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美弥さん、テニスしませんか?』

安室からの誘いは突然だった。

『園子さんに頼まれてテニスのコーチをやる事になったんですが、一緒にやりませんか?』
『一応経験はありますけど、私全然得意じゃないですよ?』
『いいんです、体を動かすと気分転換になりますよ』

そんなやり取りを数日前に行ない、今日がその約束の日。
自宅マンションの前に安室の車が停まり、挨拶を交わしながら美弥は助手席に乗り込んだ。

「運動するので飲み物は持ってきたんですけど、飲みますか?」
「え、本当ですか?ありがとうございます」

車を出してくれるのだから少しは何かしなければならないだろうと思い、
凍らせて保冷材代わりにしたスポーツドリンクと、お茶のペットボトルを二本ずつ用意して保冷バッグに入れてきた。
彼自身も何か持ってきたかもしれないと思いつつ尋ねてみれば、意外だったのか安室ははにかむように喜んだ。

「デートって感じがして嬉しいです」
「…………」

あまり考えていなかったが、もしかしたらそういう事になってしまうかもしれない。
だけどポアロの時でもそうだったが、どうも彼の言動は本気のようには思えず、咄嗟に言葉を返せなくても気にしているようには見えない。
美弥さんの分のラケットも持ってきましたよ」なんて自然と違う話題に流れていくので、深く考える事をやめて美弥もそれに合わせた。
持っていない事を事前に言ってあったので用意してくれたらしく、ありがとうございますと軽く頭を下げる。
ちなみにスポーツウェアに関しては、引っ越しの時にそのまま詰め込んでいた服を奥から何とか引っ張り出して見つけてきたので自前だ。

目的地のテニスコートに到着すると、まだ園子達は来ていないようなので、練習がてら肩慣らしをする事になった。
だけどテニスなんて本当に数年ぶりで、安室に付き合ってボールを打ち返してみるものの大して上手くはなく。
飛んできたボールを満足に返す事ができなくてラリーが続かない。
彼は「大丈夫ですよ」なんて笑いながら根気よく付き合ってくれるのだが申し訳なさだけが増していくばかり。

そうこうしているうちに安室の容姿のせいか、見物人だけがどんどん周囲に集まっていって。
居た堪れなくなった美弥は休ませて欲しいと懇願して、早々にコート外に引っ込んだ。

苦笑していた安室が仕方なく始めたサーブ練習に黄色い声をあげる女性達、それをベンチに座って眺める。
コーチを頼まれるだけの事はあるらしくフォームも綺麗なので、注目を浴びるのも無理はないだろう。

(ユキも、見てるだけが多かったな……)

頬に流れてくる汗を拭いながら、懐かしいようなほろ苦い気持ちになった。
ユキの趣味に付いていった事もあるけど、遠巻きに見ている事がほとんどだった。
積極的に入りたい訳でもなかったし、ユキもそれをわかっていたから美弥を好きにさせていた。
でもひとしきり汗をかくと、少しだけ息を切らせながら美弥の元に戻ってくる。
冷たいドリンクを飲み干しながら、「疲れた」と呟く彼を見ているのは嫌いじゃなかった。

美弥さん!?どうして安室さんと!?」

いつの間に着いていたのか、振り返れば園子や蘭が安室を憧憬の眼差しで見つめている。
だけどコナンだけが美弥に駆け寄ってきては凄い剣幕で聞いてくる。

「え、テニス行かないかって誘われたから……」
「安室さんと知り合いだったの!?」
「う、うん、前に知り合って」

どうして彼がそんなに深刻な表情をしているのだろう。
安室と知り合いだと都合が悪いのだろうかと思うが、駄目な理由は思い付かない。

「安室さんは何考えてるかわからないから……あんまり、気を許しちゃ駄目だよ」
「う、うん……」

沖矢にも似たような事を言われた。
彼らが何故そこまで言うのかはわからないが、美弥も安室を信用している訳ではない。
安室は何かと美弥を構いたがり色々聞いてくるが、聞かれて困るような事はあまりない。
彼は確か、シュウの事を知りたがっていた。
だけど美弥が何も知らない事はもうわかっているはずなのに、これ以上関わってくる意味は何だろうとは思っているが。

