心配じゃないのかと問われれば、そんな訳がない。
彼は私達の希望であるし、唯一アスラーダに乗れる人間だ。
バイクを教えたのは私だし、ずっと弟のように接してきた。

身近な存在であり、誰よりも遠い存在になった弟。
彼は既にチャンピオンとしての自覚を持ち、レースを通して私達より先の未来を見据えている。
時には迷い周囲に当たり散らしたりもするけど、目が覚めれば彼は誰よりも大人びた目をする。
苦悩を越え死線をも越え、勝利の先にあるものを掴もうとしている。

そんなハヤトが走りたいと言うのだ、私に。
痺れの残る体で、まだ可能性があるなら走りたいと。

ならば走らせてあげるしかないんだ。
いくら心配でもハヤトの邪魔はできない、してはいけない。
ドライバーのハヤトが望むなら、私は全力でサポートをしてあげるだけ。

ハヤト、貴方はその体で何を望むの?
優勝?チャンピオン?それとも……その先の未来?

貴方が走る事できっとフィル・フリッツは立ち直る、いつかのアンリのように。
貴方の走りはいつも誰かを導き、常に先頭で光を照らし続ける。

ねぇハヤト……貴方とアスラーダは光のような存在で、私には眩しすぎるんだ。
追いかけても追いかけても、貴方達はいつも先に行く。


だから私達を越えて、貴方達しか見えない世界を臨んで……そして私達を救って―――


「ありがとうございます、琉奈さん」
「…………」

痺れが完全に治っていない状態でも、どこか晴れ晴れとした笑みのハヤト。
お願いだから死なないで、どれだけ遠い存在でも貴方は私の大切な人。

セーフティベルトさえ自分で装着できない弟に、姉としては諫めるべきなんだろう。
だけど私は操られるようにマシンの最終セッティングを終えて、戦いに向かうハヤトの顔を覗き込んだ。

「ハヤト……私は貴方を勝たせる為にアスラーダを作った。だから……生きて帰ってきて」
「………はい」


走り続ける事がドライバーの性なら、ドライバーの背を追い続ける事がメカニックの性。

私はきっと、一生こういう生き方しかできないんだろう。




―――そうして、全マシンがスターティンググリッドについた。

だがアオイのピットに名雲京志郎の姿はなかった。






16・堕ちてゆく正義






ハヤトはスゴウのクルーにとって必要な存在だ。
帰ってきてと、そればかりを祈りながら誰もがモニターを睨み付けていた。

本調子でない事は明らかだというのに、青と白のマシンはハイペースで順位を上げていく。
あすかはもとより、めぐみやさつきも心配そうにレースの動向を見守り、
良平や他のクルーも皆が自分の仕事をこなす事で戦っていた。

「アスラーダ……ハヤトを守って」

ハヤトの父親、風見広之が提唱し作り上げたアスラーダプロジェクト。
ドライバーと共に成長し共に戦う意志を持った、既に"機械"とは呼べないパートナー。
あのアスラーダがアルザードすらも導いて光を見せてくれると、
かけがえのない相棒を、その自らの意思で支えてくれると信じている。

琉奈もかつてない緊張を抱え、そして静かに呟いた。



―――貴方がアルザードに勝った時、きっと私は貴方からも解放される。



「どうしたんだ?」
「なになに?」

レース中であるというのに、アオイのピット裏がやけに騒がしい。
それに気付いたクルーと一緒になって裏を覗くと、大勢の人間の中心に今日子と名雲の姿を見つけた。
物々しい雰囲気はどうやら警察のもののようで、それは名雲京志郎の復讐劇が終わった事を意味していた。

「とうとう終わったんだ……」

ハヤト達が事の真相を知った後も、今日子の"アオイの問題だから"との言葉で公にはされなかった。
だが彼女はアルザードの秘密を探り当て、自らの手でアオイの新社長である名雲を訴えるに至ったのだ。
かつて想いを寄せていた人に引導を渡される、その事に琉奈は感慨のような複雑な気分を抱いた。

「どうして警察が来てるの?」
「さ、さあ……」

何も知らないクルー達は異様な光景に困惑していたが、琉奈だけは静かに男を見据えていた。
大きな安堵の息をつくと共に、だけど何処か引っかかりを感じた。
名雲は特に抵抗する様子もなかったが、それでも笑みを崩そうとはしないのだ。
後悔はしていないという表れなのか、他に何か企んでいるのか。

始めからこうなる事を承知でアルザードを作り、ハヤトを監禁したというのだろうか。
罪を犯してでも勝利を得る、その為だけに。

――「こんな事までして、勝ちたいんだと何故わからない!!」――

彼はこのサーキットで何を残したかったのだろう。
いや、目的なんてわかっている。だけど方法が間違っている。

(もっと違うやり方があったなら……少しは、理解できたかもしれないのに……)


解決したはずなのに一向に晴れない気分を振り払うように再びモニターに目線をやると、
ブースト加速した3台のマシンがコーナーを曲がっていく所だった。

「!……ハヤトっ!!」

だが3番手のアスラーダのラインがずれ、突然アウト側に膨れた。
あと少しでコーナーに接触する、というギリギリの所でマシンはラインを保ちコースに戻った。
あんな走りは普段のハヤトでは絶対にしない、恐らく痺れの影響だ。

(お願い、帰ってきて……!貴方が帰ってこないと何の意味もない……っ!)

