次の日、朝帰りしたハヤトとあすかを見て琉奈は笑みが隠せなかった。

それは弟と妹だと思っていた年下のカップルがどうやら大人になった事ではなく、
あすかの柔らかい表情と、ハヤトの瞳に強さが戻っていたからだ。

「おかえり。仲直りできた?」

わざとそう言ってやると2人はあからさまに顔を赤らめた。
年下の恋人同士が婚約しているというどこか負けていた状況から、
ようやく琉奈が優位に立てた気がした唯一の瞬間だった。

琉奈さん、あの……今まですみませんでした」

ようやく彼は自分が忘れていたものを思い出してくれた。
この瞳こそ、琉奈が見込んだドライバーが秘めていたもの。
走るという事、勝つという事、レースという事を、年下ながらも悟っていた青年の目。

ハヤトが戦うという事に気付けばきっと勝てる、琉奈は素直に喜んだ。

「私の方こそごめんなさい、私が不甲斐ないばかりに」

頭を下げると予想していなかったのかハヤトは慌てたが、 琉奈は心の奥で謝罪の言葉を述べ続けていた。


――貴方に、苦労をさせてしまってごめんなさい。
貴方を、焦らせてしまってごめんなさい。

あのマシンの原形を作ってしまって……ごめんなさい。


「私が言えた事じゃないけど……勝とうね。みんなの為にも自分の為にも、必ず勝って」
「はい。これからもよろしくお願いします、琉奈さん」
「もちろん。私はハヤトの為に全力を尽くすよ」


アルザードに勝てば何かに決着が付く、そう信じて。






8・紫煙に霞む因果律






ハヤトが自分を取り戻した後の5戦は何かが違った。
結果はレオン・アンハートと接触してしまいリタイアとなったが、彼は極めて平静だった。
そしてチームも琉奈も希望を持ったまま。

「すみません、琉奈さん」
「大丈夫だよハヤト、きっと勝てる」

(そう、貴方ならきっと勝てる……)

「次までには何とかガーランドをアップさせておくから」

ふと琉奈は、彼がガーランドでアルザードに勝てるのならそれでもいいと思った。
重要なのはどのマシンで勝つ事ではない、ドライバーがドライバーに勝つ、それが本当のレースの本質なのではと。

ハヤトが勝てば……いや、アルザードが負ければ全てが変わる。
アルザードとそのドライバーに対して浮かぶ疑問と仮説の数々も、負けてしまえばどうでもよくなるのだから。

そんな事を考えながら琉奈は損傷したガーランドを収容し、早々にサーキットから撤収した。
ガーランドの新しいセッティング案をクレアに提出し、琉奈はクルーと共にホテルへと戻った。
余裕を取り戻したらしいハヤトはあすかと外出していたが、
メカニック一同も早めに作業をした甲斐もあって夕方には全員ホテルへと引き上げる事ができた。

終始ピットにいた体は埃とオイルにまみれていてベタベタする。
夕飯の誘いも後で返事をしようとうやむやにしたまま琉奈は熱いシャワーに体を晒した。
忙しいメカニック気質なのか、元々の性格故かはわからないが風呂の時間は長くない。
さっと体と髪を洗い、さっとバスルームを出ると、テーブルの上に置いてあった携帯電話が鳴っていた。

「はいはい、と……」

きっと仲間達からの夕飯の催促だ、と何気なくディスプレイを見て琉奈は驚きを隠せなかった。

「っ……何で……」

メモリー登録されていない相手だったが、羅列されている番号はしっかり覚えている。
しばらく躊躇ったものの、それでも鳴りっぱなしの電話を見つめ、震える指でピッと通話ボタンを押した。

