「それじゃ、しばらく帰って来ないから」
少しだけの荷物を持ち上げ、琉奈は同居相手を振り返った。
名雲は玄関まで見送りに来たものの、緩慢な態度で煙草を咥えている。
「5日間の滞在になるんだろう?」
「あーうん、それぐらいだと思う」
この男は、自分がいない間どのように過ごすのだろう。
そんな疑問が湧いたが、どうせ羽目を外せるとでも思っていそうだ。
別に寂しそうな素振りをして欲しい訳ではないが、同居人にはもう少し関心を見せて欲しいものだ。
「ま、適当に帰ってくる」
この男にそんな事を期待しても無駄かと、琉奈は自分で自分を否定しながら、
自分達らしい適当な挨拶を交わして部屋を出る。
このフランスに来てから初めての帰省。
琉奈にとっての全てがある、家族の元へと飛んだ。
3・白の栄光、そして現実
「琉奈さん!」
「……久しぶり」
出迎えてくれたあすかに琉奈は遠慮がちに笑った。
突然サイバーをやめて飛び出した琉奈に対して、
どんな反応をされるかなと僅かに不安だったが、あすかは嬉しそうに笑顔を見せてくれた。
背後にいたハヤトも、変わらず微笑を向けてくれる。
よかったと、素直に思った。
どんな事があっても、彼らは自分を見放さないでいてくれるらしいから。
「ついに結婚おめでと、あすか、ハヤト」
「ありがとうございます。ささ、入って下さいよ」
あすかに促されて、彼らの新居に足を踏み入れる。
結婚式場は別の場所だが、当日に新婦の手伝いをする琉奈は、
その間ハヤト達の家に滞在させてもらう事になっている。
やはり弟や妹のような存在の2人の晴れ舞台だ、少しでも長く一緒にいたいという気持ちもあった。
「日本にはもう行って来たんですか?」
「うん、お墓参りもしたかったし、いい加減部屋を引き払わないといけないなと思って」
フランス行きは急に決めた事だったので、琉奈のアパートは未だそのまま残されていた。
移住して落ち着いた事もあり、必要な荷物は航空便で送り、部屋を解約してきたのだった。
それから、両親に今の状況の報告をした。
2人はこんな自分に怒っているだろうか、いやもしかしたら父は娘が決めた事ならと喜んでいるかもしれない。
そういう、少しズレた人であったから。
そして慌ただしく日本からアメリカへと移動して、今に至っている。
「琉奈さんは今、フランスにいるんですよね?」
「うん、まだ仕事は決まってないけど目星は付けてるかな」
「……やっぱり、名雲さんと?」
「…………うん」
あすかから切り出された言葉に、ついに来たと琉奈は思った。
どう頑張っても逃げられない話題だった。
いや、逆に琉奈があすかの立場でも聞かずにはいられなかっただろう。
周囲にしてみれば、いったいどうして、なんていう疑問だらけだろうから。
「ホントにね、みんなには申し訳ないって思ってる。
あんな男に付いて行くとか、裏切ってるみたいなものだし」
「そ、そんな事は思わないですよ!琉奈さんが選んで決めた事なら、私達に口を出す権利はないし……
ただ、どうして名雲さんだったのかな、と……私達、名雲さんの事を何も知らないですから……」
責めている訳でもなく、同じ女として純粋に名雲京志郎という男の魅力を尋ねられていた。
スゴウをやめ、サイバーまでやめ、身1つでフランスまで行ってしまう程の、
どうしようもなく惹かれてしまった理由があるに違いないと、そんな風に彼女達は考えているのだろう。
だが当の琉奈は答えに窮していた。
どこが好きなのか、つまりはそういう事なのだが。
「……何でだろ、気の迷いかな?早まった事したかも」
「「え!?」」
これにはあすかだけでなく、女同士の会話を見守っていただけのハヤトも驚いた。
「だってあの男、意地は悪いし、人の事は小馬鹿にするし、完全に私で遊んでるし」
「そ、それって……大丈夫なんですか?」
「うーん、私もよくわからない」
「「…………」」
軽い口調で首を傾げられて、あすか達は呆然とするしかなかった。
琉奈の件で怒り狂っている某幼馴染みを知っている身としては、とてつもなく不安だった。
幸せに過ごしているなら何も言わないつもりだった。
だけど、「あいつは騙されているんだ!見つけ出して連れ戻してやる!」と豪語している彼の通り、
彼女が悪い男に引き寄せられてフランスにいるのだとしたら。
「……でも」
彼女を何とか救い出した方がいいのではないか、そんな考えがよぎった矢先に、
琉奈は少しだけ真剣な顔付きで口を開いた。
「あの人……生きにくい人だから」
想いを馳せるように、遠くを見つめながら彼女はそう言った。
その、悲しさも切なさも混ざったように揺れる目は、ハヤトにも見覚えがあった。
彼女を連れ出したいつかのツーリングで、彼女はぼんやりと視線を伏せながら何かを呟いていた。
それだけでなく、サーキットや色んな場面でこんな表情をしている瞬間を見た事がある。
