―――本や紙が散乱した、コムイが借りている部屋。
古い本ばかりで少しホコリ臭いけど、それが逆に穏やかな時間を演出してて嫌いではなかった。
「ねぇコムイ……どうしてそんなに研究ばかりしてるの?」
「……ん?」
たびたび街で会うようになって、次第に仲良くなった同じ東洋人。
コーヒーが好きだという共通点から、
コムイの部屋にあった美味しいブルーマウンテンを飲ませてもらったのが始まり。
ずっと研究をしていると聞いていたけど、まさかここまで熱心……というか、文字通り命をかけているとは思わなかった。
「えっと何だっけ…………黒の教団、だっけ?そうまでして行きたい所なの?」
勝手にソファーの本をどけて自分のスペースを作り、手を休めないコムイをじっと見つめた。
一度研究を始めてしまったらもうコムイは私の方なんか見向きもしてくれないけど、
その真剣な表情を眺めているだけで一日はすぐに終わった。
体育会系ばかりだった家とは違って、ゆったりと流れる刻がある事を知った。
……彼は私とは違う……こんなにも必死で、ただひたすら目的に向かってる。
「……妹が待ってるんだ」
「妹?その黒の教団にいるの?」
「うん……早く、助けてあげないといけないんだ」
そう言ったコムイはふっと優しく笑って、だけど強い意志の込められた瞳をしていた。
……何ていうか、凄く格好良かった。
こんなに一生懸命で、真面目で、意思が強い貴方なら……
「……コムイなら絶対助けられるよ、妹さん」
「……ありがとう、アリィン」
穏やかに微笑まれて、私は心を掴まれたのを自覚した。
喉を潤すコーヒーのように熱く、温かく、そしてどこか苦みを含んだ感覚が体を駆け抜けた。
それはコムイの下向き加減の瞳を見るたびに鼓動して、時の流れを速めてしまう。
そして、はたと気付く、自分は何もせずただ見ているだけだという事に。
……私、こんな所でぼ~っとしててもダメだよね。
コムイがこんなに頑張ってるんだから、私も何か役に立てる事ないかなぁ………
そうだ、コーヒー入れてあげよう。
私にはこれぐらいしかできないけど、気分転換は大事だと思うから。
……ごめんね、他に助けてあげられなくて。
でも頑張ってほしい、コムイが目的を達成できるように。
早く妹さんを助けられるように。
貴方が少しでも息をつけるように。
貴方が心だけでも休めるように。
貴方が……少しでも安らげるように―――
27・Obstinate Child
「……非情な夢……」
昨夜の鮮明な夢を打ち払うようにアリィンはシャワーを頭から被った。
…………あの瞬間に、私はコムイを好きになった。
――「お前が好きなのは『過去のコムイ』とその思い出……違うか?」――
「……それを言ったら、私はずっと過去に囚われていたって事じゃない……」
終わってしまった事をいつまでもグダグダと忘れようとしない、馬鹿な女のように。
現在を受け入れようとしない女のように。
「そう……だから私は馬鹿なのか……」
『現在』を見ようとしないのは……私だ。
コムイを見ながら、私は奥にある昔のコムイを思い浮かべていたという事?
過去にいつまでも憧れていた……神田くんはそう言いたいの?
