06
今日の工藤邸は珍しく音楽が流れていた。
何となく聞いた事のあるその声は、確か波土禄道という人気のロックミュージシャンだったと記憶している。
赤井がいつも使っているパソコンから再生されている日本の歌に自然と引き寄せられて、美弥は思わず訊ねていた。
「こういう歌、好きなの?」
「いや、今度リハーサル見学に同行する事になったから曲の把握をしているんだ」
「そうなんだ……」
リハーサルの見学に行くぐらいファンなのかと思えば、どうもそういう感じではないらしい。
仕事だ、と呟いて彼は真剣な顔で曲を聞きながら波土禄道について調べている。
沖矢という別人を演じるには、こういう知識も取り入れる必要があるのかもしれないと美弥はひとまず解釈した。
「お前は彼について知ってるか?」
「そんなに詳しくはないけど、テレビとかでよく聞く曲とか、有名な曲なら知ってるよ」
「そうか」
少し前に新曲の発表をするとかで話題になっていた気がする。
どうしてそんな人のリハーサルを仕事で見学しに行く事になるのかよくわからないが、普通では見られない物だからちょっと凄いな、なんて思っていると。
「お前も行くか?ミュージシャンのリハーサル風景など、そう見られるものではないだろう?」
「え、いいの?」
まさか誘ってくれるとは思わなくて驚いた。
「調べたい事があるが、お前が付いてきても問題はないだろう。此方に来るばかりで、いつも退屈な思いをさせているからな」
「そんな事ないけど……ありがとう、行ってもいいなら行きたい」
気遣いが嬉しくて頷くと、沖矢の双眸から覗く深い色の目が緩やかに笑んだ。
一緒に行く事になったので美弥ももう少し波土禄道について詳しくなろうと、赤井の隣で同じようにして音楽を聴いていたが、
結局彼の調べものは夕食が終わった後でも続いていた。
美弥がお風呂から出てきても、パソコンの前には相変わらず沖矢の姿があった。
ちらりと様子を窺えば、作業が多くて遅くなるから先に寝ててくれと彼は言った。
できれば待っていたい気持ちはあったけど、すぐ近くで寝ずに待っているのも気が散るだろうと思って素直に頷いた。
「すまんな、終わったら俺も寝る」
「ううん、大丈夫」
一人で彼の部屋に行き、すとんとベッドに腰掛ける。
どうしようかなと考えながらも、時間を潰すようなものも趣味もないので結局すぐにシーツを持ち上げて横になった。
大丈夫だと言ったものの、隣に誰かいないのはやっぱり寂しい。
体を横に向けるとその反動で、寝具から微かに彼の匂いがする。
(あ、シュウの匂いだ)
そう思ったら少し気持ちが落ち着いて、体を丸めていれば次第に瞼が重くなっていった。
ふいに、背中に質量を感じた。
意識がぼんやりと浮上すると、背後から伸びてきた逞しい腕がお腹に回されてすっぽりと包まれる。
それが誰の腕かなんて、考えなくてもすぐにわかる。
「……仕事、終わった?」
「起こしたか」
横向きで寝たまま振り向かずに呟けば、後頭部のすぐ後ろから返事が聞こえた。
すまん、と言いたげな小さな声に美弥はふるふると首を振る。
眠りの海と、抱き締められる力加減と、ゆっくりと伝わってくる人肌の温度が気持ち良かった。
(あったかい)
誰かがいてくれるだけでこんなに違うものかと思った。
彼の息遣いすら美弥を安心させるものだったけれど。
ふと、そこに小さな痛みが生じる。
(……シュウは、他に大事な人がいてもこういう事できるのかな?)
