06-2
「美弥、大丈夫か?」
こっそりと耳打ちで訊ねられ、美弥は薄く笑う。
実際の現場を見ていなくても誰かの悲鳴を聞くだけで怖くなるし、奥には遺体があると思うと呼吸が苦しくなるような感覚がある。
だけど今日はすぐ近くに赤井がいる。
そして沖矢の声だけど彼らしい口調を感じ取ると、少しだけ気持ちが和らいだ。
「うん……ちょっと苦しいけど平気」
「悪いが此処で待っていろ。気分が悪くなったら早めに言え」
「わかった」
美弥が頷くと、沖矢はコナンや安室と同じように現場の調査に向かった。
遺留品や現場に残された物から状況を整理しようと考え込んでいる姿はなんだか生き生きしてるなと思った。
仕事の延長なのか、推理もの好きゆえの好奇心なのか、それとも謎を解き明かさずにはいられない性分なのか。
だけど真剣な眼差しと、何事にも動じない彼の背中を見ているのは嫌いじゃない。
美弥は現場には近づけず、ロビーの休憩用の椅子に座って待っている事しかできない。
警察関係者や色んなスタッフが忙しく行き来するのを大人しく眺めているだけで、手伝えない事が情けないといつも感じてしまう。
「なんか大変な事になっちゃったね」
「ねー」
園子と蘭も帰る事ができなくなり、美弥と同じく待ちぼうけだ。
確かにこれではリハーサルは以ての外、ライブだって全て中止だ。
それだけでなく、こんな有名人が亡くなったとあってはテレビなどでもかなりの騒ぎになるだろう。
「あの、すみません」
「あ、はい」
真面目そうな刑事が話しかけてきて、思わず居住まいを正す。
「筆跡鑑定をしたいので貴女の名前と『ごめんな』の文字を書いてもらってもいいですか?」
「……はい」
メモ用の手帳とペンを差し出された。
自分も書かなければならないのかと戸惑ったが、どうやらこの場にいる人間は全員やらねばならないらしく、メモ帳には既に他の人物の名前も書いてある。
また容疑者にされたらどうしようと思いながらも、美弥は恐る恐る名前と文字を書いた。
刑事はその後、近くにいた安室にも書いてもらおうと手帳を見せている。
けれどいくら呼びかけても彼は違う方角を見つめていて、凍り付いたように放心している。
(どうしたの?)
少し離れているのではっきりとはわからないけど、目が揺れているような気がする。
いつも完璧な笑顔で何を考えているかわからないのに、今はどうしてか感情的な色を浮かべているような。
恐怖か、衝撃か、そんな深い闇に囚われているような目。
あれはまるで、過去のトラウマが呼び起こされているような雰囲気だったから、美弥は立ち上がった。
呼ばれている事に気が付いた安室が名前を書き終えた所に、そっと近づいて声をかける。
「あの、大丈夫ですか?」
「え?」
「怖い事でも、思い出しました?」
「っ」
美弥がそう言えば安室は珍しく動揺を見せた。
だけどすぐにいつもの笑顔に戻る。
「どうして、そう思ったんですか?」
「何となく……そんな目をしていたような気がしたので、勘違いならいいんです」
勘違いであるならいい。だけど勘違いじゃなかったら、そう思ったら放っておけなかった。
過去に引き摺られていく感覚は美弥にも経験がある。
一度落ち込んでしまうと気持ちがどんどん落ちてしまうから、少しでも気が紛れるのならと堪らず話しかけてしまったが。
「……そう見えちゃいましたか?けど美弥さんが思ってるような事は何もないので安心してください」
「そうです、よね」
そう返されたらそれ以上は何も言えない。
むしろ首を突っ込んでしまって迷惑だったかもしれないと、今になって恥ずかしさを感じてきて。
「優しいんですね、美弥さんは」
「いえ、差し出がましい事を言ってすみません」
美弥は頭を下げると早々に安室から離れて椅子に戻った。
(やってしまった)
誰にだって触れられたくない記憶はあるだろう。
もし予想が当たっていたとしても美弥にできる事なんてありはしないのに。
彼にとって、きっと見られたくない部分だったのかもしれない。
「美弥さん、どうかしました?」
反省の気持ちで項垂れていると、ふっと視界に影ができる。
顔を上げれば沖矢が此方を窺っている。
「あ、ううん、何でもない」
「顔色は、悪くなさそうですね。すみません、なるべく早く解決させますから」
「私は大丈夫だから……無理しないでね」
気分が悪くなったのかと心配させてしまったのだろう。
手を振って笑ってみせれば、沖矢は納得したのか小さく頷いた。
ちょうど先程の刑事が沖矢を見つけて戻ってきて、今度は彼に名前の記入を頼んだ。
左手でサインしている所を眺めながら、すっと視線をずらして美弥は気付いてしまった。
「っ……」
今まで見た事もないような、もの凄い形相で沖矢を睨み付けている安室がいた。
これは怒りなんてものじゃない、憎悪すら感じるもので。
(どうして……?)