「………………はい」
『ああよかった。番号が変わってなくて安心したよ』

まるで昨日まで親友だったかのような、性格がよく現れた口振り。
安易に電話など出るべきではなかったと琉奈は早速後悔していた。

絶縁して数年が経つんだけど、という怒りの声は生憎と喉を震わす事なく沈黙となり、
この憎らしいほど飄々とした名雲のペースに飲まれないように神経を集中させた。

「…………何か、用?」
『これから予定は空いているかい?少しドライブでもどうかと思ってね』
「なんであんたなんかと……!」

これにはさすがに言葉を失った。
騙され裏切られ、あまつさえなけなしの慕情までバッサリと斬り捨てた男と、私用で会う義理も縁も感情もない。

確かにこの男の真意について考えた事は何度もあったし、
別れ際に初めて見た冷たい台詞と怒りの目の理由を探した事もあった。
それなりに答えが出そうになった事もあったけど、それをすれば全てを許してしまいそうで、
ゴール手前でいつも思考を遮断して憎しみの感情で埋めていた。

数年が経っていい加減過去を終わらせようと、自分に渦巻く様々な感情を乗り越えるべくアスラーダに賭けた。
だけどその矢先、この男が目の前に現れた。
その瞬間、過去に使い果たした慕情が憎悪として噴き上がった。

許してもいいんじゃないかと微かに思っていた心を覆い尽くすように憎しみが募る。

この男は私を裏切った。
私にあのマシンを作らせた。
私の気持ちを最後の最後まで踏みにじった。

この男に飄々と近寄られるとどうしても牙を剥きたくなる衝動に駆られる。
これ以上近寄るなと引っ掻いて、嫌いだと吼えたくなる。
わざと苛々させるような口調で喋っているという事はわかってる。
だけどその声を聞くだけで全身が総毛立ち、反射的にやってしまうのだからしょうがない。

琉奈はこのまま切ってしまおうと携帯のボタンを押そうとし、ふとその指を止めた。
名雲と私用で話す事は何もないが、一つ気になる事を思い出し受話器を耳に当て直した。

「……いえ、ちょうどよかった。私も話したい事があった」
『それは光栄だね。じゃあ、30分後でいいかい?迎えに行くよ』

琉奈の葛藤など全く気にする様子は見せず、ただわざとらしく喜んだ。

電話の相手にホテルの名前を教え、車が来るのを待った。
そんなやりとりがデートみたいで嫌だと琉奈はエントランスに立ちながら苛々していた。







「久しぶりだね、こうやって2人でドライブするのは」
「………」
「君も風見ハヤトも元気になったようだね、よかったよ」
「………」

助手席からの景色ばかり見ている琉奈は返事をしない。

「さて、何が食べたい?フレンチ?イタリアン?」
「……いらない。私は食事に行きたくて誘いに乗ったんじゃない。話が終わったらすぐ帰る」
「やれやれ……」

車に乗ってからも終始拒絶の空気を張り詰める琉奈に、
会話をしても無駄だと思ったのかただの余裕なのか、男は悠長な手つきで煙草に火を付けた。

信号待ちで変わらない外のライトの流れ、無音の車内。
琉奈は濃くなった煙を吸い込み、さらに眉間の皺を深めた。

(……この煙草の臭いは嫌いだ)

クセがあって臭いし、何よりもどこにいてもこの男を思い出す。

「何が目的?」
「ん?」

その意味をわかってるはずなのに名雲はわざわざ相手に話させようとする。
昔からそうだ、何だって琉奈から自発させるように仕向ける。

「わかってるでしょ」
「……目的なんかないさ。一度ゆっくり話がしたいと思っただけなんだが」
「いけしゃあしゃあと言ってくれるね」
「褒め言葉として受け取っておくよ」

口が減らず、相変わらず自分の本音はしっかり隠したままの性格が本当に腹立たしい。

(今日子さんに熱烈アピールしてたくせによく言う……あれぐらい自分から話してみろってんだ)


名雲は食事に行く事を諦めたのか少し郊外へと車を走らせた後、
観光客用の公園のような小さな休憩所を見つけ、そこへ駐めた。

あたりは既に真っ暗で、昼間だったら広々とした景色が広がっているであろう空間は、
今は人工の灯りが星のように散りばめられていた。
普段なら綺麗と感嘆の言葉を述べる所だが、今はそんな雰囲気でもない。

