する。
気遣いは有り難いが、それでもどこか放っておいてほしいとも思っている。
複雑な感情だとは自分自身がよくわかっている。

ほどなくして運ばれてきたお粥のセットが目の前に置かれる。
美弥が頼んだのはシンプルな卵粥だが、彩りの良い野菜が添えられていて、食欲をそそる匂いがする。
誘われるようにレンゲで粥を掬い、熱々のそれをゆっくりと口にする。

「美味しい……」
「ああ、よかったです」

柔らかい米と丁寧にとられた出汁の旨味が合わさって思わず素直な感想が漏れた。
安室は安心したように笑むと、自分の粥を味わって満足そうに頷いた。
彼のはチキンベースのスープにほぐした鶏ささみが乗ったヘルシーな粥だ。

「けど、男性には物足りないんじゃないですか?」
「いえ、最近食べ過ぎなので時々こうやってカロリー調整をするんです。それに奥の深い出汁は美味しくて、参考になります」

参考になるとはどういう事だろう。
その疑問が顔に書いてあったのか、ああと安室は楽しそうに目を細める。

「料理をよくするので、美味しいものに出会うと真似したくなるんです」
「へえ……料理されるなんて凄いですね」
「いえ、ただの趣味ですよ。今時は男性も料理をする時代ですからね」

この感じだと、彼は料理が結構得意なんだろうなと思った。
思いがけず料理の話題で会話は広がり、あっという間に粥を食べきってしまった。

(この人、話すのが上手なんだろうな)

それが、話してみて感じた率直な感想だった。
初めこそ探偵という事で警戒してしまったが、他人の感情を読む事に長けているらしい。
口数の少ない美弥相手でも会話を途切れさせず自然に話を振り、盛り上げる事ができる人なのだろう。

「休日は何をされているんですか?」
「……特には」
「なら、また僕とご飯を食べに行きませんか?」
「えっ?」

安室の話術に感心していると、突然意外な事を提案された。
どうしていきなりそんな話になったのかと目を見開けば。

「本当はデートに誘いたいんですが、まだ歩き回る体力はなさそうですし。
家にいると気持ちが落ち込みやすいですから、気分転換にどうですか?」

どうして知り合ったばかりの人からデートなんていう単語が出てくるのか。
嬉しいとも嫌だとも思うより前に、ただただ何て答えたらいいのかわからなくて美弥は呆ける。

「行きたいけど恥ずかしくて行けない店、まだいくつかあるんですよね。できれば付き添ってもらえると嬉しいです」
「…………」

それでも尚、安室は美弥を頷かせるような言葉を並べた。

「……彼女、いないんですか?」
「ええ、残念ながら」

かろうじて口に出せた疑問は即座に返された。
彼女ではなく、女友達とか女性の知り合いとか言えばよかったかもしれない。
恋人はいなくたって付いてきてくれる女性に困っていないのはわかりきっている。
だから、それでも美弥に固執する理由があるのだろうとは思う。
それが何かは平凡な美弥では計り知れないが、探られたって何も出てきやしない。

完璧な仕草を無感情で見つめながら、押しの強さが正直面倒だなと思った。
はっきりと拒否の言葉を紡げばいいのだろうが、彼は諦めないのだろうなという予感もあった。

(ああ、億劫だな。何もかも)

断りの言葉を考えるのも、気を遣うのも、愛想笑いを浮かべるのも。
もう、どうにでもしてくれという投げやりな気分にすらなった。

「また連絡しますね」

二の句が継げない美弥に、安室はニコリと笑った。






*****



一体どうしてこうなったんだろう。
安室の爽やかなスマイルを正面に見据えながら、美弥は心で独り言ちる。
前回の話の流れで連絡先を交換してしまったが、もしかしたら社交辞令かもしれないと淡い期待を抱いていたのに、誘いの連絡は意外に早く来た。

ランチしませんか、と。
文面を見て、ああやっぱりそうなるのかと溜息を落とした。

(こういう場合はどうしたらいいんだろう……)

気乗りはしないが、かといって休日に家事以外でやる事もなく、
ぼうっとテレビを眺めているだけの時間になるのはわかっていたので、気を紛らわせるにはいいかとは思った。
正直言うと、何でもよかったのだ。
シュウの事を聞かれるのは困るが、それ以外に関しては別に探られて困る腹はない。

一人で生きなければと思った矢先に、やたらと積極的に関わってこようとする男。
連絡先を聞かれようが食事に誘われようが彼自身にあまり興味はない。
此方から依存したり縋ったりしなければいいかと、そうやって美弥は自分を納得させた。

焼きたてパンとスープが美味しいと評判のカフェで、「これなら美弥さんも食べられますか?」とまた体を気遣われて苦笑いを浮かべ。
良い匂いのする柔らかそうな胡桃のパンを頬張り、美味しいですねと微笑む安室の食べっぷりを見つめる。
美弥もサツマイモのポタージュをスプーンで掬ってゆっくり味わうと、口当たりが滑らかで確かに美味しいなと思った。

何も聞かないと言った通り、彼は初日以上の事は聞いてこなかった。
訊ねられるのは体調の事や、あとは普段の日常的な事ばかり。
質問をされて一言や二言で返すだけだが、安室はそれでも会話を続ける。

何が楽しいのだろうと美弥は疑問だった。
探偵として情報を得られないこの状態に意味はあるのだろうか。
こんな笑いもせず話を盛り上げようともしない自分といたって楽しくないだろうに、彼はずっとニコニコ笑っている。

「……どうして」
「はい?」
「私のような人間と一緒にいても楽しくないんじゃないですか?」

あなたの得になるような話もありませんよと、首を傾げれば。

「楽しいですよ」

事も無げに彼はそう答えた。

「それに探偵としてではありません。僕自身が、貴女と食事をしたいと思ってるんですよ」
「……それが理解できません」
「そうですか?」

うーんと考えるように視線を動かし、それからまた美弥を見据える。
安室の少し目尻が垂れた眼差しはまるで真夏の雲一つない晴天のように眩しすぎて、目を逸らしたくなる。

「僕は話すのが好きみたいなので、美弥さんのように聞き役がいてくれた方がありがたいです。
ほら、お互いに話し好きだったら喧嘩になってしまうじゃないですか」
「…………」

そういうものだろうか、よくわからない。

「結局、僕は貴女を放っておけないみたいです」

彼は最後にポツリとそう呟いた。
本当なら喜んだ方がいい場面だったのかもしれない。
だけどその言葉が美弥を揺るがす事はなく、困ったように笑みを作るしかなかった。

変な人だな、と思った。
そして美弥はそれ以上深く考える事をやめた。











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安室さん ふたたび