「みき、そっちの調整は終わった?」
「……ええ、大体は」
ふいに後ろから声がかけられる。
テストが終わったアスラーダの傍で最後まで作業をしていたみきは、
背後の人物が誰か把握すると笑って見せたが、それはすぐに消え去った。
みきが消沈しているのは噂の記事が原因だとは知っていた。
あれには反ハヤト代表のような形で新条のコメントが載っていた、彼とその事で何かあったのだろう。
それからしばらくみきの様子を見ていたけど別段変わった様子はなかった、仕事の面においては。
だけど時々暗い表情でサーキットを静観する姿を度々見つけるようになった。
あすかも心配になってみきに話し掛けてみたものの言葉を濁すだけで何も言わないと、嘆いていた。
(逃げるみたいに作業ばかりしてるね、最近……)
それがここ数日みきを観察してきた琉奈の感想だった。
彼女はとても気丈な性格だから深く入り込まれる事を嫌うタイプだ。
彼女が弱い面をさらけ出した姿を見たことはないように思う。
琉奈は他の人に比べたら随分短い間しか一緒に仕事していないという事もあるが、
彼女は愚痴はこぼす事はあっても、悩みを打ち明けた事はない。
あすかが相談に乗ろうと思っても拒否するほどだ、おそらく誰に対してもそうなんだろう。
(それにみきの事だ、意地張って仲直りなんて積極的にしなさそうだなぁ)
凝りを残したまま日々を過ごすなんてきっと互いに辛いだけなのに。
「好きな事に没頭してると嫌な事を忘れられる気がするよね」
「……え?」
琉奈はアスラーダのシャーシを覗き込みながら独り言のように呟いた。
みきは怪訝そうな顔をしつつも静かにそれを聞いている。
「でも、気がするだけだった」
「…………」
「自分の心に大きな比重を持ったしこりがあった時、何をしていても楽しくなんてなかった」
喜びなど、とっくの昔に消えていた。
「無視する事もできた。こうやって夢中になれる事をして、時間が解決してくれると信じる事もできた」
心さえ変わるものだと。
「でも……それでは取り返しのつかない事になってしまう時がある」
残ったのは、ただ罪と涙。
「傷は放っておいても治らない。ただ膿んでいくだけ」
「……琉奈さん……」
それがみきへの助言だという事に気付くまでにしばらくの時間を要した。
慰める訳でも、相談に乗ろうとする訳でもない。
押しつけるような口調でもなくただ静かな目を向けてくる琉奈に、みきは引き込まれそうになった。
想像もできない記憶が滲んできて、言葉が出てこない。
「……伝わるって凄い事だよね。だって誤解も和解も、何でもできる」
それだけ言って微笑むと琉奈は自分の担当に戻っていった。
後押しすらしない不思議な彼女の背中を、みきはいつまでも見つめていた。
7・すれ違う先の
「あいつだろ?新人ドライバーに手を出したって奴」
「酷ぇよな、だから女は嫌なんだ」
「…………」
多数の人に晒されるサーキットは、案の定痛い視線が刺さる。
どんな風に嘘を流したらこうなるのだろう、琉奈は改めて恐ろしさを知った。
今までのようにスゴウのピットにいれば批判の目はこんなに多く浴びなくてすんだだろう。
しかしあからさまに嫌がってくるアンリがいる手前、
ピットの雰囲気を悪くしても駄目だと思いドライバーの直接の担当から外れた。
そしてピットから一歩出ればこの有り様。
「メカニックはやっぱ男の仕事だろ、それに絶対こういう所でトラブルが起きる」
「女は大人しく水着着てろっての」
一応そういう荒修行もしてきたから女だからと蔑まれるのは慣れているが、だからと言って気分がいいものじゃない。
やはり日中は避けるべきかなどと考えていると。
「琉奈!」
「あ、リサ。どうしたの?」
誰もが琉奈を遠巻きに見遣る中、快活な声がかけられた。
