レース決勝前日のパーティーは豪華なホテルで行われる。
主催者やレース関係者、そしてハヤト達有名ドライバー達が集まる中、
琉奈はみきとの会話に花咲かせていた。
彼女の恋人は様々な面子に引っ張りだこのようで、回り回った後ようやくみきの元に帰ってきた。
「お疲れ、直輝」
「ああ、疲れた……」
「ふふ」
深い溜息に琉奈が笑うと、新条と目が合った。
それに気付いて、みきが2人の間に入って交互に肩を叩く。
「そういえばちゃんと紹介した事なかったよね。
橘琉奈さん、スゴウでお世話になった敏腕メカニックだよ」
「橘です、こうやって話すのは初めてですね。みきから色々聞いていました。よろしくお願いします、新条さん」
「ああ、よろしく。俺も以前から君の話はよく聞いていた」
「あら、どんな?変な話じゃなければいいですけど」
新条はしばらく考えると、頭に浮かんだ事をなぞるように口にした。
「……自作バイクが恋人、とかかな」
「……ふふ、光栄です」
「こら直輝!もっとましな話あるでしょうよ!」
「うっ、そうか……」
半分嫌味か?とも思ったがみきと新条のどつき合いを見てるとどうやら天然のようだ。
大人な対応をしていてよかったと、琉奈は内心苦笑していた。
彼は名雲京志郎の野望に巻き込まれた人だ。
勝てないからと解雇され、身一つでアメリカに飛び立つなんて辛かった事だろう。
だが今見る限り新条は精神的にも大きく成長したように見え、かえって荒修行が彼に道を示したのかも知れない。
みきとの交際も順調のようだし、なんかこういうのいいなぁと琉奈は思った。
「明日は新条さんの素晴らしい走りを見せてくださいね」
「俺も生まれ変わったアスラーダとの勝負、楽しみにしてる」
「こちらこそ、負けませんよ」
「望む所さ」
新条の目は、目覚めたハヤトのようだった。
やがて彼の周りにはグーデリアンや加賀などトップチームが勢揃いする集団となっていた。
皆が新条の帰還を祝い、喜んでいた。
「ユーも謎のドライバーってか!」
基本的に皆、案外仲がいい。
ドライバーとは皆ライバルという立場にあるが、
共に生死を賭け同じ夢を持つ者として不思議な結束力があるらしい。
「あ……」
そして新たに会場に入ってきたのは、玲瓏なドレスをまとった今日子だった。
誰かを必死に捜して顔をキョロキョロさせ、視線をこちらの集団に向けると驚いたように固まった。
すぐにわかった、彼女は新条を探していたのだと。
グーデリアンが背中を押し、新条が前に進み出ると彼女は感極まって涙を零した。
以前に加賀が、彼女は何をしてでもドライバーを勝たせようとする健気な人だと言っていた。
それが今、琉奈には何となくわかる気がする。
まだ若い頃から新条を見出し、成長を見守ってきた人。
恐らく彼が解雇されそうになった時も必死で抵抗したのだろう。
彼女は女王様だとよく揶揄されるけど、実際はドライバーに対する愛情は誰よりも強いように思えた。
きっと気丈で真っ直ぐで、そして心は優しく熱い人。
彼女はずっと新条の心配をしていたのだ。
「…………」
ああ、自分は嫌な女だ。
彼女を見ると湧き上がるこの感情は、間違いなく劣等感。
この場にいる事がいたたまれなくなって琉奈はその輪から抜けた。
お酒でも飲もうとウェイターからグラスをもらい、弱いくせにそれを飲み干した。
(自分はああなれない……どこまでいっても、私はあの人に負けてばかりだ)
アルコールに依存しようとしても気分なんかよくなる訳がない。
誰かの所へ戻る気もせず、琉奈は会場から抜けた。
14・狼の慟哭
ホテルのロビーに出ると、奇妙な光景が琉奈の目に飛び込んできた。
「………ハヤト?」
名雲とハヤトが連れ立ってどこかに行こうとしている。
仲良くもない2人で一体どんな話があるというのか。
後を付けてみようと琉奈が足を進めた矢先、
ロビーのソファーでぐったりしている人物が気になりそちらに駆け寄った。
「……フリッツ?辛いの?」
両手で体を抱き締めるようにしている仕草はどう見ても普通の状態じゃない。
呼びかけられたフィルは放心していた意識を一度だけこちらに向け、無言で拒否の姿勢をとった。