泣かせてしまったから気になるんです、と彼は言った。
だから気分転換に色々連れ出してくれるのは有り難いが、それだけだ。嬉しくも面倒くさくもない。
テニスだって行きたい訳ではなかったけど家にいたってする事はないから拒否もしなかった。
つまりはどうでもいいという事だが、そこまで言葉にするのは憚られて苦笑で濁す。

怖い顔をするコナンは、コートで安室と談笑している蘭の元へ走って行った。
とても一緒にテニスをやるという雰囲気ではなく、美弥に話したのと似た内容を伝えたそうな様子だった。

だけどその瞬間、隣のコートから突然ラケットが飛んできてコナンの頭に直撃した。

「!?……コナン君!!」

頭を押さえて蹲るコナンに、美弥も血相を変えて駆け寄った。






結果として、コナンは軽い脳震盪だった。
ラケットをぶつけてしまったという大学生グループの一人の別荘に案内され、往診に来た医者に診てもらった。
幸いコナンもぼんやりはしているが意識は戻っているので、病院に行くほどでもないと聞き美弥は胸を撫で下ろした。

「よかった、コナン君……」
「うん、もう大丈夫だよ」

意識のない彼を見た時は血の気が引いた。
どうしてもっと早くラケットが飛んでくる事に気付いて、防いであげられなかったんだろうと悔しくなった。
動転する美弥の前で、的確な指示を出したり応急処置をしたのは安室だった。
その時の彼の表情は真剣そのもので、コナンが言うような、警戒しなければならないような人には見えなかった。

「で、さっきから気になってたんだが、そちらのお嬢さんはお前の連れか?」

そんな質問が降ってきて、ハッと我に返った美弥はコナンから離れて頭を下げる。

美弥といいます。安室さんとは……ちょっとした知り合いで、今日もたまたま付いてきただけなんです」
「俺は毛利小五郎だ。そういや前に蘭から聞いてた気がするな」

安室に何か言われる前にと言葉を紡げば、よろしくなと少し格好付けて彼はそう言った。
本物の眠りの小五郎だ、と今まで有名人を見た事がなかったので密かに喜んでいたのは内緒だ。

「俺はてっきり恋人なんだと思ってたが……そうか違うのか、残念だったな」
「それは言わないでくださいよー」

揶揄われてヘラリと苦笑する安室の頼りない表情は何だか見慣れない。
先生と慕うだけあって、そこは弟子としてわきまえているのだろうかと思った。

時間はそろそろ昼に差し掛かっていて、お詫びも兼ねてと大学生達が昼食に誘ってくれた。
まだ少し意識がふわふわしているコナンは眠りたいと言うのでリビングのソファに彼を寝かせ、美弥達はキッチンへ手伝いに行った。
だけどリビングのエアコンは効きづらかったようで、途中で大学生の一人の部屋に移動したコナンの為に昼食を運ぶ。
だけど蘭が何回かノックしてみても反応はなく、園子は寝てるんでしょと言う。

「うーん……」

無理に起こす事はないが具合が悪くなっていてもよくないと、様子だけ見たくてドアノブを回してみるが、鍵がかかっている。
この部屋の人物も一緒にいるらしいので、美弥達は諦めて部屋を離れた。

昼食の冷やし中華を食べて大学生達と談笑した後でも、コナンが起きてくる気配は一向になかった。
部屋にいる大学生の男性だけでも出てきたら様子がわかるのにと思うが、それもない。
いい加減テニスをやる時間がなくなるぞと、他のメンバーがざわつき始めた頃、二階から大きな物音がした。

「今の音はなんだ!?」
「とりあえず行ってみましょう」

小五郎や安室も大学生達に続いて階段を上り、大学生の男性とコナンがいる部屋の前に集まる。
だけどやっぱり鍵がかかったままで、合鍵も見つからないらしい。

「僕が鍵を開けましょうか?そういうのわりと得意なので」

困る一同の中で一歩前に出たのは安室だった。
どこかから調達してきた針金のようなもので鍵穴を弄ると、やがてカチャリと開錠の音がする。

「すごい安室さん!」
「セキュリティ会社の知り合いがいましてね。内緒でコツを聞いた事があるんですよ」

感心する蘭や園子と一緒になって、美弥も呆けたように安室を見つめた。
何だか今日だけでも、彼の色んな一面を見た気がする。
爽やかに汗をかいて動く姿、意識を失ったコナンを介抱する真剣な目、小五郎の前での頼りなさげな顔、そして鍵を開けた時のどこか誇らしげな笑み。

(どれが本当の彼なんだろう)

そんな不思議な気持ちになりながら、ドアノブのレバーを下ろす安室の背中を見つめる。

「開けるな!」

だが少しだけドアを開けた先で、コナンが突然叫んだ。

「ドアを塞いでるの、遺体だから」
「えっ、なに……?」
「遺体!?ど、どういう事!?」

大学生達だけでなく、俄かに動揺が広がる皆のただならぬ空気に、美弥の心臓がドクリと音を立てる。

(え、……遺体?)

