会わせる顔がなかった。
最低だ僕は……抱くべきではなかったのに。
また君の優しさに甘えてしまった。
……また昔のように僕は君を傷つけてしまった。
――「ここはもういい」――
さっきもまた君を傷つけてしまった。
無理しなくていい、こんな所にいても君は辛いだけだ。
そうまでしてここに来る義務はないだろう?
……早く……僕はまた君に頼ってしまう。
今度は、君が傍にいればそれでいい……そう考えてしまうから。
だから……もう離れるんだ。
もう来るんじゃない、君は神田くんの傍にいればいい。
神田くんなら君を癒してくれる。
――「あいつ、千年伯爵を倒したら実家の男と結婚するぞ」――
誰だ、君を幸せにするのは……?
君を所有するのは誰だ?
神田くんでもなく、ましてや僕でもなく……
君は幸せになれる?
君は笑顔でいられる?
……君は素直に泣ける?
……君は……誰のものになる……?
「室長、今日の郵便物はありますか?」
「……ああ、2通だけど頼むよ」
「はい」
そう言って、郵送係の者に封筒を渡す。
……どうしてこんなのを書いてしまったんだろう。
1通はただの連絡。
もう1通には己の衝動に突き動かされるまま。
26・Delusion
「アリィンさん!」
「リーバーくん、どうしたのそんなに慌てて?」
息を切らせて白衣がこっちに走ってくる。
連日の徹夜って事もあるだろうけどフラフラだった。
勢いよく来たわりには、何かを口にするのを躊躇っていた。
「い、いや…………大丈夫かなと思って」
「ああ、コムイのこと?」
ついさっきの事だから主語なんかなくても言いたい事はわかる。
――「君はエクソシストだろ?こんな所で無駄な体力使ってないで、
いざという時の為に待機しておくべきじゃないのか?」――
「確かに私はエクソシストなんだから手伝いばかりやってちゃいけないよね。怒られちゃったね、室長に」
「……最近室長の様子がおかしかったから……気にする事ない思いますよ?」
「そう?前からあんな感じだったわよ?むしろ変態コムイの方がおかしいくらい」
はは、と軽く笑ってみせるとリーバーの眉間がひそめられた。
「……仲良かったんスよね?なのに何であんな急に……」
「そうね。でも今は室長とエクソシストだし、私情は挟むべきじゃなかったんだよ」
「…………」
そんなんじゃない。
室長とアリィンさんは熟練夫婦のような穏やかな関係であった。
今さら役職だとか任務だとかで隔てるようなものでもなかったはずなのに。
……それにアリィンさんは驚いていた。
コムイ室長から告げられた冷たい言葉に、微かだけど動揺していた。
「……大丈夫ですか?」
追いかけてそう言いたくなるような表情だった。
「……心配してくれるの?」
「だって、手伝い頼んだのは俺だし……」
「……ありがとう、優しいねリーバーくんって」
「え……」
アリィンは綺麗な深紅の瞳を細めて微笑んだ。
だけどその笑顔は微かに引きつっていて、悲しんでいるというのがありありと見て取れた。
無理して笑ってる……
そう思ったら、胸が跳ね上がった。
「あの、アリィンさん……俺でよかったら相談に――」
「アリィン!!」
リーバーが何かを言いかけた所に、大声で少年の横やりが入った。
突然の事に呆気にとられていると少年は大股で迫ってくる。
「ち、ちょっと神田くん……っ!」
グイッとアリィンの腕を掴み、自分の背中に隠すようにしてリーバーの前に立ち塞がった。
「神田?どうしたんだよいきな――」
「あんたでは無理だ」
「……は?……って、おい!」
リーバーの静止も聞かず神田はアリィンを引っ張って行ってしまった。
ポツリと一人残されたリーバーは未だに状況が理解できず頭を掻いた。
「……すげ……任務以外で神田があんなに必死になったの初めて見た……」
驚きと感嘆で頭が支配される一方、逆に悔しいものがあった。
「馬鹿かお前は!!」
……イキナリ現れてムリヤリ引っ張ってきて開口一番がそれですか。
「誰にでも色目使ってんじゃねぇよ!」
あら、簡単にバレちゃった。
泣きたいのを無理して笑う、それも演技だった。
……だって、もう笑うしかない状況だし。
「……だってリーバーくんが心配してくれてたから」
「んなもん、お前にかかれば誰だって心配したくなるだろ」
「……褒めてくれるの?」
「褒めてねぇだろ!!お前相当の馬鹿じゃねぇのか!?」
「バカバカ言わないでよ……」
アリィンの精巧な仮面にかかれば、誰でもそれに惑わされてしまうだろう。
上品な女、本当は弱いけど強がってみせる女、相手を射抜く夜の女。
……こいつは、様々な男によってそれを使い分けている。
「……俺に縋れって言っただろ」
プイッと顔を背けて、終始不機嫌な神田は呟いた。
「んな嘘付いてまで他の男に助けを求めるな」
嘘なんか付かなくても俺はお前を助けてやるのに。
……お前は一向に俺を頼ろうとしねぇ。
「……それで、結局コムイに何言われたんだよ」
「え……?」
「お前見ればわかんだよ」
驚きを隠せないアリィンを余所に神田はサラリと答える。
何でもないよと、そうやって他人を、神田くんを拒絶する事もできた。
でも神田くんは私の心の中にズカズカと入り込んできて掻き乱す。
しかもそれは土足でなんかじゃなくて、少しずつ、不思議な距離感で……
ただ待ってるだけの優男でもなく、時には強引に。
私の気持ちはただの依存だけど、それでもずいぶん安定するの。
ねぇ神田くん……私の傍にいたら君は不幸になるわよ?
