「本気で言っているのか!?」

信じられないといった顔で修が怒号を上げた。
今までも何度か怒りの矛先を向けられた事があるが、今日ばかりは心に響いた。

まだ迷いが残っている。
誰かを苦しめて何かを得ようとしている自分はきっと間違っている。

しかし、それでも琉奈は決めてしまった。






11・二律背反






「今期限りでスゴウを辞めさせていただきたいんです」

契約も今期で終わりだから違約にならない、と付け加えると青筋を立てて「そういう問題ではない!」と一喝された。
隣に座るクレアですら戸惑いの表情で琉奈を見つめる。

「やめてどうする気だ!?」
「一度、シカゴのスタンベック氏のもとで勉強し直したいと思ってます。
その後はサイバーではなくインディとかで働こうと」
「サイバーのトップチームを辞めてまでやりたい事がそんな曖昧でいいものか!お前はレース界を甘く見ているのか!?」
「甘く見ている訳ではありません。働く気があればどこでだって働けるという事です。
私にはサイバーだからとか、トップチームだからとかはどうでもいいんです」

ただドライバーが勝ちたいと心から願っているかどうか。
琉奈が惹かれる要素は、いつだってそこだ。

「お前なぞ勝てないチームで割に合わない仕事をさせられて潰れるのがオチだ。
女の身一つで男の集団の中にいるのがどれだけ危険なのかまるでわかっていない!」
「……じゃあ、スゴウにいたら修さんが守ってくれるっていうの?四六時中?」
「そういう直接的で短絡的な事ではない!私ならそういう危険を事前に回避させる事が可能だと言っている!
この業界、そのような騒動に責任を取らないチームなどいくらでもいる!」

そんな理由でチームに居続けるなど琉奈のプライドが許さない。
修の言い分はわからないでもないが、これは自分の人生だ。
女だと侮辱されながらも、それでも生きてきた。

「自分の事は自分が責任を持ちます」
「それが安易だと言っているんだ!」
「……なら、私は修さんの命令でスゴウにいろと?それこそ横暴ですね」
「何だと!?」
「そういうの、束縛って言うんですよ」
琉奈、お前……!」

「まあまあ修さん、落ち着いてくださいな」
「これが落ち着いていられるか!」

じっと睨み続ける琉奈に噛み付かんばかりに立ち上がった修の横で、
クレアはいつもの脱力するような調子で着席を促した。

だがクレアも驚きを隠せないようで、次には真剣な目が琉奈を見据えていた。

琉奈さん、私は貴女がこれからもスゴウにいてくれるものとばかり思っていたわ。
だけどスゴウから離れたい、そういう事かしら?」
「スゴウは……好きです。できればずっと此所にいて、アスラーダを見ていたいです」
「なら……っ!」
「修さん」

クレアのはっきりとした口調に修は黙り込むしかなかった。
言い分を聞いてくれる為に静かになった空間で、琉奈はこれまでの自分の人生を振り返る。

「……私は父に憧れ、父が命を賭けたアスラーダを引き継いでマシンを整備する……それが私の夢でした」

父親とアスラーダプロジェクトが琉奈の世界だった。

「結果、夢は実現して父達が遺したプロジェクトに携わる事ができました。
ついにはアスラーダは誰にも負けないぐらいの力を持ち、ハヤトだって一人前のドライバーになった。
罪を償う事も……果たせたと思います」

アスラーダとアルザードに対しては償えただろう。
だがまだ、テストドライバーを二人も死なせてしまったマシンが存在している。
本来はスゴウでそれを討ち破るべきなのかもしれないのに。

「もう……スゴウでの私の役目は、終わった気がするんです」
「それを決めるのは私の仕事だ、お前ではない!」
「わかっています。だけど私にとってアスラーダが終着点で、 それも終わってしまった今、私には目標がなくなりました」

父は琉奈がアスラーダプロジェクトを引き継ぐ事を望んでいた。
その為に必死になってメカニック修行をしてきたものの結局父は越えられず、追いかける事しかできない。
それはメカニックとして本当に良い事なのだろうか、非常に了見が狭い事なのではないかと思うのだ。

「ずっとスゴウにいたいですけど……此所に居続けたら、私はこれ以上成長できない気がするんです」

もっと世界を知りたい、経験を積みたい。
そうして、ハヤトや加賀のように純粋に勝ちを望む誰かの為に尽くしたい。

「過ちを払拭して、前に進む為にスゴウに来ました。
それにアスラーダ……いえ、彼らはもう既に私の手から離れています。
だからいつまでもしがみついていないで新しい目標を見つけるべきなんだと、そう思うんです」

ずっと、琉奈の心に引っかかるものがある。
本当に前に進む為に、答えを見つけなくてはならない事がある。
それはスゴウではできない事……だから、歩き出そうと決めた。

たとえ、もう一度罪の中に飛び込む事になったとしても。

(何言ってんだ私……結局は、こうせざるを得なかったのに)

罪だ理由だと、何度も自問自答を繰り返してきた。
全部嘘ではない、それらもスゴウを離れる理由の一つだ。

だけどこれが自分の意思、自分が本当に望んでいるからこその決断だったのだろう。

(絶対……認めたくないけど)