遺体、という事は死んでいるという事か。
一体誰が。コナンではなく、同室にいた人なのか。

誰かが、この部屋の奥で、死んでいる。

「っ……!」
美弥さんは来ちゃダメだ!」

嫌な呼吸の音に気付いたのか、ドアの僅かな隙間からコナンの声がする。
その緊迫した声にも肩が跳ねて硬直していると、察した安室が美弥の視線を遮るように正面に立つ。

「大丈夫ですか?顔色が悪いですね、美弥さんは下で休んでいてください」
「、……すみません……」
「あ、じゃあ私が下まで付いていきます」
「私も!」
「ありがとうございます、蘭さん園子さん」

蘭と園子に促されるまま、階下のリビングのソファに腰掛ける。
過呼吸までは起きていないが胸がギュッと絞られるように苦しくて、美弥は浅い呼吸を繰り返す。

「ごめんね、二人とも……また、迷惑かけちゃって」
「そんな事気にしなくていいんですよ」
「そうそう。美弥さんは此処にいてくださいね、私達様子を見に行って来ますから」

二階に戻っていた二人を見送ると、溜息に似た重い息を吐き出す。
早く落ち着こうと思っても、上から聞こえる誰かの悲痛な叫びだったり怒号に似た喚き声が美弥の恐怖を呼び起こす。
ドアで阻まれていたので何かを見た訳ではないのに、恐らくそういう空気がもう苦手なんだろうと思う。
震えが止まらず、苦しさに背中を丸めるようにして胸の辺りの服を掴んだ。

やがて警察がやってきて本格的に事件の空気になっていった。
皆がバタバタと駆け回っている中、美弥だけはその場から動けず、ただ右から左へ眺める事しかできなかった。

一度様子を見に来たらしいコナンが美弥の前にしゃがみ、座る目線よりも低い位置から見上げてくる。

「ごめんね、美弥さん……ホントは早く帰らせてあげたいんだけど、安室さんはすぐには帰らないだろうし、今日は迎えも呼べそうにないみたい」
「……ううん、大丈夫だよ」

こんな所にまで迎えに来てもらうなんてとんでもない。
そもそも、そうしてもらって当然の相手でもないし、連れてきてもらった安室を差し置いて自分だけ帰るのも違う気がした。
そして安室は探偵だ。きっとこういう事件現場では必要な人材なんだと思う。

だから、ちゃんと待っていると、半ば無理をしながら首を横に振ればコナンが苦笑する。
心配そうな窺う目をする少年に、優しい子だな、と美弥も笑みを返してみせた。

その後、現場となった部屋から皆がゾロゾロと下りてきて、警察を交えた軽い事情聴取のようなものが始まった。
美弥ももれなくそれを受ける事になり、何時頃は何をしていたか、などを険しい顔をする人達の前で答えるのは妙に緊張してしまった。
聴取を終えると、美弥は警察の人に許可をもらって庭先に出た。
外の空気を吸ったら少しは楽になるだろうかと思い、近くにあった鉄製のチェアがちょうど日陰になっていたので、腰を下ろして息を吐いた。

「はあ……」

この前ほどではないが、胸は痛くて息苦しさも感じる。
生温い風に身を晒し、草木の音で隠そうとしてもさっきの異常な雰囲気が脳裏に蘇り、
それに引き摺られて思い出したくもないものまで溢れ出してしまいそうになる。