……私は、いつか君を食い尽くしてしまう。
「……無駄な事してないで、エクソシストは待機してろだって……」
もう仲間として接する事も、友達として傍にいる事も許されなかった……
いつも通りに私を傍においてくれるものだと思っていた。
でもそれは甘い考えで、誰にでも腰を振れる女の居場所はどこにもなくて。
「……もう本当に何も出来ない……」
貴方を支える事も、貴方の役に立つ事も。
嫌われてしまったら……もうダメだ。
嫌われてもいいとか、私はそんなに強くないよ。
好かれたいし、愛されたい。
……苦しくて、もう泣くこともできない。
「俺思うんだが……もし万が一あいつと付き合えるようになったとしても、お前は幸せにはなれねぇぞ」
コムイは、お前とヨリを戻す気はないと言った。
お前もコムイに告白する気はないと言った。
……もう交わる事のない、離れた平行線。
そして、もし気持ちが交差してもお前は無理だ。
「……どうして」
「……それはお前自身がよく知ってるだろ」
……お前は、弱くて脆いから。
神田は繋いだ手を一向に離さない。
人の視線が刺さる廊下を越え、少しずつ人気がなくなっていく。
どこに行くのか、これから私はどこに行き着くのか。
何もわからない。
「……一つ聞いていいか?」
「何?」
大きな古い柱の影で神田の背中が止まる。
ゆっくり振り返ると、真剣な面持ちの瞳がアリィンを見つめる。
「あいつのどこがそんなにいいんだよ」
「……それは」
一瞬言葉が詰まる。
「意地になって好きでい続けるほどの理由があんのかよ」
「……そんなの、神田くんに言う事じゃないでしょ?」
そう、ここには君は入ってはいけない。
誰にも、どんな男にも侵害されてはいけない、私の領域。
それは神田くんでもそうよ。
「……お前は、今のあいつが好きなのか?」
「え……」
……どういう意味?
「お前の話聞いてると『忘れられない』とか過去の話ばかりなんだよ。
それは、『コムイ』じゃなくて『過去』を好きでいるんじゃねぇのか?」
過去を好きだって?何言ってるのよ。
私が好きなのは後にも先にもコムイしかいないのよ。
コムイが好きだから昔の事も忘れられないんじゃない。
「……お前が今好きなのは何だ?今のあいつのどこが好きだ?」
『現在』好きな所……?
そんなの、それは……目的にただひたすら命を賭ける所や、真面目で、優し―――
「……そんなの、それは……」
……コムイの事を思い浮かべようとすると昔の事ばかり溢れてくる……
憧れていた強い瞳、時折現れる優しい眼差し。
この気持ちは……全部、記憶……
私はコムイのどこが好き……?
……どうして、あの頃ばかり思い出すの?
「事情はどうだか知らねぇけど、別れるって約束だったんだろ?
ならお前は、その『限りある時間』ってので余計に錯覚したんじゃねぇのか?」
「…………!」
そんな……そんな事ない。
あんな辛い時間が好きだったなんて事はない。
辛くて寂しくて泣きそうで……だけど幸せだった。
……悲しい感情の中に点在した幸せだったから、それを強く感じた……って事?
私は……障害があって燃えた……そういう事……?
「お前が好きなのは『過去のコムイ』とその思い出……違うか?」
違う……私が好きなのはコムイ……!
過去なんかじゃない……思い出なんかじゃない……っ!
「……前に確保した鏡のイノセンスだってそうだろ?
一番強く記憶してるものを映すなら……今のあいつが映るべきだろ?」
「……っ!!」
『今のコムイ』といる事が本当に幸せならな、そう神田くんは付け足したけどそれはもう聞こえなかった。
「……もう忘れろ」
やめて。
「もう諦めろ」
やめて……!
「『室長のコムイ』は過去なんかじゃねぇぞ」
壊さないで……!
「…………離して」
アリィンは手を振り回したが神田は強く握り返してきてほどけない。
「そう言われて離す馬鹿がどこにいる」
「……っ……離して……っ!」
次第にアリィンの瞳からはボロボロと涙が溢れていく。
赤茶色が反射して、ルビーの宝玉のような雫が音を立てて零れる。
俯いて、声を殺して、必死で堪えようとして……そして手を振り回す。
いつも冷たい大人のような風情でも、泣き顔はやはり少女のように幼くなる。
……いや、人前で泣くのは慣れてないだろうから、泣き顔だけ成長できていないのかもしれない。
その分、涙から溢れる感情は純粋なもの。
「抉ったか、俺が……」
だけど言わずにはいられなかった。
現在に囚われ、過去に涙する女を放ってはおけなかった。
自ら牢獄に身を投じるその女を。
「アリィン……」
その先に幸せなどあるはずないから、いい加減に戻ってこい……
「神田!」
リーバーの声がして、アリィンはバッと腕を振りほどいて反対方向に走り出した。
泣き顔をリーバーに見られたくはなかったから。
「緊急だ!すぐ司令室に来てくれ!」
神田の空気が変わった。
遠くの廊下の角からでもそれが感じるほどに。
何かが張り詰めていた。
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何故か神田の頭が冴えています(笑)
神田もヒロインと会って何かが変化していったのだと思います。
最初はロクに恋愛なんか興味なかったけど、近くで恋愛に冷めた女がいて。
だけど奥に秘め続ける強い想いに段々興味を持ち始めて。
ここまで考え出せるまで成長したのだと思われ(え、推測?/笑)