――周回遅れ、それは屈辱的な瞬間だった。
「ま、予想通りの結末だね」
復帰後の華々しい初戦のはずだった。
だがリフティングターンを使うまでもなく、ただのドリフトで紫のマシンは呆気なく抜かれていた。
所詮は2年前のマシン、いくらドライバーがよくても、
サイバー界のどのマシンも基本性能自体が上がっているのだ、通用するはずがなかった。
白熱しつつも的確なコメントをし続ける実況を聞きながら、苦い表情でテレビを見つめる。
対面には、反対に滑稽としか言いようがないといった風情の男が失笑を漏らしながら煙草を吹かしていた。
非情な現実だと思った。
結局マシンの性能の差は既にドライバーの腕では修復できない程、勝敗を左右させていた。
だからといってドライバーをパーツの一部だと捉えさせるような思想には言語道断だが。
(だけど……これでは、彼が浮かばれなさすぎる)
サイバーフォーミュラそのものにあまり執着を抱いていない彼は、
ただ最大のライバルと戦いたい一心でアオイに残留していたのに。
「……加賀さんは……凰呀を受け入れると思う?」
「そう思ったから君は此処に来たんだろう?」
「…………」
何でもお見通しだと言いたげな口調と目は今でも不快だ、
だからあからさまに顔を反らしてみせるが男はさして気にしていない。
レースの結果が見えてきた頃、男は悠々と立ち上がった。
「さて、加賀君を迎えに行く準備でもするよ。
君はここにいてもいい、部屋ならいくらでもあるから好きに遣ってくれて構わない」
「…………」
こんな所にいつまでもいたくない、やはり返事など待っていなかった男がリビングを出て行くと、
深い溜息をついてソファーに全体重を預け、優勝決定であろう青いマシンを眺めた。
「……アスラーダ……」
未だにこの決心が正しいのか、答えは見つからない。
自身が最も愛したマシンはその美しさのまま、光り輝く栄光を突き進む。
これが新たな道となるか罪となるか……琉奈にはまだわからなかった。
1・荊棘の獣
――それは2022年、第17回GPXが開幕する少し前の事。
「優勝しなければ撤退!?」
どこから仕入れてきたのか、確かな情報だと名雲は頷いた。
「正確には撤退は決定事項だ、優勝でもしない限り覆す事は難しいだろうという事だよ」
「そんな……でもアオイはエクスペリオンでしょ!?アルザードよりも前の……っ」
「予算も増やされない、新型を作る余裕は全くないね。
ま、簡単に言うと上は"今期は思い出作りの1年"のつもりさ、勝とうだなんて微塵にも思っちゃいない」
琉奈は絶望した、ドライバーの意思とは裏腹になんと冷たい世の中か。
「近年の成績不振、それに加えて昨年の事件、上の判断もやむなしという所かな。
だけど、これで加賀君が凰呀を受け取る可能性がより高くなった訳だ」
「他人事みたいに言うんじゃないわよ……ほとんどあんたが原因でしょ!」
「否定はしないよ。だから勝たせてあげようとしているんじゃないか、アオイの為にもね」
彼は、自分の人生を他人にねじ曲げられる事を心底嫌っている男だ。
兄に固執したのも、兄の力が理解されずに自殺してしまったからに他ならないと思うし、
さらに両親も周囲の風に呑まれるようにして離散した。
だから飄々と口にしてはいるが、そこにアオイの非情な判断に対する軽蔑が含まれているだろう。
名雲京志郎という男の目の色を、少しは読み取れるようなった気がすると琉奈は思う。
「今期がラストチャンスさ。アオイも、加賀君も」
「…………」
せめてもの罪滅ぼしのつもりか、それはわからなかった。
だけどこの決定で誰よりも心を痛めているのは、恐らく社長に再就任した葵の令嬢。
彼女にただならぬ感情を抱いていた彼は、もしかしたら――
雨に混じって車の音が聞こえた。
伊豆の山奥でひっそりと佇む邸宅を知っているのは自分か、この家の所有者ぐらいだろう。
すなわちやって来たと言う事だ、"あれ"を託すに値するドライバーが。
長々と説明しながら一足先に地下へ降りていくのを影から見届けると、
琉奈は同じくエレベーターを起動させ、階下へのボタンを押した。
どう思われるだろうか、自分もかの男と同じように侮蔑の対象となるだろうか。
こんな危険な賭けに出た自分など、もしかしたら許してもらえないのかも知れない。
――「彼なら乗りこなせる。君の好きな風見ハヤトと同じ力があればね」――
名雲はいつも自信たっぷりの笑みでそう豪語していた。
地下から漏れ聞こえる男の声は、それを熱心に語っている事だろう。
彼を誘惑し、彼の選択肢を狭める為に。
カタン、と機械的な音を立てて制止した柵を越え、琉奈は意を決して歩き出した。
紫のマシンが待つ地へと、そして振り返って驚く顔を隠せない人の傍へと。
「琉奈……!?お、お前ぇ……!」
「君の支えになってくれるメカニックを紹介しよう。
バイオコンピューターの事を深く理解している、腕の立つ人物さ。きっと君の力になる」
「……加賀、さん…」
怒られる事を恐れるように俯きながらも、琉奈はゆっくりと加賀の目を見据えた。
「何で、お前……こんな所にいるんだ!?」
「黙っていてごめんなさい……でも、私は私の意思で此処にいます」
衝撃に目を見開いて名雲と琉奈を交互に見遣る鋭い目。
予想通りの狼狽に、琉奈は何度も胸の内でシミュレーションしたままに静かに告げる。
「加賀さんをサポートする為に、待っていました」
「でもお前、どっかの小さなチームに行くって……!」
「ごめんなさい、嘘なんです……でもスゴウを辞めるかで悩んでいたのは本当です」
"嘘"……仮にも相談事ができる程の仲の友人に、なんという裏切り行為だろうか。
加賀は感情を露わにして琉奈に詰め寄った。
「スゴウを辞めて、それでこれか?こんな訳わかんねぇマシンの為にか!?」
「……私は、心から走りたいと思うドライバーの為にありたい。だから……待っていました」
「それで名雲に協力するってか?こいつに俺を乗せる為に!」
地下室に響く声が胸に痛い、だが怒鳴られても仕方ない状況なのだ。
一度だけ目を伏せて、そして思いだけは伝わって欲しいと視線を上げる。
「加賀さんの戦いたいという気持ち、痛いほど感じました。だから少しでも助けられたらと思ったんです」
初戦後の彼の目はとても悔しそうだった。
同じレベルで満足に戦えないのは辛いに違いない。
追いつきたいのに、追い越したいのに、無残な現実に呑み込まれて。
彼らの勝負の場がなくなってしまうのは駄目な気がした。
「加賀さんが……ハヤトに勝ちたいと言うのなら、私は貴方をサポートします」
せめて十分に戦える環境を、そして生きて帰ってくる為の支援をしよう。
琉奈は、はっきりとその意思を抱いた。
「その為にアスラーダと戦うってのか、お前は!?」
「…………はい」
絶句した加賀の代わりに聞こえたのは、微かに笑った名雲の声。
―――すぐ傍には眩しい程のライトに照らされた、獣が眠っていた。
3章
真なる光の道標
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荊棘=「けいきょく」でも「いばら」でも好きなように読んで下さい。
ついにSIN編突入。
※名雲さんが逮捕されてから出所してくるまでの設定があやふやで、
データ本によっても違っていたりするので、ここではハヤト達の嘆願で短くなった刑期をある程度終え、
残りは罰金を支払って出所したという事にしています。