「っ……!」

どうにか気を紛らわせようと、美弥は携帯を取り出す。
誰に送ろうかしばらく考えて、小さく震える指を抑えながら文章を打ち込む。

『また殺人事件が起きました』

送信が完了して、ほんの少ししか経っていないのに持っていた携帯が振動する。
画面を見れば電話の着信で、美弥は慌てながら耳に当てた。

『貴女は無事ですか?』

声の主、沖矢はまず先にそう言った。
この人の言葉は簡潔だった。要点だけを求めて、無駄がない。

「私は何ともありませんが……ちょっと気分が悪いです」
『そうでしょうね。今どこですか?』

知り合いに連れられてテニスコートにいる事を告げると沖矢は思案しているような声を出す。

『現場はどうなっています?』
「えっと、」
『迎えにいきましょうか?』
「いえ、そんな、大丈夫です。待っていれば終わると思うので……」

躊躇いもせず当たり前のように言われて少し驚いた。
有り難く思いながらも、何だか都合よく利用してしまっているような気さえする。
それに、よく考えれば殺人事件が起きた事を第三者に伝えた所で相手は困るだけだろう。

「というか、いきなり連絡してすみません……ちょっと動揺してしまって」
『問題ありません。ちょうどレポートを書き終えて休憩していた所でしたから』
「……ありがとうございます」

それが本当の事なのか、美弥を気遣った言葉なのかわからないけど、すんなりと答えてくれた彼の気持ちに助けられた。

「私、駄目ですね……事件って聞いただけで取り乱してばかりで……」
『それが普通の反応ですよ。気に病む必要はありません』

彼は励ましてくれるが、この場でこんな状態になってるのは自分だけなのだと美弥は苦笑する。
ただ座っているだけで、何の役にも立っていなくて嫌になる。

「みんな何かしら手伝って動いてるのに、私だけできていないんです。コナン君なんて小学生なのに全然怖がってなくて、今もずっと現場にいるのに……」
『おや、コナン君がいるんですか?』
「はい、警察の捜査に協力しているみたいです」
『ほう……』

コナンがいる事に反応した沖矢は、やがて穏やかに笑った。

『彼がいるなら、そう時間もかからずに解決するでしょうね』
「そうなんですか?」
『ええ、彼は探偵ですから』

冗談ぽく言った彼に美弥も小さく笑った。
どこか大人っぽくて、子供なのに的確に場の把握ができるあの少年は、もしかしたら本当にそうかもしれないと思えた。

『なら現場は心配ないでしょうから……解決するまで、よければ僕の話相手になってくれますか?』
「、……いいんですか?」
『ええ。聞いてくれます?』

連絡したのは美弥の方なのに、話相手になって欲しいと頼んでくるような声だった。
何だか立場が逆だなと思いながらも、つられて返事をすれば。

『先日クリームシチューを作ったのですが、どうも煮込み時間が足りなかったようで想定とは違ったものができてしまったんです』

続いた話題は、事件とは全く関係ないものだった。
きっと気を紛らわせてくれているのだろう、彼の気遣いを嬉しく感じた。

『材料と調味料は間違っていないはずなんですが、それだけじゃ駄目みたいですね』
「……そうですね。カレーとかもよく煮込んでコクを出しますから」
『コク、ですか……また一つ新しいワードが増えましたね』

あえてゆっくり喋っているかのように、落ち着いた穏やかな声。
興味深そうに頷く音を聞いていると美弥の気持ちも凪いでいくようで、いつの間にか震えも治まっている。

『まだまだ、美弥さんの作るものには到底及びませんね』
「そんな事ないですよ。何度も作っていれば、少しずつ納得のいく味になっていきます」
『努力します。けれど……できれば僕は美弥さんの料理が食べたいです』
「…………」

直球でそんな事を言われて、美弥は一瞬言葉に詰まる。

『貴女の作った料理は美味い。だから、また……作ってくれますか?』

かと思えば、遠慮がちなお願い。
美味いとはっきり言葉にされて嬉しくない訳がない。
自然と温かい気持ちになって、美弥は電話越しではあるが頬を緩ませていた。

「……私でよければ、いつでも」
『ありがとうございます。期待しています』

素直に喜んだ沖矢は、その後も色んな話を振ってくれた。
美弥はほとんど相槌を打っているか耳を傾けているだけだったが、話が尽きる事はなかった。
さらにはホームズの話題にまで発展して、前回の物語の続きを聞かせてくれるらしい。

『前回までの内容は覚えています?』
「えっと、大体は――」
「誰と電話しているんですか?」

急に近くで話しかけられ、振り返れば安室が立っていた。

「あ、知り合いと少し……」

そろそろ戻らなければならないかと、その事を沖矢に伝えようとしたが携帯の通話は既に切れていた。

「ふぅん……男性ですか?」
「……そうですね」
「仲が良いんですね」
「そういう訳ではありませんが……すみません、抜け出してしまって」
「いえ、いいんですよ。事件は解決しましたから」
「早いですね……」

