夜とパーティーとお酒とで、何かを企てている私はやっぱりもう子供ではないのだと思う。
女の体は武器、そう誰かが昔に言ったのを思い出した。

リナリーちゃんは、そう……まだ加工前の原材料みたいな子で。

そして私の体は何重にも改良を加えた、より的確に戦う為の武器。
無駄を取り除いて、綺麗に磨いて、より用途を絞った加工を繰り返して。

私はいつから『女』を武器にして相手を狙うようになったのだろうか。






16・Refusal






闇で敷き詰められた世界の中に、びっしりと小さな焔が燃える。
四角の額縁に装飾された夜はアリィンの火照った頬を冷たく薙いでいく。

アリィンは食堂を出て、涼しい風を運び込む小窓に体重を預けていた。
見上げると小宇宙はチカチカと輝き、その海に漂う感覚がアリィンを襲う。
そして白光の満月がルビー色の瞳を燃え上がらせる。


「おい」

ふと、後ろからよく知った少年の声がしてアリィンは振り向かないまま空に微笑んだ。

「神田くんも酔ったの?未成年なんだから成長に悪影響を及ぼすよ?」
「……んなに成長しねえよ、もう」
「そうだね、もう成長しそうにないね」
「…………」

成長しない、と言われると何となく腹が立つのは我が儘かもしれない。

「私ももう成長しないね、後は衰えるだけだから」
「…………」
「あ~あ、29年間一体私は何をしてきたんだろうね」
「……おい」
「もしイノセンスの適合者じゃなかったら、私はあの道場で一生を過ごしてたのかな」


本気で誰も好きになることなく、老いて死んでいったのだろうか。


「おい!」

神田が何度読んでもアリィンは一人言を続けるばかりで振り向こうともしない。
少しばかり声を荒げた所でようやくルビーアイが此方を向いた。

「………寂しいんだろ、お前」

そう言われた事で再びさっきの映像が頭に蘇る。

「……やだ、見てたの?」

リナリーとアリィンどっちが女として魅力があるかという問いをコムイにしようとして。
だけどコムイは一目散にリナリーの異常を察知し、すぐに食堂から消えてしまった。

……私には見向きもせずに。

「……嫌な人ね」


それは誰に言った言葉か。


「寂しくなんかないわよ」
「嘘つけ。コムイの奴が来るの待ってたんだろ?」
「待ってなんかない」
「やっと来たと思ったらお前の事なんか見向きもしねぇで……寂しいんだろ?」
「私、そんなに弱くないよ……?」


夜の酒の場という違ったシチュエーションに淡い期待を抱いて。
顔を作って表情を作って、上目遣いにコムイを見上げて。

だけどコムイは全く気がつかなかった、驚きもしなかった。
妹の元へと走るコムイを見て私は笑う事で平静を装った。


「……惨めだっただけよ、自分が……」


私はもう終わっている……そうわかっているのに、今さら必死になってる私がバカみたい。
言う気はない、伝える気はない、告白する気はない……そう思っているのに頑張ってる自分の執念深さが滑稽で。


独り残された気分になってる私……なんて惨めなんだ。


「どうして神田くんにはわかっちゃうのかな~?」
「んなの、お前の顔見れば誰でもわかんだよ」
「手厳しいなぁ……」

はは、と渇いた笑ってみせると神田は何かを考え込むように俯いた。
眉を潜め、難解な数式を解くような面持ちだった。
確かに神田には『恋愛』は数学よりも難しいものかもしれない。

「そんなにあいつが好きならそう言えばいいじゃねぇか」
「……嫌。未練たらしく告白して振られるのも、また別れを告げられるのも」
「は!?んな事気にしてたら何もできねぇだろ……!」
「……人間、始まればいつか終わりがくるの。わかってるけど……もう2度目は嫌」


恋をそう捉えるようになったのは、いつの頃だったかな……


「そんな事でギクシャクするのなら、何も伝えないでずっと友達や仲間でいる方がいい」


……もう怖いんだ、別れを覚悟しながら付き合うなんて。


「ならさっさと諦めろよ……」
「そうね、それが一番だよね」
「…………」

その貼り付けた笑顔からは、そう思っていない事がありありと読み取れた。

「……ホントに訳わかんねぇ……」


それは神田の心の底の声だろう。


無理に理解してもらう気もないアリィンは、神田のわかりにくい感情の揺れを楽しんだ。

アリィンにしてみれば神田が恋愛に興味を持っている事自体が面白くて。
闇雲に突っかかってくる神田を体よくからかってばかりいる。
だけど神田の一本気なアドバイスは、一つ一つがアリィンの心に少なからずのし掛かり、
『私は汚れたな……』なんて自覚せざるを得なかった。