嫌な考えが頭をよぎってしまった。
だけど浮かんだ疑問はそのまま自分に跳ね返る。
それができている人間が今まさに此処にいる。だからあり得なくはない。
(自分がどうしたいのかわからない)
別にこのままでいいと、何かを望んでいる訳でもないのに余計な事に囚われている自分がいる。
だけど、じゃあどうしたらいいのかなんてわからない。
仮にもし彼から好きだと告げられたって、困るだけなのに。
美弥は邪念を振り払うように体をひねらせて、彼と向かい合う。
本来の赤井の瞳が暗がりで数度瞬いた後、また緩く引き寄せられる。
「どうした?」
「何でもない……おやすみ」
「……ああ」
鼻先を彼に寄せて目を閉じていれば、額に唇の感触がした。
どういう意味のキスなんだろうと、意識を手放すまでそんな事ばかり考えていた。
*****
「あ、美弥さん!こっちこっち!」
ライブ会場に着くと先に来ていた園子が手を振っている。
リハーサル見学に行く園子と蘭に、沖矢とコナンが同行する形であるらしいが、そこへ更に便乗するのが美弥だ。
「ごめんね、私まで参加させてもらって」
「いいんですよ、人数多い方が楽しいし!美弥さんも波土さんのファンなの?」
「私は昴さんの付き添いで……リハーサル見学なんて滅多にできないから気になっちゃって」
美弥と、その後ろにいる沖矢を見比べて園子がニヤニヤと笑い出す。
「もしかして美弥さんって、昴さんと付き合ってたりします!?」
「え、」
「前から怪しいな~とは思ってたけど、こんな所に仲良く一緒に来るなんて、もうカップルにしか見えないっていうか……!」
喜んで付いてきてしまったが、確かに一緒にいれば必然とそう見られてしまうだろう。
どう答えたものかとチラリと後ろを振り返る。
彼は細目で佇んだままで動こうとせず、対応は美弥に任せると言わんばかり。
「う、うん……そう……かな?」
「きゃーやっぱり!」
「えーそうだったんですね!」
いくら名目上だとしても美弥から改めて口にするとどうも気恥ずかしい。
躊躇いながら肯定すれば蘭までもが目を輝かせた。
こんな面白い話題があれば、若い高校生二人が余計に色めきだつのも無理はない。
「いつからなんですか!?あーでも、そうなると安室さんは失恋って事になっちゃうのね!」
「えっ」
「どういう事ですか?」
ずっと静観していたのに低い声がすぐ近くから聞こえて、美弥は反射的にビクリと肩を強張らせた。
楽しそうな園子の言葉に引っかかったのは沖矢だった。
「ポアロで働いてる安室さんも前に美弥さんを狙ってるって言ってたんですよ!けど美弥さんは違う人と仲が良いからって!」
「ほぅ……」
沖矢の声がさらに低くなった気がする。
以前にも安室と関わっている事をチクリと言われたから、あまり変な事を教えないで欲しいと思うがもう遅かった。
「けど素敵なイケメン二人から言い寄られるなんて憧れちゃうー!愛の三角関係だわ!」
「ちょっと、園子……っ」
「そうなんですか、美弥さん?」
園子達には見えない位置から沖矢が片目だけを覗かせる。
赤井の気配をさせた鋭い目で見つめられて美弥は動揺する。
「そ、それは……けど安室さんが本気かどうか、わからなくて……」
「なるほど。彼には一度、挨拶をしておかなければなりませんね」
(怖い……)
マズい事になっている気がして動けない美弥を余所に、平和な園子達は「キャー!愛の修羅場よ!」なんて本気で盛り上がっている。
蘭も園子を止めようとはしているが、興味があるのかそこに抑制力はあまりない。
「けど、女はたった一人の男しか選べないの……!美弥さんは昴さんを選んだのね!」
「え……?」
神に祈るが如く掌を握って謎の陶酔をしている園子の言葉に、違和感を覚えた。
たった一人の男を選ぶ。
沖矢と付き合っている事にするのはまだいい。
だけどどちらを選ぶかと聞かれると、重い、闇のような感覚が美弥の奥から溢れる。
(たった一人を、選ぶ……?)
選ぶという事は恋人になるという事、もっと言えばその先の、一生の伴侶で。
(私は、選ぶの?誰かを?)
――ユキを置き去りにして?