「いつから?どんどん酷くなる一方なんじゃない……?」
フィルは逃げようと体をよじるが、琉奈にがっしりと両肩を掴まえられている為に動けない。
もう女性に抑え込まれるほどに体力は残っていないのだろう。
冷や汗が吹き出る額を見つめ、琉奈は申し訳なさそうに顔を歪めた。
「……ごめん……貴方をそんな風にする為にあれを作ったんじゃない……」
「え……?」
無口なフィルがふいに顔を上げた。
「どういう……事ですか……」
「………私も、共犯者だという事だよ」
自分で言って泣きそうになった。
散々名雲に共犯者だと嘲り笑われ、そのたびに否定してきたというのに、
薬の副作用で衰弱しているフィルを見ると沸き上がるのは自責の念。
どれだけ逃げようとしても、結局この元凶の一部を担っているのは自分だ。
自分の過ちが、新たな犠牲者を生んだ。
フィルをこんな風にしたのは、自分だ。
「もう、やめなさい……あの男に利用されてボロボロになるだけよ」
「……選んだのは、僕だ…っ」
頑なに首を振るフィルから溢れる冷や汗を、持っていたハンカチで拭った。
その琉奈の表情は儚くて、笑おうと努めているのにやはり泣きそうだった。
「馬鹿ね……それでも貴方は傷ついてるのに……」
フィルも、どこか琉奈に似ていた。
「やあ、ウチのドライバーに何か用でも?」
「……っ!」
背後に立っていたのは、常に余裕の顔で人を見下す男。
その後ろにハヤトはいない。
「今日はまた綺麗に着飾ってきたね。君によく似合ってる」
「……あんたの為に着たんじゃない」
「それは残念」
淡い水色のドレスをひるがえして、琉奈は名雲を睨んだ。
その目を見て男は「やれやれ」と肩を持ち上げ、歩み寄ってフィルの腕を掴んだ。
「さあフィル、行こう」
「フリッツをどうするつもり?」
やけに挑発的な男の目が気に入らない。
「部屋で休ませるだけだが、それ以外に何かあるかな?」
「……もうこれ以上フリッツを利用しないで」
「君みたいに、かい?」
「……っ」
ぬけぬけと言ってのける男が、堪らなく憎い。
わざと琉奈を苛立たせようとしているのだろうが、それでも抑えられそうになかった。
「これはフィルが望んだ事だ、私はそれをサポートしているにすぎない」
「サポート……それが?」
「ああそうだよ。では、明日の決勝で」
早々に立ち去ろうとする男と、その肩を借りてフラフラと歩くフィル。
何かがおかしい、もしかしたらあの男は。
ずっと感じていた違和感を問いただしたくて、名雲の背中に静かにぶつけた。
「……ハヤト、知らない?」
すっと、男の気配が変わった。
そして賞賛の笑みで琉奈を振り返った。
「……君は本当に頭の回転が早い。
何事も知らずにいれば、君はもっと平和に生きられたはずだろうにね。昔のように」
「………」
男はハヤトの事を知っている。
それ以上何も言わなかったが名雲の笑みを肯定と受け取り、琉奈は警戒しながらも2人の後をついていった。
名雲は特に怪しい行動を見せる訳でもなくフィルの部屋の前までくると、
「では、また明日」と言って弱った体を見送った。
焦らされているという事には気付いていたが、落ち着ける訳がない。
場合によってはハヤトが危険にさらされているという可能性だってあるのだから。
「ハヤトはどこ?」
「そんなに焦らなくてもいいさ」
それすらも琉奈を苛々させる元となるが、きっとそれも故意だ。
しばらく同じような景色を過ぎた後、名雲はようやく一つの部屋を示した。
「ここにいる」
琉奈は名雲を押しのけてベッドルームのドアを開け放ったが、そこには誰もいなかった。
「っ!騙した―――んん!」
振り向きざまに両手を拘束され、唇を塞がれた。
数年前と同じクセのある煙草の臭いがして琉奈は激しく抵抗したが、健全な男の力に敵う訳がなく貪られる。
「はっ……ぅん!」
鼻を無造作に摘まれ、酸素を求めて口を開いた所へ再び唇で塞がれ、今度は突然液体を流し込まれた。
ぬるりと冷たいような生ぬるいような温度に気持ち悪さを覚え、そのまま男の顔に吐き戻してやりたかった。