「スゴウでは……駄目なのね?」
「…………はい、ここは温かすぎます。止まりたくないんです」

こんな卑しい自分は、きっとスゴウには似合わない。

「……自分勝手に戻ってきて、またスゴウに入れてもらおうという魂胆なら許さんぞ」
「わかっています……もう……戻る気はありません」

辞めたくない、ここにいたい、それも本音。
だけどこれが最後のチャンスだと思うから。

「だけどこの先何処で何をしようと、どんなチームに行こうと、
私にとってスゴウが生涯最高のチームには変わりなく、アスラーダが夢であり形見であり、全てです」

アスラーダがなければ今の自分はなかった。
メカニックとしての自分も、夢も裏切りも……情も。

「それでも行くと言うのね?」
「はい……進める限り行きたいんです。少しでも誰かを支えられるのなら。
アスラーダに固執していた自分を越えたいんです」

そうして琉奈は巣立つ事を決めた。
その先に、闇ばかりが広がっているとも知らず。











琉奈が今期限りでスゴウを辞めると皆に知らされてから数日。

急な報告だった為、どうしてやめるのかと仲間達に問い詰められる毎日が続いた。
怒る者、嘆く者、泣く者、様々な反応を示してくれるので琉奈は少し嬉しかった。

自分はスゴウでこんなにも必要とされていたのだと。
今更ながら寂しい気持ちにもなったが、琉奈は「ありがとう」と笑って皆の言葉を受け止めた。
ごめん、と謝罪の気持ちを胸にしながら。

その一方で、スゴウ内では奇妙な現象が多発していた。

「……何これ?」

ガレージやファクトリー、さらには琉奈の部屋の前、そこかしこに妖しげな木彫りが置かれているのだ。
確かこんな木彫りを作っていた人物を知っているが、その少年はいつも避けるようにして琉奈の視界にいない。

さらにスタッフの怪我が増えた。
と言ってもバナナの皮に滑ったり、スタッフの頭上にネジが落ちてくるなど、
大した事ではないのだが頻発する事故に皆は首を傾げた。
しかもその災難に遭うのは決まって、あるドライバーに付いているスタッフ達だった。

「もしかしなくても、犯人は決まってるよね……」

謎の知らせを耳に入れた琉奈は、複雑な顔をしながら犯人を見つける為に立ち上がった。
ずっと逃げ回っている、天使のような悪魔の少年に。

「アンリ」
「…………」

琉奈に全てバレていると悟ったアンリは小動物のようにシュンと俯いた。
大きな瞳が、悲しそうに揺れている。

「……すみません」
「いいのよ……私の為にやってくれたんでしょう?でも他の人に怪我させたら駄目じゃない」

大量の木彫りは、呪いだがお守りだがよくわからないが琉奈を行かせようとしない為。
スタッフ達の怪我は、それによって人手不足になって琉奈がアンリの方に回らなくてはならなくする為。

全て、琉奈を踏みとどまらせる為のアンリの小細工だったのだ。

「……嫌です…」

これまでにないほど身を縮みこませ、アンリは首を横に振る。

「どうしてスゴウを辞めちゃうんですか!行かないで下さいよ!僕は……僕は……っ!」
「ごめんね、アンリ……」

これまで以上に胸が痛んだ。
彼の心を開かせたのは最終的にはハヤトだ、だけどアンリは琉奈をも慕って懐いてくれた。
チームの皆とも信頼関係を築きつつあるが、まだまだ問題のある彼をこのまま置いて行くのは非常に心苦しい。

「僕のマシンを見て下さいよ!僕には琉奈さんがいないと駄目なんです!」
「……ごめん」
「っ……」

アンリにはわかってしまった。
言い訳すらせず、諭そうともしない琉奈の意思は何を言ってももう変わらないのだと。
ただ何度も謝るばかりで、此方が悪い事をしているような気分になる。

悔しさと悲しさで唇を噛み締めて押し黙ってしまったアンリを見かねて、
琉奈は肩に優しく触れながら重い口を開いた。

「アンリ、貴方は可愛いよ。少しずつでいい、その純真さで人に心を開きなさい。
そうしたら人生がもっとよくなる、悦びの光が貴方にも見えるだろうから」
「悦びの、光……?」

恥ずかしい表現をしてしまったと琉奈は照れ笑いを浮かべる。

「うん、そう。私はいつもそれを探してる。
スゴウを離れたらたぶん私に光は訪れないけど……光を見せたい人がいる、から」
「……琉奈さんにそこまで言わせる人……憎いです」

嫉妬の目を向けられるが、そんな甘ったるいものではないと苦笑するしかなかった。

「僕は琉奈さんがいないとその光が見つけられません」
「貴方の光はハヤトだよ。貴方はハヤトのようになりたいんでしょう?」
「…………」
「ハヤトの走りを見ていれば、いつか自分で見つけられる」

それ以上何も言わなくなったアンリは、少しは納得してくれただろうか。
琉奈は思わずストレートの髪を撫でた。

「ありがとうアンリ、私を受け入れてくれて。貴方に会えてよかったよ」

心を閉ざしたアンリを救おうと思った事も、
琉奈の意思を固める要因になったのかもしれないと、今更ながらに感じた。


そうして、スゴウにいられる時間が少しずつ減っていく。
今期が終わってしまえば、眩しい光に照らされた温かい場所から琉奈は追い出される。











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