「……神田くんは強いからね」
「は?だから意味わかんねって」


思ったまま行動しようとするのは、彼が未熟で純粋だという事と、精神的に強い人だから。


アリィンは取りあえず話を反らそうと神田を振り返って不敵に笑った。

「そういえば神田くんは、私とリナリーちゃんのどっちがいい?」
「…………は?」


あ、今もの凄く不快そうな顔した。


「あ、でも『女の子』には優しそうだもんね~ユウくんは」
「……!!……その呼び方するんじゃねぇよ!」

神田は顔を真っ赤にさせてクワッと目を見開かせた。

「え~どうして?いい名前じゃないの」
「うるせぇ!」
「ラビくんには呼ばせてるじゃない。名前を呼ぶという事に何か特別な思い入れとかあったり?」
「んなもんねぇよ!」
「あはは、神田くんが照れてる~!」
「て、照れてなんかねぇだろ!?」
「顔真っ赤だよ神田くん!あはははは、面白い~!」

アリィンはお腹を抱えそうな勢いで笑った。
珍しいだの、面白いだの、息も絶え絶えに呟いている。

「……笑えてんじゃねぇかよ……」


そう、笑っていたのだアリィンは。
上から見下ろすような微笑みでも、胸の内を隠す笑みでも、涙や悲しみを堪える笑顔でもなかった。
何がそんなに面白いのか解らないが、こんなに口を大きく開けて声を上げて笑う姿など一度も目にした事はなかった。

笑っている、『本当に』笑っている。


違った意味で神田の頬が熱く火照ってくる。
茫然とその笑顔だけを真っ直ぐ視界に飛び込んで、体が動かない。
心臓が肋骨を叩き付ける、戦いとは違った緊張が手足に走る。


「……やめろよ、あいつをいつまでも好きでいるのなんか」


かろうじて出た言葉はまたアリィンの心を掘り返すものだった。

でも、コムイがいるからアリィンは無理して笑ったフリをする。
コムイを好きでいるからアリィンはたぶん泣いてる。
食堂から出てきたのも、たぶん笑顔を繕うのが限界だったから。


様々な思惑が頭を駆けめぐってさっきのような台詞になった。
急に真剣な目になって、アリィンからは笑みが消えた。
それは惜しい事だったけど、フリをする『原因』が消えればアリィンはまた笑える。
アリィンが惨めになる事はない。


「……あいつはお前には振り向かない」


アリィンが本音を隠していると同じように、コムイも嘘を言っている事はわかっていた。
それがアリィンを振った事か、昔の話だと言い切る事かはわからない。
だけどコムイの鋼鉄の笑顔を見て一つ感じた。

コムイは、たとえアリィンの想いを知ったとしても首を縦には振らないと……

どうしてだか、そう思わせるような雰囲気があった。


「……そう思う?」
「……ああ」


そんな確証どこにもなかったが、これでアリィンが諦められるのならそれでいいと思った。


アリィンはふっと悲しげに微笑んだ。
それは何に対しての苦笑だったのだろう。


「……じゃあ、神田くんが代わりに私を好きになってくれる?」


神田は耳を疑った。
一瞬、体中の血が逆流して心臓が破裂しそうな程高鳴った。
回らない頭をフル稼働して今の言葉の意味を必死で探した。

本気じゃない、おそらく冗談だ。
あいつお決まりの人を惑わすような余裕で、その隙に自分の思惑を上手に彼方へと押しやっている。
それはわかった。


……なのにわからねぇ……どうして俺がこんなに苛立つのか……


「テメェ……そういう所が一番ムカつくんだよ……」
「バレた?あ~あ、やっぱり神田くんにはわかっちゃうのか―――」

突然、神田の手がアリィンの腕を掴んで言葉が消えた。
アリィンの明るい顔とは裏腹に、苛立っているような真剣な眼差し。
鋭く睨まれ、胸ぐらが掴まれると思うくらい距離が迫る。


