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お礼と称した食事を沖矢として帰宅後、片付けをしようとバッグから空の容器を取り出す。
安室からチラシを受け取った事を思い出して手にとると、数枚の紙の間から小さな何かがポトリと落ちた。
何だろうと思って拾いあげると、見覚えのない手帳のようだった。

「これ……安室さんの?」

もちろん自分の物ではないので、ごめんなさいと思いつつ中身をこっそり確認すると、
予定表のページにポアロのシフトが書いてあったので、どうやら彼の物らしい。
どうしてこんな所にあるのか不思議だったが、チラシを出す時に少し慌てていたようだったので一緒に挟まれてしまったのかもしれない。

(連絡しないといけないよね……)

どこかで落としただろうかと、彼が手帳を探しているかもしれない。
此方から連絡する事は今までになく、若干の躊躇いを感じながらも美弥は安室にメッセージを送った。

『手帳を見つけたんですが、もしかして安室さんの持ち物ですか?』

すると返信は意外と早く返ってきた。

『すみません、僕のですね。探していたんですが見つかってよかったです。
急ぎで必要な訳ではないので、いつでもいいのでまた今度会った時にでも渡してくれれば結構です』
「…………」

(今度って、いつ?)

約束がある訳でもないから、どう返信したらいいかわからず困る。
いつ会うかわからないまま彼の持ち物を持ち続けているのは悪い気がする。
それに、いつでもいいと彼は言ったが、探していたのなら本当なら早めに欲しいはずで。

「うーん……」

美弥はもらったチラシを見つめる。
あまり一人では喫茶店に行かないが、是非来てくれと熱心に誘われもした。
手帳の件もあるし、せっかくなら行ってみるかと美弥は文章を入力する。

『なら近々喫茶ポアロに行かせてもらいますので、その時にお渡ししてもいいですか?』
『それはもちろん!助かります』

完璧な笑顔が目に浮かぶような返信だった。
その後シフトを聞いて、美弥の休みの日で彼が出勤している時に行く事になった。






カラン、と小気味いいドアベルの金属音が鳴る。
一歩足を踏み入れると、外気とは一変した空間が広がっている。

「あ、美弥さん!いらっしゃいませ、待ってましたよ」
「こんにちは、どうも」

真っ先に入口にやってきた安室がカウンター席へと案内してくれる。
個人経営の喫茶店に来るなんて久しぶりだなと、美弥はしげしげと店内を見渡す。

シンプルだけど落ち着いた内装、素朴な調度品。
優しいコーヒー豆の香り、食器のかち合う音、客同士の話し声。
ホールではもう一人女性の店員が接客していて、その人も明るくて優しそうな印象を覚える。
静かすぎず、だけど騒がしすぎなくて居心地はよさそうだった。

「あ、先にこれ手帳です。今まで持っていてすみませんでした」
「いえ、わざわざありがとうございました。ご注文は何にします?」

メニュー表にはランチなどの食事やデザートの写真が美味しそうに載っている。
昼食は済ませてきたので、飲み物とデザートにしようとカフェメニューを見比べる。

「デザートは僕が作っているのでおすすめですよ。特にこのロールケーキは自信作です」
「安室さんが作ってるんですか?」
「ええ、そういうの得意なんです。お客さんにも評判がいいんですよ」
「へえ……じゃあ、このケーキセットでお願いします」
「はい」

笑顔で返事をすると安室はカウンター席の向こう側でコーヒーの準備を始めた。

美弥さんが来てくれて嬉しいです。僕が作ったケーキ、食べてもらいたかったんです」
「…………」

(この人、探偵だよね?)

慣れた手つきで作業をしながら嬉しそうに喋る安室を、呆けたように見ていると。

「本業は探偵ですが、僕みたいなしがない探偵はそれだけで食べていけませんからね。空いた時間はこうやってバイトをしてるんですよ」
「そう、なんですね」

美弥の言葉にしていない疑問に早々に答えが返ってきた。
冷蔵庫から取り出したロールケーキが真っ白なデザートプレートに乗せられ、お洒落に飾り付けられていく。
チョコソースの曲線を描いていく彼は探偵には見えず、まるでプロの職人のようで。
どこか真剣な視線を注いでいる姿は美弥にとっては新鮮だった。

美弥さんは、あまり喫茶店には行ったりしないんですか?」
「どうしてですか?」
「作っている所を興味深そうに見ていらっしゃるので、珍しいのかなと」
「……そうですね、確かに」

基本自炊なので、喫茶店で食事をするという発想があまりない。
知人とお茶しようかという時は利用するが、その場合はテーブル席に座ったりするから作っている所を見る機会は少ない。
ユキと外食してた時だって、大体はレストランだったから。

