この頃、琉奈の機嫌は悪かった。
それは修に対してだけだが、当の人間は構わず口煩くするものだから始末に悪い。
「修さん、先に日本に戻るの?」
クルーとは違い、オーナーは今後の資金繰りなどもあって忙しい。
ホテルの自室に戻ってシャワーでも浴びようかと考えている時に修とばったり顔を合わせた。
「ああ、後はクレアとお前に任せる」
「はーい」
角を立てないように穏便に会話をする。
それで終了するかと思いきや、修は眉を潜めて琉奈を見下ろした。
「お前は日本に戻っても何処にも行くなよ」
「……もう、わかりましたってばー」
ハヤトとあすかの同居が決まって以来、何かと修の監視が厳しい。
ツーリングに出かけようとすれば一緒に付いてきそうなほどしつこく行き先を尋ねてくる。
その足で、とある場所へ行くのを随分と警戒しているようだった。
「あまり褒められない行動するならば私にも考えがある」
「……何よ?」
恐る恐る見上げると修が険しい表情ではっきりと告げた。
「見合いさせるぞ」
「…………は、はい!?」
今の瞬間ほど、目の前の頑固な幼馴染みの頭の回路を見てやりたいと思った事はない。
琉奈は開いた口が塞がりそうになかった。
「相手はそうだな……ハイネルとかどうだ?
私としては相手がレース関係者というのは気が進まんが、彼ならマシというものだ」
「いやいやいや、何でそういう事になるのよ!?」
"彼ならマシ"とは、ハイネルに非常に失礼ではないか。
「お前も言っていたではないか、ハイネルならいいと。
ならば他のろくでもない男にやるくらいなら見合いを後押ししてやる」
(く……そういう所だけ覚えているとはっ!)
ハヤト達の結婚騒動の一件を思い出し琉奈は頭を抱えた。
この堅物は一度決めたら他人の言葉なんて聞きやしない。
自分こそクレアを盗られそうになると誤解してハイネルを敵視してたくせに。
「大きなお世話です!私は自分で決めたいの!」
「お前が選ぶのでは心配だと言っているんだ」
「誰選ぼうと勝手でしょ!?」
「よくない。私は橘のおじさんにお前を任されてだな……」
「またそれ!?兄気取りもいい加減にしてよね!」
完全に頭にきた琉奈はここがホテルのロビーにも関わらず声を荒げた。
それに反応して修も次第に声量が大きくなっていく。
「お前が心配させるような行動ばかりするからだろう!」
「修さんていっつもそれ!正直、私に兄なんていないんですけど!」
「屁理屈を並べるな!私は昔からお前の兄のようなものだった!」
「あーそう!?勝手に思ってればいいじゃない!」
苛々する。
色々な事に聡いくせに、こういう所だけ気付けない人に。
「でも兄だろうが弟だろうが、私の将来に口出さないでよ!