アリィンにはわかった、これが神田の『合図』だと。


……あ……キスされる。


何となくだけど、その前の予兆というものがわかるようになっていた。
神田の場合は、こういう時には動揺も逡巡も見せなくて、むしろ意を決したような怒りっぽい顔付きになるようだ。

睨み付けられたまま、続く沈黙。

わかっているから拒否する事もできた。
……わかっているから拒否しなかった、かもしれない。

こういう行為には慣れていた。
胸躍る場面だと思うのに、一切心が高鳴る事もないまま。
だけど拒否はできない。
……それは、その『行為』が嫌いじゃないから。


……やっぱり面白いね、神田くん。

だって態度とは逆に触れるか触れないかのギリギリのキス。
神田くんの渇いた唇がずっと私の唇をかすめる。
初めて……なのかな?

睫毛長いなぁ……そんな怒りながら目を瞑らなくてもいいのに……


そんな、甘い雰囲気とはかけ離れた思惑ばかり。
それが可笑しくてアリィンは目を閉じた。
久しぶりのキスにもう少し浸ろうと、軽く感情を込めてゆっくりと睫毛を伏せた。


誰でも唇は柔らかいんだなと、そんな事を考えながら。







ふと、微かに左耳が音を捉えた。

ここが廊下からは少し離れた暗い空間とはいえ、
人が往来する廊下からは丸わかりだという事を思い出してアリィンは目を開けた。


「…………っっ!!!」


ルビーアイが零れそうなほど全開に見開いた。
一気に駆けめぐる血液、破裂しそうな心の臓。

神田もアリィンの痙攣を読み取って目を開けて、アリィンの視線を辿った。


「…………」

「…………」

「…………」


誰も何も言わない。

代わりに神田はアリィンを抱きしめたまま現れた男を睨み付け。
アリィンは微かに震えながら神田の奥にいる男を見上げ続け。

そしてその場に現れた男―――コムイは、静かな顔で2人を見据えていた。


永遠かと思えるほどの一瞬。


ふ……と声が聞こえそうな苦笑でコムイは廊下を通り過ぎていった。
さっきまでは聞こえなかった大きな足音が段々と消えてなくなるまで神田とアリィンはその場から動けずにいた。


「……ごめん」

アリィンが小さく呟いて、俯きながら神田から離れた。

「待てよ」

しかしまたしても腕が掴まれて前に進めなくなる。

「振り向かせないで」
「嫌だ。お前……泣いてる」
「泣いてなんかない」
「嘘つけ。お前ホントに嘘が下手だな」

神田の言葉も聞かず静止を振りほどこうとするが、さらに強い力で握られる。

「……痛い、離して」
「寂しいんだろ……?」
「寂しくないってば……離して……っ」

絞り出すような声で無理に腕を払いのけアリィンは走り出した。

「っ……アリィン!!」

だけど弱々しいアリィンの足取りでは神田に勝てるはずがなかった。
すぐさま追い付かれ、両手で肩を掴み壁に強く押しつけられた。

アリィンの紅い瞳は確かに涙を零していなかった。
だけど苦渋に満ちた顔と痙攣するルビーの宝玉、泣いていない訳がなかった。
心が……泣いてる。


「い、痛……ふ…っ……!」

痛みを訴える唇は塞がれて。
押さえつける両手もアリィンを襲う唇も全てが激しかった。

「……んん……っ……!」

さっきの初々しいかすめたキスとは正反対に、無理矢理熱い舌が押し込まれる。
でたらめに掻き回されてアリィンから声が漏れる。

確かな陶酔が体を巡り、神田を押しのけようとする力が抜けていく。





凍り付いた心を溶かす柔らかい熱。



涙の代わりに、一筋の銀糸が口角から曲線を描いた。











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ヒロインが神田に対して素直に笑ったのは、神田が仮面を被るような人ではないからだと思います。
それまでそういうタイプが周りにいなかったので、たぶんそういう意味でも本当に珍しいものだったのでしょう。
素直に怒ったり顔を真っ赤にさせる少年に、ふと昔の純粋だったころの笑顔が戻った………のかも(え?)

ん~修羅場大好き。
ここからヒロインが段々と変わってきます。
変わってくるっていうとちょっと語弊がありますが、そんなトコです。