前日は気晴らしに行っていたはずのハヤトとあすかだったが、どうしてか彼らの表情は深刻さを増していた。
それは今までのピリピリしたものではないにしろ、何かがあったのは明らかだった。
「ハヤト、どうかした?昨日はあすかとデートだったんでしょ?」
「……いえ、大丈夫です」
それは自分には詳しく教えてもらえない事柄なのだと薄々察知し、
琉奈はこれ以上聞き出そうとはしなかった。
「そう?あんまりあすかと喧嘩しちゃダメだよ?」
「わかってますよ。それより……琉奈さんこそ何かあったんですか?」
「え……?」
「思い詰めたような顔をしていたから」
仕返しとばかりに微笑むハヤト。
一瞬だけ脳裏に浮かんだのは、あの底冷えするような鋭い目。
その奥に、哀しさを見いだしてしまったのは昨夜の事。
「……何でもないよ、大丈夫」
「そうですか……」
――危険を冒してでも、違反をしてでも、あの男は肉親を認めてほしかったんだ。
そうする事で、きっと家族を絶望させた世の中に復讐したかったのかもしれない……
また軽く思考が飛んでいた事に気付き、琉奈はその靄を消すように明るく振る舞った。
「さ、早く日本に持って帰って修理しないとね!」
「……はい、お願いします琉奈さん」
……だからと言って、それは許されるべき事じゃない。
どうしたって私はあの男を許したくない。
(許してしまったら、私は……)
9・すれ違いざまの視線
呑気なものだと、琉奈は苦虫を噛みつぶしたかのような顔で特等席を睨み付けた。
FICCY主催の大会のおかげで、レースではない所で名雲の顔を見る事になった。
余裕を含ませて高らかに笑っている姿は無性に琉奈の苛立ちを助長させるばかり。
年に一度行われるこの大会は、ドライバーではなくチームのクルー同士が競う、いわばレースの間のお祭り的なイベントだ。
遊びとはいえ勝負事に負けたくないのは皆同じ考えのようで、スゴウでも体力自慢の男達が揃って参加する。
そして例年と同じように、琉奈は裏でバーベキューの準備で走り回っていた。
「琉奈さん、僕も何か手伝いましょうか?」
すっかり懐いているアンリは、いつものごとく琉奈の後ろをついて回っていた。
「ありがと、でもここは大丈夫だからレースを見に行ってきてもいいよ?」
「さっき十分見てきました。それに風見先輩がいないから、見てても面白くなくて……」
「あれ?そういえばあすかも見てないね。2人してどこかに行ったのかな…?」
もうすぐ炭火がちょうどいい具合になるというのに。
大会に出るクルー達が戻ってくる前に、一応呼び戻しておいた方がいいかもしれない。
「アンリ、悪いけど火見ててくれる?ちょっとハヤト達探してくるから」
「あ、僕も行きますよ!」
「大丈夫、他の人来ちゃったら始めてていいからね!」
付いてきたそうなアンリを制し、琉奈は広い公園を早足で駆けた。
いつもは静かなはずの国立公園は今は様々なチームが各所でキャンプを開いていた。
ハヤト達はどこかのチームに入り込んでいるのかもしれないと考えたが、真っ先に思い浮かんだアオイへは絶対に行きたくない。
とりあえず人気の少ない小道から探そうと思い、琉奈は公園の奥へと足を進めた。
しばらく行くと、遠くの方に4人の姿が見えた。
やはり加賀や今日子と一緒だったかと安堵の息をついたものの、
「――奴は薬を使ってやがる」
(え……?)
微かではあったけど聞こえた加賀の声に琉奈は自然と息を潜め、草の茂みに隠れた。
大会のアナウンスの盛り上がりの一方で、4人は緊迫した面持ちで話を進める。
「――推測の域を出ない事だけれど、バイオコンピューターなら可能だと……」
(バイオコンピューター?それじゃあアルザードの事……?)
途切れ途切れではあったが確かにそう聞こえた。
「どのギアを選び、どこで加速し、どうステアリングをきるか……その全てを判断し、
それを電気パルスに変えて、ドライバーの体に送るってことが」
(……っ!)
「この薬はたぶん、ドライバーの体をコンピューターの指示に強制的に従わせるものなのよ」
それはまさに琉奈が立てた仮説と同じものだった。
薬の存在は知らなかったが、ドライバーの機械化の為に使われているだろう事は十分考えられる。
ついにハヤト達がアルザードとフィル・フリッツの真実に気付いた。
「それじゃああいつはレースをしていない!コンピューターに操られてるだけって……そういう事なのか!?」
「許せない、いくら勝ちたいからって、そんな……!」
――これできっとアオイは提訴される、そうしたらあの男の野望も終わりだ。
いくら柾さんの理論が正しかろうと、薬物投与されていればそれはすべて過ちとなるのに。
「今日子さんには悪いけど、僕はFICCYに提訴しますよ!そんな奴が同じサーキットで走っているかと思うと……!」
「待って、風見君!」
今すぐにでも直訴するような勢いだったが、今日子はそれを止めた。
「このままにはしておけません!」
「でもお願い!この件は、しばらく私に預けてちょうだい!……うちの、アオイの問題ですもの……」
その言葉は琉奈にとって複雑な心境を覚えさせるものだった。
これで復讐劇が終わるのなら、今すぐにでも終わらせてしまいたい。
違反で勝ってもきっと報われる事など何もない、そして飄々と自分を傷つけた男を失墜させたい。
フィルだってあんなマシンに乗っていて平気な訳がない。薬を使っているなら尚のこと。
提訴してしまえば全てが終わる。
だけど今提訴されれば、恐らく自身の事も明るみになる。
スゴウにいられなくなるかもしれないし、下手したら琉奈も罪に問われるかもしれない。
何よりも、今まで一緒にいた仲間達に白い目で見られるのは辛い。
琉奈は気付かれないようにその場から立ち去るが、
今キャンプに戻っても笑顔でいられない気がして近くのベンチに腰掛けた。
(自分でもどうしたらいいのか……わからない……)
それに提訴という形で終わっても、きっとあの男の執念は消えない。
アルザードがレースで負けない限り、終わらない。
(どうしたらあの男は救われる……?)
