――あの男のメッセージを聞いて、煽られた感情はやっぱり怒りだった。

とにかくこの苛立ちをぶつけたくて堪らなくて、気が付けば乗船券を片手に走っていた。


それだけが全てだった。

その他の事は……もう忘れ去っていた。


ただ、あれだけで満足して消えていくあの男を、負かしてやりたかったのかもしれない――






14・生まれ落ちた使命






海の、音がする。
潮の匂いが風に乗って鼻をくすぐる。
だがそれすらも流れるように通り過ぎて、琉奈はある一点だけを目指して走り続けた。

何も言ってなかったが、恐らく乗船券に書かれていた日時で日本を離れるつもりなのだろう。
その前に何としても捕まえなければ。

そうして飛び込んだ港の先、これに乗るだろうと思われる大きな船が停泊するふもとで、
トレンチコート姿の男が1人立っていた。

本当にいた、その背中を遠くから睨みながら琉奈は一度歩みを止め、荒い呼吸を整える。

出航を待っているのか、それとも別のものを待っているのかは判別がつかない。
だが次第に沸々と怒りが再燃して、反射的に殴りかからんとする勢いで駆け出せば、
足音に気付いた男がその表情を僅かに変化させた。

「冗談じゃないわよ!!」

名雲のすぐ目の前で、琉奈は噛み付きそうな勢いで叫んだ。

「あんな電話勝手にしてきて!あんたのせいでどれだけ私が傷ついて、恨んできたと思ってるのよ!
一人で解決した気でいて満足してるんじゃないわよ!」

捲し立てられても男は動じる事もなく無表情だった。
いや、むしろ呆気にとられているのかもしれない。
いつもの彼はどんな時も人を喰ったような笑みを作っていたのに、今はそれがない。

「本当に姿を消したいなら何も言わずに去ればいいでしょ!?
わかりにくいメッセージとチケット残して賭けみたいな事して……
あんな事されたら追いかけるに決まってるでしょう!?」

本当に伝えたいなら直接言えばいい。
伝えるつもりがなければメッセージなんて残さなければいい。
なのに彼は敢えて、あんな残し方をした。

琉奈が留守電を聞いたのは偶然だった、名雲も確信などなかったはずだ。
恐らく、できれば聞いて欲しいが、聞かれないままならそれでも構わないと思ったのだろう。

「それとも何!?追いかけて欲しくてああした訳!?だから、あんたの期待通りに来てやったわよ!」

それからあの乗船券、あれはきっと琉奈の分だ。
来たければ来てもいい、そう嗤われているようだった。

面と向かっては言えない男の、なんて自意識過剰で傲慢なメッセージ。
此方の気持ちが最後まで遊ばれているようで、人を馬鹿にするのも大概にして欲しい。

「あんたなんか大っ嫌い!本心なんか見せないし自分勝手で……私の気持ちなんかお構いなし!
今さら……あんな事言われて許すと思ってるの!?馬鹿にしないで!だからあんたなんか嫌いなのよ!」

一緒に来て欲しいと僅かでも思っているなら、素直に言えばいいのに。
そんな男がよもやあんなに似合わない言葉を使うなんて、許せる訳がない。

「愛してるなんて……あんたが言う資格なんてない!
平気で嘘ついて騙して、人を小馬鹿にするあんたが言っていい言葉なんかじゃない!」


――「こんなに、君を愛する事もなかったのに」――


「ずっと……ずっと愛してきたのは私の方よ!ええそうよ!無情で馬鹿なあんたをずっと愛してたのよ!
今さらあんたに言われても嬉しさを通り越して腹が立つわ!」

結局、ここまで来てしまった自分は、きっと初めから諦めきれていなかったのだ。
スゴウを離れてでも男を選んだ。
気付きたくなかったが、それはそういう事だったのだ。

だけど認めたくなくて、ずっと苦悩して振り切ろうとしたのに、目の前の男はいとも簡単に気安く愛を口にした。

「あんたのせいで……どれだけ悩んだと思ってるのよ!今さら……今さら解放されたって、
はいそうですかって別れられる訳ないじゃない!ええ馬鹿は私よ!もう手遅れなんだから!」