あすかの事に文句付けるならまだしも、私に対して何の権利があるってのよ!?」
「私は……お前の幼馴染みだからだ!」
「はっ、途中で家出したくせに!」
「それでもお前の面倒は私が見るしかないだろう!?」
そんな、訳のわからない義理で心配して欲しくなんかない。
手放すぐらいなら、最後まで放っておいて欲しいのに。
「だーかーらー!修さんには関係ないでしょ!?」
「関係ないだと―――」
「修さんのバカ!!!」
「……っ、琉奈!」
力の限り叫んだ琉奈の声はロビーをシンと静まり返らせ、修すらも圧倒させた。
駆け出した背中を半ば放心状態で眺め、我に返って名を呼んだが琉奈は既にいなくなっていた。
7・分かつ二人の絆
ベッドに突っ伏して怒りのピークをやり過ごした頃、琉奈の部屋を訪ねてきたのはクレアだった。
「どうしたの?修さんが動転していたわよ、琉奈さんに怒鳴られたって」
「……すみません」
「私でよければ話を聞くわよ?」
ロビーで大声を上げてしまった事も今更ながら恥ずかしく、
こうやって様子を見に来てくれたクレアに対しても申し訳ない気持ちだった。
「……修さんは?」
「さっき落ち着いたから行かせたわ、飛行機にも間に合わなくなるから」
琉奈はクレアに言うか言うまいか悩んだ。
だけどグランプリ中に精神的に不安定になるのは以前の失敗もあり良くないと経験していたし、
きっとこのモヤモヤを打ち明けられるのはクレアだけだろうと、躊躇いながら口を開いた。
「こんな愚痴……クレアさんには申し訳ないんですけど……」
「いいのよ、何でも言って?」
ここ最近の修の厳戒態勢や、お見合いを押しかけられそうになった事。
それらをゆっくりとだが話し始めた。
「まあ……お見合いを?」
「そうですよー、こっちの事情なんかお構いなしですよ?」
「ふふ、修さんは本当に貴女の事を大切に思っているのね」
クレアは純粋に柔らかい笑顔だった。
「……わかってます。わかってるんですけど、ちょっと腹が立って……」
修の言動の裏にはそういう意味が込められているという事は琉奈だって百も承知だ。
だけどクレアの浮気騒動や自身の見合い話から、
フツフツと沸き上がっていたものがうまく消化しきれずにいた。
琉奈は一度立ち上がってクレアの為に紅茶を用意すると、軽く深呼吸をして笑ってみせた。
「……修さんと私って幼馴染みなんですよね、ハヤト達と同じで」
菅生と風見と橘、自分達は幼少の時間を共に過ごした。
歳が離れていたから自然にハヤトとあすか、琉奈と修という2組で行動するようになった。
「でもハヤト達はいつも一緒にいて恋人になって婚約して、
かたや私達はいつも喧嘩ばかりで……何て言うか、凄い差だなって思って……」
仲良く寄り添う2人を見て、羨ましいと思った事は確かにあった。
「あ、別に今修さんとそうなりたいって事じゃないですよ?
今はもう家族みたいなものだし、修さんにはクレアさんと幸せになってほしいと思ってますし」
「ええ、わかっているわ」
「でも……一応初恋の人、なんですよね……」
幼少の頃からスポーツ万能、頭も良くて、その上容姿だって整っていて。
そんな人が常に傍にいて、惚れるなという方が無理な話だ。
はっきりと自覚した訳じゃないけど、確かに好きだったかもしれないと離れた後で気付いた。
意見衝突も多かったけど、それは主に修が琉奈の行動に対しいちいち首を突っ込んでくるからだ。
それ以外では尊敬していたけど、自分の性格が天の邪鬼という事もあって口にした事はない。
もう少し同じ時を過ごせば育ったかもしれない、小さくて淡い初恋。
「時々思うんです。もし修さんが家出しなかったり、私が日本を飛び出さなかったりせずに、
ずっと一緒にいたら、ハヤト達のような関係になったのかなって……」
互いに素直になれない性格だと思うから、本当にそうなったのかはわからないけど。
「そうなってもいいかなと思うくらいには、まぁある程度は好きだったんです」
だが実際は琉奈も修行の地で人並みの恋愛を経験し、修だって数々の女性を相手にしながらクレアと出会った。
