手を翳して太陽と一面の青い空を見上げる。
温かい光と沸騰しそうな熱気を浴びて、琉奈は静かに両手を広げた。

開け放たれたシャッターから一歩踏み出せば、そこは別世界。
勝利と敗北と、生と死と、歓喜と狂気が入り乱れるフィールドは、怯めばすぐに潰されてしまいそうになる。

ドライバー達の声が聞こえる、マシンの駆動音、そして過ぎ去る風の音も。
ピットクルー達の足音を感じる、期待と不安の波も、固唾を呑む痛みも。

歓声に乗って琉奈の五感を刺激して、残るのは絶え間なく溢れ出る高揚感。


――眩しい、そしてとにかく熱い。


どうして此処にいるのだろう、どうして生きているのだろう。

全ての答えはそこにある。
勝利の先の、輝きに満ちた……たった一瞬の中に。


そして始まる、最終戦。






10・天馬と一角獣






スタッフ達がピットにて待機しているのに対して、
琉奈は修とクレアの隣でインカムを身につけてスターティンググリッドを見つめていた。

「いいの?あちらにいなくて」

クレアは悪戯まじりに聞くので、モニターを見たまま琉奈は苦笑した。

「いいんです……もう私にできる事はありませんから」
「一番アンリを心配しているのは貴女でしょう?」
「でも私がいなくてもスタッフはちゃんとできます」

1人スタッフが抜けた所で今のスゴウには何の問題もない。
仲間達は皆、素晴らしい腕を持った人達ばかりなのだから。


『シグナルがレッドに変わった!!』

スタート前から熱いアナウンスが響く。

シグナルがブルーに変わった瞬間、24台のマシンが唸りを上げて駆け抜けていく。
熾烈な1コーナー争い、そしてスタート直後の混戦。
しかしスタートに失敗し加賀が順位を落とし、すぐさまグーデリアンと日吉がクラッシュしてしまう。

『なんだってこうハイペースなんだ!まだ序盤だぞ!』

アンリの声がインカムから聞こえる。

(これが最終戦……皆が全てを賭けてくる)

次々と拾われるアンリの本音に、琉奈は祈るように目を閉じた。
伝わってほしいと、気付いてほしいと。


だがレースは次第に思いもよらない展開になった。

「……雨だ……」

青天だった空は急に鉛色になり、大粒の雨がサーキットを覆う。
ピットを振り返れば、既にスタッフ達はレインタイヤの準備に取りかかっていた。

「アンリ、早めにタイヤを変えるぞ」

修がアンリに通信を送る。

「あちらに行きたいんじゃないの、琉奈さん?」
「……意地悪ですね、クレアさん」

今のままでいる限りサポートはしないと、アンリに宣言してしまった。
アンリは雨は初めてかもしれない、そんな心配が頭をよぎるが琉奈は依然プラットホームに立ったまま。

だけどモニター上のガーランドがコーナーの立ち上がりで何度もスリップするのが見えた。

『うわああ、オーナー!』
「……っ!」

雨で滑る車体と、聞こえるアンリの声。
思わずマイクを使ってしまいそうになったが、琉奈は首を振ってやめた。
自分が何を言った所で逆効果なんだと。

ピットに戻り他チームがタイヤ交換をしている背後で、ハヤトのアスラーダが通り過ぎた。
彼は雨が得意だ、恐らくタイムをかせぐ気なのだろう。

(ハヤトは限界で頑張ってる……だからアンリも、気付いて)

しかしまたしてもアンリは声を荒げた。
ランドルのイシュザークとの順位争いで完全に頭に血を上らせていた。

『お前はあぁ!!』
「!アンリ!」

インカムを通した叫びと同時にガーランドとイシュザークは接触した。
イシュザークは壁にぶつかり大破、ガーランドは損傷せず済んだのでまだレース続行は可能だが。

「アンリ!大丈夫!?ピットへ戻れるわね!?」
『あ……あ、はい…っ』

クレアの呼びかけにしばらく放心状態だったアンリが反応し、ガーランドはコースに戻った。
優勝がかかっているという事もあり、何ともなさそうで3人とも安堵の息を吐いた。

「ガーランドのダメージを調べます」
「お願いね琉奈さん、私と修さんも行きます」

琉奈はピット側へ戻り、アンリが入ってくるのを待った。
パーツ交換が必要なのかリタイアした方がいいのか、判断しなくてはならない。

その準備をしている間に、雨はまた止んだ。
マシンのチェックとスリックタイヤの交換という同時作業になる。
琉奈はクルーにタイヤ交換を頼み、自身がダメージのチェックをする事になった。

「ガーランドが来ます!」

やって来た青いマシンに取り付くとすぐさまマシンの傷を確認する。

(よかった、これなら最後まで続けられ……)