車で連れて行かれた時、一瞬だけ垣間見えた男の本音。
自信に満ちた笑みの奥で、この世を恨んでいるかのような哀しい目が混在していた。
もしかしたらあれも嘘かもしれないのに、あの台詞に自分は振り回されている。
騙されて、バッサリ斬り捨てられたはずなのに。
どうしてこんな事ばかり考えるのだろうか。
(ああ、結局私はいつまで経っても過去が振り切れない……)
「いい加減に戻らないと……」
アンリに火を任せたままだった事を思いだし、琉奈はスゴウのキャンプを目指した。
だがその足取りはすぐに止まる事となった。
「っ!」
向こうからやってくるのは一番会いたくなかった、常に余裕じみた男。
アオイから抜け出してきたのだろうか、いや、そんな事はどうでもいい。
立ち止まった気配で琉奈に気付くと、名雲も距離を保ったまま歩みを止めた。
この顔を見ると、やはりどうしても憎しみが湧き上がる。
琉奈は名雲を睨み付け、逆に男は女を嘲笑うかのように見下ろして。
だけど暫くの対峙の後に口から零れたのは、憎悪とは少し違ったもの。
「……ハヤト達は気付いたわよ、アルザードの秘密に」
「へぇ、さすがと言っておこうか」
まるで秘密が露呈してもいいかのような口振り。
捕まる事はないという自信からなのか、
違反だと自覚していて、訴えられる事もある程度予想しているからなのかはわからない。
「提訴されたらあんたの野望も終わりね……と言いたい所だけど、
提訴はせず内密に事を進めていくらしいね。今日子さんがそう頼んだのよ、よかったわね」
"あんたの好きな今日子さんが"、そういう皮肉を込めて言った言葉に名雲は反応した。
「……そうか、知ってたのか」
そう、まるっきり騙されていた訳じゃない。
恋人という関係が本物じゃないとわかっていたけど、離れようとしなかっただけだ。
だが、名雲はどこまでいっても琉奈の神経をわざと逆撫でる。
「知ってて君は、僕と兄の研究に協力していたのだろう?君の一途な性格は賞賛に値するよ」
「っ、それはもう過ぎた事でしょう!昔の話なんか持ち出さないで」
思い出すのは画面に映った学生服姿の令嬢、そして愛されてもいないのに必死になっていた自分。
自分と彼女は違う、彼女の代わりにすらなれなかった。
ただ研究のメンバーとして繋ぎ止められていただけで、それに慕情が利用された。
どれだけ不遇だったとしても、どれだけ兄の存在価値を証明しようとしても、
名雲京志郎が橘琉奈を傷つけた事には変わりはない。
「わざわざ警告してくれたという事は、君はまだ僕を意識しているという事なんじゃないのかい?」
「自惚れないで……あんたのアルザードにはレースで勝つ。提訴なんかしなくてもハヤトなら絶対に勝てる!」
この警告だって助け船じゃない。男を動揺させ、優位に立ちたかっただけ。
彼女の名前を持ちだして、何でもお見通しだと見せつけたかっただけだ。
憎くて憎くて堪らない、だけど同時に……可哀想な男だとも思った。
いつまで経っても名雲京志郎という人間は過去にばかり執着している。
兄を認めさせる為にアオイで異例の大出世を遂げ、ここまで来てしまった。
兄の残した理論とアルザードとは正反対のアスラーダと戦う為に。
わざわざ家族を崩壊させたアオイで出世したのも、アオイに復讐する為ではないだろうか。
自分と、兄の存在価値を見い出す為に。
その気持ちはわからないでもない……だけど貴方は間違ってる。
だから、もう終わらせよう。
苛立ちを抑えるようにして深呼吸すると、琉奈は冷静を取り戻した目で名雲を見据えた。
「……決着をつけよう。ハヤトが勝ったら潔く諦めて、もう終わりにしよう」
男の言葉が嘘だろうが何だろうが、アルザードが負ければ全てが終わる。
自分と貴方の執念も、哀しみの螺旋も終わりにしよう。
このままでは貴方は救われない。そして私では貴方を救えない。
「私もこれで決着をつける。
現実から逃げてあれを作ってしまった過去とも……あんたとも」
「もし僕が勝ったらどうする気なんだね?」
「……好きにしたらいい。そうなった時は、私はサイバーから手を引く」
名雲が動揺させようとしても、琉奈はもう瞳を揺るがせる事はなかった。
そうして、男から笑みが消えた。
「ハヤトが勝った時、私はあんたと決別する。そしてあんたも柾さんと決別する……それでいい?」
もうお互いに、いい加減過去に執着するのはやめよう。
「……ああ、わかった」
静かに呟かれた答えを聞くと、琉奈は振り返る事なく名雲の横を通り過ぎた。
もう男の顔など見なくてもいい、前だけ見ていればいい。
「……それでも君は俺からは逃れられないよ、琉奈」
その言葉は、琉奈には届かなかった。
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SAGA編もそろそろ折り返しでしょうか。
どうでもいいですが私は「コンピューター」と表記すると少し違和感があります。
つい「コンピュータ」としてしまいます、学生時代のクセでしょうか。
読者様的にはどちらの方が自然なんでしょうか。