だけど結局できなくてその液体を飲み下すとようやく呼吸を与えられた。
「騙したとは心外だね。君が自らこの部屋に入ってきたというのに」
「、…は……っ!」
「君にブランデーはきつかったかな?」
「な……っ、何を…!?」
「ただの睡眠薬だよ、即効性のね」
一緒に飲まされたのは普段自分では好んで飲まないブランデー。
その強い度数を一気に飲まされた為に喉は灼けるように熱く、次第に体の奥から火照っていくような感覚に陥る。
元々酒に強くない上、此処に来る前にも結構飲んでいたせいでアルコールが回るのが予想以上に早い。
むせる喉を咳き込ませ、涙目で名雲を睨み上げた。
「君が起きていると色々とまずいからね、寝てもらうよ」
「ハヤトを……ハヤトをどうしたのっ!?」
「君同様、寝てもらっているよ。明日もね」
「ハヤトを決勝に出させないつもり!?そんな事して勝つ事に何の意味があるの…!」
名雲の腕を振りほどこうにも、一気に来た酔いのせいか薬のせいかで力が入らなくなる。
こんな卑劣な事しかできない男が情けなくて殴ってやりたいのに、できない。
「せめて……!正々堂々と戦っていればこんな事には……っ!」
「理想論だね。こんな不公平な世でそんなものが通用するとでも?」
「……っ!だから貴方は敗者なのよ!」
精一杯の力で男を突き飛ばして部屋の出口を目指そうとしても、目前にして足下がふらついて、倒れた。
ゆっくり背後から抱きかかえられた感覚に悪寒が走り琉奈は必死で暴れた。
そしてそれを面白そうに見下ろすのは、余裕を崩さない男。
抵抗虚しく軽々と持ち上げられ、乱暴に放り投げられたのは柔らかいベッドだった。
「いやっ……離して!」
「その敗者に勝てないのは誰だ?」
「わ、私は……ぅ…ん!」
首筋を舐め上げられ封じていた情欲の記憶が蘇り、またしても背筋が粟立った。
それは恐怖なんかではなく、色っぽく反応してしまった自分と目の前の男への怒り。
これ以上暴かれるのは嫌だと琉奈は最後の力を振り絞った。
振り上げた腕は易々と男に受け止められながら、それでも何度も。
「負けたのは貴方だ……っ!もう負けたんだよ!」
「まだ終わってなどいない。まだ負けてなどいない」
「こんな事したって……何も……っ!」
「こんな事までして、勝ちたいんだと何故わからない!!」
「っ!」
ベッドに叩き付けるように激しく押さえつけられ、男はさっきまでの様相を一変させた。
痛いほど握られた強い腕と激昂した目に、琉奈は凍り付いた。
「勝たなければいけないんだ……勝たなければ!!」
―――これはきっと、余裕の表情の奥にある本音。
この人は、本当は勝利に焦っている……そんな哀しい叫びのような気がした。
その表情を最後に、琉奈の視界は明瞭を失っていく。
次第に耐えきれなくなった睡魔が琉奈を襲い、瞼を押し下げようとする。
―――哀しい人……勝つ事でしか存在価値を見いだせない人。
ああ、この人はどうやったら救われるのだろうか。
「……それでも、貴方は……間違ってる…………」
そして琉奈は眠りに落ちた。
名雲はそれを見届けると彼女の体を抱き上げ、しっかりとベッドに寝かせた。
起きているときは自分に敵意しか向けない女。
それなのに何度も自分に突っかかってくる、奇妙な女。
恋人として過ごしたあの頃と変わらない健康的な肌と髪は、今はドレスアップされて横たわっている。
頬に手を添え、肌の滑らかさを感じながら飽きるほど繰り返して。
華奢な体、絹糸のような髪を撫でてはそれを脳裏に焼き付けて。
一度は自分が貪った赤い唇に、今度は柔らかく触れた。
その感触を確かめるように、何度も何度も角度を変えて。
時折息苦しそうに顔を顰めるのが面白くて、また唇を舐めて。
「そんな事……始めからわかってるさ、琉奈……」
決して伝わる事はないだろうと見越して、名雲はその全てを唇に乗せた。
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この話が書きたくて名雲夢を始めたと言っても過言ではありません。
個人的に満足しています。