息を切らせるように溜まっていた感情を吐き出して、琉奈は名雲を睨み上げる。
乱暴に深呼吸を繰り返して、血が上った頭をどうにか冷ますと、
未だに何の言葉も発さず聞いているだけの男に、手を伸ばした。

「選ばせてあげる。付いてきて欲しいの、欲しくないの?」

この男が本心が言えない性格なのは知っている、だが敢えて問いかけた。
それぐらいははっきりしてもらわなければ困るし、今回ぐらいは優位に立たせてもらいたい。

「こんな私、もう利用価値もないでしょう?連れて行ったって面倒なだけだと思うけど。
騙し甲斐もないだろうし、ひっぱたく事しかできないけど、それでもあんたが私を欲しいなら、付いて行ってあげる」

真剣な表情で告げれば、名雲の目が揺れた。
どう答えようかを頭の中で整理しているのか、船着き場に沈黙が押し寄せる。

そして戸惑うように、口角に苦笑を混じらせた。

「懲りないな、君も……それで何度弄ばれたかわかっているのか?君は少し学習する事を覚えた方がいい。
俺と来たって何もない。栄光のサイバーすら捨てて、君に利点はない。
愛してるなんて言葉、昔だって何度も囁いてあげただろう?嘘なんかいくらでもつける。
君が真実から目を反らして抱かれていた時も。それとも、そういう境遇が好きなのかい?」

琉奈はただひたすら手を差し出すのみで何も言わなかった。
煽りにも乗ってこないと悟ったからか、男は目を逸らした。
その困ったような態度があまりにも珍しくて、琉奈は思わずその表情ばかりを注視していた。

「……君は……あちらの世界に帰るべきだ。加賀君は引退してしまうが、まだ風見君がいる。
君は、あれほど信頼して大事にしていた彼の傍にいればいい。君が求めていたものは全てあそこにあるだろう?」

わかっていないな、と琉奈はふっと自嘲するように笑って見せた。

「わからない?悔しいけど、認めたくないけど……ずっと私が本当に求めてたのは……あんたよ。
確かにあそこには希望も夢も、未来も栄光もある。
それでも……全て捨ててもいいと思ってるんだから仕方ないじゃない。
それに、あんたの傍にいたって、もしかしたら何か掴めるかもしれないでしょ?
一度きりの勝利、これだってそう。
凰呀の勝利はあんただけのものじゃない、私のものでもあるのよ。だからそれでいい」

これにはさすがの名雲も驚いた。
そんな言葉を投げられて絶句し、思わず素直な感情を呟いていた。

「……馬鹿だな、君は……」
「ええ馬鹿よ、あんたもね」

そんな事は、始めからわかっている。
でなければこんな男の悲願などに付き合っていられなかった。

「本音言ったって誰も咎めないわよ。誰か1人ぐらい言える人間がいても、いいんじゃない?」
「それは君もだろう?」

名雲はまだ心を晒さない。
だが狼狽しているのがありありとわかって、何だか可笑しかった。

「……素直になれないのは、お互い様でしょ」

くすりと微笑むと、急に手を引かれた。
気が付けば男に抱き寄せられていた。しかも、かなり痛い。

「忠告はした」
「ま、しょうがないよね……また、騙されてあげるわよ」
「もう俺から逃げたいと泣いても聞き入れない」
「……あんたが本気で私を愛してくれるなら……いいよ」


じわりと、双眸に涙がにじんでいく。
だけど泣き顔を見られるのは恥ずかしくて、俯くようにして彼の鼓動を聞いた。

温かいのだ、この胸が。
こんなにも求められた事なんて、なかった。

全身が、心が、満たされていくのがわかる。
縋るように背中に腕を回せば、さらに力強く抱き締められて。

自分の想いに応えてくれる、それが嬉しくて堪らない。


「ずっと……っ、ずっと、好きだった……名雲さん……っ!」
「……俺は、君が欲しかったんだろう」


――ほら、本音を溶かし合えば……こんなにも、温かい。














『付いて行くのか』
「……はい」

携帯電話から聞こえる加賀の声は、いつも以上に優しい色をしていた。

出航の前に少しだけ連絡をしたいと名雲が言い出したので、先に琉奈が代わってもらった。
色々あったのに結局ここに落ち着いてしまって、お騒がせしましたという謝罪と報告を兼ねて。
彼は、わかっていたとばかりに静かに笑っている。

