ここに帰ってくるのは、もう何年振りになってしまった。
「ただいま、父さん、母さん」
実家はない。天涯孤独になった時に家は売ってしまった。
菅生家にはかなり反対されたものの、世界を飛び回る琉奈には管理しきれるものじゃなかった。
だから今は此処が琉奈の帰る場所。
逝ってしまった時期は違うけど、父と母は一緒に眠っている。
「しばらく来れなくてごめんね。ちょっと最近忙しくて」
せっせと花を取り替えて(きっと菅生のおじさんとおばさんがいつも添えてくれているものだ)、
土産の酒と菓子と、閉幕後にスゴウのクルー達と撮った写真を添えた。
線香の煙が静かに立ち上る。
勝利に喜ぶ皆の中央、その鮮やかなインディーブルーに琉奈は頬を緩ませた。
「アスラーダが優勝したよ。やっぱり父さん達のアスラーダは凄かったね」
命を賭してアスラーダを守った父。
その形見とも言えるマシンを守り、生まれ変わらせる事ができたのだろうか。
「……少しは、父さんに近づけたかな?」
アスラーダという、一つの決着はついた―――
1・微睡みの海
この頃、琉奈はどこか元気がなかった。
毎年オフシーズンになると、1人暮らしをしている彼女も菅生家で長期間滞在する。
だけどいつもはバイクを弄ったり乗り回したり、ハヤト達と買い物に出かけたり、
修と喧嘩したりと、ひとつに留まっていないのに。
今の彼女はテレビをぼ~っと見ては雑誌をめくり、時折考え込むように溜息をついたり、
そのままソファーで眠ってしまったり。
どこか悩んでいるようにも見えるが、いつもの彼女と比べると"衰弱している"と形容するのが自然だった。
だからこの状態を打破するべく、ハヤトは立ち上がった。
「琉奈さん、ツーリングに行きませんか?」
「……へ?」
突拍子もない提案だったのか、雑誌を見ていた琉奈はポカンとした顔で見上げた。
そんな年上の彼女にニコッと微笑みかけると、異論を唱えられない早さで外に連れ出した。
「あ~……いい天気だね」
「だから誘ったんですよ。気持ちいいでしょう?」
「うん」
ハヤトに半強制的に誘われるまま、ツーリングに適した峠を走った。
紅葉も随分前に終わっている季節だからもっと寒いかと見越していたが、
今日は気温が高いらしく、ポカポカと陽気な気分だった。
ヘルメットを外せばさすがに冷気が頬を通り過ぎる。
それでも日差しが心地よくて、目を閉じて太陽の光を一心に受けた。
「あ、お腹すきませんか?もう少し先のドライブインで昼食にします?」
「そうだね」
2台は峠を少し下り、この辺りでは大きな休憩所でバイクを停めた。
ドライブ客や観光客目当てのドライブインには土産がたくさん販売され、敷地に隣接して公園もある。
その一つのレストランに入ると、広大な自然が見下ろせる窓際の席に座った。
「それで、どうしてツーリングに連れて来てくれる気になったの?」
あすかは友人とスノーボードに出掛けていて不在だし、数日後には授賞式だってある。
それに今まで互いに忙しく、2人で出かけるという選択肢がなかったように思う。
「……琉奈さん、最近元気ないようだったから」
「え……?」
そう、見えただろうか。
年下のハヤトは苦笑した後、すっと顔色を変え真剣な表情で見つめてくる。
「……何か、ありました?どちらかと言うと疲れているっていう気がします」
「うん……色々あって考え事ばかりしてたからね、でももう大丈夫だよ」
「本当、ですか?」
「うん本当。こんなにのんびりしたの久しぶりだから。今期は忙しかったしね」
今期は本当に"疲れた"という単語が似合う。
根詰めてマシンを整備していたために自分の体の事など二の次で。
グランプリ前半はそれで体調を崩していたし、階段から落ちて怪我までしてしまった。
後半は何とか回復の兆しを見せたが、通常でもメカニックの運動量は尋常じゃない。
男の職場と呼ばれるような所に女がいる訳だから、男と同じ事をこなさなければいけない。
女だからって妥協したくなかったし、何よりハヤトを勝たせようと必死だった。
閉幕後、気が緩んでくると次第に体にガタが出始める。
今は特に精神的にも安定していない。
「何だか珍しいね、ハヤトと2人でゆっくりするのって」
食後の暖かい紅茶が全身を包み込んでいく。
それは真綿のように、心には眠りを誘うように。
「こうしてると色々な事を忘れられる。レースの事とか、マシンの事とか……
そういうの全部置いてきて、ただ一人の人間としてここに存在している気になる」
ただの人間だった子供の頃のような。
