最終戦、日本グランプリ予選。
ただならぬ雰囲気が既に漂っていた。
いつもの予選とは違う、誰もがそう感じていた。
先頭は譲らないとでも言いたげに2台のマシンがタイムを塗り替え合う。
どれだけ必死にトップタイムを叩きだしても、すぐに奪い返していくアスラーダ。
モニターに映る青のマシンを、加賀はその凄みのある目で悔しそうに注視する。
(ハヤト……本気だ)
ポールポジションを取られたらまた取り返すような、躍起になった走り方をハヤトはあまりしない。
常ならば決勝で取り返そうと考える所だろう。
チャンピオンとしての風格が板に付いてしまった彼は、今や冷静な走りでトップをキープし続ける。
その彼が、ある意味子供じみた、意地を見せる争いをしているのだ。
どうしても勝ちたいのだと、コントロールラインを通過する風から伝わってくる。
そうなるのは、相手が加賀であるからだろうか。
ハヤトは決して1位である事に固執している訳でも、王者だと見せつけている訳でもない。
良き兄貴分であった彼に負けたくないと、ハヤトの子供らしい部分が垣間見えるのだ。
「本当に強いね、風見は」
琉奈にしか聞こえないぐらいの声に振り返れば、フィルが薄く笑っている。
一度経験しているから身に染みてわかっているのだろう、ハヤトの強さが。
だからこの状況を歯痒く感じながらも、称讃に近い感情も抱いたのかもしれない。
「加賀ですら寄せ付けないんだから」
「……でも、こんなハヤト見るのは久しぶり」
「え?」
どういう事だと首を傾げたフィルに今度は琉奈が苦笑いを見せる。
「加賀さんに勝ちたくて必死になって、意地になってる。ハヤトも苦しいと思うよ」
アルザードに勝てなくて荒んでいた時とはまた違う。
それこそ大怪我から復帰して、出力不足のアスラーダに乗りながら加賀と戦いたいと言った時のように。
あの人には負けたくない、そんな気持ちが流れ込んでくるのだ。
「大切な人、信頼できるお兄さん……だけど、絶対に勝ってみせたいライバルだから」
「……そうなんだ、さすがよくわかるね」
「弟……だからね」
「…………」
その弟に勝たなきゃいけないなんて彼女も辛いだろうと、フィルはそう思ったが口には出さなかった。
それは今更の事で、もう覚悟を決めてしまった琉奈に言うべき言葉ではなかった。
(強いな……琉奈さんも)
時折不安に揺れながらも、一心に予選を見つめている彼女の横顔は綺麗だった。
そんな会話もなくなった頃、タイムを縮めようと走っていたアスラーダがまたしてもトップに返り咲いた。
もう何回目かわからない屈辱だった。
加賀は拳を握り締め、ヘルメットをクルーから奪い取ると凰呀に向かう。
「やめなさい……もうやめて!」
皆の気持ちを代弁するように引き止めたのは今日子だった。
確かに2位で終わってしまう事は悔しいが、この堂々巡りをいつまで続けるというのか。
どちらも引き下がらないのだから終わるはずもない。
痛々しいのだ、もう諦めてと言いたくなるほどに加賀はタイムアタックをやめない。
「勝負は予選で決まる訳じゃねぇ」
「……っ!」
「、加賀君!」
グレイの言葉に琉奈も賛成だった、2位ならば決勝でもチャンスはある。
だがそれすらも耳を貸さずに加賀はまた凰呀に乗って走り出してしまった。
何かに取り憑かれている、そう思える程に加賀は1位に執着していた。
琉奈は、それを立ち尽くして見守るほかなかった。
感情のやり場がなくなった今日子の悲痛な目が琉奈を射抜いても、
決意したものの自分自身も喉が熱くて何かが込み上がってきていても。
「馬鹿な奴だよ、まったく……あいつはああいう生き方しかできねぇんだ」
「……っ」
歪んだ表情をしていた琉奈にグレイが気遣ってそう言葉を漏らした。
「スゴウの坊主もそうだ、あれがドライバーって奴だ。メカニックじゃどうしようもできねぇ」
だからお前が気負う事はない、そう揶揄されて琉奈は本当に泣きそうになった。
