はらはらと舞い散っていく、薄桃色の花びら。
春を目覚めさせ身を燃やし、そして命短しと空へ消えていく。

拘置所の並木道には大きな桜が咲いていて、時が止まった雨のように降り注ぐ。

満開が綺麗だと人は言うが、小さな花弁が散っている姿にこそ琉奈は心を奪われる。
弱くて儚くて、だけど人の心に刻み込まれる色鮮やかな情景は、
物悲しさの中に微かな温かみを秘めさせる。

桜は、その短い命で何をこの世に残したのだろうか。


「え……」

愛車から降りると、付近にはもう1台見覚えのあるバイクが停まっていた。
傍にいた2人も驚いているようで、ただ呆然とこちらを見つめていた。

「お前ぇ……どうしてここに」
「貴女……」

何も言えず立ち尽くしている琉奈と、緑の髪の男の間にも薄桃の花が舞う。
男の後ろにいる、お嬢様のような彼女は目を少しだけ赤くさせていた。

「……加賀さんこそ、どうしてこんな所に?」
「ウチの今日子さんのな」
「今日子さんって事は、面会してたのは……」
「……名雲だよ」

驚いた表情のまま見つめてくる今日子の眼差し。
名雲が長年好きでい続けた、気迫と儚さを兼ね備えたかのような深窓の姫君。
彼女は琉奈の事を知らないだろうけど、琉奈は彼女の事をよく知っている。


――私では、どうあがいても勝てない人。


「そうですか……じゃあ今日はもう面会できないですね」
「あ、貴女……あの時ウチのピットに飛び込んできたスゴウの人よね?」
「……はい、メカニックの琉奈です」

彼女には、自分はどのように映っているのだろうか。
明らかに何か関係があるはずなのに、名雲が煙に巻くように曖昧にしてしまった琉奈を。

「もしかして、何かされました?」
「え?」
「泣いていらっしゃったようなので」
「……え、ええ……まぁ」

無遠慮な質問だったが聞かずにはいられなかった。
あの男が彼女をからかうのは、きっと恋慕の裏返しだ。
琉奈には与えられなかった感情で。

「でも今日子さんが来てくれたから、あの男はさぞかし喜んでいた事でしょうね」


――ああ、本当に……負けた気分だ。


「それでは」
「ま、待って!」

内心を晒そうとしない微笑を浮かべ、再びヘルメットをかぶろうとした琉奈を引き留める。
今日子は必死な声で、今まで感じていた疑問をぶつけずにはいられなかった。

「貴女はあの事件の被害者なんでしょ!?なのに、どうして貴女が彼に会いに来るの!?」

不思議だった。
名雲は「彼女とは初めて会った。口封じに眠らせた」としか言わなかったが、
ピットに乗り込んできた琉奈はどう見ても男と面識があるようだった。
それも、何もかも知っているような口ぶりで。

だけど男持ち前の巧みな話術により、結局は全くの被害者として解決した。
それはつまり、名雲は琉奈を庇ったのだろうかと。

「名雲さんの何を知ってるの!?貴女は一体彼の何なの!?」

切ない程の叫びに、琉奈は心の中で自嘲した。


――そんな大層な関係じゃない。
その疑問を私にぶつけるのは、他でもなく今日子さんなのか。


「……何も知りません、あの男の事なんて」

何を考えているのかすら、わからないのだから。
ただ、あがなえないだけだ。

「あの男はきっと、私の事を猫か何かだと思っているんでしょうよ」


最後まで消えない、執念の性に。






3・桜の残響






2021年、第16回サイバーフォーミュラGPX。
いつ終わるともしれない繰り返される死闘、新たなレースが華々しく開幕した。

初戦はアメリカGP、優勝したのは予想通りスゴウの風見ハヤト。
独自のリフティングターンとスパイラルブーストは誰も寄せ付けない。

その一方、出場停止処分中のアオイから、
ドライバーの加賀がテスト中にクラッシュして足を骨折したとの情報が入った。

「悪いなぁ、琉奈まで」
「本当に大丈夫ですか?」
「ああ、大した事ねぇって。どいつもこいつも大げさなんだよ」
「みんな加賀さんが心配なんですよ」

その現場に一緒にいたハヤトとあすかが血相を変えて報告してきたのは記憶に新しい。
琉奈としてもすぐに見舞いに来たかったのだが、
メカニックの仕事を何とか済ませた後に様子を見に来た次第だった。