敵視しているかのような目で、彼はずんずんと沖矢に近付いて口を開く。
内容までは聞き取れない。だけど安室の目はずっと攻撃的で。
以前に、安室を信用するなと赤井は言った。
そして安室は、赤井を探していた。
(もしかして、知ってるの……?)
沖矢の中身が赤井だという事を。
じっと見つめていたら安室と目が合ってしまい、咄嗟に視線を逸らす。
あの目はどうしても背筋がぞわりとするほどに怖い。
探偵の観察眼よりももっと強く、暴かれるような気がするからだろうか。
「隣、座ってもいい?」
そんな時話しかけてきたのは、安室と一緒に来ていた梓という女性。
彼女も帰るに帰れなくなったうちの一人だ。
「あ、はい、どうぞ」
「ありがとう」
すとんと、可愛い仕草で椅子に腰掛ける。
そして美弥を見て笑うので、つられて笑顔を向けた。
「ねえ、あの人と付き合ってるの?」
梓が指差した方向には沖矢がいる。
「……はい、一応」
「そうなんだー。何やってる人?」
「あー……よく知らないんですよね」
何と答えたらいいかわからず言葉を濁せば、梓はその意外すぎる答えに余計に食いついた。
「え!?知らないのに付き合ってるの?どういう事なのか逆に気になる!」
そういう反応になるだろうなとは思っていた。
だけど、それはある意味で嘘ではなかった。
「うーん、何ていうか……私には関係なかったから」
「ええー?普通気になるよね?」
「そうなんですけど……私にはあの人が必要だった、ただそれだけなんです」
「…………」
彼の背中を見つめながら小さく笑えば、梓はついに言葉を失ってしまった。
そう、どんな素性の人か気にならなかった訳ではないが、美弥にとってそれは重要ではなかった。
今でこそ彼の事を教えてはもらえたが、実際何をやってるかなんてわからないのだ。
しかも彼の話題は外では御法度だから余計に何も言えない。
彼女は普通の恋バナに花を咲かせる事を期待していただろう。
だけど自分達はそもそも普通じゃなくて、だからごめんねと美弥は内心で梓に謝った。
「梓さん、でしたよね?」
「あ、うん、そうだよ」
「梓さんは大丈夫ですか?波土さんの事、ショックですよね……」
「え、ええ、そうね……」
彼女は確か波土の大ファンだと言っていたから、無理しなくてもいいんだよという気遣う意味で話題にしてみたが。
(そうでもなさそう?)
どうもそういう風には見えず、悲しみに暮れているような感じでもない。
もしかしたらファンというのは口実で、一緒に働いている安室に付いてきたかったのかなと、そっちの可能性を考えた。
だから美弥と沖矢の事を聞いてきたのかもしれないと、切り替えた美弥は努めて明るくしてみせる。
「安室さんって、モテますよね。ポアロでも人気ですもんね」
「……そうなのよー、いつも女の子の注目の的なんだから」
彼の事好きなんですか、なんて面白半分で訊きたくはなかったので少し遠回しな表現になった。
梓が実際どう思ってるかはよくわからないが、美弥の言う事には同意らしい。
会場に来た時も安室と腕を組んでいたので、やっぱりそうなのかもしれないとは思う。
「安室さんを好きになると大変そうですね」
「どういう所がそう思うの?」
「……心配ばかり、しなきゃいけない気がするから」
「確かにねぇ」
容姿も整っていて誰にでも優しい性格ならば、誰もが彼に夢中になるだろう。
仮にそんな人と両想いな状態になっても、数多の想いを寄せる女達の中で自分が一番でいられる自信は、正直美弥にはない。
「だから、頑張ってくださいね」
「……ありがとう」
応援している意味を込めて笑えば、梓は苦笑した。
そんな何気ない会話を続けていると、犯人とそのトリックがわかったらしいと周囲が俄かに騒がしくなった。
コナンと安室と沖矢が警察を連れてホールの奥に入っていく。
伝え聞いた話によるとステージには大掛かりな仕掛けが施されていたらしく、それを再現しながら詳細を説明しているようだった。
普段だったら絶対に事件現場には近づかないが、今日は彼がいる。
思えば、沖矢が外でどのように振る舞っているか、またどのように事件を解明するのかを知らない。
一体どんな様子で喋っているのか、何だか見てみたい気になって美弥は立ち上がる。
遺体はもう移動されているそうなので、ほんの少し覗くぐらいならできるかもしれないと分厚い扉をゆっくり開けて、そっと様子を窺った。
奥のステージでは、ロープを使って人を吊り上げる方法を解説していた。
それを実行したのは波土のマネージャーであるが、殺した訳ではないと安室が説明している。
「彼は自分で首を吊り、それを見つけた彼女が殺人に偽装したという訳です」
事の発端は、元恋人であるマネージャーが17年前に子供を流産していた事を知ってしまったからだという。
当時にお蔵入りしてしまった歌を完成させて披露しようとしたのが今回のライブだったらしいが、波土は自殺してしまった。