「その分、料理が上手なんでしょうね。作るのが好きだ、という目をされています」
「…………」

盛り付けしながらよく見ているなと思った。
視線を彼の手元から上にずらせば、ニッコリと微笑まれた。

「お待たせしました。ロールケーキとブレンドコーヒーです」
「ありがとうございます」

目の前に置いてくれた安室にぺこりと頭を下げる。
始めにコーヒーに口をつけ、こくりと喉を通して息を吐く。
やっぱり喫茶店のは美味しいなと、それだけで嬉しい気持ちになる。

それから、ロールケーキにフォークを刺し入れる。
スポンジのシュワッとした微かな音を聞きながら、ゆっくりと味わう。

「……あ、美味しい」
「そうでしょう?」

生地はしっとりしていて、卵の味が良く出ていて美味しい。
中にいくつか入っているブドウは瑞々しく、その分たっぷりの生クリームは甘すぎなくて全体のバランスがとれている。
これは、ただの生クリームではなくて何かが足されているような気がする。

「このクリーム……クリームチーズとか、マスカルポーネチーズとか入ってます?」
「正解、マスカルポーネです。詳しいんですね」
「いえ、そんな事は……何となくです」

生クリーム本来の味を邪魔しない程度に加えられたそれがコクを引き出しているのだろう。
アルバイトだと彼は言ったが、料理にも詳しそうだから元々こういう事が得意なのかもしれない。

確かに評判がいいと言うだけの事はある味だ。
だけど、それだけではないような気もしている。

(視線が……)

いつの間にか増えていた女性客からの視線を感じていて、美弥は居た堪れない気持ちを抱いていた。
味も美味しいのだろうが、評判になっているのは彼の容姿にも理由があるのではないかと思う。

これだけイケメンでさらに愛想もいいとなれば、女性達はキャアキャア言う事だろう。
だからこそ、カウンター席で安室を独占しているような状態になっている美弥が敵視されてしまうのは無理もない。
きっと、「あの女は誰よ」なんて話題に上げられているのだろう。

(食べたら早く帰ろう……)

せっかく美味しいケーキだが、何だか落ち着かない気持ちで咀嚼していると、再びドアのベルが音を立てた。

「あれ、もしかして美弥さんですか?」
「え?あ、蘭ちゃんに園子ちゃん。こんにちは」

入ってきたのは、以前にばったりと会ったコナンが一緒にいた蘭とその友達の園子だった。
「ホントだー!」と園子が人懐っこく手を振ってくるので、美弥も振り返す。

「おや、お知り合いでしたか?」
「コナン君と仲良くしてくれているお姉さんなんです」
「へぇ、コナン君と」

安室の疑問に答えたのは蘭だった。
初めて会ったのは杯戸ホテルへ行くバスの中であったが、美弥は事件の後に一人運び出されたので彼女達とはあれ以来だ。

「二人とこんな所で会うなんて思わなかった」
「このビルの上が自宅兼事務所なのでよく来るんです」
「上って……確か毛利探偵事務所だったよね?」
「あ、そうです。父が探偵やってて」
「そ、っか……そうだよね。蘭ちゃん"毛利"だもんね」

毛利の名の付く探偵とは、もしかして"眠りの小五郎"だろうか。
新聞やテレビでも見た事のある有名人の娘だと思うと、何だか蘭の事を感心したように見てしまう。

「そして僕は、その毛利先生の一番弟子なんです」
「……そうなんですね」

茶目っ気混じりに笑う安室に少し違和感を覚えた。
探偵の世界はよくわからないが、彼が誰かに弟子入りしなければならないような人には見えないからだ。

二人は美弥がいるならと、隣のカウンター席に並んで座った。
買い物帰りなのだろうか両手に紙袋を抱えていて、それを背もたれの前に置いた。

「あれから大丈夫でしたか?」
「うん、今は何とも。迷惑かけてごめんね」
「いえ、私は全然……」
「何かあったんですか?」

会話の内容がわからないであろう安室が首を傾げる。

「一緒に杯戸ホテルでケーキバイキングをする予定だったんですけど、その時に事件が起きて、美弥さんの具合が悪くなってしまって……」
「ま、遺体見れば驚くよねフツー」
「そうだったんですね」

安室にも気遣うような目線を向けられて美弥は苦笑する。
美弥としては、あの時の事はできるならあまり思い出したくない。記憶と一緒にまた余計なものが引き出されそうになるから。
それでも、知り合って間もないのに心配してくれる二人を有り難くは思っているので、美弥は努めて笑って見せる。

「あの時ちゃんとケーキバイキングできなかったから、いつか行こうね」
「はい、それはもちろん!」

お詫びも兼ねてそう提案すれば、蘭は素直に頷いてくれた。
大人しそうな蘭と見るからに快活そうな園子、真逆なタイプに見えるがきっと二人とも心優しい子達なんだろうなと美弥は目を細める。

美弥さんはポアロによく来るんですか?まさか~安室さん狙い、とか?」

恋愛話が楽しいお年頃らしい園子の、妙にキラキラした目が此方に向く。
一人でカウンター席にいて安室と対面していれば、やっぱりそう見られてしまうのだろうか。
届け物があったんだと答えようと口を開こうとした瞬間。