「私が聞きたかったのはドライバーの事」

男が何度目かわからない煙草を口に咥えた所で琉奈はようやく本題を振った。

「フィル・フリッツの事よ」
「フィルがどうかしたかい?」
「…………彼はあんなマシンに乗っていて大丈夫なの?何もかもわかっていてアルザードに乗っているの?」
「俺に騙されて乗っているんじゃないか、そういう事かな?」
「…………」

だからわかっているなら聞くな、琉奈はそういう目で名雲を睨んだ。

「おかしいと思っていたのよ、バイオコンピューターは並の人間じゃ扱いきれない。
プロですら事故になったのに、どうしてNASCARで優勝経験のない新人があれだけ乗りこなせられるのか。
逆に言えば、システムは確かに完璧よ。その方法が正しいのかは別として、
ただのサイバーシステムとしては素晴らしい能力と機体性能を持っている」

琉奈がスラスラと言葉を並べる横で名雲は聞いているのかいないのか、夜景ばかりを見下ろしていた。
どうやら口をはさむ気はないらしい。

「なら何故危険なマシンなのか?
それは、マシンの要求を人間であるドライバーが完璧に答え続けるのは不可能だからよ。
100の情報を伝達させようとしてもその間に人間が入ればそれは70にも40にもなる。
人間だからミスもするし忘れる事もあるから」

時には感情による心理的な油断でマシンは人間を死に誘う。
制御できないほどの高性能なら、なおさら一瞬たりとも気を反らせられないというのに。
アルザードはどうしてあそこまで正確で、少しも乱れたりしないのだろうか。

「逆に……ステアリングに伝わるまで機械であればどうなるのか?
それならば100のまま完璧に情報が伝達される。 100で伝えられるのならばそれは決してコースラインから外れる事もなく、
経験不足なども発生せず、感情によって左右されたりしない、まさに完璧なマシンとなる」
「…………」

チラリと隣を盗み見ると、名雲は紫煙を吸い込もうとしないまま感情の読めない目で遠くを眺めていた。
それが何を意味するかは琉奈にはわからず、言葉を続けた。

「……だから私はある仮説を立てた。
あれはバイオコンピューターの情報を何らかの方法によってドライバーに伝達、
そして筋肉を通してステアリングに伝達させているんじゃないかって。
そう、ドライバーの機械化。ドライバーはただマシンの情報を伝える為の媒体。違う?」

それがアルザードの本当の姿。
長々と言ってのけた後、しばらく黙っていた名雲が突然クツクツと笑いだした。

「さすがだね、そこまで推測していたとは。で、どうする気だい?訴えでもするのか?」
「そんな事しない。そんな事しなくても……今のハヤトならいつか勝てる」

彼は今までだって奇跡を起こしてきた、彼ならきっとやってくれる。

「ははは!アルザードが負けるだって?あり得ないね、アスラーダですらない彼等に」
「……貴方はドライバーの腕を見くびってる。今のハヤトなら負けはしない」
「随分思い入れが強いようだね、風見ハヤトに」

何かを勘ぐるような下衆な言い方が気に入らない。
そんな単純なものではないのだ、ハヤトに対する親愛の気持ちは。

「当たり前でしょう。ハヤトはみんなと私の想いも背負って走ってる。
ドライバーとチームとは本来そういうものよ。貴方のような、レースもろくにできないチームとは違う」

だが名雲は小馬鹿にしたように琉奈を見下ろした。

「ふん、所詮は戯れ言だね。勝利があるから最高のチームにクルー、スポンサーとマシンが集まりその上でまた勝つ。
違うかい?負ければ誰も振り返らず、何も手には出来ずにそしてまた負ける。
全てはこの循環で成り立つ、君の言う素晴らしいチーム愛が成り立つのはやはり始めに勝つ事が絶対条件なんだよ」