「…………」
「美弥さん?」
突然思考を停止させた美弥を不思議に思い、園子が首を傾げる。
代わりに言葉を発したのは沖矢だった。
「まあまあ園子さん、そのぐらいで勘弁してください。僕も自信がある訳じゃないんですから」
「えー付き合ってるのに?」
「ええ、いつ他の男に掻っ攫われるかわかったものではありませんから。ねぇ、美弥さん?」
「、…………」
名前を呼ばれてハッと我に返ったように振り返れば、含んだように微笑まれた。
「そういうものか~恋愛って難しいわね。でも今度詳しく教えて下さいね、美弥さん!」
「う、うん……」
「もう園子ったら……」
美弥の異変を園子はあまり気にしなかったようで、そのあっさりとした明るさに助けられながら頷いた。
だけど一度沈みそうになった思考はすぐには戻らない。
どこか上の空になっている美弥を繋ぎ止めるのは、肩に置かれた沖矢の手。
顔色を窺うと、彼は何も言わず笑っているだけ。
何だか、もうそれ以上は考えなくていいと言われているようだった。
視線を彷徨わせると、そのやり取りをずっと見ていただろうコナンと目が合ったので、なんでもないよという顔をしてみせた。
「それで、リハーサルはもうすぐ始まるんですか?」
「あーそうだよね、ちょっと聞いてくる!」
沖矢が話題を変えると、園子と蘭が関係者の元に向かった。
「ええ!?リハーサルが見学できない!?」
話を聞いていた園子の声がロビーに木霊する。
以前にもこんなような事があったなと美弥は思った。
マネージャーらしき人によると、今回披露すると発表されていた新曲の歌詞がまだ完成していないようで。
歌詞を完成させる為に波土が一人になりたいとの事で、リハーサルがいつから開始できるかわからない状況らしい。
「そっかー、それならしょうがないか。じゃあウチらも帰ろうか」
最初は驚いていたが、話が違うと憤慨する訳でもなくすんなりと帰ろうとする園子と蘭を引き止めたのは沖矢だった。
「でも、最後のライブならリハーサルを見た方がいいのでは?」
彼にしては珍しく戸惑っている。
(何か目的があるって言ってたな……)
傍にいるコナンも慌てた様子なので、リハーサルが見たいというよりは、それ以上に知りたい何かがあるのかもしれない。
だけど何も知らない女子高生達はさらりと答える。
「昴さんには悪いですけど……」
「私達そんなにファンじゃないから」
「え?ではここに来ようと言い出したのは……?」
「――僕ですよ」
沖矢の疑問に遠くから答えたのは、遅れてやって来た安室だった。
それを見たコナンと沖矢の空気が、張り詰めたものに変わったような気がした。
「ポアロの店で僕が波土さんの大ファンだと話したら、リハーサルを見られるように手配してくれたんです」
所属するレコード会社に出資してるのが鈴木財閥らしく、その伝手で今回の見学が実現したのだという。
園子と蘭がファンだから見学に来たんだと美弥も思っていたが、どうやら安室からの発端だったらしい。
(だけどそれにしては……)
ミュージシャンに会えるのを楽しみにしているファンにはあまり見えないのは気のせいだろうか。
「梓さんも来たんですか?」
「ポアロじゃ興味なさそうにしてたのにー」
「お店じゃ隠してたけど私も大ファンなの」
梓という女性が安室の腕に絡み付いて笑っている。
ポアロに行った時に安室と一緒に働いていた人だったなと、蘭達とのやり取りを聞いて何となく思い出した。
「けど、貴方も来ていたんですね、沖矢昴さん?」
「…………」
安室が挑発するような目で沖矢を見据えている。
(この二人、どういう関係なんだろう?)
安室の名前を出して信用するなと言うくらいだ、沖矢というか赤井は安室の事をある程度は知っていそうだけど。
「覚えていますか?」という安室の問いかけに、
彼がポアロで働いている事は知っているはずなのに沖矢は「宅配業者の方ですよね?」なんて冗談のような言葉を返している。
警戒なんだろうか、とにかく安室に手の内を明かさないようにしている空気を感じた。
不敵に笑っている安室が、チラリと美弥を捉える。
「こんにちは、美弥さん。こんな所で会えるなんて思いませんでしたよ。最近、特に彼と仲が良いんですね」
「っ、そ、そうですか……?」
どうしてか、笑って近づいてくる雰囲気がいつもと違う。
物腰は柔らかくて口調も丁寧なはずなのに、ギラギラしているような威圧がどうにも怖くて。
探偵の時よりも深く心の奥を探られそうで、目を合わせられない。
安室の視線から逃れようとしていると沖矢がすっと美弥の前に立つ。
「僕が波土禄道のファンなんですが、良い大人が一人で来るのは少々恥ずかしかったので付いてきてもらったんです」
「へぇ……そうなんですか」
笑顔で相槌を打つわりには、すごく興味がなさそうな返事だ。
それでも沖矢が振った波土の話題に乗ると、お互いが負けじと好きな曲について熱く語らい始めた。
(すごいな……)
沖矢がファンを演じる為に研究していた事は知っているけど、ここまで把握している事に思わず感心してしまった。
スラスラと曲の解釈を並べ立てているのを聞いている横で、蘭と園子は帰る準備をしている。
リハーサルが当分行われないから仕方ない事だと思うが、コナンと沖矢はどうするのだろう。
当然美弥は彼に付いていくだけだから、女子達とはお別れかな、なんて思っていると。
ホールに入ろうとした作業員が突然驚愕の声を上げた。
「っ!?」
異常な叫びに皆が一斉に駆け出すと、中を見た人から次々と悲鳴が上がる。
その空気に美弥は嫌な予感がして、近付こうかやめた方がいいのか狼狽えていると。
「美弥さんは来なくていい」
「っ!」
沖矢に止められ、美弥だけは遠くからその状況を知る事になった。
これからライブをやるはずだった波土禄道がステージで首を吊っていると。
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たまにはしっかり原作沿い。
続きます。