(そうか、あの目は……ずっと名雲さんを見ていたのか)
ようやく全てのピースが合わさったような答えを見つけて、ハヤトは妙に納得してしまっていた。
「馬鹿で、不器用で……でも一番、救われたがってた」
彼女と彼の関係は自分達では計り知れない。
だけど、そうやって言う彼女こそが彼を救いたいと切望して。
彼もまた彼女の想いに触れたのだろう、その上で一緒に寄り添っているという事は。
それは、愛し合っているという事ではないだろうか。
「本当の意味であの男の傍にいられるのは、たぶん私ぐらいだろうから。それでいいの」
彼女の微笑みは今、悲しみも暗さもない、恥ずかしそうな照れ笑いだった。
それが全てを物語っている気がしてハヤトは安心した。
隣のあすかを見れば、彼女も何かを悟ったようで笑みを浮かべている。
「よかった……何だかんだ言って、琉奈さん幸せそうだから」
「そう?でも恋人って関係でもないよ。変な……同盟みたいなね」
「そんな事言って~。食事とかも作っているんですよね?」
「そりゃ、私しか作れる人間いないんだから、作るしかないでしょ?」
あすかと琉奈はまた冗談めいた空気で女らしい会話を始めた。
ハヤトは感じた、彼の事を生きにくい人だと言った彼女もまた、不器用な人間なのだろうと。
彼女の心の奥まで踏み込めなかった自分達と違って、
名雲京志郎という男は、彼女の言う"意地の悪い"性格で彼女の心を見つけたのではないだろうか。
だから彼女はどうしても彼を見捨てられなくて、彼も彼女を手放せなかった、そう考えるのはいき過ぎだろうか。
口ではああ言っているけど、意外とうまくやっている気がする。
「私達は応援してるからいいですけど……あとは、兄さんですよね?」
「あああああやっぱり!?もう、絶対鼓膜破れそう……!」
頭を抱えて悩み出した琉奈に、ハヤトは笑った。
明日の結婚式は、きっと平穏には終わりそうになかった。
その日は、あすかの準備を手伝う片手間、琉奈は様々な人物に絡まれていた。
琉奈を知る者は、琉奈が突然に消えた事もまた知っている為、質問攻めになるのは当然だった。
スゴウの旧友たちを始め、アンリには泣き付かれた。
戻って来て欲しいと必死に懇願されて、苦笑するしかなく。
ルイザやリサには心配したと怒られ、
だけど友達だから気軽に連絡してくれと、親身になってくれた。
事情を知っている加賀や今日子にも久しぶりに顔を合わせ、
開口一番に上手くやっているのかと気遣われる始末。
今日子に至っては「ずっと苦労していたのだから、幸せになるのよ」と励まされた。
名雲の想い人であった人にそう言われるのは複雑であったが、
凰呀の件でのわだかまりがなくなったのは素直に嬉しかった。
「私が言う事ではないけれど……名雲さんを、お願いね?」
その言葉に琉奈は笑って答えたが、やっぱり何かが気恥ずかしい。
追いかけたのは自分だが、あんな悪人を任されても困ると内心で毒づかずにはいられなかった。
冷たい目で見られるのも辛いが、恋人関係として当たり前に見られても辛いのは、琉奈の性格故の事だった。
それでもクレアにも、相変わらずののほほんとした微笑みのまま、
「貴女が幸せなら、それでいいわ」と言われてしまった。
皆、変わらずに受け入れて歓迎して、琉奈の道を応援してくれる。
だから、自分は名雲という男の件がなくても、もしかしたら十分に幸せな人間なのかもしれないと思った。
だが、最後の関門はやはり避けては通れなかった。
「琉奈!!」
「ああ、やっぱり来た……」
「今日という今日は逃がさんぞ!」
「はいはい、逃げませんよもう……」
修のもの凄い剣幕を見る限り、これは長期戦になるなと気が遠くなりそうだ。
とにかく感情的にならないように対抗しようと、琉奈は身構える。
「私は……お前が選ぶ男なら受け入れるつもりだった。だが、どうしてよりにもよってあいつなんだ!」
いや、どうせ彼は誰を選んでも反対するだろう。
とにかく琉奈のやる事は反対しなければ気が済まないのだ。
心配するが故にというのはわかっているのだが、ここまでくるとしつこいの一言だ。
「いいじゃない。私が、誰も選びそうにないものの方が好きだって性格、知ってるでしょ?」
「そんな大昔の話を蒸し返すな!前科持ちの男など誰が許すものか!」
「別に許して欲しいなんて思ってない。好きにさせてくれればそれでいいの」
そう、放っておいてくれればいいのに。
許せないなら許せないで、見限ってくれればいいのに。
「ならばお前はこの先、将来性もないような男と共にし、誰からも祝福されずに生きていくというのか!?」
「一生一緒にいるなんて言ってない。今はそうだけど、この先どうなるかなんてわからないわよ」
「何を言ってる!お前は今が女としてのピークだ!その大事な時期を碌でもない男に使い、