だが後悔と涙を振り払いながら顔を上げて、少し意外そうな目をしたグレイに微笑んでみせる。
「……大丈夫です……大丈夫」
「はあ……お前ぇも馬鹿な奴だよ」
強がりだとわかっているグレイは盛大な溜息をついた。
――勝ってくれ、必ず。
そう最後の言葉を交わしたのだ。それが互いの望み。
だから、どれだけ辛くても前を向く。
独りで死地へ行ってしまう加賀を追いかける。
がむしゃらに走る、執念の獣。
その美しさを映し出す先で、突然マシンはバランスを失った。
「っっ!!」
再びコース脇へと外れて、凰呀はその身を削りながら動きを止めた。
11・渇望される舞台
「チーフ、もう予備パーツがありません……」
「完全ではなくなるけどそれでいくしかない、もうパーツを集める時間はない」
「そうですね……何とか調整してみます」
チーフメカニックである片桐とクルーの会話が忙しなく飛び交っている。
妥協しながらプランを立てていく声を聞きながら、琉奈も急ピッチで修復作業を進めていた。
通常、チームはそのマシンごとにバックアップのマシンも数台持っている。
メインで使っているマシンが壊れたりトラブルに見舞われた時には乗り換えられるように、
あらかじめ同じようにセッティングされた同じマシンが用意されている。
アスラーダもその特殊性故に初期の頃はバックアップはなかったが、今では同型が製造されている。
アスラーダシステムを移動させれば事足りるようになっていた。
だが、凰呀にはそれがない。
アスラーダ以上に特殊で、しかも製造元が名雲兄弟なおかげで十分なパーツ供給は得られていない。
それでも何とかパーツを集めてやりくりしていたのだが、バックアップなどは作れようもない。
だからバックアップマシンに乗り換える、そんな他チームのようにはできないのだ。
壊れたら直すしかない、間に合わなかったら決勝に出られない。
「間に合わせないと……明日しかないのに……っ」
琉奈は譫言のように呟きながら壊れたパーツを外して新しいものを取り付ける。
自然と工具を回す力が入る、汗だくになっても構わず続けていた。
「橘さん、ここのレベルはどうします?」
「2段階上げてタイト気味に仕上げた方がいいと思う、その方がクセが出ないはずですから」
「そうですね、お願いします」
グレイとフィル、そして今日子は加賀が搬送された病院に行っている。
意識が戻った報せは来ていないが、目立った怪我がないからいずれ目を覚ますだろう。
そうしたら彼は必ず走る、決勝に出ると言うだろう。
だから、その為に凰呀を直さなくてはいけないのだ。
本当は加賀のいる病院に駆け付けたい、そして無事をこの目で確かめたい。
だけどそれは自分のやるべき事ではない。
(私には……これしかできない)
凰呀を走れるようにしてあげる事が自分の役目、その為にアオイに来た。
この中で唯一開発段階から凰呀に関わっているのだ、ある程度は調整のコツがわかっているから。
監督であるグレイがいなくても皆は少しも手を休めなかった。
時折片桐が声をかけてくるが、琉奈は全て大丈夫だと笑った。
ドライバーが命を賭けているのだ、ならばメカニックも全力で取り組まなければ。
何が何でも明日までに仕上げる、体が壊れたとしても、
たとえ何かの拍子で死んだとしてもそれだけはやり遂げなければならない。
(また……今日子さんに怒られそうだな)
動作をデータ化して数値をチェックしながら、琉奈はふと苦笑を漏らした。
取り憑かれたように凰呀を直している自分は、恐らく意地になって走っていた加賀とほぼ一緒だ。
ドライバーを消耗させ振り回して怪我させるマシンなど、危険以外の何物でもない。
そんなマシンを躍起になって修復しているのだから、端から見れば異様な光景かもしれない。
また死にに行かせるつもりか、馬鹿馬鹿しい、そんな声が聞こえて来そうだ。
皆だって心配なはずなのに、誰1人として身を引こうとはしない。
同じなのだろう、自分達は。
