第5戦、フランスのル・マンサーキットにて思惑通りハヤトが帰ってきた。
大事故をものともせず、セカンドチームとペガサスのマークを携えながら。
「おかえり、ハヤト」
「琉奈さん……」
「今度が私が迎える番だね」
白を基調としたレーシングスーツを着たハヤトはどことなく雰囲気が変わっていた。
引退を表明した時のような思い詰めた表情じゃなく、少しスッキリした笑みで。
「外の世界はどうだった?」
「……僕はやっぱり、走る事が好きみたいです……」
「そうだと思った」
「琉奈さんも僕が戻ってくるってわかってたんですか?」
「もちろん」
自信ありげに言うと、ハヤトは気まずそうに俯いた。
自分の本当の気持ちを皆がわかっていたと思うと恥ずかしいのだろう。
「願望ってのもあったよ。ハヤトが帰って来なかったらアスラーダが可哀想だったしね」
「みきさん達に聞きました。ありがとうございます、アスラーダを直してくれて」
「私は手伝っただけだよ、ほとんどはウィナーズのメンバーがやったんだから」
ハヤトの背後では、みきや良平達が胸を張って笑っていた。
みきと琉奈は互いに目を合わせ、そして笑い合った。
何だか賭けに勝った気がしたのだ。
何も賭けてはいないのだけれど、自分の心の奥に微かにあった不安や、もしかしたら……という気持ちに。
自分の葛藤に打ち勝ちハヤトを信じ切る事ができた自分が誇らしい。
これからアスラーダの走りが目の前で見れるんだと思うと嬉しくて、琉奈は気持ち軽い足取りで自身のピットに戻った。
「アンリ、第2コーナーに入る時に……アンリ?アンリ!」
「あ、はい、すいません……!」
ガーランドに乗り込んでいたアンリは一点をじっと見つめていた。
「……どうしたの?」
「いえ、ちょっと緊張しちゃって……風見先輩と走れるなんて、何だか嬉しくて」
相変わらず笑顔で謙虚な発言をするアンリ。
「……夢だったって事?」
「はい、風見先輩は僕の目標なんです!」
それにしては、ステアリングを握る手は尋常ではないほど力が入っていた。
ただの緊張じゃない。
「じゃあハヤトの走りを見習わないとね」
「いえ、僕なんかまだまだです。みんなに付いていくのがやっとで……っ!」
そう言ってる割に順位は結構上なんだよな、と琉奈は言葉にならない呟きを呑み込んだ。
5・存在意義
そしてついに決勝。
アスラーダの勇姿が再び見られると誰もが思っていた中、予期せぬアクシデントが起こった。
モニターに映るエアロモードのままブースト加速しそうにないアスラーダ。
隣のウィナーズでは必死に異常を探しているようだったが原因がわからず、
そうしている間にどんどん順位が下がってしまい、結局ハヤトは6位、アンリは2位に終わった。
後になってみきに事情を聞いてみるとどうやらブーストレバーが引けないらしく、
それも機械の故障ではなく、ハヤト自身の精神的なトラウマだという診断だった。
ハヤトは悔しそうに右手を何度も握っては放している。
琉奈はそれを見守る事しかできなかった。
……私では、何も声がかけられない。
ハヤトが事故を起こした事だって、テレビで知った事だった。
どれほど恐ろしい事故で、どれほどハヤトが心の傷を負ったのか、実際に現場に居合わせていない人間にはわかるはずもなく。
みきに相談してみると、あすかを呼ぼうという話になった。
ハヤトが復帰した事で婚約解消までしてしまったあすか。
サーキットに呼ぶのはあすかが嫌がるかもしれないが、ハヤトの心に届く人は、おそらくあすかしかいない。
ずっと2人を見てきたみきが言うのだから確かだろうと頷き、あすかの説得はみきに任せた。
次のイギリス戦でもハヤトはブーストレバーを引けなかった。
アスラーダは昨年のマシンのまま、他のマシンに比べたら明らかに性能が劣っている。
それをハヤトが必死で追い付いているのに、ブーストが使えない事で状況はさらに深刻だった。
「すみません」と項垂れるハヤトを見ているのが悔しくて、自分では何もできないのが辛かった。
走りたくて走りたくて、再びアスラーダに乗ったハヤトを走らせてあげたい。
あすかを泣かせてまで戻ってきたハヤトの想いを叶えてあげたい。
そう願っても、結局自分にはマシンを整備する事しかできないんだと気が付いた。
ハヤトにはもう彼を支え守る人達がたくさんいる。
私が何もしなくても、今まで起こしてきた奇跡のようにハヤトはきっと復活するのだろう。
……私がハヤトとアスラーダにしてあげられる事は、もうあまりないのかもしれない。