「あ、それは僕が誘ったからです」
「え!?」

美弥よりも先に安室が返答したおかげで、園子が獲物でも見つけたかのように食い付いた。

「安室さんが個人的に誘うなんてどういう事!?もしかして二人って……!」
「残念ながら園子さんが喜ぶような関係ではありませんよ。そうなれたらいいなとは思いますが」
「「ええ!?」」

これには美弥も驚いて、園子と同じタイミングで素っ頓狂な声が出た。
放心したように安室を見遣る美弥に対して、「片想い!?」と興奮している園子が身を乗り出す。

「これは聞き捨てなりませんよ奥様!全国の安室さんファンが黙っちゃいないわよ!」
「園子、落ち着いてよ……っ」

盛り上がる話題の渦中にいるはずの美弥は困惑していた。
彼が本気で言っているのかいないのか、よくわからない。むしろ冗談のようにも思える。
気を遣ってくれるし食事に何度も誘われもしたが、そこにそういう感情があったようには見えなかったが、ただ単に美弥が気付かなかっただけなのか。

この際彼の発言は置いておくとしても、これ以上店内にいる女性からの痛い視線が増えるのは耐えられない。
美弥はただ、手帳を届けに来たついでに喫茶店に入っただけなのだ。
口を開閉させるだけで言葉にならない美弥を余所に、安室が眉尻を下げて苦笑する。

「でも美弥さんには手料理をあげる相手がいるみたいですから、前途多難ですね」
「ええー美弥さんそうなの!?誰誰!?どこの人!?」

(一体何を言い出すのこの人!)

園子の勢いに圧倒されながら美弥はカウンターの向こうにいる安室を恨みたいような気持ちになった。
今ここでそんな事を言ったら彼女は余計に知りたくなってしまうだろうに。
間に挟まれている蘭が此方を向くので、この場を収めてくれるような何かを言ってくれるのかと思いきや。

「それって……ひょっとして昴さんですか?」
「えっ」

まさかの追撃に美弥は固まってしまう。
蘭はそうでもないと思っていたが、彼女もまたそういった恋愛話に興味があったらしい。
躊躇いながらもどこか照れたように言うので、きっとあの事件の時から気になっていたのかもしれない。

「知り合いってコナン君は言ってましたけど、そんな感じには見えなかったような……」
「確かにー!眠ってる美弥さんをお姫様抱っこしてて、王子様みたいだった!」
「お、王子様……」

雰囲気は違えど、二人とも期待に目を輝かせている。
だけど美弥自身はその時の記憶はほとんどないので、どういう体勢で運ばれたのかも知らなかったが、そういう事らしい。

(ど、どうしよう)

なんと弁明すればいいものかとあたふたしていると。

「昴さん、というんですか?蘭さんも園子さんもご存知の方なんです?」
「知り合いの大学院生なんですけど、事件の時も倒れた美弥さんの為に迎えに来てくれたんです」
「知的な雰囲気で、背が高くてイケメンなの!」
「へえ、そうなんですか」

興味津々な安室が笑顔で頷いている。

「で、付き合ってるんですか!?」
「付き合ってない付き合ってない!知り合いなだけなの」

園子の確信めいた言葉に美弥は慌てて否定するが、彼女達はそれで引き下がったりはしなかった。

「でも手料理あげてるんですよね?」
「それは、その時助けてくれたお礼で持って行っただけで……」
「えーでもすごく良い雰囲気だったけどなぁ。ねえ、蘭」
「うん、素敵だった」
「お二人にそう言われるなんて、どんな方か僕も気になりますね」

(なんか、誤解を招いている……)

くっつけたくなる彼女達の気持ちもわかるが、本当にそういうのじゃない。

「本当に何もないの。期待に応えられなくて心苦しいけど……」
「ええ~そうなの?つまんないー」
「あはは……」

明らかにガッカリした様子の園子に美弥は苦笑いをするしかない。

「え~じゃあ美弥さん、彼氏いるんですか?」
「えっ……」

いないって事はないですよね、なんて言いたげな目が美弥に刺さって固まる。

(彼氏、か……)

こういう場合、いたと答えた方がいいのだろうか。
だけど美弥としては別れたつもりは今でもないのだ。
ただ、突然にいなくなってしまっただけで。

「…………」
美弥さん?」
「……いるけど、いないの」
「え、どういう事ですか?」
「もう、いないの」
「……それって」

その時の美弥の笑った顔が泣きそうで、園子は言葉を失った。
途端にシンと静まり返ってしまった空気に、申し訳ない気持ちが沸いた。

「だから、その人以外誰も好きになれないの。これは本当」

その言葉を呟いた美弥を、安室はじっと見つめていた。











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梓さんまで深く描けませんでした。

2022.5.30 少しだけ加筆修正。