もう彼を勝たせる事しか、考えていない。
そうして作業は、日が暮れてグレイ達が戻ってきてからも何時間も続いた。
他スタッフやキャンギャルの子達から差し入れをもらいながら、フラフラな体を無視して酷使する。
「はあ……」
グレイの大きな溜息が、少し離れた位置で手を動かしていた琉奈の耳にも入った。
恐らく変形時のコントロールデータを見ながら悩んでいるに違いない。
1つ1つ修復しても全体のバランスが悪ければ意味がない。
数値を読み取りながら、どこがどう悪いのかを見定めているのだろう。
「5番と9番シリンダーの出力バランスを取り直した方がいいですわ」
「ああ」
「恐らくマイクロモーターの2次コンデンサーもダメージを受けています」
「ん……な!?」
「、え……?」
ふいに、聞き慣れた穏やかな女性の声がしたと思って顔を上げたと同時、
グレイが聞いた事もないような驚愕の声を上げた。
(な……クレアさん!?)
オーバーオール姿に、謎の仮面ドライバーが装着していそうなゴーグルを付けた、
見るからに怪しい女性が堂々とアオイのピットを歩き回っている。
素性を隠す気はあるのかもしれないが、どう見たってバレバレだ。
彼女程有名なマシンデザイナーをこの場にいる誰もが見間違えるはずもない。
そして確かめるまでもなくクレアはスゴウの人間だ、こんな所にいていい訳がない。
皆が唖然と立ち尽くす中、彼女は相変わらずの笑顔でのほほんと続ける。
「ウチのマシンと互換性のあるパーツも多いはずですわ。供給も可能ですけど?」
「あ、あんた……っ!」
「な……ク…、!」
その中でも一際口をパクパクさせて指さすグレイと琉奈に、
クレアは可愛く「シー」と自身の指を口元に持ってくる。
「通りすがりの、メカニックです」
名前を呼んでしまいそうになった琉奈にも、クレアは語尾にハートが付いていそうな口調で笑いかける。
何だか懐かしい雰囲気でほだされてしまいそうになったが、それは動揺で何とか掻き消えた。
「ご心配なく、妨害工作に来たわけではありません」
そしてクレアは何の躊躇いもなしに、アオイのミッションコントロールのプログラムをもの凄い速さで打ち始める。
「ベストな状態での勝負を望んでいるんです、彼も」
(クレアさん……)
彼女は変装してまで凰呀の修理に協力してくれているのだ。
ライバルだからとか、機密だとかは関係ない、ただ加賀とハヤトが存分に戦う為に。
100%でない凰呀では意味がない、それではハヤトも満足しないのだと。
全力で戦う事を望まれているのは、何だか嬉しかった。
裏切りと罪が形になったような凰呀はさぞスゴウの人間には疎まれているだろうと思っていたから。
戦ってもいい、走らせてもいい、そう言われている気がした。
凰呀はアスラーダと全力で戦えるだけのマシンである、そう認められたという事だろうから。
「テメェら、何ボサッとしてやがんだ!手動かせ!」
「は、はいっ!」
呆然と事の次第を見つめていたクルー達にグレイが檄を飛ばす。
琉奈も同じように返事をして自身の作業を再開させた。
「そこのパーツを外せ、入れ替えるぞ!それから琉奈!互換性のある奴、全部もらってこい!」
「あ、はい!」
琉奈はクレアに指示をもらってスゴウのピットへと走った。
見慣れた、懐かしいような感覚に陥りながら足りない部品を集めていく。
クレアから許可はもらったものの、アオイの服を着ながらスゴウにいる事は何だか気が引けて、
コソコソと忍ぶように運び出した。
これを見ると、やはり凰呀とアスラーダは似ているのだと認識させられる。
同じコンセプトでありつつ別系統で作られただけであるから、構造に関しては互換性があるのも納得がいく。
兄弟のようなマシンであり、行き着く先は同じであるのに、その性質は正反対。
明日の決勝、もし走らせる事ができるならどちらが勝ってもおかしくはない。
(もし、じゃない……絶対に走らせてみせる!)
