「それじゃあ、頼んだよ神田くん」
「……………」

神田は全く愛想など振り向かず、次の任務の資料を片手に立ち上がる。
チラリと横目で司令官を覗くが、当の室長はどこ吹く風で新しい仕事に手を付けている。

何となくモヤモヤとした気分になる。


「……なあ」
「ん?」

司令室という敷地の中で一番遠い距離にきて、神田は口を開いた。
しかし、いつまで経っても続く言葉がないのでコムイは顔を上げた。
……いつもズケズケと言いたい事を言う神田が、何かを躊躇っていた。

「……どうしたんだい神田くん?」
「……他の奴等も任務あるのか?」
「?……ああ、今はどこもかしこも忙しいよ」

それだけ聞いて神田は顔を背ける。
時折、じいっと横目で見定められているようだった。

「…………あいつ」
「『あいつ』?」
「……あいつ……今は任務外した方がよくねぇか?」

コムイは片眉をつり上げた。


へぇ……神田くんが他人を気遣うとは……


それだけならまだよかった。
問題はその『他人』がアリィンの事だろうから。


「……心配しなくてもアリィンは任務にいれてないよ」
「……あっそ」
「体調が不十分なエクソシストに任せる任務なんてないからね」
「………は?」

その冷たく言ってのけた台詞に神田は一度は進ませた足を反転させた。
しかしもうコムイは机に積み上がる資料の事しか頭に入ってない様子だった。


体調が不十分ったって……あれは奇妙なイノセンスに触れたからだし……!

あんな様子になってるのだって……もとはあんたがあいつを……!


コムイの言った事が正論だとはわかっている、それは自分も同意だからだ。
しかし昨日、部屋で声を押し殺して泣いていたアリィンにそれを突きつけるのは納得がいかない。


……ってか……泣いてるのって……今でもコムイが好きだからじゃねぇのか?
過去を呼び覚ました鏡……あいつが呼び覚まされたのは、振られた頃の記憶なんじゃねぇのか?


次第に神田の瞳が鋭くなっていく。

「……おい」
「……まだ何かある?」

微かに含まれた怒気を読み取り、コムイも手を動かすのをやめた。

「どうしてあいつを振った?」
「…………へぇ、よく知ってるね」
「それだけしか知らねぇから聞いてんだよ」

おどけて笑ってみせるが、目の前の直球な少年には効かなかった。


……神田くん、アリィンの事を色々と知ってるみたいだね。
思わず『任務から外せ』と言わせるまで、奥の事情を知っている。


アリィンに聞いたの?』なんて質問は聞いても答えてはくれないだろう。
今の今まで、アリィンに関する事は一切口に出していなかったのだから。


「……そういう約束だったからだよ」



そう、アリィンを振る事は最初から決まっていた。






13・Cradle





暑い……早くシャワー浴びよ。


ほどよい修錬を終わらせたアリィンは団服の胸元を広げながら廊下を歩く。


だいぶ時代が戻ってきた気がする。
あいかわらず夢は一人歩きをしているけど、日常で生活している分には特に支障はでなくなった。
ひょんな事で思い出したりしなくなったし、急に泣きたい時もなくなった。

……まだ司令室には行けない。

要は、記憶は『1度目の時間』と同じように押し込めていけばいい。
あの頃とは決定的に違っている、『もう会うことはない』という前提さえ言い聞かせればいいだけのことで。
そしてまた私は現実を冷たく見下ろす。

……でもいつまでもそうしてる訳にはいかないよなぁ……

アレンくんや神田くんは何度も行っているのに、ここの所私が任務に行くことはない。
何も聞かないけど、たぶんコムイは私の様子がおかしいって気付いてて任務をくれないのだとは思う。
だけどそれは、やはりエクソシストとしては失格だ。
私は任務を遂行する為にいるのだし、体調管理は完璧でないといけない。

そろそろ、顔を出してみようかな……

行きたくないのに行きたい。
まだ駄目だと思っているのに、顔が見たい。
仕事に埋め尽くされていないだろうか、重責に押し潰されていないだろうか。
ご飯はちゃんと食べているのだろうか、睡眠はちゃんととっているのだろうか。

だけど……今の私は何をするかわからない。
別れた当初に引き戻された時、私は抱き付きそうになっていたから。
泣いて抱き付いて、『ずっと会いたかった』、そう言ってしまいそうになったから。

