「声が聞こえたんだ、あの時」

最終コーナーで、アスラーダにリフティングターンで抜かされそうになった時、
ふいに加賀の耳にただ一言、「チェッカー」と。
使い切っていたはずのブースト使用可能回数が増えていて、咄嗟にブーストを使ったのだと彼は言う。


――あれは、凰呀の声だったのだろうか。


「……凰呀が、応えてくれたんですね」

普通ならばマシンは限界以上の判断は算出しない。
だが自身が壊れても勝ちたかった、凰呀はそう判断したのだ。
全てはドライバーの意地がマシンに働きかけ、意思を持つマシンがそれを共有させたから。

凰呀であったからこそ理屈を凌駕した優勝が勝ち取れた。
逆に凰呀でなければ、今回の勝利は実現しなかっただろう。

加賀がポツリと言ってくれた言葉に、琉奈はひたすら涙を流した。
自分の子供が、自らと引き換えに望みを選んだのだ。
可哀想とはまた違う、よくやったねという愛しさが溢れて止まらない。

無理させてごめんと、それからありがとうと心の中で呟いた。

「ありがとうございました……私達を救ってくれて」

全てが終わって、今までを思い返しているように遠くを眺める加賀に琉奈は頭を下げた。
白煙を漂わせていた短髪の青年は、ふっと笑みを作った。

「礼を言うのはこっちの方だ。……あんがとな、最後まで付き合ってくれて」
「いえ……私は何もしていません。加賀さんと、凰呀のおかげです」

こんなにも穏やかで晴やかな気分でいられるのは、彼らが命を賭けて戦ってくれたから。
答えを見つけてくれたから。

「……向こうに帰る前に、あいつの墓参りでもしてやるかな」

それが加賀の答えなのだろう。
ハヤトとアスラーダに重ねた過去に勝ち、彼は過去と向き合って越えられたのかもしれない。

「私も……そろそろ決めないと駄目ですね、次のチームを」

自分達は過去を乗り越えて、今を歩く。

優勝を手にした後も、未来は続いているのだから―――






13・久遠に眠る真実






本当はかなり緊張していた。

裏切ってしまった自分が此処にのこのこ帰ってくるのは違うのではないかと。
だが、けじめとして一度は赴かなければならないだろうとは承知している。

通い慣れた道を走り、大きな邸宅の門も越え、
重低音の響く自慢のバイクを所定の位置に停め、エンジンを切る。

一連の動作をなるべく静かに行なったというのに、琉奈が玄関のドアを叩く前にその扉は開かれた。

「いらっしゃい、待っていたわ」
「クレアさん……」

まだ踏ん切りがつかず立ち往生していた琉奈の前に現れた、姉のような存在の女性。
ふわりと微笑むクレアに、琉奈は何とも言えない表情を浮かべた。

そう、場違いな気がするから。
今までは我が家のように入り浸っていた菅生邸なのに居たたまれなくて、
とにかく此処に来た目的を果たしてしまおうと頭を下げる。

「ご迷惑を、おかけしました……」
「あら、私はもう聞いたわ。あとは皆に聞いてもらわないと、ね?」

のほほんと、見ようによっては楽しそうなクレアが後ろを振り返る。
それにならえば、驚いて立ち尽くしている、あすかがそこにいた。

「、……あすか……」

彼女は琉奈の来訪は予期していなかったのだろう、口元に手を遣り、
この状況を必死で整理しているようだった。

帰ってきなさい、そう言われてやって来たが、やはり間違いだったかもしれない。
聡明だけど天然なクレアは少し世間とずれている節がある。
彼女はよくても、他の人間は自分を許していない可能性が十分に考えられる。

(逆撫でしちゃったかな……)