でもそれを悲しいとは思わなかった。
ただ漠然と、私も何かの形でアスラーダと決着を付けないといけないんだと感じた。
人の為に生きたいと思う。
それ以上に父やハヤトの為にという依存した考え方は捨てて、自分の為に生きなくてはいけないんだと思う。
自分は何を学び、何を思い、本当にしたいと思う事は何か。
何を見て、何を選び、どんな道を選択するのか。
その答えはまだわからない。
だけど結局いつだって、自分ができる事は決まっているんだ―――
* * * * * * *
琉奈はまだ薄暗い夜明け前に目を覚ました。
寒さが体に染みるノルウェー、ここはコースが氷に覆われている特殊なコース。
アンリが初のポールポジションを取ったのとは反対に、ハヤトは8位。
少しでもマシンの異常をなくそうと朝早くからアスラーダに向かった。
ブースト機構はやはりおかしくない、他にもどこか問題があるかもしれないと念入りにチェックをしていく。
「頑張ってますね」
「……アンリ、早いね」
誰かが入ってくる気配と凍えるような寒さに顔を上げると、
ランニングをしていたのだろう、アンリが爽やかな笑顔で立っていた。
「何だか、ガーランドを整備している時よりも楽しそう」
「ええ、楽しいよ。これが私の仕事だから」
少しでも、ハヤトの意思の手助けができるなら。
何よりマシンを構う事が好きだから。
「……やっぱり琉奈さんも、新人の僕なんかよりも風見先輩のチームに行きたかったんですよね……」
「………」
アンリは拗ねたように俯いた。
その同情を買うような口調に、琉奈は表情を険しくさせた。
「……私は走りたがっている人の為に整備する、勝ちたいだけの人よりもね。
どうして勝ちたいのか、アンリがそれを理解したら私は全力で貴方をサポートする」
「よく……わかりません」
いつまで経っても貼り付けたような表情。
いい加減、アンリともちゃんと向き合わなければならないと琉奈は意を決した。
「あなた……本当はそんな性格じゃないでしょ?周りを騙して面白い?」
「ど、どうしてそんな事を言うんですか?僕は誰も騙してなんか……」
笑顔とうわべだけの言葉でその場をやり過ごす所が、あの男と似ていた。
「私には通用しないよ、そういうの」
顔色を変えずにアンリを冷たく見据えた。
アンリはさっきまでの形相を一転させ、憎しみを込めた表情で琉奈を睨み付けた。
その目には激しい怒りと、誰も信じないという拒絶の闇が宿っていた。
「……何なんだよあんた」
「害がないなら黙っていようと思った。だけどやっぱり黙っていられなかった」
皆が騙されている状況はもう無視できそうにない。
「アンリ……貴方、何がしたいの?」
「関係ないだろあんたには……!」
「そうね、関係ないかもね。だけどそんな事してて楽しい?」
「楽しいね!笑顔で適当な事言ってれば皆僕を褒める。簡単に騙されちゃって馬っ鹿みたい!」
クツクツと肩を揺らして笑うアンリ。
「悲しいね……そんな事が楽しいなんて」
可哀想な子だと思った。
「本当だったらドライバーは走る事が一番楽しいはずでしょ?」
「僕は勝つ為に走ってんだよ!遊びじゃないんだよ!」
当たり前な事かもしれないが、誰もがみな勝つ事にこだわる。
それは別に悪くはない、だけどアンリは勝つ事しか考えていなくて、
その為だけに走って得た勝利に意味はあるのだろうかと疑問に思う。
「じゃあどうして勝ちたいの?」
「それこそあんたには関係ない!」
どこまで言っても心を開こうとしない。
アンリ相手にそんな事は容易ではないとわかりきっているけど、やはり寂しく感じる。
(そうだ……私は、本当は心を開いてほしかったんだ……)
どうしてあの男は勝ちにこだわっていたのだろうかと、今でも時々考える。
でもその問いに答えを出す事はいつも躊躇われた。
それを出してしまったら……自分は、酷い事をしたあの男を許してしまいそうで。
琉奈はよぎった考えを捨てるように首を振った。
許してしまうという事は自分にはまだ未練があるという事で、
そして許すという事は、あのマシンを作った後悔が薄まってしまいそうになる。
(……それだけはダメだ…)
「走ってるのは僕だ、たかがメカニックにとやかく言われたくないね!」
「………」
アンリは蔑むような目で琉奈を睨み付けるとピットから出て行った。
残るのは白い煙と、胸に苦く広がるあの日の思い出。
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あすかとの話も書きたかったんですが省略。