「バケモンだな、あの坊主は」

ホームストレートを駆け抜けていく"弟"に、グレイはそう形容した。

「バケモンはやっぱ、退治しなくちゃな」
「ふん、まだレベルが足んねぇよ」

前回のグランプリを欠場し、第3戦で突然のニューマシン投入。
華々しいデビューを飾るかと周りに騒がれる一方、ピット内は決して明るい雰囲気ではなかった。

加賀が冗談を言ってみせてもグレイが冷たく返し、
琉奈もまたピットの奥で隠れるようにモニターを見つめていた。

「いいんだな、本当に?」

"弟"――風見ハヤトと、"形見"のアスラーダに牙を剥いていいのか。
再確認の問いに琉奈は一度目を伏せ、そして頷いた。

「……はい」


――もう戻れない、だから先に進むしかないのだ。


ピットから一歩出た先の、サーキットへと続く道。
眩しい太陽の光が未だ躊躇いを持つ瞳を焼く。

慣れ親しんだ古巣を振り仰げば、驚愕に色を変える眼差しがいくつも琉奈を貫いた。






4・清まらぬ洗礼






一目見た時から予感していたものが現実に変わる。
神妙な面持ちのクレアが口を開いたその時から。

「おそらくあれは、アルザードのオリジナル。あのアルザードの原型となった、名雲柾氏のマシンね」
「アルザードって……そんな、まさか……っ」

一昨年の悪夢を思い出して、あすかは恐怖に顔を歪めた。

「設計図だけじゃなかったという訳ですか、残っていたのは」
「……そういう事ね」

クレアも今回ばかりは目を伏せ、どうしようもない事実を受け入れようとしていた。
表情を変えないハヤト達の隣で、あすかだけが疑問を投げかける。

「でも、だって……名雲さんのマシンなんでしょう!?
それをどうして加賀さんや今日子さんが!?」

蘇るのは一昨年の記憶。
サイバー史上最悪な出来事とも言われた、アルザード事件。
あれでハヤトは生死に関わる程の危険に晒された。

思い出すだけで身が凍る、それなのに。

「どうして琉奈さんがあちら側にいるの!?」


彼女がどうしてアスラーダと敵対するのか、あすかには理解できなかった。


「……ともかく、あれは唯一アスラーダと同じ能力を持ったマシンだという事さ。
父さんのアスラーダと同じコンセプトで作られた、ね」
「でも、何で……っ!」

予選時に見かけた姿にあすかとハヤトは驚きを隠せなかった。
スゴウを辞めて何処かに飛び立ったのかと思いきや、アスラーダに似たマシンと共に彼女はアオイのピットに立っていた。
見慣れた青色のものじゃない、紫のユニフォームをまとい此方に物憂げな視線を向けてきた。

あれは再会を喜んだ感情じゃない、申し訳なさそうな悲しい微笑みだった。

琉奈さんは、自分から……っ!?」

騙されているのではという僅かな期待さえ、あの目は打ち砕いた。
じゃなければ彼女は古巣のクルー達にも気さくに話しかけてくるだろう、でもそれはなかった。

スゴウのスタッフ達、そしては幼馴染みである修にも動揺が広がる中、彼女は一心に紫のマシンを見つめていた。
メカニックの修行中だというフィルとも言葉を交わしながら、迷いのない手で整備を施す。

彼女が別世界の人間に見える、スゴウでの日々が嘘のように別のマシンを仕立て上げている。
想い人の為に旅立ったみきと境遇は似ていても違う、今回は彼女の目的すらわからないのだ。

あすかにもハヤトにとっても幼少の時間を一緒に過ごした人なのに。
永遠の味方だと信じていたはずの人がまさか武器を突き立ててくるとは思わなかったからだ。
プロとして働いている以上ライバルチームに移籍する事もあるだろうが、こんなのは急すぎる。