「わかるかい?だから弱小チームは永遠に弱小で、強大なチームは強大なままだ」
「それは……っ」

言いたい事がわからない訳ではない。
他のレースであればほぼ変わらないマシン性能で腕勝負なものもあるだろうが、サイバーではそうもいかない。
各国の最新技術が盛り込まれ様々な姿をなすマシンに必要なのは経済力と人材、
それらがどれだけ調達できるかはレース実績による所が大きいだろう。

勝ちたくても勝てないチームなんていくらでもいるのが現実なんだとは琉奈も把握している。

「勝たなければ何も得られない、つまりはそういう事だ」
「……だからって、勝てれば何でもいいわけ!?あんなものレースじゃない!」
「レースがどのようなものかは俺には関係ない。勝てればそれでいいんだ」

冷たさを帯びていく眼光、不穏な空気が流れ始めていた。
人を食うような言葉を並び立てて相手にものを言わせなくするのが男の手段、
本気か嘘かわからない真実を混ぜ込んで、男の本質はいつも煙に霞んで見えなくなる。

だけど負ける訳にはいかない、許容できるはずがない。

「速く走った者が勝者だ、違うかい?」
「っ…………、どうしてそこまで柾さんの理論を証明したがるの!?
違反なんかして勝っても、それは本当の証明にはならないでしょ!?」

眉根がピクリと反応した。
彼の心の領域に踏み込んでしまった、琉奈はそう思ったが自分にも引き下がれないものがある。

方法も手段も違ったが、信じて慕ってしまうだけの理由が名雲柾にはあった。
今となっては全てが嘘で口車に乗せられていたのか、
彼が本当にあの理論で間違っていないと信じていたのかはわからないが、琉奈が納得できるだけの信念を持っていた。

"人とマシンとの真の融合"、その先に行き着くものは……もしかしたら風見さんや父と同じだったかもしれない。

だからこそアルザードの存在が許せない。
目の前の男が訴え続けるものと、名雲柾の意思は違うのではないかと思うから。

「柾さんはただ勝つ為にあのマシンを作ったんじゃな―――っ!!」


強く腕を握られ、至近距離から突如鋭い目が琉奈を睨み付けていた。
闇に照らされたあの狂気の色に、琉奈は本能的に背筋を震え上がらせた。


「……兄の理論が認められていたら兄が死ぬことも、敗者になる事もなかった」

彼の闇は深い。
固執するのは、敗北と、マシンと、彼の兄。

「君は敗者になった事がないからわからないだろう?敗北の後に残るのは、ただ絶望という運命のみ」
「………っ」


――この男は、出会った頃から兄を慕っていた。
確か幼少の頃に実家の会社がアオイに乗っ取られて両親は離婚、その後父親は自殺した。
唯一傍にいた肉親を慕うのは当然の事だろう。

だけど最後の砦だった兄まで、本人にとっては不名誉なレッテルを貼られ中傷にさらされ、そして失望の後に自殺した。

最初から最後まで、名雲家には絶望が取り巻いていた。
誰かが悪かった訳じゃない、ただ不運が重なってしまった結果があの現実だった。
だけどアオイと、アスラーダのせいで彼は全てを失った。

残ったのは、兄が文字通り命を賭けて作り出したマシンだけ。

(この人は知ってる……本当の絶望と、冷たい孤独を……)


「……話しすぎたようだね、帰ろうか」
「…………」

痛いほど掴まれていた腕を離すと、彼は不機嫌を隠そうともせず車に乗り込んだ。
置いて行かれるのはかなわないと思い、琉奈も慌てて助手席に戻った。

帰りの車中は、息苦しいほどの沈黙と、クセのある煙草の煙だけが存在していた。


(……この人……肉親を認めてほしいだけじゃなくて、勝ちたいんだ……)


レースにじゃなくて、もっと大きなものに。











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台詞が長くて読みにくいかと思います、すいません。

名雲さんってヘビースモーカーですよね。
スーツとか臭いそうだから香水とかつけてそう、アル○ーニとかヴェ○サーチ的な。
……やばい、萌える。