「……アンリ?」

全員が信じられないといった顔だった。
レース中にもかかわらずアンリがマシンを降りたからだ。

「何故マシンを降りる?」
「もう無理ですよ、もう勝てない。これ以上走ったって無駄――!」
「!修さん!」

アンリに修の平手打ちが降り注いだ。
オーナーがドライバーに手を上げた事によりスタッフ達は騒然とした。

「甘ったれるな!周回遅れだろうが何だろうが、マシンを降りる事は許さん!」
「オーナー……っ!」

アンリも、今まで何も言わなかったオーナーに殴られるとは思っていなかったのだろう。
頬を押さえ、放心状態で修を見上げていた。

「お前は…っ、相手より何より、その甘ったれた自分の根性に負けているんだ!
自分の甘えに勝てない奴が、どうして他の人間に勝つ事ができる!?」

修は手を掴み、嫌がるアンリをマシンに乗せようとする。

「さあ乗れ!チャンプより何より自分と戦って勝つために乗るんだ!」

「アンリ!」

その時聞こえたのは、隣にピットインしたハヤトの声。

「行くぞ!僕に付いてこい!」

ハヤトは決して諦めていなかった。
周回遅れでもまだチャンスはあると、勝つ為にサポートをしてくれると。

「真のチャンプに必要なのはレースに勝つ事だけじゃない。それを見極めてこい」


そうしてアンリは涙目ながらにガーランドに乗り、再びコースに戻った。


『こんな……こんな事したって何になるの?僕はもう……!』


(頑張れアンリ……頑張って……!)

琉奈はインカムから聞こえるアンリの本音に耳を傾け、そして顔を上げた。

「最後のタイヤ交換、私も参加させてもらってもいいですか?」
琉奈さん……!はい、頑張りましょう!」

スタッフ達が笑顔で受け入れてくれ、琉奈はタイヤの準備に取りかかった。

アンリが走る事に意味を感じてくれたのなら、自分は全力でアンリのサポートをすると約束したのだ。
アンリの為に自分達メカニックがいて、ピットクルーがいる。

(ドライバーは私達の分の想いも乗せて走っているという事に、気付いて……!)


『こんな……こんな走りって……!』


モニターを見ればハヤトがアンリを引っ張って順位を上げているのが見える。
アンリは驚いているんだろう、ハヤトのレースを垣間見て。
これが本当の駆け引き、一歩間違えれば大事故のレースだと。

「勝てますかね、アンリ……?」
「……わからない。でも、今日はもう勝てなくてもいいのかもしれない……
本当はこんな事言っちゃいけないんだけど……でも……」

アンリは、大事な事に気付き始めているから。

「オーナーが手を上げた事にも驚きましたけど……琉奈さんは気付いてたんですね、アンリの性格を…」
「偶然にね」
「よかったです俺達、琉奈さんを信じきる事ができて」
「そうですよ。まぁ、始めからマスコミなんかの言うことなんて信じてませんけどね!」

仲間達が口々に言い、皆が笑う。

今年1年を振り返ると、落ち着いて仕事ができなかったように思う。
アンリには嫌われ噂が流れ、担当であるはずなのに後半からはあまりピットにも入らなくなって。
最終戦ではインカムを持ちただ見ていただけ。

それなのに、皆は自分を受け入れてくれた。
なんて、素敵な人達だろうと思った。

「……ありがとう」

琉奈はレース中である事も忘れ、思わず目に涙を溜めた。
だけど何とかそれをやり過ごして皆とアイコンタクトをする。

「最後のピットイン、何が何でも5秒台で出そう!」
「「はい!!」」

ほどなくしてアスラーダとガーランドがピットに入って来た。
燃料を入れ、タイヤを交換する。

ヘルメットの奥にあるアンリの顔は大きく呼吸をし、どこか虚ろな表情だった。
きっと自分の中でレースというものを整理しきれないんだろう。

タイムロスになるにもかかわらず琉奈は思わず叫んだ。

「アンリ、頑張って!!」
「っ!」

不安そうな目が琉奈を捉えた。
初めてこっちを向いてくれたという事が嬉しくて、琉奈は笑顔で叫んだ。

「頑張って走ってきなさい!貴方には私達がいる!」
「……ぁ…!」

何か言いたそうだったけど、準備が終わっていると気付くとアンリは急いでガーランドを走らせた。

「……アンリ……」









……わからなかった。
風見ハヤトという存在が、何もかもが、わからなかった。

あの存在が憎くて、レースというものが憎くて……でも何故僕は走っているのだろう?
父さんが興味をなくした時点でやめてしまえばよかったのに、どうしてまだ走っているんだろう。

