「修さんも大変だね」
「……何がだ?」
琉奈はクレアと一緒になって修の体に砂を盛り続ける。
「んー、クルー全員の気を遣わないといけないから」
「当たり前だ。監督として当然の処置を図ったまでだ」
スゴウチームは4戦後、慰安旅行でアメリカに来ていた。
レースポイントから考えて本当はこんな事をしている暇は正直な所ない。
だが去年からずっと働き通しで、さらに最近は雰囲気最悪になっているクルー達を何とかしようと、
修がこの旅行を無理矢理決行させた。
海が一望できるコテージを借り、皆仕事を忘れて思い思いに海を楽しんでいるのはよかった。
「でも完全にお互いを避けてるよ、あれ……」
この旅行のもう一つの目的は、ハヤトとあすかの仲直りだった。
だが嫌がる2人を半ば強制的に参加させてみたものの、
結果あすかはコテージに籠もりっきりで、ハヤトはランニングしてばかり。
しかも遊んでいるのを無言で責めるようにハヤトは毅然と海を走る。
「どうしたもんかな……」
「大丈夫ですわ、きっと。今はハヤト君もあすかさんも意地を張っているのでしょうけど、
彼らはもう大人です。2人にとって最善の道を選ぶと思いますわ」
「……あいつらはまだ子供だ」
クレアの助言に修がオーナーとしてではなく兄としての表情を見せたので、
琉奈は努めて笑い、冗談めかして砂を振り掛けた。
「心配性だなぁ修さんは」
「お前のせいだろ」
「な、何で私?」
「お前が子供の頃から無謀な事ばかりしでかすから、こっちは気が気でしょうがない。
俺が心配性だと言うなら、それは確実にお前の責任だ」
「……ク、クレアさん~!」
思わぬ所で藪蛇だったようで琉奈は助けを求めようとクレアに縋ったが、彼女はのほほんと笑顔で答えた。
「修さんは琉奈さんの事、とても大切にしてるから」
「…………ぅ」
改まって、しかもそんな純粋な眼差しで言われると非常に困る。
「……あ、わ、私そろそろ時間だ!それじゃ!」
「どこへ行く気だ?」
「レ、レースを見に行こうかなって、新条さんとみきの」
都合良く逃げようとしたがやはり口煩い修に呼び止められ、
振り向いた視線の先の光景に琉奈は内心で苦笑した。
(……気付いてるのかな?もう動けないくらい砂に埋められてるって事……)
「1人で行く気か?お前みたいな奴が荒々しいサーキットに1人で行ったら――」
「あのね、私はもう子供じゃないの!それじゃ!」
「お、おい琉奈!」
行ってしまった琉奈を見て、クレアはクスッと微笑んだ。
彼女が捻挫した時も修は血相を変えて医務室に飛び込んだ。
サーキットに来るなと怒ったのも、半分は彼女の体調を気遣っての事だった。
でも素直に言えないのが、琉奈の幼馴染みであり伝説のドライバーの性格。
彼女の事となると感情を顕わにする修を、クレアは少し羨ましいなと思った。
「本当に不器用な人ね、修さんは」
「……違う、あいつがはねっかえりなだけだ」
ハヤトとあすかとはまた違う幼馴染みという不思議な関係。
何かが違ってしまった為に恋人同士にはならなかったが、
修が琉奈を人一倍心配するのは彼女を大事にしているからに他ならない。
自分がクレアという存在を見つけてしまったから、幾ばくか罪悪感を感じていた。
確かに彼女は妹という存在だったが、もう少し一緒に時を過ごしていたならどう変わっていたかはわからない。
そう思うぐらいには特別に大切だった。
バイクを始めたり、メカニックになりたいと言った時もいちいち反対した。
琉奈に男が寄りつこうとするなら何としてでも排除しようとした。
結局、琉奈は自分の前から飛んで行ってしまった。
それはおそらく自分が先に家出をした事が原因だと思うが、結果的にそれが2人を別つ分岐となった。
今となっては琉奈に必要以上に干渉できなくなってしまった。
琉奈がこれから見つける伴侶に対しても、きっと何も言えない。
自分が先に手放してしまった、大事な大事な存在。
ただの幼馴染みの身としては、小言ばかりの兄代わり、はたまた父代わりに徹するのが限界だった。
「女性は男性が考えるよりずっと大人ですわ。琉奈さんはきっと幸せになれます」
「……なってもらわなければ困る」
自分では思い通りにならない奔放な幼馴染み。
修の弱点を挙げるとしたら、その中にきっと琉奈がいる。
彼女には何が何でも幸せになってもらいたかった。
7・反射する雫
「ストックカーかぁ……久しぶりだな」
琉奈はみきからもらったチケットを見て気分を高揚させた。
まだ父が生きている頃、荒修行として転々としている時にストックカーにも参加した事があった。
ここはアメリカ特有の盛り上がり重視の選手権なだけあって、メカニックも相当荒い。