今日は珍しく見舞い客は他にいないようだった。
彼自慢の緑の髪は、今は少ししな垂れていた。

「ちょうどよかった。前々からお前ぇに聞きたい事があったんだ」
「…………」

あらかた見舞い品を渡して、少しの沈黙が漂うちょうどいいタイミングに、
急に真剣な表情になった加賀を見て琉奈はついに来たと顔を強張らせた。

「拘置所での事、説明してもらおうか?」
「……やっぱり加賀さんには敵わないですね」

あれぐらいで引き下がってくれる人ではないかと、くすりと微笑んでみせる。

「どこまで聞きたいですか?」
「そういうはぐらかし方、あいつに似てるな」
「、え……」
「とりあえずお前があいつを知ってる理由を聞かせてもらおうか。そうしないと俺が納得できねぇ」
「…………そう、ですね。もう隠しておく必要も、ないですもんね」

それを尋ねられる事をある程度覚悟していた琉奈は、一呼吸おいて口を開いた。
名雲柾の研究に協力していた事、その時に弟とも出会った事を掻い摘んで話した。

「じゃあお前ぇはアルザードの試作を作ったって事か」
「そんな所です」
「ならアルザードの事、最初から知ってたのか?」
「……何度も止めようとしたんですけど……結局は自分の意地に負けました。本当にすみませんでした……」
「お前のせいじゃない。終わった事だろ」

激昂する事もなく静かに聞いていた加賀は、やがて緩く笑い出す。
その表情は思ったよりも柔らかくて、見透かすような目だった。

「お前も変な奴だよな」
「え?」
「そうだろ?騙されて、しかもつい最近だって監禁されて普通だったら恨むだろ?
なのに拘置所にいたお前は、そういう顔じゃなかった」
「…………っ」
「ウチの女王様と同じ顔してる」

認めたくない何かを悟られている気がして琉奈は言葉に詰まった。

「……すまねぇな、立ち入った事聞いて」
「いえ……」

(違う……そんなはずはない、から……)

「……あの男は今日子さんが好きなんです、ずっと前から」
「何…?」

真実から逃げるように窓の景色ばかりを目に入れて。

「だから好きか嫌いかと問われたら……嫌いです」

この世で一番憎い男の残像を睨み付けた。

「嫌いです、あんな奴……」

そう言った琉奈の顔があまりにも哀しそうで、加賀はそれ以上何も言えそうになかった。

「……そうか……悪かったな」
「いえ…………あ、じゃあ私からも一つ聞いていいですか?」

互いに話題を変えたかったのか、加賀も明るく努めて次の言葉を待った。

「加賀さんは引退も移籍もしないで、アオイで来期を待つんですよね?」
「ああ、このままって訳にもいかねーからな」
「……それはハヤトと戦いたいからですか?」

思えば彼はいつだってハヤトとの勝負を望んでいた。
アオイの為とか、その他の為なんかじゃなく。

他のドライバーはハヤトに勝って優勝する事を目標としているけど、
恐らく彼は優勝なんかどうでもよくてハヤトに勝てさえすればいいと思っているだろう。
それは今まで彼が奔放にレースに参加していた事から伺えるし、
ハヤトがZEROの領域を取得した時の彼の気迫はすさまじいものだった。

「……そうだな。決着がつかない限り、俺はどこにも行けないんだろうよ」
「それは……ハヤトに勝つ事で何か終われるものがあるという事ですか?」
「………」

黙り込んでしまった様子に、立ち入りすぎてしまったと琉奈は後悔した。

「すみません……私もアルザードに勝つ事で一つ壁を越える事ができましたから……
何となくそう思っただけです、変な事聞いてすみませんでした」

シュンと項垂れていると、加賀は警戒を解いてフッと笑って見せる。

「ま、色々あるんだよ。こういう事は誰でも」
「……そうですね」

(加賀さんにとっての壁はハヤトなんだろうか……?)