『よかったんじゃねぇか?お前……本当はこれを望んでたんだろ?』
「それを言われると困りますね。そうだったのかも、しれませんから……不本意ですけど」

こんな状況になっては言い訳も何もできないのだが、どうも素直になれない。

直前までは小っ恥ずかしい台詞を羅列させていたのに、そんな雰囲気は今はもう嘘のように消えている。
慣れない状況に琉奈が耐えきれなくて断ち切ってしまったせいもあるのだが。
やはり悪態を付いてしまう琉奈に、加賀はどこか楽しそうな口調のまま。

「私はメカニックなので、裏方としてとにかくドライバーとマシンの為なら、
自分の命を投げ打っても構わないと思うような性格ですけど、もう1人の私はきっと……」


――私個人として、誰かの一番になりたかったのかもしれない。


チラリと背後を盗み見れば、会話を聞いているのか聞いていないのか、
笑みを携えたまま白煙を噴かして海を眺めている男がいる。

(本当に……どうしてこの人だったのかわからない)

「いえ……何でもありません」
『はっ、そうか。ま、元気に暮らせや』
「……はい」

そうやって確かな言葉を返しながらも、恐らく琉奈は眉を潜めながら笑っているのだろうと、
電話の向こうの加賀は容易に想像できた。


――彼女は誰にも頼ろうとはしない。
全てを自らで決め、自らで解決させようとする。

ぽつりと溢す事もあるが、弱音というものは極限状態以外は吐いた事がない。
もっと頼ってくれてもいいのに、そう思っても彼女は大丈夫だと笑って他人を寄せ付けない。

彼女はきっと誰に対しても、その崇高な心をさらけ出さないのだろう。

だから本当の意味で彼女を支えようとするならば、彼女の心の細かな機敏を正確に読み取り、
甘えてもいいという空気は出さずに奮い立たせる必要がある。
甘えたがらない彼女は、きっと無理をして自立しようとするだろうから。

彼女は親しげにいるようでいて、その実どこか距離を置いて他人と接する。
逆に言えば、彼女が体裁を繕わずに本音でぶつかる、
それはつまり彼女が心の一部を見せているという事ではないだろうか――


『お前に必要だったのが、あいつって事か……?ホントに癪だけど』
「……私も嫌です」

口ではそう言っているが、それでも一緒に行くというのだから奇妙な関係だ。
あまり長所の見つからないロクでもない男に、フラフラと惹かれている琉奈を友人として止めるべきなのかもしれない。
だが彼女が望むなら構わないと加賀は思っているし、こういう愛の形も悪くない。
かなり危なっかしいが、見守ってやりたくなる。