「っ……そんな訳ない……っ!」
シャワーのノズルを一気に回すと冷たい氷のような水が頭上から降りかかる。
痛い針が全身を突き刺していく。
忘れられなかった。
あの優しくて、だけど強い炎を秘めた瞳が忘れられなかった。
透き通るように綺麗で、闇のように深くて、だけどどこか悲しそうで。
……そんな顔をする人はこの世で唯1人しかいなかった。
そしていつも、『ありがとう』って言ってくれた。
「…………っ!」
……そう、これも過去の記憶。
今のあの人は……もう……
「……あれ、アリィンさん?」
「(しぃーーーっ!)」
この教団内で1、2を争う美貌の女性が科学班の研究室で身を潜めているのをリーバーは見つけてしまった。
声をかけようとしたらアリィンが必死な顔で人差し指を立てるものだから、それにつられてリーバーも声の音量が下がる。
「(な、何してんスかこんなとこで?)」
「(ちょっとね………様子を見に来ただけだから)」
ああ、室長の……
コソコソと司令室に向かっている姿で妙に納得した。
数日前に司令室を追い出されて以来、一切顔を出す事がなかったアリィン。
無理して笑って、神田に半ば無理矢理引っ張られた後、どうしているだろうと心配していたが。
やっぱり気になってたんだ、室長の事……
「(みんなにもさ、私がいるって事内緒にしてもらえると嬉しいんだけど)」
「(ええ、わかってますって)」
2人の関係はどうだかわからない。
だけどこうやって隠れて様子を見に行こうとする姿は、いいなぁって思う。
何かが繋がっている……2人には悪いけど、心が温かくなるような光景だった。
……あ、いる……
開けっ放しのドアから音を立てずに中に入って、アリィンは近くにあった物陰に隠れる。
部屋の主は全く気がついていないし、司令室を行き来する人には眼力で黙らせた。
コムイ……真剣な目だ……
その俯き加減の表情は昔とちっとも変わっていなくて、自分も過去に戻ってしまったような感覚になる。
ソファーに座り込んでよく意味のわからない本をパラパラめくって、時々コムイの顔を観察した。
疲れた、と思う少し前を見計らって湯を温めて、コムイが顔を上げた瞬間にタイミングよくコーヒーを渡した。
そうすると……びっくりしたような、嬉しそうな顔をしてくれるから。
……やっぱり……私は過去を見てるのかもしれない……
過去のコムイから現在のコムイに変わった所はほとんどない。
だけど、私達の気持ちや環境は大きく変わっていて。
……昔のような関係にはどうあったって戻る事はできない。
……そうか、私はあの頃に戻りたいんだ……
過去には戻れない。
そんな事わかりきっているのに、傍にいれば、貴方と一緒にいれば……
もう一度、昔のように幸せになれるんじゃないかって……
「ん~~~~~~~……」
コムイが両手を上げて伸びをする。
本当なら、昔なら、ここで私が貴方にコーヒーを渡していた。
「はい、兄さん」
「ありがとうリナリー、いつも悪いね」
「これぐらい何ともないよ、疲れてるのは兄さんの方なんだから」
そしてコムイはリナリーに笑いかけた。
……その役は私だったのに……
わかってしまった……『今』は、私はもう必要ないんだと。
ずっと助けたかったリナリーちゃんがそこにいて、私の代わりをやってくれてる。
……それも違うかも知れない。むしろずっと私がリナリーちゃんの代わりだったのかもしれない。
貴方には、もう私は必要ない。
――「あいつのどこがそんなにいいんだよ」――
それはね……いつも遠くを見据えていて、真面目で、不器用で……
だけどこの気持ちは所詮過去のもので。
そう……私達は遅すぎた。
「(コムイ……幸せだったよ……だけど、それ以上に……辛かった……)」
そんな貴方の真剣な目をずっと見ていられる関係ではなくなった。
「(貴方を好きでい続けたい、貴方と話したい、貴方の傍にいたい)」
もう貴方に安らぎを与えられる役目はなくなった。
……好きでいるだけじゃ何の意味もないのにね……
「(……ごめんねコムイ……)」
だから、もう貴方の役に立とうとか出しゃばったりしないから。
私はエクソシスト、今はその役を与えられているから。
だから……だから……
アリィンは司令室を後にする。
もう隠れる事もなく、俯いて、誰にも笑顔を振りまくことなく。
……泣かない、こんな事で泣く訳にはいかない。
私にだって女の意地がある、現実を直視しただけで泣くような馬鹿な女じゃない。
――「悲しいなら悲しいって言え、泣きたいなら声を上げろ」――
……やだな、神田くんの前で泣いてばかりだ……
そうだ、神田くんは今任務中だっけ……もうすぐ帰ってくる頃よね?
「いい!そっちは後回しだ!」
突然、バタバタと司令室が騒がしくなった。
リーバーの声と共に、先を争うように人が出入りを繰り返す。
な、何かあったの……?