それが私の本心なら……ダメだ。
もう数年が経ってしまっているのに、私達は別の時代を過ごしてきたのに。
貴方はもう私を見ていないのかもしれないのに。
貴方はもう戻ってこないのに。



「……あ、いたいた……アリィンさん!」

遠くの方から随分と懐かしいような声がしてアリィンははっと我に返った。

「リーバーくん……」
「ずっと探してたんですよ……って、アリィンさん……痩せました?」
「そうかな……?」

本当は『やつれました?』が正しいのだが、その辺はリーバーは気を使って言い換えた。
どことなく虚ろな瞳も気にしない事にした。

「室長がアリィンさんを呼んでます。見つけ次第司令室に連れてこい、と……」
「…………」


とうとう来てしまったか……


何も言わずに私の体調がよくなるのを待っていてくれたのか。
それとも役目を果たさない私を咎める気か……

本当はいけないのに、淡い期待さえも同時に持ってしまう。
いい加減これは切り捨てなければ。


「……わかった、でもシャワーだけ浴びてきていいかな?動いてたから汗びっしょりで……」
「多分いいと思いますよ。じゃあ俺は先に戻ってるんで」
「わざわざありがとう、リーバーくん」


シャワーなんか浴びずそのまま行けばいいのに。
何を意識しているのだろうか、私は。











「やあ久しぶりだねアリィン
「……ええ、そうね……」

書類に目を落としたまま、顔を合わせずに言われる皮肉。
アリィンは貼り付けたような笑顔を向けるが、それが相手の目に入る事はない。
特に会話が盛り上がるような内容もなく、言葉の間に嫌な沈黙が点在する。

「もう平気なのかい?」
「もう大丈夫、心配かけてゴメンなさい」

心配してもらってる、不謹慎なのに嬉しい。
……でも、ここからはよく見えないコムイの顔……笑っている気がしない。

「……一体何があったの?」

一旦ペンを置き、ゆっくりと見上げた真面目な表情と目が合う。
それは古い友人に対するものではなく、司令官としてだった。

「……本当に何でもないの。ずっと手伝いに来られなくてごめんなさい……」

その真剣な目付きにアリィンは必死で笑いを取り繕うが、それが通用していない。


司令室に微かな緊張感が漂う。
それはどちらが放っていたものか。


「……嘘だ」


見透かされてる……と思って笑顔を止めた一瞬、コムイの眉が潜められた。
何か訴えてくるようなそれ……だけどすぐさま険しい顔でまた書類にサインを始めてしまった。


「事情はよく知らないが、早く体調を万全にしてもらわないと困る」
「………ごめん」


怒ってる……当たり前だ、私はエクソシストなんだから。


「君のせいでどれだけ他のエクソシスト達に負担が掛かっていると思ってるんだ」
「………ごめんなさい……」


……バカだ私、一体何を期待していたんだろう。

コムイは室長で、司令官で。
私を優しく包んでくれた腕はもう差し出されないのだから。
私達は旧友で……そしてそんな甘えは許されない仕事上の仲間なのだから。


そうだね……私がこんな状態だから神田くんもアレンくんもリナリーちゃんも何度も任務に行って。
ごめんなさい、もうすぐで泣くのやめるから。
貴方を思い出して泣くのやめるから。

またすぐ、ただの友達として、ただの仲間として貴方の傍で笑う私になるから。



俯いていると、コムイは何を思ったのか立ち上がって自分の席から離れた。
目的はコーヒーだったらしく、怪しげなフラスコから黒い液体が注がれる。
その音はコップ2つ分だった気がした。

「……とりあえず今日はこれ飲んで、早く体調を完全に治す事」
「………はい……」

私の前に差し出された温かい湯気が立ちこめるコーヒー。
そのコップは私がいつも司令室で使っていた半ば専用化しているもの。


……コムイのせめてもの優しさかな……ごめんね、コムイ……


どうにか笑ってコップを受け取った。
眠気覚ましの為か少し苦かったけど、温かくて美味しい。
砂糖もミルクも私の好みの量だった。

「……ごめんなさい……ありがとう……」
「どうってことないよ。じゃあ話は終わりだから」
「……はい」

飲み干したコップを片付け、静かに司令室を出た。






……コムイに迷惑かけてる……

それだけで足取りが重くなる。
自分の事ばかり考えて、周りの事を全然考えてなかった。

……泣いてちゃいけない……泣いてはいけない……

戻らなきゃ………今までの私に戻るんだ。
淡い期待など捨てるんだ、それは相手には迷惑だから。
未練があるのだとしても、言えない想いを持っていたとしても………それは絶対に出してはいけない。
嘘でも、作り笑いでも……それでも生きていけるだから。
コムイの傍にいられるのだから。