琉奈が届けたパーツを各々に振り分けると、皆の気合いが一段と上がってピットはさらに熱くなった。
「間に合わせるぞ!」
「「「はい!」」」
凰呀を甦らせる、そんな気持ちで皆は1つになっていた。
外は夜の闇に包まれ、嵐の前のように静かに流れている。
そんな中、アオイのピットはいつまでも明かりが灯されていた。
時には叫び声が飛び交い、時にはエンジンの爆音が轟いて。
そうして太陽が顔を出し始める少し前、凰呀は再び美しい姿を取り戻した。
「あ、あの!クレアさん!」
本当に修理を手伝っただけでふわりと帰っていく背中を、琉奈は堪らず追いかけた。
三つ編みにした眩しい金髪を揺らしながら、振り返ったゴーグルの奥の瞳が笑う。
「あら、通りすがりの謎のメカニックよ」
「あ……ありがとうございました……っ!凰呀を、直してくれて……」
変わらずのほほんと嘘を貫き通すクレアに、深々と頭を下げた。
そうせずにはいられなかったのだ。
「それから、ごめんなさい……っ」
「そうね……黙って行ってしまった事は寂しかったわ。
でもそれは、修さんで何度も経験しているからおあいこよ」
どういう理論だかよくわからなかったが、とにかく許してくれているという事だろうか。
だが迷惑をかけてハヤトを危険に晒した事には変わりない、
そう琉奈がずっと俯いていると、足音が近づいてくる。
「私はね琉奈さん、貴女の好きにすればいいと思っているのよ?
それは貴女の事をどうでもいいと思っている訳ではなくて、貴女が望むままに行動すればいいと思っているから」
琉奈の好きな聡明さを帯びた目と、穏やかな声色が心に染み渡る。
「修さんは、ああいう性格だからどんな事をしても反対する人なのよ。
でもそれは貴女を人一倍心配しているから、貴女がそれはもう大切で大切で仕方ないの」
「は、はい……」
満面の笑みでそれを言われると少々恥ずかしい。
「琉奈さんは琉奈さんだもの。嫌いになったり、恨んだりする事はないのよ?」
「……そう言ってもらえただけで、幸せです……っ」
実際はどうかわからないが、本当にそうだったら嬉しい。
何処まで行ってもあの場所は温かくて、眩しい。
「終わったら、いつでも帰ってきていいのよ?ハヤト君もあすかさんも修さんも、みんな待ってるわ」
「……ですが、今さら戻れません」
クレアの優しい言葉を享受しても素直に帰れるはずはない、それぐらいの事をしたのだから。
特にあすかには、きっと許してもらえない。
琉奈を責めるような無言の目から伝わるように、大切な人を脅かされる気持ちは相当だろう。
もし許してもらえたのだとしても、それを琉奈が許せない。
「あら、そんな事関係ないわ。貴女は私達の大切な家族なんだから」
なんて、嬉しい言葉だろうか。
こんな自分をまだ受け入れてくれるなんて。
それだけで自分はこれから先も生きていける、たとえスゴウに所属していなくても。
申し訳なくて、感謝してもしたりなくて、
琉奈は込み上げてくる熱を抑えながら微笑む事に努めた。
「……ありがとう、ございます……クレアさん」
「貴女の帰る家はあそこよ、覚えておいてね」
あの、オフシーズンになると騒がしい程の菅生邸。
皆が集まって1つになれる、不思議なチーム。
帰る資格などない。
だけど全てが終わったら一度だけ謝りに行こう、そう琉奈は思った。
クレアが去っていった方角は既に、闇色が薄まっていた。
もう、明日という今日が始まろうとしている。
――そして、終わらせる為の戦いがやって来る。
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決勝直前。