琉奈は天に祈るような気持ちで胸元をギュッと握りしめて、タイヤ交換の準備に立ち上がる。
今はない胸元には、かつてアスラーダのキーが眠っていた。

「……あすか」
琉奈さん……!」
「大丈夫だから……大丈夫だからっ!」

見ていられないといった青白い顔のあすかを落ち着かせようと強く抱きしめた。
だけど本当は、琉奈自身も怖くて誰かに縋らずにはいられなかった。

「ハヤトから入れるぞ!気合い入れてかかれよ!」
「「はい!!」」

メカニックの腕で左右されるピットイン、オーナーの号令が飛び交う中でアスラーダが帰還する。

「ハヤト!」
「あすか、それ……!左手を……ステアリングに、縛り付けて!」
「左手をどうした!?きかないのか!?」
「え……っ?」

タイヤ交換をしながら、琉奈の心臓はまた一つ音を立てた。

「無茶だぞハヤト、そんな手では……!」
「頼む、あすか…!」

叫ぶ修を余所に、懇願するハヤトを見つめたあすかは静かに首のスカーフをほどいた。
辛そうな顔で、だけどスカーフは確実にハヤトとステアリングを繋ぎ止めた。

「お前……!」

誰もが無理だと思う一方で、あすかがハヤトの意思を紡いだ。
きっと誰よりもハヤトの身を心配しているはずなのに。

あすかもそういう生き方を選んだのだと、琉奈は悲しそうに2人を見つめた。

「ありがとう……」
「貴方の思う通りに……でも死んだら許さない!」

皆、貴方を待っている。だから生きて帰ってきて。
再びアスラーダはレースという世界に消えていった。





1位は相変わらずフィル・フリッツの乗るアルザード。
すぐ後ろに迫るのはスポット参戦の新条直輝の赤いイシュザーク、
そして不安定なコーナリングをしながらも2台を追いかけるアスラーダの姿があった。

生まれ変わったかのように走るイシュザークは、アルザードを追い抜こうと激戦を繰り返す。
そして何度目かの後ついにアルザードが後ろに下がり1位の座を明け渡した。

「え……」

だが歓声が沸き上がる中、琉奈だけはその奇妙な現象に眉を潜めた。

おかしい、どうしてアルザードはブレーキをかけたのだろう。
あのタイミングで諦めるのは早すぎやしないだろうか。
そもそもイシュザークに抜かされるようなスキがあったのも変だ。

(バイオコンピューターに限って、そんな選択肢はあるの……?)

『ついに……ついにオーバーテイク、新条直輝!凄まじき走りと執念でトップの座を奪取!』

アスラーダ以外で、初めてアルザードの前に立ったのは赤いイシュザーク。
鬼神のような気迫でピット横のコントロールラインを越えていく。

疑問を余所に、今度はアスラーダがアルザードに迫る。
だがアルザードはコーナーではない場所でブレーキをかけ、真横のアスラーダに並んだ。
そして、その身をぶつけた。

「っ……ハヤト!!」

ハヤトはすぐさま反応してブレーキをかけたが、
接触とは明らかに違う体当たりで車体の一部は破損し、アスラーダは大きくスピードダウンする。

「な、何今の!?風見さんを狙ったよね!?」
「う、うん……反則だよね?」
「なんで……どうしてアルザードが……!?」

スゴウの誰もが顔色を変え、琉奈も信じられない気持ちだった。

普通のアルザードならそんな事する訳がない。
あれはドライバーを操作する以外は他のサイバーシステムと変わらないはずなのだ。
他のマシンに故意にぶつかろうとするプログラムなんて当然搭載されていない、それなのに。

依然変わらずアルザードは確実にアスラーダだけを狙ってくる。

『これは酷い!進路妨害なんて生易しいものではありません!』

「くそ……っ!」

異常を訴えるアナウンスが響き、ブラックフラッグが掲げられるが違反行為はさらに酷くなる。
修が堪らずアオイに抗議に走った。

だがフィル自身にはこんな事不可能だ。
フィルはアルザードの一部、バイオコンピューターの命令でしか手足を動かせないはず。

それにフィルは望んでないに違いない。
監禁されたハヤトを助けた彼がやる行為じゃない。

「もしかして……!」

(まさか……あの男が、プログラムを書き加えた!?)