彼女はシュトロゼック・プロジェクトの監督兼マシンデザイナー、フランツ・ハイネルの実妹であり、
ハイネルのアシスタントスタッフを務めているが正式なスタッフではないらしく、シャツにチームのロゴはない。
彼とはタイプが違うようで、明るくて暗い空気なんか笑って飛ばしてしまえるような子だ。
レース界では少ない女性という事もあって、パドックで何度も顔を合わせるうちに親しくなった。
かなり年下なはずなのに気さくに話しかけてくる彼女だが、持ち前の性格からか好ましく思えるものだった。
ちなみにリサと仲の良いサイバー唯一の女性ドライバー、マリー・アルベルト・ルイザとも琉奈は仲が良い。
「どうしたのじゃないよ、聞いたよ!まったく酷いよねー!」
「ああ、うん……何かこんな事になっちゃった」
「琉奈がそんな事する訳ないじゃん!気にしちゃ駄目だよ!?」
「大丈夫、気にしてないよ。ありがと」
琉奈の代わりに感情に任せて怒るリサは、その鋭い目で周りの人間を威嚇する。
「お兄ちゃんとグーデリアンさんだって、変な噂信じて騒動になっちゃったし」
「ブーツホルツさんに殴られたんだって?そりゃ痛かったよね」
「しかも何故かお兄ちゃんが罰金の肩代わりさせられてるんだよ!」
「ああ……グーデリアンさんならやりかねないんじゃない?」
ちょっと見てみたかったと、2人の喧嘩を想像して琉奈は笑った。
リサはつられてひとしきり笑うと、仕事を思い出したのかハッと顔を上げた。
「もう行かなくちゃ。琉奈、女だからって負けちゃだめだよ!」
「うん、わかってる。リサもね」
リサはどこまでも元気に走っていった。
こんな空気をものともしないとは、強い子だなぁと思う。
自分も何かできる事でいいから、頑張ろう。
そんな事を考えていると、入れ代わるように今度はスゴウのスタッフが近づいてきた。
「琉奈さん」
「どうしたの?チェックは済んだ?」
スタッフは躊躇うように俯き、やがて顔を上げた。
「俺達スゴウのスタッフはあんな噂全く信じてません、オーナーもそう言ってましたし。
琉奈さんの働きは俺達が一番よく知ってます!女だから、なんて思った事は一度もないです!」
「うん……」
「だから落ち込まないでください!噂なんてのはすぐに消えますから!」
「……ありがとう」
スタッフの温かい言葉に喜びを隠せないでいると、自分を批判していた男達はどこかへ行ってしまった。
大きな声だったのも、もしかしたら周りに対する牽制だったのかもしれない。
リサといいスタッフといい、素敵な人達ばかりだと琉奈は心から思った。
「俺、代わります。琉奈さんはガーランドの最終チェックをしてください」
スタッフが荷物を持とうとしたが、琉奈はその手を避けてもう一度しっかりと抱えた。
「いいの、今の私の仕事はこれだし。アンリの傍にいてあげて、決勝前は誰だってナーバスになるから頼んだよ」
「あ、琉奈さ――」
「予選終わったらまた行くから」
スタッフの制止も聞かずに琉奈はモーターホームへ走った。
自分がいるとアンリが集中できないのは確かに間違ってない。
だから今はとりあえずアンリから見えない位置にいて、ガーランドの整備はアンリのいない夜にやればいい事だ。
「……本当に……たった1つの事を、伝えたいだけなのに……」
結局また、できずに終わってしまうのだろうか。
夜通しの整備を終え、そろそろ東の空が明るくなるという時間。
琉奈は一度ホテルに帰ろうと自分のバイクに戻った。
琉奈の愛車は夜明け前の微かな明るさに浮かぶように眠っている。
最近は忙しくてあまり走れなかったし、細かい所を構ってやれなかった。
そろそろ大幅にチューンしたいなぁ、なんてサスペンション周りをいじっていると遠くからバイクの音がした。
「……あれは加賀さん…」