マネージャーは隠したがっていたが、もう黙っている事はできないと判断したのか隣にいたレコード会社の社長が口を開いた。
「なるほど。事情を知った彼は責任を感じ、子供の為に歌詞を書き発表しようとする。
しかし、どうしても書けずに『ごめんな』というメッセージを残して死を選んだという事ですか」
聞こえてくる沖矢の声、そしてマネージャーが涙ながらに語る真実。
元カノとの事で自殺したなんて知られたら彼の家族に申し訳ないと、遺体を発見した彼女が他殺に偽装したのだと。
(悲しい事件だな……)
好きだった人が目の前で死んでいるだけでショックなのに、自殺の原因が自分に起因しているなんて。
泣き叫んでもおかしくないのに、その人や周囲の為に遺体を偽装して、自分が罪を被ろうとするなんて一体どんな気持ちだっただろう。
彼女の悲痛な涙が伝染するように美弥の心を締め付けた。
悪者のいない殺人現場はこれほど辛いのかと、美弥の目から勝手に涙が流れた。
真実がわかったのに後味が悪くて、全然晴れ晴れとした気持ちにならない。
警察に連れて行かれるマネージャーを重苦しい気持ちで見つめていると。
「泣いているんですか?」
傍に来た沖矢の指が、目尻に触れる。
当事者でもない、何もしていない自分が泣いてるのが恥ずかしくて、美弥は俯いた。
「……ごめん」
「謝る必要はありませんよ。辛いなら見ていなくてもよかったんですよ?」
「見るのは大丈夫。だけど、何か、悲しいなって……」
「…………」
美弥の過去とマネージャーの行動に似通っている部分はない。
だけど、大切な人を失った悲しみはどうしても重なってしまうようで、引き摺られるように呼び起こされる。
「死んでもなお、女を泣かせるなんて馬鹿な男だ」と記者の男が言った言葉も、何故か頭に残って離れない。
ハラハラと流れていく涙を止めようと必死に堪えている美弥を、沖矢は何も言わずにじっと見下ろしていた。
涙がようやく落ち着いた頃、後処理の為か沖矢が警察に呼ばれた。
「すぐ戻る。後少しで終わるから、帰ろう」
「……うん」
離れていった背中を見つめながら、美弥は最後の涙を拭う。
「――付き合い始めたんですか、彼と?」
ふいに背後から尋ねられ、振り返ると安室が笑顔で立っている。
ロビーの奥の方で園子と蘭が申し訳なさそうな顔をしているのが見えたので、彼女達から聞いたのだろう。
だけどそれはよかった。
問題は、次に囁かれた言葉だった。
「前の方は、もういいんですか?」
「っ!」
ギクリと胸が嫌な音を立てた。
彼は赤井のつもりで言っているかもしれないが、美弥にはユキの事で。
自然と避けていた事を言い当てられたようで、罪悪感で二の句が継げられない。
(私、は……っ)
安室の観察するような目から逃れたくて視線を彷徨わせる。
嫌だ、探らないで欲しい。自分はまだ気付きたくなんてない。
だけど彼の言っている事は至極もっともな疑問で。
何かを言わなければと唇を開閉させていると、横から腕を引かれた。
「彼女に手を出さないでもらいたい」
安室の視線を遮るように、沖矢が美弥の前に立ち塞がった。
美弥から沖矢の表情は見えないが、彼らしくない低めの声に安室の目が鋭くなる。
「…………」
無言の睨み合いが続く。
その張り詰めるような空気を破ったのは、口角を上げた安室だった。
「そのハイネック……この場でめくりたい衝動に駆られますが、今はやめておきましょう」
「…………」
「いずれ、また」
確信めいた言葉を吐き、安室は去って行った。
沖矢の背に守られながら、美弥は無意識に胸を押さえていた。
安室の言葉が突き刺さって、いつまでも抜けなくて、じくじくと膿んでいくようだった。
■
「待っている間、あの女性と何を話してたんですか?」
帰りのRX-7の車内で、変装を解いたベルモットに訊ねてみる。
彼女は本来のプラチナブロンドの髪を振り乱すと、助手席のシートにどさりと体重を預ける。
当初の予定と違って事件が起きてしまった為に退屈な時間が多かった事だろう、疲れたような溜息が聞こえる。
「別に。何か情報でも拾えるかと思ったけど、特になかったわ」
「そうですか」
ベルモットでも無理なのかと、ハンドルを握りながら安室は小さく笑う。
「まあ……僕も少し調べた事がありますけど、彼女はただの一般人でしたよ」
「そう。けど彼女、貴方と付き合うのは嫌みたいよ」
「え?」
揶揄うネタを思い出したのか、口角を上げて此方を見ている気配がする。
「好きになると大変そう、ですって。頑張れって応援までされたわ。貴方でもフラれる事があるのね、バーボン」
「……そうみたいですね」
クスクスと可笑しそう嗤われて、安室は複雑な表情を浮かべた。
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当然ですが夢主は梓が変装している事に気付いてません。