「……あれ………何だか眠く………」


こんな廊下で、急に立っていられないほどの眠気が襲う。
フラフラになりながら壁に寄りかかって、重力に逆らえなくなってくる瞼を必死で開けて。

壁を伝って歩いても、視界がどんどん暗転して座り込む。
温かい気分のまま、違う世界にトリップしてしまったかのように気持ちがいい。


……ダメだ、眠い……行儀悪いよ、こんな所で寝ちゃうなんて………


寝ちゃ……だめ……だよ………






「……よく寝るといいアリィン……君は、強がっているけど弱い人だから……」


静かに寝息を立てるアリィンを見下ろし、コムイは涙で腫れている瞼をそっと指で触れた。


……君は弱い。


そんな事を僕が知らないとでも思っているのかい?
君は嘘が下手なのに、僕の前でも君はいつも自分を作っているんだ。


……仕事ばかりで時間感覚がないがあれは確か5日前、初めてアリィンの涙を見た。

2年半一緒にいても、別れる時も、再会した時にもあの紅い瞳が潤んだ事はなかった。
悩み事一つ聞いた事もなかったし、いつも笑顔だったから僕は気付かないフリをしているしかなかった。
僕が教団に出入りできるようになってから、僕は君の無理している顔しか見せてもらえなかったかもしれない。


なのに泣いていた、独りで。


―――「……一体何があったの?」―――


気丈な司令官を装って私情を吐き出して。
限りなく優しく首を傾げてみたけど、アリィンは『何でもない』とだけ。

嘘だ、そんなに瞼を腫らしてよく言える。
化粧で隠しているみたいだけど隠しきれていない。


―――「……嘘だ」―――

つい口から漏れた本音。


どうして泣いてる?
何がそんなに辛い?
何をしても泣かなかった君がどうして泣いている?

僕は相談できる人ではないのだろうか。
僕では駄目なのか。

……神田くんならいいのだろうか……


……ダメだ、こんな嫉妬をして心を乱すとは……

私情と醜い感情だらけで嫌になる。




―――「君のせいでどれだけ他のエクソシスト達に負担が掛かっていると思ってるんだ」―――


……少し言い過ぎたかもしれない。

……いや、これでいいんだ。
僕は室長なのだから、君はエクソシストなのだから。
私情を挟んではいけない。
僕はこれからも、君に過酷な任務を与えなければならないのだから。


僕に感情などいらない……




――「どうしてあいつを振った?」――


どうしてって?


……こんな世界で生きてる無情な僕とではなく、平穏な世界で幸せになってほしかったからだよ…………


『時が来たら彼女を平穏な世界に返す』


そういう約束だったからだよ……






「……風邪ひくよアリィン……」


コーヒーに睡眠薬を入れたのは僕だけどね。


自分に笑いながら、コムイはアリィンの膝に片腕を差し込んだ。
割れ物を扱うかのように優しく、至極柔らかい眼差しの笑顔で。











気持ちいい……


何だろう、気持ちよくて柔らかくて……コムイの匂いがする……


夢なのに、夢じゃない気がする……


人の匂いって案外変わらないものなんだね……



「……ん……コム、イ……」


「……僕の夢を見てくれてるのかい?」


アリィンを胸に抱きかかえたまま、アリィンの部屋まで起こさないようにゆっくりと歩いていく。
今ここで君が起きたら……お姫様だっこなんていう歳じゃないって怒りだすかな?


「……君の夢の中の僕が羨ましいよ……」


アリィンの白い頬が僕の胸にすり寄る。
香水なのかシャンプーなのか、甘い香りがコムイの鼻をくすぐる。

……いつもは毅然としてるのに寝顔は昔と全然変わらないね。
あどけなくて、可愛らしくて。



「……君は僕の前では泣けないんだね……」



僕に頼ってくれとは言わない……言えないから。



「明日になれば笑えるかもしれないから……」




だからせめて、最高の作り笑顔を僕に……










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室長、ヒロインを眠らせてます(笑)
眠れば少しは楽になれるかもしれない、というすっごいわかりにくい優しさが書きたかったのです。
よくわかりませんが(え?)ちゃんとヒロインを好きだぞ、みたいな話が書きたかったのです。

……撃沈。(どーん)