普通ではない状況にアリィンの表情も険しくなる。
「あ、リナリーちゃん!」
司令室から飛び出してきたリナリーを呼び止めた。
「何かあったの!?」
「それが……今、神田くん達と一緒にいる探索部隊から通信があって……」
「え、神田くんから?」
震えるようにしてリナリーは呟いた。
「エクソシストが1人殺されたって……」
「な、どうして……神田くんがいるのに……!?」
「よくわからないけど……アクマが多すぎるらしくって……!」
アリィンも体が凍り付いたように動かない。
「だから………応援に行かないと!」
「そんな、リナリーちゃんだけで!?」
「みんな他の任務で出払っちゃってるから私かアリィンさんぐらいしか残ってなくて……!」
「…………っ!」
アリィンは司令室に走った。
今度はコソコソと隠れるようにではなく、それこそドアを蹴り破るくらいの勢いで。
「コムイ!!」
皆がざわめき立つ中、コムイだけが冷静に事態を把握していた。
アリィンが突然入ってきた事でコムイはその真剣な瞳を向けた。
「私が行く!」
助けに行かないと、神田くんまで死んでしまう。
「……ダメだ、リナリーを行かせるから心配しなくていいよ」
だけどコムイはその頭を縦には振らなかった。
「どうして……リナリーちゃんだけ行かせるって事!?」
「そうだ」
「理由は?」
「……君はまだ任務に慣れていない」
「確かに私はみんなほど場数を踏んでいない……だからってこんな所で待ってるだけなんて嫌よ!」
今この時も、神田くんが危ない目にあっているかもしれないのに……!
「お願い……行かせて下さい!」
「……話によると大量のアクマが出現しているらしい。君にはまだ無理だ」
「私はそこまで弱くない!」
私の為にあの神田くんが親身なってくれたから。
ただ1人、私を守ってくれるなんて言ってくれたから。
……だから、今度くらいは私が神田くんを助けてあげたいんだよ!
「……神田くんなら大丈夫だよ、彼はそう簡単にやられない」
「そんな保証がどこにあるっていうの!?」
互いの鋭い瞳が交差する。
この時アリィンは『室長』となってしまったコムイを初めて見据えた。
その瞳は昔よりも幾ばくか、悲しいとか辛いとか暗い色が増えていて、
見つめるとその重みがのし掛かってくるようだった。
今はこんな事態だから余計に悲痛な面持ちかもしれないけど、それが今のコムイの顔なんだと思った。
昔のように目的を追い続けていただけの時代はもう終わって、彼の肩に存在しているのは室長としての責務。
「……コムイ……仲間を死なせたくはないの……!」
貴方が今室長であるように、私は今エクソシストとしてここにいる。
偶然私がイノセンスの適合者で、偶然にエクソシストになれたから……だから私は貴方に会えた。
これでも私のイノセンス……『秋桜』には感謝しているのよ?
出会わない方がよかった、とはもう思わない。
良い事なんてほとんどなかったけど、適合者じゃなかったら私は……一生あのままだった。
何かを目指す訳でもなく、記憶を振り払いながらただ茫然と生きていくだけだったから。
貴方に会えたこの力……今使わなくてどうするの……!
「……私はエクソシストだから!戦わせて下さい!」
それが今の私にできる事だから。
「……君まで死なせる訳にはいかない」
「死なんか覚悟の上よ!!!」
ありがとうコムイ……だけど、私はエクソシストだから……
張り上げた声で辺りは一瞬静まりかえる。
あの温厚そうなアリィンからは予想できないほどの音量で、当のコムイも微かに驚きを見せた。
数人がこちらを見てくるが、アリィンはそんな事はお構いなしという風に室長を見下ろしていた。
コムイはしばらく考えをまとめるように俯いて目を閉じ、そしてゆっくり漆黒の瞳をアリィンに向けた。
「……わかった。ただし条件がある」
2度目の、条件。
今度は……恋人じゃなく、仲間として。
「必ず生きて帰ってくること」
……さよなら、昔の貴方……
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ちょっと言い訳。
エクソシストの各部屋に風呂はないんですよねー(兄さんが取っちゃったから)
で、その代わりに大浴場があるんだけど………その辺は気になさらず(え?)
だんだんヒロインさん、地というか………周りを気にしなくなってますね(笑)
完璧武装の時なら絶対コソコソと司令室を覗いたりしないと思うし。
そして、神田くんが不死身(?)なのを知らないヒロイン。
兄さんは知ってるので冷静ですが、ヒロインはやっぱり熱くならざるを得ないでしょう。