今すぐにでも引き返して帰りたい、だが自分は謝りに来たのだ。
たとえ許されなくても、せめてもの誠意として……特にあすかと、ハヤトには。

「……あすか、ごめん」
「……っ」

彼女は唇を開閉させるだけで何も言えず、泣きそうな顔が歪んでいる。
後ろめたくて俯いてしまいそうになる視線を気力で保った。

やはり彼女は無理だろうなと諦めを感じていた時、あすかが堰を切ったように琉奈に向かって走り出した。

「――っ」

叩かれる、そんな痛みを覚悟していたのに、やってきたのは体温だった。
あすかに、飛びつくようにきつく抱き締められていた。

「、……っ…!」
「!……あ、すか……」

言葉を発さない代わりに聞こえるのは泣き声。
震える体で琉奈に縋りながら嗚咽を繰り返す。

これは決して批判や遺恨の感情からではない。
甘える子供のような、庇護欲を掻き立てられるような、そんな琉奈を包む温かさ。

(それでも、受け入れてくれるなんて……)

「っ……ごめん、あすか……ごめんね……!」

言葉を詰まらせながらも、そんな謝罪ばかりが溢れていく。
こんな勝手な自分を許してくれなくてもいいのに、彼女はこうやって抱き付いてくれる。
今までこんな事なくて琉奈自身が驚いているが、あすかの心情が一番伝わってくるようだった。

抱き返してしまったら此方の気持ちを押しつけてしまいそうで、それはできなかったけど。
今は、彼女の気持ちを一心に受け止めようと思った。

(本当に……みんな、優しすぎるよ)

あすかが泣き続ける背後で、ハヤトが柔らかい表情で此方を見守っていた。
視線が合えば、彼はその涼やかな目を数回瞬きさせ、微笑んだ。

「おかえりなさい、琉奈さん」
「っ……」

この夢のような光景を、琉奈は噛み締めるように目を閉じた。
我慢していたのに、目尻から一筋の涙が伝った。

「……ただいま」

この胸に染み渡る熱さを、一生忘れないと思った。
















「で、よかったのかよ。スゴウに戻らなくて」

大きなハンドルを器用に動かしながら加賀が言う。

「……はい。皆、迎え入れてくれましたけど、それに甘える訳にはいかないです」

助手席に座る琉奈は正面の山道を眺めながら答えた。

あの時、菅生家の屋敷の玄関は頑としてくぐらなかった。
クレアを始めハヤトやあすかも快く招いてくれたし、修までもが少しの小言だけでそれ以上何も言わなかった。
それにはかなり驚いたが、琉奈自身は戻る気はなかった。
もう戻らないと宣言してしまった手前もあるし、やはり都合が良すぎるだろうと思ったからだ。

「敢えて茨の道を選ぶ、か……あいつの言う事も間違っちゃいねぇんだな」
「え?」
「いや、律儀な奴だと思ってさ」

ボソボソと呟いた独り言らしき声は琉奈には聞こえず、加賀が明るく言い直したので特に気にしなかった。

「いいんです、新しい夢を見つけたいですから」
「そうか」

最終戦後、今日子から正式にアオイに残らないかと持ち掛けられた。
混乱因子でしかない琉奈は決して仲間と認められる訳がないと思っていたから、
まさかそう言ってもらえるとは寝耳に水だった。

これでシュトルムツェンダーとアオイからも誘われている事になる。
どちらも返答を保留にしてあるが、もうそろそろ決めなければならない。

「加賀さんは、行ってしまうんですね。寂しいです」
「いつでも来りゃいいじゃねえか。職がないってんなら俺が雇ってやろうか?」
「ふふ、ありがとうございます。考えさせてもらいますね」
「あーでも、お前はサイバーみたいな大舞台が向いてるだろうからなぁ、俺のとこじゃ物足りねぇと思うぞ」
「そんな事ないですよ、どんなレースもそれぞれに違った良さがあるんですから」

誰かに必要とされる、こんなに幸せな事はない。
それに彼とはこれで今生の別れではない、また会える。
会えば、きっとこうやって笑って話せるだろう。

自分達はもう、同じ苦しみを共有した仲間だから。


曲がりくねる峠の道を進み、
山奥でひっそりと佇んでいる邸宅の前で二人の乗るトランスポーターは止まった。

名雲邸、そこに主はもういない。
預かった鍵で玄関を開け放つと、静寂に包まれた緩やかな空気が流れていた。

此処から連れ出した時と同じように、加賀と琉奈はマシン搬入ドアから凰呀を地下に運んだ。

凰呀が眠っていた場所で、再び孤高の獣は役目を終え眠りにつく。
限界を超えた走行で傷付いてしまっても凰呀は美しいままで、
感極まった琉奈は思わずすべやかなボディを指でなぞった。

「……ありがとう、凰呀」

そして、おやすみ。


――貴方も、救われた?