無駄に搾取されて捨てられた頃にはもう適齢期など過ぎて、誰からも見向きもされなくなる!」
世の女を敵に回しそうな、さり気なく失礼な発言だという事に気付いているのだろうか。
苛立ちが若干増したが、首を振ってやり過ごす。
「だからそれも私の人生。私の人生は私が決めるし、
それで独り身のままであったとしてもいいって言ってるの」
「お前は……そうまでしてあの男に付いて行くというのか!?あいつに一体何があるというんだ!?」
「言ってもわからないでしょ、修さんには」
良い所は、ない訳ではないが言葉にしづらい。
それに、"信じてみたい"と言っても彼に通じはしないだろう。
この幼馴染みとフランスのあの男は違いすぎる。
どう理解しようとしても相容れないだろうと琉奈は思う。
「そもそも仕事はどうするんだ!?お前のような女の身で受け入れ先などあるものか!」
「これでもツテはあるんです。修さんに囲ってもらわなくても大丈夫だから」
「どうせ大したチームではないだろう!」
「…………」
あくまで冷静に努めてきたものの、癇に障る言葉にじわじわと攻められて、もう限界だった。
「……もういい?私は何を言われても今の生活を変える気はないわよ。
それでも修さんが私を無理矢理連れ出して日本に縛り付けるというなら……私はもう修さんを一生許さない」
「っ……ああ構わんさ!いずれ、それが間違っていなかったと理解する時が来る!」
「あ、そう……」
心の奥が冷たくなっていくのと同時に、深い溜息が出た。
諦めに似たこれは、彼に対する沸々とした怒り。
「修さんっていつもそれ……昔から自分の考えだけで人を型にはめて……
修さんの望む生き方をしなきゃ、私に価値はないの?」
「そ、そういう事を言っているのではない!」
「そういう事でしょ?そうやって、私を認めてくれない所……ホントに嫌いだった!」
「っ!!」
「どうしてわかってくれないの!?私の事を本当に尊重して心配してくれるなら、
振られたらいつでも帰って来いって、それぐらいの器量見せてくれたっていいじゃない!」
ああ、もう止まらないなと、冷静な部分の自分がそう思う。
どうしてか泣きそうになったけど、それは何とか堪えた。
「私を否定して楽しい?満足!?私の人生は、私が私の意志で決める!
ずっと我慢してきたけど、もう修さんの指図は受けない。じゃ、もう私は話す事はないから」
「な、ま、待て、琉奈……っ!」
(ごめん、修さん……)
吐き捨てて立ち去ったが、幼馴染みは足が石になってしまったかのようにその場から動けずにいた。
彼にとってショックな言葉をあえて使ったのだから、それもそうだろう。
そして、怒りにまかせて酷い事を言ってしまった。
売り言葉に買い言葉とはよく言ったものだと思う。
本当はわかっている、彼が言っている事が正しいのだと。
一部、性別に対する差別に近い発言があったが、
世間では大体そう思われているという、ある意味間違いのない意見なのだろう。
まさしく何も言い返せない程に正論だった。
だから我が儘を言っているのは自分で、幼馴染みは悪くない。
それでも、やめられないのだ。
真っ当な道でなくてもいい。
たとえ騙されて利用されているとしても、それを自分の目で確かめるまでは終われない。
それまでは幼馴染みの言葉は聞けない、だから遠ざけた。
(まともじゃないのは、私)
だから、色々言ってしまったけど、彼はあのままでいて欲しい。
時には本気で怒りをぶつけてしまうけど、自分を最後まで止めてくれる人はそうそういない。
現に彼の言葉は、琉奈の少しだけ浮かれていた胸に突き刺さった。
我に返って、現実を思い知った。
(わかってる、わかってるよ……修さん)
荘厳な音楽に顔を上げれば、ハヤトとあすかが光に照らされていた。
いつのまにかこんなに成長していたんだなと、ぼんやり昔を振り返る。
本当に様々な事があった、だけど2人はそれすら乗り越えて、名誉と栄光すら手にして。
皆に祝福された、理想的で幸せな結婚の儀式。
今が人生の、最高潮の瞬間であった。
自分とは、あまりに違いすぎる世界。
(綺麗だな、あすか……ハヤトも)
見た目だけではなく、2人の生き方がそうだと思った。
控え室でウェディングドレスを着たあすかにもそう告げた。
すると彼女は「いつか、琉奈さんのも見たいです。絶対に綺麗ですよ」と微笑みながら答えた。
だが、そんな日が来るのだろうかと琉奈は複雑な顔をするしかなかった。
結婚は憧れるし、女である以上は将来的にはしたいとも思う。
だけど名雲と結婚したいかと問われると、かなり悩んでしまう。
彼が結婚というものを考慮しているのかも甚だ疑問であるし、
琉奈としても別に名雲と結婚したいと思っている訳でもない。
(っていうか、あの人が家庭を持つとか……想像できない上に気持ちが悪い!)