目には目を、歯には歯を、というマシンのぶつかり合いも多いが、それだけチームの雰囲気はアットホームだった。
アットホームというと感じは良いが、実際けなし合いの方が正しい。
互いをぶつけながらも上を目指す、まさしくレースそのもののスタッフだった。
自分は女だという事で優しくしてもらった事もあるが、嫌な事も色々あった。
それでも、のし上がっていくあの感覚が堪らなく楽しかったなぁと琉奈は思う。
自分達の腕だけでいくらでも順位が前後する、つまりは誰でも勝てる可能性があるという事で。
泥やオイルまみれでも胸の奥から熱くなる、そんなアメリカンドリームを感じさせてくれた。
「……よかった、みきも元気そうで」
みきは新条の為にアオイに移籍したが、新条が解雇された事によりみきも同じ道を辿った。
どう過ごしているか心配していたけど、こうやってわざわざ手紙を出してくれた。
慰安旅行はちょうどアメリカで、レースの日付も一緒。
琉奈は気分転換に見に行こうと密かに楽しみにしていた。
だが琉奈の機嫌とは裏腹に、周りの雰囲気は思わしくないようで、
「わかったわよ、もういいわ!」
「……え?」
珍しいあすかの怒号が部屋の外から聞こえた。
微かにドアを開けて覗いてみると、あすかの視線の先にはハヤトがいた。
「みんなのオフも台無しよ!みんな貴方の事心配して、顔色伺って……そんなのもうたくさんだわ!」
バタン!と激しい音が響いた。
(ど、どうしよう……)
琉奈はいつになく焦った。
あすかは逆ギレ、ハヤトは茫然と立ち尽くした後しばらくしてその場を去った。
仲直りの為に計画された旅行なのに、関係は良くなるどころか更に酷くなる一方だった。
このまま何も知らずに出かける事なんて琉奈にはできやしない。
ハヤトを追いかけるべきか、あすかに話を聞くべきか、
それとも2人の問題だから自分は関与しない事にするのか。
「…………」
琉奈は迷いに迷ってあすかの部屋のドアをノックした。
「琉奈さん……」
「ごめんね、あすかの声が聞こえちゃって……」
「あ……ごめんなさい……」
バツが悪そうに笑うと、あすかも同じように気まずい顔を見せた。
だけど態度は反対に荒々しい仕草でバッグに荷物を詰めていく。
「ハヤトの事……いいの?」
「いいんです、あんな奴!」
ハヤトの名前を出した途端あすかは声を荒げた。
「優しくするとつけあがるし、少し咎めるとすぐふて腐れる!あんな我が儘で自分勝手な奴なんかもう知らない!」
「……そっか……」
ハヤトの一番近くにいて、ハヤトの事を一番知っているあすかだからこそ言える台詞だろう。
よほど鬱憤が溜まってたんだなと、琉奈は納得して頷いた。
「レースに誘ったって聞く耳持たないし!」
「レース?」
ボスッ!と乱暴に服が押し込まれるのと同時に聞こえた言葉に片眉を上げた。
「新条さんが出てるレースのチケットをみきさんからもらったんですけど―――」
「あれ、あすかももらったの?」
「琉奈さんも?」
「うん、気分転換に行こうかなって……」
あすかの手にあるチケットは確かに自分のと一緒だった。
琉奈とあすかはチケットを見、そして互いに見合わせた。
「じゃあ……一緒に行きませんか?琉奈さんがよければ」
「でも、ハヤトと行く予定だったんでしょ?……いいの?」
「いいんです!ハヤトなんかいなくても!」
琉奈はどうしたものかと悩んだ。
あすかは半分ヤケだ、素直に同調していいものかどうか。
それにハヤトのあの放心した顔は、何て言うか……母親に怒られた子供みたいな顔をしていたから、
案外ハヤトも反省してるんじゃないだろうか。
だがあすかは既に1人で行く気満々で、着替えの衣装すらも決めていた。
「……女2人でストックカーってのもどうかと思うけど、
でもあすか1人で行かせるのはもっと危ないし……あすかがいいならいいよ」
「じゃあ、行きましょう!」
そうして奇妙な女2人のデートとなった。
承諾したものの、琉奈は元々バイクで行く予定だったが2人となると車の方が都合が良い。
車の運転が少々苦手な琉奈に代わりあすかが任される事になったのだが、
彼女の運転も色んな意味で凄いと以前ハヤトから聞かされていた。
大丈夫だろうかと琉奈はかなり不安になった。
そして、本当はバイクを走らせたかったと思っていたのは内緒だ。
「へぇ~、琉奈さんストックカーの経験もあるんですか?」
「うん、ちょっとだけね」
「やっぱり荒っぽいんですか?」
「まぁ……でもみんないい奴ばっかりだったよ」
そんな事を話しながら駐車場に向かう。