「なんて事するのよ風見さんに!」

モニターに映るのは次々とアスラーダを破壊していくアルザードの姿。
目の前の光景を愕然と見つめながら、琉奈の胸中の何かが音を立てて崩れていく。


――ああ……アルザードが暴走していく。
バイオコンピューターが、アスラーダを潰していく。

あれは……柾さんが求めたマシンですらない。

こんな事をする為のシステムじゃなかった。
やり方も思想も違ったけど、バイオコンピューターはアスラーダと同じく「人とマシンの融合」が目的で。
それを実現させ、安全かつ絶対勝利へと導くもの……少なくとも、レースで勝つためのシステムなのに。

バイオコンピューターが、柾さんの理念が汚されていく。
記憶の中の柾さんはいつだって野望に燃えていて、だけど目を輝かせていた。
一心に、自分のマシンに希望を持っていたのに。

こうなってしまったら、もう絶対にバイオコンピューターが認められる日なんて来ない。
あの男の言う、自殺してしまった柾さんが味わった屈辱というものを晴らす事すらできない。

――「兄さんの理論は間違っていない」――


それすらあの男は、自分で破滅させた。


「……っ!!」
琉奈さん!?」

琉奈は走った、隣のアオイのピットに。
アオイのクルーや大勢の警察官、今日子や修をも素通りして。

誰の制止の声も聞かず、勝利の笑みを浮かべた名雲に詰め寄り、勢いのまま頬を叩き付けた。


―――パァンッッッ!!!


「柾さんを侮辱する気!?」

一同は目を見張ってどよめき、男は静かな目を琉奈に向けた。

「勝つなんて笑わせないで!!これで柾さんが正しいんだと誰が思うのよ!!」

涙が零れた。
アスラーダを壊そうとする事が、バイオコンピューターさえも汚した事が悔しかった。

「認められる訳ないじゃない!貴方が柾さんの理論を壊したのよ!!」
「…………」
「貴方が柾さんの意思を殺した!!」


―――パンッッ!!!


もう一度平手打ちの音が響いた所で琉奈は修に羽交い締めにされた。

琉奈、いいから落ち着け……!」
「嫌!この男には体で言って聞かせないとわからないのよ!」
「ま、まあまあ、ここは穏便に……」

私服警官らしき人に間に入られ、琉奈は震える拳を抑えるしかなかった。
名雲は頬を打たれたまま項垂れ、何も答えようとはしなかった。

琉奈……お前……っ」

修は琉奈が殴り込んで来た状況が飲み込めずに、様々な疑問を抱えていた。
琉奈は依然として男を睨み、そして男は琉奈を見下ろし。

だが次に顔を上げた時、名雲の表情には驚愕が浮かんだ。

「っ……何だと!?」

モニターに映るアルザードのキャノピーが吹き飛んでいた。
アスラーダへの破壊行動は収まり、フィルを乗せたアルザードは悠然とアスラーダの前を突き進む。

名雲のプログラムを振り払い、バイオコンピューターから逃れたフィルが、走っている。
その姿は確かにレースを楽しんでいるように見えた。

だがアルザードはコーナーでバランスを崩し、黒い車体は壁にぶつかりながら宙に舞った。
激しいクラッシュだった。

「フリッツ!!」
「フィルは大丈夫なの!?」

モニターで見ている限り、ボロボロの車体の中でもフィルは何とか動いているようで、
どうやら最悪の事態には至らず、今日子やアオイのクルーは胸を撫で下ろした。

フィルは選んだ、栄誉よりも勝利よりも……ドライバーとしてのプライドを。
自ら望んだバイオコンピューターを断ち切り、彼は自らの力で走った。

「ふぅ……私もよくよく運のない男だな」
「違う、これは自業自得って言うのよ」

減らず口を叩く名雲を琉奈は冷たい目で睨み付けた。

「間違ってたのは貴方よ。フィルにだって見放されて……貴方は独りだ」

これは全て自分が招いた結末。
運命に見捨てられたみたいな言い方して、結局自分で自分を追い込んだ可哀想な男。

いくら改心させようとしても、いくら間違ってると説き伏せても伝わらなかった。
騙されても傷つけられても、許そうと思っていた……救ってやりたいと思ってた。

だけど自分の思想さえも忘れて破壊を選んだ男など、もう面倒見きれない。
どうなろうともう知ったことじゃない、勝手にどこへでも行けばいい。

「……馬鹿な男。そんなあんたを必死で止めようとしてた私も、馬鹿だった」

それを聞いて男がどう思ったかはわからない、けど恐らく伝わらないのだろう。

だから……もう知らない。






――アルザードのクラッシュにより、レースはその周で終了となった。

トップでチェッカーを受けたのは赤いイシュザークの新条直輝。
彼が久しぶりに勝利を掴んだ瞬間だった。

ハヤトと加賀はリタイア。
フィルも重傷だったが誰かが命を落とす事はなく、ドライバー達は生きてピットに帰ってきた。











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この話も書きたくて仕方ありませんでした。
やっと念願叶いました。

とりあえずサイバーにでてくる"性"は全部「さが」と読んで下さい。
次でSAGA編終わります。