「どうするの?」
「……どうもこうもないでしょう、僕は走るだけです。負けられないとは思いますけど」

あすかの悲痛な声とは裏腹に、ハヤト自身は不思議と納得していた。
何故彼女があれだけ愛したアスラーダから離れスゴウを辞めたのか、その答えが出たからだ。


――「この先何があってもハヤトとアスラーダが……スゴウが好き。それだけは覚えておいて」――


そう言った彼女はあの時既に知っていたのだ、凰呀の存在を。
決断していたのだ、この対峙を。

彼女は恐らく、"凰呀"と"ブリード加賀"というドライバーを選んだのだろう。
最後の答えを見つける為に。

「走らなければいけないんです。たぶんそれが、琉奈さんの望む事だろうから」

たとえ大切な姉が自分の前から飛び立ち、兄貴分である加賀の支えとなりライバルとなったとしても。

受け入れがたい現実を受け入れようとしながら、ハヤトは拳を握り締めた。















誰も近寄らせない雰囲気をまとった加賀に、果敢にも話しかけたのは琉奈ただ一人であった。

「加賀さん」
「…………」
「少しの間だけ此処にいさせてください」

目だけで了承を得た琉奈は同じように壁にもたれかかってグラスの酒に口をつけた。
押し黙って明らかに不機嫌な態度で物思いにふける彼の、その理由を琉奈は知っている。
だから躊躇わずに加賀の領域に入る事ができた。
2人はいわば同じ秘密を抱えた者同士、不思議な連帯感が存在していた。

互いに会話はほとんどない。
決勝前夜、戦いの前の華やかなパーティーで皆思い思いに時間を楽しんでいる。
ライバルチーム同士が今夜ばかりは仲良く談笑し、マスコミ関係者は取材に駆け回るが。
誰もが憧れるような有名人ばかりの会場で一区画、隔離されたように重苦しさが漂っていた。

琉奈は楽しそうな人間達をじっと見つめただけで、諦めたようにまた飲めない酒を呷った。

「気まずいなら無理して来なくてよかったんだぜ」

ずっと口を開かなかった加賀がポツリと呟いた。
彼もまた、琉奈が自分を避難所として選んだ理由に気付いていた。
こうやって睨みを利かせている人間がいる以上、余計な作り笑いをする必要がないから。
自分を"裏切り者"と言う彼女には恐らくそんな余裕はない。

「……いいんです。私は此処で、責められなきゃいけないんですから」
「面倒くせえなぁ……悪者は悪者らしくしてりゃいいのによ」

琉奈はそうやって周囲からの視線に耐えていた。
何も言わず問うような目をされる事も辛いのだろうし、素直に理由を聞かれても答えられなくて困るのだろう。

「あいつの肩を持つような事するからそうなるんだって、わかってるか?」
「わかってます……だから今期だけです」
「……難儀だなぁ、お前ぇも」

琉奈を心配してだろうか、長い溜息が聞こえた。
その言葉には凰呀を選んだ事以外の意味も含まれている気がした。

「今期限りです。そうすれば終わります、何もかもが」
「そうかい」

少し苛立ったように酒を流し込んだ琉奈に加賀は苦笑で返す。
冷たさが通り過ぎた後でチリチリとした熱さが喉を焼いた。

そしてまた2人の間には沈黙が訪れた。
会話ができないからではなく、2人が自然と考えてしまっているのは明日の決勝の事。
そればかり考えてしまうから、どうしても険しい空気になって誰も近づけないのだ。

アオイでの初めての決勝、そして凰呀の初陣。
どうピット作業を進めて、どのように凰呀をバックアップしていけばいいのか、
そんなシミュレーションを頭で何度も繰り返していると。

「加賀さん……目的の人、来てますよ」

琉奈が示した視線の先、加賀にインタビューを挑もうとする女達からさらに奥に彼はいた。
感情の読めない静かな、だけど強い瞳で一心に加賀を見据えている。

「お前ぇにもな」
「…………」

その横には、今にも怒鳴り散らさんばかりの形相で男が立っていた。
琉奈がずっと待っていた人、そして必ずやって来るだろうと予想していた人。

「……ありがとうございました」
「何もしてねぇよ」

僅かな間でも避難所を作ってくれた加賀に礼を伝え、琉奈は歩き出す。
"弟"のすぐ傍にまで寄れば、視点をずらした彼と目があった。

やはり怒る訳でも悲しむ訳でもなく、ハヤトは何も言わずに琉奈を見ていた。

(全部……わかってるんだね)

琉奈がアオイにいる事も、凰呀の事も全て。
ごめんと心の中で呟いて、無言でハヤトの横を通り過ぎた。


――「この先何があってもハヤトとアスラーダが……スゴウが好き。それだけは覚えておいて」――


もはや余計な言い訳もしない。
だけどハヤトに伝えたあの言葉は信じていて欲しい、それだけを願った。

そして琉奈の前に立ち塞がる、幼馴染み。
唯一自分を叱咤する人間は期待通りにその顔を赤くさせて。

琉奈!!」

今夜くらいは彼の激昂を甘んじて受け入れようと琉奈は淡く微笑んだ。

彼に怒られる、その為に此処に来たのだから。











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決勝前。

修さんとのやり取りはカットです。
言い合いする内容は何となく想像がつくと思うので(笑)