司令室に帰ってきても仕事に手がつくはずがない。
馬鹿だ僕は……一体何に浸っていたんだろう……
心が神田くんのものでも体なら愛せる……
いつから僕はそんな男になったのだろうか。
何を錯覚していたんだろう……
彼女は僕のものじゃない。
……ふと静かな、だけど強い足取りが近づいてくるのに気がついた。
「…………コムイ」
今にも飛びかかってきそうな少年が目の前にまで来ていた。
「……どうしたんだいこんな夜中に」
……知っていたのか神田くんは、この事を……
身に纏う雰囲気からそう感じ取れた。
「あんたがあの跡で止めたって事は、あんたはあいつに本気だったって事だ」
「……へぇ、すごいね」
まさか僕が神田くんにハメられるとは思ってなかったよ。
「馬鹿以外の何者でもねぇよ、あんたもあいつも……」
……わかってるよそんな事は。
「……最後に聞いてやる。あいつとよりを戻す気はないか?」
「…………」
神田くんは怒りを押し殺して静かに問いた。
……目を閉じて、再び開けた時間がこんなに長い。
「……無理だ。君の方が彼女を幸せにできる」
そう、僕では無理だ。
君ならできる。
「やっぱり馬鹿だなあんた」
そう、馬鹿だ。
期限があったとしても彼女の傍にいたかった、この想いからもう間違っていた。
「あいつ、千年伯爵を倒したら実家の男と結婚するぞ」
「…………え?」
初めてコムイの目が驚きに開かれた。
実家、道場の男と……?
な……何がどうなってる……?
神田くんと付き合ってるんじゃないのか?
「独身なのは嫌だと」
「どうして……?君が彼女と……」
「俺じゃねぇよ。他の野郎があいつを娶るんだ」
わからない……どうして……!
何故そんな男と……!?
「……だけどあんたにはやらねぇ……!」
「え……っ?」
神田の言ったことが理解できなくて思わず聞き返す。
しかしお構いなしに険しい表情でコムイに迫り、机ごしに胸ぐらを掴んだ。
「アリィンは俺が守る……!」
そこには殺意も込められているかのようだった。
「あんたはもう何もするな……!」
―――僕は……君を守りたかった……―――
ふと笑い声が漏れた。
「……そんな事、言ってみたかったよ……」
25・Substitute
ガチャン!
またしても目の前に蕎麦のトレイが乱暴に置かれる。
上から降ってきたとも言えるその唐突さにトレイばかり凝視していると、視界の隅で不機嫌な少年が。
……まあ、彼はいつもそういう顔をしているのだけど。
「……いつも蕎麦だね」
「うるせぇ、お前だっていつも同じだろ」
「違います、今日は煮物が付いてますから」
毎日の生活パターンとは違い、今日は朝ご飯の前に一通りの修錬を終えた。
今が朝だと言うには少し躊躇われる時間になったので、朝昼兼用という形でメニューが一品追加された。
「他は変わらねぇだろ」
「神田くんは全然変わらないじゃない」
「……何食おうが俺の勝手だろ」
「そうね、じゃあこれも私の勝手」
昨日の今日であるが、何事もなかったかのような会話。
互いに食事に手を付けて、沈黙が続いていた時に神田が口を開いた。
「……言っとくが、俺はお前に慈善事業をやってやるつもりはねぇから」
守る、と言った神田くんの言葉。
具体的には何をどう守ってくれるのか。
……なんて、そんな現実的な事をつい考える自分に笑ってしまう。
「あいつに嫉妬させて……みたいな事は考えてねぇからな」
「……これぐらいで嫉妬してくれるなら苦労しないよ」
「…………」
何か言いたそうな顔をする神田はアリィンをじいっと見つめる。
てっきり泣きすぎで目が腫れてると思っていたがそういう訳でもない。
アリィンは神田の探るような視線を受けながら自慢げな様子。
ふふ、隠すのだけは得意なのよ。
朝に無理矢理体を酷使した甲斐があった。
「……俺の前では笑うな。言いたい事を言え」
「…………」
笑うなと言われても……いつも無表情でいろってこと?
「……うん、ありがと」
「馬鹿かお前は、隠すなって言ってる直後に隠してんじゃねぇよ」
「……そんなすぐ素直になれる訳ないでしょ」
「…………」
神田は眉間に皺を寄せて蕎麦を口に入れた。
……まだ子供ね。
でも私はその子供に縋らないと生きていけないなんて……
「……神田くんも馬鹿ね……もっと他にいい女の子もいるのに」
私なんか好きになっても何も返ってこないよ?