『またな。泣かされたらいつでも来いよ』
「ふふ、そうしたらすぐ加賀さんの所に行ってしまいそうですね」
『違いねぇな』

別れの挨拶なのに、もう会う話をしている自分達が何だか可笑しくて2人は笑い合った。
ひとしきり笑いながら言葉を交わしていると、急に背後から男の声が聞こえる。

「そろそろ私にも代わってくれるだろうか?」
「え、ちょっと待……っ」

振り返れば、有無を言わせない態度の名雲が微笑していた。
まだ喋っているのに、と不機嫌な目で拒否を訴えたのに、名雲は半ば携帯を奪い取って話し始める。

「やあ、電話なんかですまないね。向こうへ戻ると聞いたんだが」

不満を露わにして見上げる琉奈を無視して会話は進んでいく。
こんな男に何を言っても無駄だと最早諦めて、琉奈は名雲の声を軽く耳にしながら船着き場を歩いた。

名雲が話したのは最終戦や凰呀の事、加賀の引退の事。
そして、加賀からは予想通りに琉奈の話題が。

琉奈を傷付けたらマジで殴るぞ。あいつは俺等の大事な奴なんだからな』
「…………」

目が合うと、遠くにいた琉奈は慌てて明後日の方向を向いた。
そんな様子に、自然と名雲は笑んでいた。



――名雲にとって、琉奈は最後の良心、自分の心からは消滅したと思っていた純粋な心そのもの。
いくら穢そうとしても決して汚れなかった高潔な女。

栄光の道を歩み常に先の光を見据える、自分のとっての最後の道標。
いくら自分が反抗しても決して揺るがなかった、本当の希望の道。

自分の歪んだ愛を、最後まで受け止めようとした人。

だからこそ、彼女には闇である自分に囚われるよりも、光の道を歩んだ方がよかったのに――



「……無理な相談かもしれないな、それは」
『はあ!?』
「いや、肝に銘じておくよ」

一言二言言葉を交わし、名雲は通話を終わらせる。

「加賀君……ありがとう」

切る直前の、その言葉を聞いて琉奈は胸が熱くなるのを感じていた。

(本当に変わったんだ、この人は……)

実感するように、ぼんやりと名雲の仕草を眺めているとニヤリと笑われた。
待っていたと思われたくない琉奈は、重い腰を上げるようにボテボテと傍に寄る。

「行こうか、琉奈
「はいはい、もう何処へでもどうぞ」

そして2人は新しい世界へと、一歩を踏み出した。



――誰にも賛同されなくても、皆が反対しても、これが私が望んだ道。

この先に未来がなくても、今はそれでもいい。
また、自分で切り開いてみせるから。

この道が間違いかはまだわからない、だけど奇跡に近い巡り合わせだから。
少しは信じてあげるから。



――だから、しばらくは貴方と一緒に生きてあげるわよ。











Ambivalence

(対立、相反する感情を同一対象にもつ精神状態)











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SIN編までのあとがき↓



やっと終わりましたああぁぁあ!!
ようやく夢要素が出せました!なのにラスト2話だけなんて…(涙)

途中からわかっていたかと思いますが、結局主人公はずっと名雲さんが好きだったんですね。
なのに主人公がツンデレなもんですから文章でも嘘付かなきゃいけなくて苦労しました。
しかも名雲さんもツンデレに近い設定なので、ツンデレとツンデレじゃ話が発展しませんて(笑)

いかに甘さを出さずに恋愛するか、これを目標にしてましたが、
さすがに読者様置いてけぼりじゃマズイので、当初の予定よりは恋っぽさをちりばめました。

ハイネルや加賀、とにかく色んな男性とかなり仲良くさせましたが、
それはもしかしたら恋に発展していたかもしれない可能性達です。
例えば主人公が名雲を完全に振り切ったとしても、誰かとこのまま恋に落ち幸せになる事ができた、もしもの道です。
それらの穏やかな可能性を捨て、それでも名雲を選んでしまった主人公の気持ちの深さを感じてもらえれば幸いです。

個人的には主人公はハイネルが似合うと思ったので、彼が出張りましたね。
彼なら尊敬できるし真面目で何より誠実……シュトルムツェンダーを選んでいたらそのまま親密になって、幸せになれたでしょう。

加賀さんも好きです。
何でも言い合えて共有できる仲間、いいですねえ……一緒にいたらもしかしたら恋になったかもしれないですね。
でもそうしたら今日子さんと彩には恨まれるかもしれないですけど。

そんな感じでifルートはたくさんありましたが、主人公は名雲ルート一辺倒でしたね(笑)
ずっと憎い憎い言ってましたが、それは"好きだから"嫌いだったんでしょう。
根底にずっと想いが残っていたから憎みきれなかったんだと思います。
まぁ主人公は最後まで認めてませんでしたが。


サイバー的本編はこれで終わりですが、まだ終わりません。少しだけ続きます。
これからが本番ですから!じゃないと本当に夢らしくないですからね。

ですが天の邪鬼×2ですからね、あまり甘々にはなりませんが、
それでも2人らしい恋愛を楽しんでもらえたら嬉しいです。

それではもう少しだけお付き合いください。