彼が言っていた通りになったな、と美弥は密かに顔を綻ばせた。
話の途中で切れてしまったので、事件が解決したから戻る事と、電話に付き合ってもらったお礼の内容を沖矢に送信して携帯をポケットにしまう。

「一人にしてしまって申し訳なく思っていたんですが、心配は無用だったようですね」

そんな言葉が降ってきたので顔を上げると、一連の動作を見ていたらしい安室が口角を上げてじっと美弥を見下ろしてくる。

「電話の相手を随分頼りにされているんですね。とても親密そうに話していたので、もしかして大切な方なのかなと」
「そんな事は……」
「そうですか?でも、先ほどまで震えていたのに落ち着いていますね。
それは彼の声を聞いたからですよね?貴女にとって、彼が必要な存在だって事なんですね」
「……え?」

安室の言葉に美弥は固まった。
自分の指先を咄嗟に見下ろすが、それは確かに随分前に治まっていたものだ。

「僕がいるのに、電話の男性にそんな顔にさせられるなんて、妬けますね」
「…………」

(必要な、存在?)

そんな事はないと否定したかった。
だけど実際、自分から彼に連絡をして、気を紛らわせてくれる彼の優しさを有り難く感じた。

(いつの間に私は、彼を頼るようになったの?)

もう誰も頼りたくないと思った。
誰にも依存しないようにと、そうしなければ自分の大切な人はみんな死んでしまうからと。
一人で生きていかなければと思っていたのに、どうして彼に助けを求めたのだろう。

(そんな……)

また自分は誰かに縋ろうとしている。
その事実を突き付けられた衝撃で、止まっていた震えが蘇りそうだった。

「すみません、意地悪な事を言いました」
「…………」
「今日はもう警察に任せてよさそうですから、早めに帰りましょう」

安室の気遣うような声がかろうじて聞こえるが、美弥の頭には入ってこない。
肩を支えられ、小五郎達に軽く挨拶を済ませてから車に乗せられる。
無言の車内で、流れていく景色を美弥は呆然と眺めていた。

(どうして……)

いつから彼の声を聞いて安心するようになったのだろう。
初めは、料理を教えて欲しいと言われた通りにしただけだったのに。
穏やかな笑み、それからゆったりと流れる時間を感じながら飲む紅茶。
深く関わってこようとはしないのに、いつもさりげなく美弥を支えてくれていた。

気付けば、あの空気感に落ち着くようになっていた。
そう、彼はシュウとは全然違うはずなのに、どうしてかシュウに似ているのだ。
だから怖くて、近付きたくなかった。シュウに甘えていた自分がまた顔を出してしまいそうだったから。

(ユキがいなくなったらシュウで、その次は沖矢さんなんて……)

どうして忘れていたのか。
どうして頼りたいと思う人ができ始めているのか。

甘えられるなら、依存できるなら誰でもいいのか。
こんなに節操のない人間だとは思わなかった。最低な自分を呪いたい気分だった。

(駄目だ)

これ以上は駄目だ。
自分は、彼をシュウの代わりにしてしまう。
ユキだけでなく、シュウまでも死んでしまったというのに。
そして今度は彼を死なせてしまうかもしれない。

美弥さん、怒ってますよね?」

自分の感情を認めたくなくて必死で窓の外ばかり見つめていた美弥の態度を拒絶と解釈したらしい安室が、ポツリと呟く。

「……いいえ」
「……顔を見せて欲しいですけどね。元凶は僕なので仕方ありませんが」

本当に彼に対して怒っている訳ではないのだが、安室は気まずそうに苦笑した。
信号待ちで停まった車のエンジン音が、今はやけに大きく聞こえる。

「ポアロで、貴女と親しい間柄になりたいと言ったのは嘘ではありません。
僕は貴女の力になりたいんです。だから、いつでも僕を頼ってください」
「…………」


――「何か困った事があれば、僕を頼ってくださって結構ですから。僕は迷惑ではありませんから」――


似たような境遇で、彼の声が重なる。

美弥の周囲にいる人達は皆、こんなにも優しいのに。
自分だけが、いつまでも弱いまま。











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余分な場面を削ってもこの長さ…