優勝なんてできないかもしれないのに、それでもこうやってステアリングを握り続けている。
自分を貶めた風見ハヤトは、信じられないような走りで自分を引っ張っていく。

どんなに蔑んでも、どんなに陥れようとしても、風見ハヤトの走りは決して変わりはしなかった。
自ら危険に身を投じ命を賭けて、ただ順位を上げていく。

自分では到底できない走りだった。

「凄い……どうして、どうしてあんな走りができるんだ……!?」


――「お前は何の為に走るんだ!」――

――「それもわからないようじゃ、一生僕の前を走れやしないからな!」――


「何の為に……っ」


父さんが笑っていた。
自分を捨てた父さんが、笑っていた。

そうだ……父さんに捨てられても結局僕は走っていた。


――「僕は、僕を応援し支えてくれる人と、僕自身の為に走るんだ!」――


「……!!」


――「本当だったら、ドライバーは走る事が一番楽しいはずでしょ?」――

――「いい加減にしなさいよ!」――

――「私は、アンリが真に勝ちたいと、走りたいと思った時は必ずサポートする」――


そうだ……あの女……あの人は、いつも僕に怒っていた。
あれほど本気で怒ってくれて、何度突き放しても必ずどこかにいて、やっぱり怒る人は初めてだった。

それは逆に……ずっと僕を見てくれていた、数少ない人なのではないか。


――「アンリ、頑張って!!貴方には私達がいる!」――


あの人は……世間が風見ハヤトばかりに注目していても、あの人だけは傍にいた。
僕の傍にいたスタッフ達は、いつも必ず一緒にいた。
あの人達は純粋に、僕が走って勝てば喜んでくれた。


「僕は……僕は……っ!!」


独りじゃないと気がついた。










『僕が……僕だって!どけぇ落武者!!』
「え……?」

インカムから聞こえてきた声が、琉奈は一瞬信じられなかった。
だけどアンリのガーランドが新条さんを攻め、その隙にハヤトとアンリがオーバーテイク。

『スゴウ、見事なコンビネーションで新条をパス!』

そのアナウンスさえも茫然と聞いてしまい、皆で互いに顔を見合わせた。

「……アンリ…」

(アンリが、今度はあの子がハヤトをサポートしてる……)

その信じられないような光景に目の前が霞む。
あれほどハヤトを憎んでいたアンリが、自らハヤトの為にと走っている。

「アンリなりに何かを感じたようだな、ハヤトの走りに」

修はふっと笑ってみせた。

琉奈、お前もよくやったな」
「…………はい」


気付いてくれた。
アンリが走るという事をもう一度自覚し、勝負を挑むとは何なのか、わかってくれたのかもしれない。

そして……ハヤトをサポートした時点で、きっとアンリの中にある憎しみの気持ちが消えたのだろう。

憎しみは何も生まない。それを糧に生きても、人は救われない。
勝つ事だけが全てじゃない。それに行き着くまでの努力と、仲間との絆と、
ドライバーとスタッフの気持ちを乗せて勝つ事に、初めて意味が生まれる。

勝てればいい、そんなものじゃない。

人は、時として勝負よりも大事なものがある。



(…………私は……それを、あの人に伝えたかった……)



「おめでとうアンリ。貴方がチャンピオンだよ」
琉奈、さん……っ」

接触しながらも勝負を決めたハヤトに駆け寄り、アンリは泣いていた。
あの涙が、ハヤトに対しての謝罪の意味なんだろう、ハヤトもあすかも笑っていた。

琉奈も遅れて到着すると、アンリはハッと顔を上げて琉奈の前に立った。
笑顔で祝いの言葉を告げると、アンリはまたしても涙を零し、頭を垂れた。
その精一杯の礼はアンリに「ごめんなさい」と言われるよりも嬉しくて、琉奈は思わずアンリの頭を撫でた。

「よかったねアンリ……今、とても晴れた気分でしょ?」
「はい……っ、僕は……僕はっ!」
「言ったでしょ?アンリが私を必要としてくれるなら、私は全力でサポートするって」
「………っ!!」




―――そうして、若干15歳の少年がワールドチャンピオンとなった。

気がかりだったハヤトへの憎しみはすっかりなくなったようで、
今ではハヤトのヘルメットを率先して持つほど、崇拝してしまっているようだ。

どうやらひん曲がった性格は全て治らなかったようで、 自分の大事なもの以外はゴミ、というような性格になってしまった。
ハヤトや私、そしてガーランドのスタッフにはとてもとても尽くしてくれるのだけど、
外へ出ればあの陰湿な表情が出てしまうようだった。

どうしたもんかと一度は頭を悩ませたけど、まぁそれはそれでよかったのかなとは思う。
大事なのは走る事と勝つ事を理解してもらい、ハヤトへの憎しみを消す事だったのだから。

あれならきっと、大丈夫だ。
レースという難しい世界でもやっていける。


そして私も……憑き物がとれたような顔をしていただろう。
アンリを更生させる事ができて、自分は今ここで必要とされていると感じられる。

アスラーダがあり、ハヤトがいて、そして修さんやクレアさん……皆がいて。
その中で私はメカニックとして全力を注ぐ。

私の罪が消える訳ではないけれど……ここにいれば、許されている気がして。
皆の為なら何でもしたいと思う。

その為には……そろそろ過去と決別しなくてはならない。


「いい加減……あの男の事を考えるの、やめないと……」


どうしても救えなかった、あの男の心情を。


琉奈さん!」
「はい?」

駆け寄ってきたのは天使のような笑顔。

「菅生オーナーが琉奈さんを呼んでいました!」
「そう、ありがとうアンリ」



そしてまた、レースは続く。











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ZERO編、終了です。
ほとんどアニメ沿いで申し訳ありません。

こんな感じでアンリと和解、ヒロイン大好きなアンリになりました。
アンリを更正させる事がこれからの展開に重要な土台になるという事で、
あまりヒロインが目立ってませんが書く事になりましたZERO。

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
次からやっと本番、頑張ります。