正直、未来の事はまるで予想ができないのだ。
いつまで名雲に付き合っていられるのかも不明であるし、浮気される可能性だってある。
信用していないと言えばそうなのかもしれない。
(でも前科ありだからなぁ……信用しろってのが無理でしょ)
だから、と琉奈は思う。
もし本当に、平凡で幸せな家庭を将来的に作りたいのなら、名雲とは離れるべきなんだと。
あの男では無理なのだ、前科云々がなくとも性格的に。
その点では皮肉にも、あの煩い幼馴染みと全く同意見であった。
(ま、いいか……そんなに結婚に焦ってる訳でもないし)
しばらくは自分には無縁の世界。
幸せと喜びに満ち溢れた、純白の誓い。
自身が愛してやまなかった父の形見のように、琉奈には眩しくて。
羨望の眼差しを隠すように、目を細めた。
「ふう……式はよかったけど、流石に疲れたな……」
ハヤトがサイバーのチャンピオンという事で、その後もパーティーやら何やらで騒がしい日程が続いた。
アメリカから飛び立ちフランスの空港に着いた頃には、蓄積された疲労で溜息が出た。
琉奈にとっては仲間達との再会もあったので、結婚式の関連だけでなく忙しかった。
大きな要因は幼馴染みであるが、このフランスでの生活の事も、色々と考えさせられた。
あんな幸せな結婚式を見てしまった後の、この自分の現実。
自分で選んだものの、差を感じずにはいられないのが人間であった。
これからまた、仕事を見つけなければならない事実を考えたりすると余計に。
(いやいや、私は私!突き進むしかないんだから……っ)
そうして自身を震い立たせながら歩き出した矢先に突然の着信。
携帯電話を取り出して、通話相手に誘導されるまま駐車場に進むと、指定された場所にいたのは。
「――何で……」
車に寄りかかりながら煙草を吹かしている男の姿があった。
皆が心配して、幼馴染みには猛烈に反対された前科持ちの男が、皆の記憶より短い髪で。
迎えに来てくれとも言っていない、そもそも帰ってくる正確な時間すら教えていなかったのに。
何故こんな所で、出発の時と同じような態度で突っ立っているのだろう。
「……何してんのよ」
「仕事の帰りに偶然通りかかったのさ、交通費が浮くだろう?」
「…………」
車に乗り込むと、少しだけ見えた灰皿には何本もの吸い殻があった。
偶然通りかかるというには多すぎる量。
それはつまり、あの空港に何時間もいた証拠ではないだろうか。
「……迎えに来てなんて言ってないじゃない」
「ああ、聞いていないね」
「別に、そこまで金欠でもないんですけど」
「知っているよ」
「…………」
―――どうしよう、嬉しくて泣きそうだ。
だから窓を通りすぎる景色ばかり見て、声が震えないように努めて絞り出した。
「……夕食、何食べたいのよ」
「インスタントでなければ。数日間それしか食べていない」
「、……馬鹿じゃないの……っ」
外食でも何でもすればよかったのに。
「俺が馬鹿なら、君はもっと馬鹿だろうね」
こんな所に帰ってくるのだから、そう呟いた名雲に、琉奈は返す言葉さえなくした。
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DVDに追加されていた、ハヤトとあすかの結婚式の話です。
式をどこで行なったのか不明だったので、勝手にアメリカと設定。
久しぶりの再会。
修さんと喧嘩してばっかだな、ホント…
名雲さんがどうしてヒロインの到着がわかったのかは、ご想像にお任せします(笑)