「うるせぇ、俺だって知らねぇよ」
そう、若気の至りか。
じぃっと神田の顔を観察していると、どんどん表情が険しくなっていく。
「~~~!ゴチャゴチャと考えてねぇで黙ってろ!」
「か、考えてって……」
「うるせぇんだよ!俺が守るっつってんだから大人しく守られてろ!」
「……う、うん」
……不思議な少年。
などと思っていると凄い形相で睨まれたので大人しくご飯を食べる事にした。
「どこ行く気だよ」
カラになった食器を返却して食堂を出るとアリィンは私室とは反対の方向へ歩き出す。
「司令室」
「何しに行く」
「決まってるじゃない、手伝いよ」
スタスタと物怖じしないアリィンの後ろを付いていく神田。
愛想のない顔がさらに険しくなっていく。
「他は」
「……別に、様子を見に行くだけだよ」
ふとアリィンは立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
そこには笑顔は浮かんでおらず、嘘を言うようには感じられなかった。
「……昨日ああなったからって、行かない訳にはならない」
「それで、また自分を装って居座る気か」
「……気まずいからって逃げられないの、私は」
そんな子供じゃない、部屋で泣いていられない。
無理してでも平気な顔で出ていかなければならないの。
……私は強いフリをしているのだから。
「……弱い所は見せたくないから」
どんなに汚い女だと知られても、何もなかったように接してくれるならそれでいい。
「大人ってそういうものでしょ」
「……お前は大人なんかじゃねぇよ。大人のフリしてる子供だ」
「……そうかもね」
アリィンは笑いを浮かべるとまた足を進めた。
「そういう事だから付いてこないでね」
「行かねぇよ」
プイッと神田はきびすを返して行ってしまった。
あら、付いてくると思ったのに……
まぁいいか、そう気を取り直してアリィンは司令室のドアを叩いた。
「おはようリーバーくん、何か手伝う事ある?」
無敵の笑顔で小首を傾げてみせる。
「あ、おはようございます。ありますよ山ほど」
今まで延々にガリガリ書き続けていた数式を終え、軽く肩を回すリーバー。
立ち上がって山になった書類の束の3分の1(それでも大量だが)をアリィンの腕に乗せる。
「はい、これ持って」
リーバーはその残りをよっこらせっと持ち上げた。
「ハンコ押し?」
「そのとおり」
アリィンはグッと喉を詰まらせた。
いきなりこれかぁ……
2人はそろってとある人へ向かった。
そこには既に3、4人の列ができていて、皆同じように書類を抱えていた。
その机の向こうには、昨日まで肌を重ねていた室長が。
「早くしてくださぁ~~い室長ぉ~~~」
「まだあるんですからぁ~~~」
「……っく……えぐ……っ」
亡霊の列に声も出さずに泣きながらハンコを押していくコムイ。
「……時間かかりそうだね。リーバーくんは戻ってていいよ、私が全部押してもらうから」
「大丈夫っすよ。仕事もだいぶ終わりましたから」
「何言ってるの、それなら少しの時間でも休まないと」
「でも……」
「休みなさい」
年上にキッパリと言われてはあまり拒否もできなくなってくる。
「……いいっす、これ全部は持てないだろうから」
「持てるわよ。悪いけど、か弱い女の子じゃないので」
「……ぅお!」
リーバーの書類をぶんどり、自分のと合わせて一気に持ち上げる。
その並々ならぬ高さに周りの男達も口を開ける。
「でしょ?」
「い、いや、大丈夫!やっぱ俺が持つから!」
「はい、リーバーくんは休みなさい!」
「それは男の役目だって!」
「あら、男女差別する気?」
「そうじゃなくって!」
「うるさぁぁぁぁーーーーい!!!」
バンッと机を叩き付けて叫ぶコムイ。
「集中できないじゃないかぁ!それとも何!?ボクをいじめてるのそれ!?
ボクが頑張ってハンコ押してるのに遅いからって当て付け!?上司いじめ!?」
怒られているのか、泣いているのかよくわからない。
「い、いえ……すいません」
「ご、ごめんなさいコムイ……」
アリィンとリーバーは冷や汗を浮かべて取り繕った。
こういう風に怒られると逆に怖いというか、調子を崩すというか……
昨日までの汚いが関係が嘘のようだった。
でも相手がこういう態度に出てくれる方が有り難い。
これでまた今までのように仲間として、友達として接する事ができるから。
……これで、いいんだよね……
「……時にアリィン」
「は、はい?」
急に静かな声がかかって、アリィンはみんなの列から顔をヒョコっとコムイに向けた。
俯いてハンコを押しているから表情が読み取れなかった。
「ここはもういい。君はエクソシストだろ?こんな所で無駄な体力使ってないで、
いざという時の為に待機しておくべきじゃないのか?」
「…………っ!」
場が凍った。
それは周りにいた人の心か、アリィンが凍らせたのか。
心臓が痛む……心が痛む。
貴方は……許してくれないのね、私を……
アリィンは熱くて空気もロクに通らない喉を必死に開いた。
笑顔は引きつってしまった。
「……はい……ごめん、なさい……」
大丈夫、大丈夫よ……
それでも貴方への愛は変わらないから。
もう貴方の近くにいられなくても、私は……
だから嫌われても、許されなくても……
……大丈夫、だか……ら……
アリィンが司令室から立ち去った後も、嫌な静寂が立ち込めていた。
(どうしてあんなことを……?)
(どうして急に……?)
(何かあったとか……?)
(仲良いんじゃなかったのか……?)
室長の机の前で列になる男達は次々と疑問が浮かんだが。
「…………」
誰も口には出せなかった。
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ヒロインとリーバーのほのぼのやり取りに少し萌えた(笑)
神田くん、わざとキスマークをつけたんです。
それを見つけてコムイがやめれば、本気だという事。
本気で好きなら、自分以外のキスマークがあれば動揺して嫉妬するだろうからと。
ただ誘ってきたから抱くとか、遊びでだったら関係なしに抱き続けるかと(作者の勝手な推論)
……でも嫉妬して逆に抱くんじゃないのか?(冷汗)
まぁ、やめなかったらまた違う方法を考えたかも知れませんが。