「今はそうでもないですけど、それぐらいは気持ちがあった人に見合いしろとか、
付き合う男を選べとか言われたら……やっぱり複雑です。
私がこうなったのは修さんが家出したせいでしょ、とかつい言っちゃいたくもなります」
本気でそう思っている訳ではないけど、ハヤト達を見ているせいでどうしても比べてしまう。
自分と修との信頼度を……もっと言ってしまえば、絆を。
「私って、修さんの何なんでしょうね」
一通り話終えた所で琉奈は紅茶を喉に流し込んだ。
ずっと聞いていたクレアの表情はスイッチが切れた時の天然なものではなく、
レース時のように明晰な思考で真剣に物事を捉えているものだった。
どちらもクレアの魅力だけど、こっちの目の方が琉奈は好きだった。
しばらくして、クレアはにっこりと微笑んだ。
「修さんね、前にこう言っていたわ。"幼馴染みが恋人にならなくてはいけない決まりはない。
だけど、貴女が幸せになる一つの道を閉ざしてしまったのではないか"と」
それはもう一つの可能性だった。
「"裏切ったのは自分、だから男として貴女に干渉する権利なんかない。
だけど貴女には幸せになってほしい。だから自分は兄代わりに徹するしかない。自分の幸せよりも、貴女の幸せを先に"って」
「…………」
だから修は身を固めようとしないのだろうか。
「修さんはね、貴女に特定の男性がいないと責任を感じるようなの。
自分ではない誰かが貴女を幸せにしてほしいと願ってるから、だからあんな風に意固地になってしまうんだと思うわ」
「裏切ったなんて……私もやりたい夢に進んで後悔してないし、修さんだってそうだと思うし……
ただ、その道上にお互いがいなかっただけで」
それで恋人がいない事に責任を持つ必要なんかない。
あのまま一緒にいたとして恋人になったかどうかなんてわからないし、
なったとしてもハヤト達のようになるかは定かではないし。
自分の道は自分が決めた、たとえ様々な失敗をしてきてもそれを誰かのせいになんてしない。
「幼馴染みだからと言って私の心配までしてくれなくてもいいんです。
道が分かれたのは自分達が選んだ事で、修さんだって自分の道を突き進んでくれればいいのに。
責任とか言ったら、いつまで私の面倒見る気だって感じですよね」
「ふふ、そうね」
「でも……幼馴染みだから、時々は心配してほしい。同じ時間を過ごした同士だから、
困らせて、たまには私の事を考えて欲しい……なんて、我が儘ですね私は」
「そんな事ないわ。それに、修さんに面と向かって言い合いができるのは琉奈さんぐらいだと思うから。
修さんも、何だかんだ言いながらそれが好きなのかもしれないわね」
――ああ、我が儘なのは自分だったんだ。
あの頑固者は、いつだって変わらないのにね。
何を苛立っていたのだろう。
少しは自分を見て欲しいなんて声を荒げたけど、彼は十分に自分を想ってくれている。
ハヤトやあすかのような関係でなくても、別々の道を歩んでいるとしても自分達は切り離せない幼馴染みのままだ。
自分達は昔から何も変わらなくて、それでいいと思っているのに。
「……私達はそういう幼馴染みなんですね。
ハヤト達みたいに人生の伴侶にはならなかったけど、互いの歩む人生の上で必要な楔石って事で」
支え合うのではなく、互いを刺激しあって生きているんだと思う。
喧嘩するほど仲が良いって言いますしね、と琉奈は笑ってみせた。
変な事相談してすみませんでしたと謝ると、クレアはのほほんと首を横に振った。
「……修さんは、私が怒って焦ってたんですか?」
「ええ、それはもう。琉奈さんを本気で怒らせたって血相変えて」
狼狽しながらクレアに助けを求めた修。
どうしたらいいんだと、目を泳がせて必死に両肩を掴んで縋ってくる様子が微笑ましかった。
自分が話してくるから、と仕事に促してもブツブツと譫言を呟いて放心状態だった。
そんな表情をさせられる人は、そうそういない。
「修さんの世界で、貴女の存在はとても大きなものなのよ?」
「なら……いいです」
何だか、それでいい気がした。
帰国して数日後、修と琉奈は再び顔を合わせる事になる。
