――2018年、

ダブルワンチャンピオン、風見ハヤトがいない状態で第13回大会は始まった。
サーキットのアマデウスと呼ばれたカール・リヒター・フォン・ランドルもいない。

ハヤトが空席で今後はどうなるのかとマスコミやファンの注目を浴びる中、
スゴウはセオドライトT.Tから移籍したドライバーと新型マシンを発表した。

そのお披露目会見を行っている最中、琉奈は話題の中心にいる少年との出会いを思い出していた。


……初めは、可愛らしい少年だなと思った。

「ガーランドを担当させていただきます、琉奈です」
「アンリ・クレイトーです、よろしくお願いします」
「よろしく、アンリ」

挨拶を交わすが、握手した瞬間不思議な違和感が琉奈を襲った。

「何だか緊張します。僕にはもったいないほどの新型マシンに、素敵なメカニックさんなんて」
「ありがとう。私もサイバーは初めてだけど頑張ろうね、アンリ」
「はい!」
「………」

アンリの天使のような笑顔が引っかかる。
絵に描いたような可愛い表情にチームの誰もがアンリを迎え入れた。

(そう……あの、どこか掴めない感覚、どこかで……)


「どうだ琉奈、アンリの印象は?」

修が肩に手を乗せた事で現実に引き戻される。
かつてサーキットを騒がせた超音速の騎士は、今はサングラスをかけてオーナー兼監督として立っていた。

「……どうなんでしょう、よくわかりません」


あの男の顔がちらついて離れない。


「あの子……見かけだけの子じゃないかも……」


そんな事を漠然と感じた。

あの笑顔が本当に純粋なものから来ているのなら、私は随分卑屈になってしまったなぁと嘆かなくてはいけないが、
願う事ならただの思い違いであればいい。






4・魔性の天使






その日、授業を終えたハヤトに伝えられたのは、校門の前で誰かを待っているらしい人がいるという情報だった。

待ち伏せされるほどの有名な人間といえば、一番にハヤトが思い浮かばれる。
また熱心なファンかとクラスメイトにからかわれ、ハヤトは困惑した顔でそこに向かうと、見た事のあるバイクが駐車されていた。

壁にもたれていた人物は女性で、しなやかにライダージャケットを着こなし、
ヘルメットを脱いだ後でも整った柔らかそうな髪、そして大きな瞳。
高校の前で待っているには明らかに年上の風貌で、確かに注目を浴びそうだなとハヤトは思わず納得した。

彼女はハヤトを見かけるとにっこりと笑いかけた。

「やあ、ハヤト」
琉奈さん……!どうしたんですか一体?」
「今日オフだから買い物ついでに寄ってみた」

颯爽とバイクに跨ると、もう一つのヘルメットをハヤトに差し出した。

「ちょっと乗ってかない?」

元々断る気はないが、有無を言わせないような物言いにハヤトは苦笑してバイクに跨った。

綺麗に洗車され、いかにも乗り慣れているとわかる愛車は腹に響くような良い音を立て街を走り抜ける。
琉奈はしばらく走った先にあるカフェで再びバイクを止め、日当たりの良い席を探すと飲み物を注文した。

「……学校の方はどう?」
「はい、こうやって長い間学校に通うのは久しぶりで……楽しいです。勉強ももっとやりたいと思ってましたから……」
「そう、よかった。私はまともに学校に行かなかったからね、ちょっと羨ましいな」

高校の授業もそぞろに琉奈は海外へ飛んだ。
それは父の全面協力があって実現したのだが、今振り返れば常識破りな父だと思う。
家出してしまった幼馴染みの修を見て、
「家出なんて寂しいじゃないか。私は賛成するから好きに言っておいで」と、父は半ば追い出すように琉奈を海外へ行かせた。
どういう心理だかわからないが、それのおかげで琉奈は後ろめたさもなくメカニック修行ができた。

しかし、後悔は全くしてないが、こうやって学生を謳歌している人を見ると羨ましく感じるのが社会人というもの。
学生生活中に起こる様々な出来事に思いを馳せ、琉奈はグラスのストローをかき回した。
彼が普通の格好をしている事が何だか感慨深くて思わず観察してしまう。

「いいな学生かぁ……学生の時にしかできない事色々やるといいよ」

改めて考えてみると、学生の頃にやった事はどんなくだらない事でも、その後の人生で姿を変えて役に立っていると思う。
だから何でもいいから挑戦してみる事は大事だと、それをハヤトに伝えた。

学生服のハヤトはそんな話を苦笑しながら頷いた。

「こっちは大変だよ?サイバーは初めてだからやっぱり今までと違う所があって気使うし、
ガーランドの再テストが来週から始まるからそれまでに何とかしないと」
「………」

サイバーの単語を聞くとハヤトは肩を強張らせて顔を曇らせた。
わざとレースの話を振ってみて反応を確かめた琉奈だったが、それとは悟られないように申し訳なさそうに首をひねった。

「……レースの話はNGだった?」
「いえ、そんな事はないです。……アンリ・クレイトーでしたよね?」

ハヤトは努めて普通な態度で返してきた。

恐らくハヤトやあすかの間では無意識ながらもレースの話は禁句になっているかもしれない。
今はレースの世界の事は忘れて普通に徹しようとしているようにも見えた。

だが、あの世界から逃げ続けて生きていく事などできるのだろうか。
仮にも2度もチャンプを取ったハヤトだ、自分達は忘れたくても周りはそうはいかないだろう。
マスコミは追いかけてくるかもしれないし、ファンだって詰め寄ってくるかもしれない。

忘れたくても忘れてもらえない、ハヤトはもうそういう存在なんだ。
だからあえてレースの事を口にした、いくら耳を塞いでもきっと一生囁かれ続けるだろう。

(……ハヤトにはそれができる?ずっと、逃げているつもり?)