何も考えず、何の障害もなく、先には漠然とした未来だけが広がっているような感覚。
「こうやって普通の人がやってるような事してると余計に感じるんだけど、自分って一体何だろうなって思わない?」
「え?」
「星の数ほど人間がいてどれも同じ人生なんてないのにさ、
ハヤトはサイバーのチャンプ、私はそのマシンを整備する事を選んだ」
気がついたらサーキットという呪縛に囚われていた自分達。
少し周りを見渡せば、そんな生き方とは無縁な世界が広がっている。
「そうそうない人生だと思うけど、それだって何かが違ってたら変わっていたかも知れない。
私がバイクに興味を持たなければ、もしかしたらハヤトはレースの世界に入らなかったのかもしれない。
父さんが風見さんと出会っていなければ、ハヤトと出会う事すらなかったんだ。
でもやっぱりこういう人生に行き着いたかもしれない」
全ては偶然だったのだろうか、それとも必然か。
それに伴う経験も後悔も、僅かなズレで生じる事もなく。
「何の為にこんな人生選んだんだろうって思う。嫌とかそういう意味じゃなくてね」
哲学にも似た独白にハヤトはただじっと耳を傾けていただけだったが、
何だか目の前の琉奈が遠くに行ってしまいそうな感覚に襲われた。
「……好きだからじゃなくて?」
「それもあるけど……何て言うか、自分が整備したマシンでドライバーが勝った瞬間に、その答えがわかる気がするの。
あの光が全てを教えてくれる気がする、だから続けてる」
自分がここにいて、この道を選んだ意味を。
そしてこの先、もし辿る道が変わったとしても、きっとそれは自分にとって必然的な選択なのだろう。
「……だから……誰の所にも、光が届けばいいのにって思う…………救われたいと思う、人に……」
「……琉奈さん?」
ハヤトが尋ねても、琉奈の意識は外に広がる静かな空だけを見つめていた。
考える事を拒否するかのように、その脆弱な精神を守るように。
彼女は孤高な心を殻に閉じこめて。
――思えば、僕達は彼女の心に触れたことはあるのだろうか。
ハヤトやあすかにとって琉奈は姉のように優しくて、そして温かく見守ってくれる人。
機械弄りが本当に好きで、それに熱中すると寝食を忘れるぐらい。
ギャップがあると思う。
彼女はしなやかな波のようであり、時折内面の熱い感情を垣間見せる。
面倒見がいい、それは確かにそうだと言える。
だけど彼女は……ふと、何かに執着するように飛び去っていく。
アンリが影でハヤトを恨んでいた時も、かなり早い段階で性格を見抜いてずっと後を追っていた。
今期は、体調を崩してしまうほどアスラーダに賭けていた。
そして、アルザードと名雲京志郎との関係。
自分達は彼女をわかっているようでいて、実は何もわかっていないのではないかとハヤトは思う。
年下故か、ハヤトは彼女の悩み事を聞いたことはなかったし、思い詰めたような顔もほとんど見せない。
どこかへ行ってしまいそうな気に駆られるほど、彼女はひとつの所にあまり長く留まらない。
いつも遠くの世界を見つめ、精神的にも誰かに頼る事をしない。
――琉奈さん……貴女は一体どこを見つめ、どこに行こうとしているのですか?
彼女の心は、わからない。
間章
調和を崩しながら
「あれハヤト、何処か行くの?」
冬も深くなり、菅生邸には大きなクリスマスツリーが飾られている寒い日。
ハヤトはライダースジャケットを羽織り、バイクのキーを手にしている所だった。
「ええ、フィルのお見舞いに」
「あ、そうか、もう退院なんだっけ……」
「琉奈さんも行きますか?ずっとフィルの心配してたでしょ?」
フィルが入院中、何回かハヤトと一緒に見舞いに行った。
顔を合わせるたびに琉奈は謝罪の言葉を口にして、そのたびに「もういいですよ」と苦笑されるものの、
フィルと対面するとどうしようもなく罪悪感に襲われる。
過去の罪、アルザードを生み出してしまった一部の責任という事もあるけれど。
この揺れる気持ちに囚われている自分は……フィル達を裏切っているような気がして。
それが、怖い。
「ううん……私はいるよ、よろしく言っておいて?」
「……そうですか、わかりました」
ハヤトを見送って琉奈は寒空を見上げた。
もうすぐ雪が降りそうな気候に、思わず身を寄せて白い息を吐いた。
「……ジメジメしてる。これじゃいけないよね……」
わかってはいるけど、靄が晴れない。
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間章とは名ばかりに、長めになると思われます。
ギャグも入れます。