緑の髪という奇抜な色はここら辺りでは加賀しか浮かばない。
ドライバーなのに早いなぁ、なんてぼんやり思ってると加賀は何故か琉奈の傍で停まった。
ドッドッドというマフラーの一定の音が胸に響いて心地良い。
「いいバイクだなそれ」
「え?」
エンジンを止めると辺りは一気に静けさを取り戻す。
「前から気になってたんだよ、それにどんな奴が乗ってんだろうなぁって」
「そうなんですか?」
キョトンとしている琉奈をよそに加賀は琉奈のバイクをいじる。
「見たところどこのメーカーのやつでもなさそうだけど……」
「私が作りました」
「へぇ?」
「設計して作るまで全部私がやりました」
「すげぇじゃん」
ニヤリと笑う加賀に琉奈は内心感動していた。
トップを争うドライバーにそんな事を言われるととても誇らしい。
「加賀さんのだって、元々いいバイクだけどしっかりチューンしてあるでしょう?」
「やっぱわかるんだな」
「ずっと気になって見てましたから」
バイクを走らせる加賀の姿を時々見かけるたび、メカニック魂がいつも燃え上がっていた。
一度でいいから加賀のバイクをじっくり見せてもらいたいと思っていた。
サスはどこのメーカーなのかとか、ディスクローターはどの型だとか、それはもう色々調べたかった。
「どっかで見た事あると思ったら、あんたスゴウのメカニックか」
「あはは、どうも……」
「あんたが作ってるなら、そりゃガーランドが速い理由もわかるぜ」
「ありがとうございます。でもアオイには負けますね」
「ウチは金だけはいいからな」
ハハハと、加賀は楽しそうな声を上げた。
度々見た事はあったが、こうして対面して会話してみると随分愛嬌がある人だと改めて感じた。
ドライバーによってはメカニックを見下したりする人もいるけど、この人はそんな事全く関係なく、誰とでも対等に話しそうだ。
今だって、きっと純粋にバイクを気に入ってくれたからわざわざ停まってくれたのだろう。
「噂のメカニックってあんただろ?大変だなぁ、あんた。あの妙ちくりんな小僧に激しく嫌われてるんだって?」
「………」
ドライバーにまで噂が浸透してしまってる。
しかし加賀はアンリを"妙ちくりんな小僧"と言った。
世間一般のアンリの謙虚可憐なイメージとは著しく外れている。
(……もしかして、この人アンリの本性わかっているのかもしれない)
「ま、気にすんなって。あんなものしばらく経てばみんな忘れちまう」
「わかってるんですね加賀さんは……アンリの事……」
「同じドライバーとしての勘かな。ま、騙されて踊らされてる奴もいるけどな」
珍しい人だと思った。
自然と自分と相手の関係がスッポリと埋まるように、隔たれたものがない。
ハヤトと似たものを感じ、そしてハヤトにはないものも感じた。
不思議な、不思議な奥行きを。
「……私が整備したマシンを走らせている以上、憎しみで走ってほしくない」
琉奈はポツリと漏らした。
対面したのは今なのに、自分のドライバーの事を軽々しく言うものではないのに、
彼ならば受け止めて何かを返してくれるだろうという、安心できる雰囲気があった。
「何のために勝つのか、それをわかってもらいたいんです」
「ハヤトと同じ事言うんだな、あんた」
加賀の少し尖った目が琉奈を見据える。
何か面白いものを見つけたような、そんな表情をしていた。
「あんた、名前は?」
「琉奈です。橘琉奈です」
「琉奈ね。そんで俺は……って、もうわかってるか」
――それが加賀さんと私の出会いだった。
そして加賀さんのバイクを触らせてもらえた、初めての日だった。
Back Top Next
他チームのキャラ登場の話。嬉しいです。
リサはほとんどドラマCDキャラだけど好きです。なんかサッパリしてて。
加賀さん好きです、色々なものひっくるめて全部。