そんな考えをおくびにも出さず、琉奈は会話を続けた。

「そうアンリ。この子がねぇ……筋はいいと思うんだけどね……」
「……」
「あの子、完璧すぎるのよ……違和感があるっていうか……」

眉を寄せて考え込んでいると、ハヤトも怪訝そうな顔で俯いた。

「あ……ごめんね、愚痴なんか言っちゃって」
「いえ……」

ハヤトは儚げに笑って首を振った。
思えば、自分はハヤトのこんな顔ばかり見ている気がする。
できれば辛そうな表情など見たくないと思うのに。

「……琉奈さんと一緒にレースができなくて、ごめんなさい……せっかく帰ってきてくれたのに……」
「……いいんだよ、私は私、ハヤトはハヤトだもん」


……確かに夢見ていた、ハヤトと共にアスラーダで頂点を目指す事を。
それは長年抱いていたものだから、簡単に諦めるなんてできる訳がない。

信じてる、彼は戻ってくる。もう忘れられる訳がないんだ……あのアスラーダを。



その後、とりとめのない話を互いにすると帰路に着いた。
琉奈とハヤト、2人で乗るのは久しぶりだった。
まだ互いが日本にいる頃はよくハヤトを後ろに乗せて走った。

「こうやってるとさー、何か懐かしいね」
「はい!?何か言いました!?」

エンジンと走行音で琉奈の声はかき消され、ハヤトは思わず大きな声を出す。
だけど琉奈は声量を変えようとはしなかった。

「いいえー、何にも」

あの頃は学生服姿でもなかったけど、ドライバーではないハヤトを見ているとどうしても昔に戻ったような錯覚を起こす。
私はプロのメカニックになる事を夢見て、ハヤトはレースに憧れながらも普通の少年で。

辛い事も悲しい事もまだ知らない頃。
そして勝利を掴んだ瞬間の、あの悦びを知らない頃に。

「ねぇハヤト……貴方はこれからどうするの?」
「何ですかー!?」
「……ふりだしに戻ったよ。未来の事、いくらでも決められる……自分の思った通りにできる」
「え!?琉奈さん!?」

「……だから、後悔しないように……生きて」

希望を言うなら、ハヤトが戻ってきてくれるならどんなに良い事かと思う。
だけどこればっかりはハヤトの意志だ。

悩んで悩んで……自分の道を決めてくれればいい。











アンリという少年は確かに天使のような美少年だった。
サーキットという美しさとは無縁の世界に咲く花のような笑顔。
だけどその綺麗さがやはりどこか引っかかりを感じさせる。

気弱な発言が本心なのかも疑問だった。
口を開けばドライバーとして当たり障りのないコメント、そして次に出てくるのは大抵「僕なんかが……」と自分を卑下する。

ただの新人じゃない。
違う……この子はもっと頭の回転がよさそうに見える。

新人にありがちな迷いのある走りなんてしないし、何よりふとした時に見せる表情が普段見せている印象とはほど遠い。
ただの真剣な表情じゃない、もっと……陰の空気を帯びていた。


初戦では5位としっかり入賞しているし、驚いた事に2戦では3位にまで躍り出た。
脅威の新人にマスコミもスゴウに連日殺到する騒ぎになった。
あのハヤトの再来、スゴウの後継だと誰もがはやし立て、そしてそれを謙虚に否定するアンリ。

「勝てるのも時間のうちかもしれないね」
「や、やめてくださいよぉ……プレッシャーで眠れなくなってしまいますっ」

疑ってしまったら最後、全てが嘘のように思えてしまう。

何かを隠しながら、チームの中で安定した地位を築いている辺りが、あの男に似ていた。
いや、あの男を見てきたからこそアンリに疑いを持つ事ができたかもしれない。
現に皆は天使のような笑顔に騙されていると思う。

だけどやはり実力はあるようで順位は好調に上がっているしマシンの損傷も少ない。
整備する身としては嬉しいけど、やはり違和感は否めない。

「あなた……何の為に走るの?」

予選も終わり、今回も妥当な順位をキープしたアンリ。
嬉しそうな顔の反面、当たり前だとでも言いたげな仕草でマシンを降りた。

琉奈がポツリと呟くとアンリはどうしたんですか?とでも言いたげな顔で笑った。

「もちろん勝つ為ですよ」
「そう……」



――「勝たなければ意味がない、何事にも」――



「そんなものの為にガーランドを作った訳じゃないよ、覚えておいて」

琉奈が冷たく吐き捨てて行ってしまった後、アンリは誰にも聞こえない声を漏らした。


「……なんだ、あの女……」











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レースを忘れたがっているハヤトにレースの話をしたのはわざと。
引退した事を怒る訳でもなく、話題を避ける訳でもなく、自然なままで接しようと思ったからです。
全てを平等に与え、その中から本当に進みたい道を選択してくれる事を願って。