嫌な事は忘れて楽しい話に集中していた時、2人はあすかの赤い車の近くで立ち止まった。
「……ハヤト…」
ハヤトが既に運転席に乗っていた。
状況を素早く察知した琉奈はあすかの背中を押し、自分はきびすを返した。
「じゃあ、みきによろしく伝えておいて!」
「え、でも……」
少し躊躇うようにあすかは振り向いたが、内心はハヤトが来てくれて嬉しくてしょうがないんだろう。
琉奈はあすかのそんな可愛らしい表情の移り変わりを見て素直に笑った。
「ほらほら、折角ハヤトが来たのに帰っちゃうよ?」
「……ご、ごめんなさい琉奈さん…!」
「いいのいいの、たまにはお姉さんらしい事しないとね!じゃあね!」
あすかがハヤトの所へ駆け寄ったのを見届けて琉奈はコテージへと戻る。
「ちくしょう、恋人同士って羨ましいなぁ……」
ポツリと本音が漏れた琉奈だった。
コテージに戻ってくると、何故かクルー達が待ってましたとばかりに琉奈を誘った。
どうやらバーベキューをやるらしくて琉奈を探していたそうだ。
「行きましょう琉奈さん!」
「琉奈さんいないと始まらないっすから!」
「え、うん……」
ツーリングに切り替えようか、それとも部屋でのんびりしようか思案していた琉奈の考えは脆くも崩れ去り、
クルー(特にメカニックばかりだ)は楽しそうに琉奈の背中を押す。
実際、レースチームに女は少ない。
そんな理由で男所帯に女がいれば、ほぼもれなくモテる。
みきも女だったが彼女には新条という恋人がいたし、何より性格からして近寄りがたい。
クレアはマシンデザイナーで、地位のおかげで近づけない上に監督兼オーナーの女に手を出す度胸などある訳がない。
だが琉奈はただのメカニックで風の噂によればフリーで、しかも気性も普通だ。
一歩線を引いた付き合いができるというか、落ち着いた年上の姉さんは確実にチームの憧れになる。
という訳で彼女は密かに男達の間でモテていたのだが、当の人間は他の事に忙しくて気付いていない。
そんなにバーベキューがしたいなんて皆ストレス溜まってたんだぁ、なんて琉奈は呑気に考えていた。
「琉奈さんはどこかに出かける予定だったんですか?」
「うん、ちょっとストックカーを見に行こうかなって。でもやめた」
「ああ、いいですねえ!俺の友達も今はNASCARにいるんですよ」
「へぇ~そうなんだ。単純だけど面白いよね、
慣れてくると『早く出ろバカヤロウ!』って言うのが当たり前になるもんね」
「そう!そうなんですよ!でもそれがアメリカのレースらしくて燃えるんですよ!」
なんて、男達が嬉々として話し掛ける話題に普通に返す琉奈。
やはり同じ仕事を任されたメカニック同士だ、自然と会話は盛り上がる。
「あ、琉奈さん……よかった……!」
そんな時、スゴウ一の美少年が今にも倒れてしまいそうな儚げな顔で現れた。
彼は琉奈の姿を見つけると花が咲いたように綻んだ。
「あ、いえ、やっぱり何でもないです……」
だけどアンリは琉奈と男が楽しそうに談笑をしているのを見て、
邪魔してはいけないと思い駆け寄るのを途中でやめた。
"琉奈さんに話したい事があってずっと探していた、
だけど話し中だから躊躇っている"
そんな表情の変化がありありと見てとれた。
「どうしたのアンリ?何か悩みでもあるの?」
琉奈はアンリに優しく笑いかけ、話してもいいんだよという事を促す。
頭を柔らかく撫でてみせても、アンリは暗く俯いたまま遠慮を続ける。
「でも……折角レースを忘れて旅行に来てるのに……悪いです……」
「何言ってるの。あ、じゃあ一緒にバーベキューしながら相談に乗ってあげる。それならいいでしょ?」
「あ……はい!ありがとうございます!」
アンリはこれ以上ないほどの天使の笑顔ではにかんだ。
そうして琉奈は仲間達に断りを入れ、アンリと共にバーベキューの現場へと向かった。
嬉しそうな少年は一瞬だけ振り返り、残念そうにしている男に底冷えするような視線で射抜いた。
歪んだ笑みは、口に出してはいなかったけど確実にこう言っていた。
――「僕の琉奈さんに手を出そうなんて百万年早いんだけど」と。
レースチームに女は少ない。
そんな理由で男所帯に女がいれば、ほぼもれなくモテる。
だが訂正。
琉奈には厄介な信者……もとい護衛がいた。
天使のような笑顔の美少年は、慕っている者以外にはとてつもなく陰湿な悪魔のような性格だった。
そして表面化の攻防など露知らず、自分に懐くアンリと共に琉奈は楽しい時を過ごしていた。
そんなこんなでこの日はやや騒がしく過ぎていった。
ハヤトとあすかは、その晩コテージには帰ってこなかった。
Back Top Next
慰安旅行話です。
平和でいいなぁ。