修は気まずいらしく、いつもの覇気がなく躊躇いがちな様子だった。
それと言うのも、琉奈がキッと睨み付けていたからだったが。
「……琉奈……」
修は目の前の幼馴染みがまた爆発しないかとヒヤヒヤしていた。
しかし琉奈は視線に込めた殺気を緩めて見上げた。
「……お見合いはしないからね。心配しなくても相手は私がちゃんと見つけてくるから」
「頼むから……ろくでもない男にするなよ」
「修さんも十分ろくでなしだと思うけどね」
「……何だと?」
「だってそうじゃない。いつまでもクレアさんほったらかしにして浮気ばかりして」
「う、浮気などしていない……っ」
「クレアさんの事は大切にしてるかもしれないけど、私は一途じゃない人って嫌だわー。
あーあ、修さんにしなくて本当によかったよー!」
「な……っ」
みるみるうちに修の額に青筋が出て行くのが見える。
「わ、私だってお前のような変な性格な奴など願い下げだ!」
「ああそう、それは光栄ですよ!その頑固頭治さないとクレアさんに見捨てられるよ!」
「お前だってその偏屈な性格では男が寄りつかないだろうな!」
「修さんに言われたくないね!」
近くで2人の様子を見守っていたクレアは面白そうにそれを眺めていた。
「まあ、本当に仲が良いのね。修さんと琉奈さんって」という呑気な言葉を聞いて、
周りにいたスタッフは全力で否定したい気持ちでいっぱいだった。
「なら見合いだ!絶対に見合いさせるからな!」
「だーかーらー!しないって言ってるでしょ!?」
「お前などそんな性格では行き遅れるぞ!」
「うるさいわね!誰がこんな性格にしたと思ってるのよ!?」
「人のせいにするな!!」
「修さんのせいに決まってるじゃないの!!」
やっぱり彼とは喧嘩仲間で十分だと、琉奈は心底実感した。
何でこうなるんだろうと後悔しながら。
―――乱暴に椅子に座った彼女に「荒れているね」と声をかけてみると、
彼女はどうやら自分に対して機嫌が悪い訳ではないようだった。
それがどうにも気に入らない。
「……どうしても私に此所に来て欲しくないみたい」
ガラス越しの彼女は疲れたようにため息をついた。
誰かに止められているのだろうか、だがそれが正解だ。
「へぇ、だけど君はそれらを振り切ってまで来てくれる。嬉しい事だね」
「あんたには借りがあるからよ。借りを作ったままにしておくのは嫌なの」
「それは残念」
肩を持ち上げてみせると、彼女の鋭い眼差しが一度だけこちらを向き、また視線を外した。
「……あんたは今日子さんが来てくれるんだから、別にいいでしょ」
目の前に座る彼女は天の邪鬼だ、自分と一緒で。
「彼女は来ないよ、もう終わったからね」
「……え?」
「昔と変わらず、桜の花びらを髪に飾ってきた時に」
学生の頃から少しも変わらない高嶺の花。
全てを狂わせた憎い会社のはずなのに、その令嬢、葵今日子という人間だけは綺麗だった。
壊したい、所有したい、そんなものではなかった。
決して近くに存在する事さえ許されないような、不可触の人。
ただ……遠くで見ていたい、それだけだった。
あの何も知らない深窓の令嬢は、自分と世界が違いすぎる。
「花のような彼女を僕みたいな人間が摘んでしまうのは惜しいからね」
「…………」
ガラスの向こうの彼女の顔が変化していくのが見て取れて、内心でくすりと笑った。
彼女はいつだって自分を楽しませてくれる。
その自分にぶつけてくる憎しみと怒りの感情までも喰らいたいと思うほど。
「だからまた来て欲しい、琉奈」
誰かの反感を買いながら、それでも此所に来るといい。
「っ、冗談じゃない!二度と来ないわよ!!」
「まあ、落ち着きなさい。座ってくれるかい?」
「あんたの指図なんか受けない!」
「……琉奈、頼みがある」
「、え…………?」
そうしてまた彼女が此所へ来る事を、願いながら―――
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修夢だろうかこれは、いや違うんですけど。
恋愛感情ではないけどハヤト達のように深い絆があるんだよ、というのを描写したかっただけなのに長い。