彼とハヤトは似ている。

どことなく掴み所のない雰囲気や、仲間がいるはずなのにどこか独りで走っているような姿とかが。
ドライバーとは本来そういうものかもしれないけど、彼らはそれが顕著だ。

彼らは性質はまるで違うはず、なのにどうして2人は惹かれ合っているのだろう。

「でも……アオイで走るという事は、マシンは何になるんですかね?
アルザードは使えないし……なら、エクスペリオンしかないですよね?」
「だろうな。去年のマシンか……来期は厳しいな」
「…………」

それで彼は満足にハヤトと戦えるのだろうか。






―――「それは、加賀くんにとっては生殺しだろうね」

何もかも知り尽くしたように、あの男はそう言っていた。

「そうだろう?エクスペリオンは去年のマシンだ。
アルザードで勝てなかったアスラーダに、どうしてエクスペリオンで勝てるというんだ?」
「………」
「まぁ、例え他のチームに移籍したとしても勝利の可能性は0に近いだろう。
君が認めた、あの風見ハヤトに勝てると思うかい?」

客観的に見ても、もうあのハヤトには誰も敵わないと思う。
若き帝王と称されるだけあって彼は天才的だし本当に強い。

確かに加賀さんは強い、だけどハヤトにはアスラーダがいる。
絶対の自信を持って世に送り出したマシンが一緒なのだ、そのおかげでハヤトの勝率は何倍にも跳ね上がった。

「既にドライバーの腕だけでは勝てない時代が来ている。
さらに風見ハヤトに勝つ為には、ただ性能のいいマシンだけでは駄目なんだよ。
彼らの強さはそんなものに左右されないからね」

アスラーダの強さを知っている男は飄々と言葉を並べ。
最後に少しだけ口角を上げた表情に、嫌な予感を覚えた。

「後は、何が必要だと思う?」
「……まさか……」

まだ、何かが燻っていると―――






「新マシンが上がるまではエクスペリオンで我慢するしかないな」
「そう、ですね……」

ハッと我に返り、気付かれないように言葉を紡ぐ。
だけど頭の中で響くのは、人を喰ったようなあの物言いばかり。

――「風見ハヤトに勝つ為には、ただ性能のいいマシンだけでは駄目なんだよ」――

(じゃあ何なら勝てるって言うんだ……)

記憶を振り払い、琉奈は目の輝きを失わない加賀を見下ろした。
雰囲気がそうさせるのか、彼を見ていると何だか親近感が湧いて自然と笑みがこぼれる。

「私、加賀さんがハヤトに勝てるように応援してます」
「おいおい、いいのか?俺はスゴウの敵だろ?」
「そうですけど……でも加賀さんがハヤトに勝ちたいって気持ちも何となくわかります、差し出がましいですけど。
それにハヤトもきっと真剣勝負を望んでいます」

それがどんなに親しい人だろうと、例え負けたとしてもハヤトは受け入れて挑み続けるのだろう。
そういう所が、彼らは似ていた。

「だから、まずは早く怪我治して下さいね」
「ああ。来期になったら必ずお前ぇんトコのマシンをぶっちぎるからな」
「……期待しています」


どうか杞憂であって欲しいと願いながら、琉奈は部屋を後にした。











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事件が明るみになってからやたら全員に説明して回らなきゃ行けなくて大変です。

拘置所は1日に1人面会したらもう面会できないそうです。
それを知っているのでヒロインはすんなり帰ろうとしたのです。