心の中で問いかけると、触れた指先に僅かに電流が走った。
ボロボロの凰呀が、応えてくれた気がした。

室内エレベーターで地下から戻ると、琉奈はぼんやりと辺りを見渡した。
此処に来るのももう最後だ、そう思うと何だか惜しい気がして自然と足が動かなくなる。
加賀は察しているのだろう、何も言わずに此方を見守っている。

「ちょっと……寄り道してもいいですか?」
「ああ、好きにしな」

琉奈は興味を惹かれるままにリビングの扉を開けた。
名雲兄弟のどちらの趣味かわからないが、上品な調度品が揃う部屋は綺麗に片付いている。
元々汚い印象はなかったが、長い間誰も住んでいなかったように時間が止まっている。

(あの頃と、変わってないな……)

かつて名雲兄に協力していた頃に初めてこの屋敷を訪れた。
2人に憧れていた無知で無垢な自分、それすらも此処に残留しているようだった。

「……あれ?」

整頓されたリビングで、不自然にチカチカ光るものを見つけた。
どうやら電話機の留守番メッセージがある事を知らせるランプで、この空間には場違いに映る。

誰かが此処にかけたのだろう、だが主はもう帰って来ない。
きっと仕事関係の電話だろうが、代わりに聞く訳にもいかない。

「…………」

だが琉奈が鍵を持っている以上、此処を閉め切ってしまえばあの留守電は一生聞かれない事になる。
そう思うと、聞いておいた方がいい気がした。
もうあの男とは何の関係もない、だがこのまま置き去りにしては可哀想で。

琉奈は、恐る恐るメッセージを再生させた。


――君が、これを聞く事はないだろう。だから言っておきたい事がある。


(え……?名雲さんの、声?)

意味がわからないまま、言葉は続く。




――まずは優勝おめでとう。
まさか本当に勝たせてしまうとはね。

素晴らしかったよ、特にあの最終コーナーは凰呀と加賀君の意地を感じさせてもらった。

兄さんと、俺の悲願を達成してくれた君には本当に感謝している。
今まですまなかった、素直に感情的になる君が面白くて、弄んでしまった。

君は本当に、不思議な人だ。
こんな俺など放っておけばよかったのに、君はムキになって俺の道を正そうとして、躍起になった。
俺はこの通りの性格だからね、間違っているのだとわかってても反発してしまう。

君のように真っ直ぐな人間は俺には不快で、どうしても汚したくなるのさ。
だが……どんなに汚そうとしても、君は光のままだった。

いつだって、その眩しさのままで俺を引き摺ろうとした。

そうしていつの間にか、君は俺にとっての道標になっていた。
君がいれば……俺は、俺と兄さんは救われるのではないだろうかと。

決して汚せない不可侵の女神、そう呼んだら君はまた俺を殴るだろうか。


……君が、どこかで俺に屈していたなら、
それとも君がもっと早く俺に見切りをつけていれば……こんなに、君を愛する事もなかったのに。

だが、それももう終わりだ。ようやく君を解放してやれる。
栄光ある、輝く世界に帰るといい。


……それじゃ今度こそさよならだ、琉奈

俺に言われて不服かもしれないが、君が活躍する事を願っている。



幸せに―――












琉奈……っ、どうした!?何かあったのか?」

駆け寄った加賀が見たのは、目を見開いたまま呆然とボロボロ涙を零す姿だった。
指先は震えて、どれだけ呼びかけても琉奈は反応しない。

そうして傍に寄る加賀など視界に入っていないかのように、
琉奈は電話機の隣に置かれた封筒を見つけ手を伸ばす。


その中に入っていたのは、1枚の海外行きの乗船券。
記されていた日付は、明日だった。











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