「じゃあ頑張ってね」
「あれ?もう行っちゃうんすか?」
ここの所、アリィンさんはコーヒーを煎れてくれたり簡単な雑用をするくらいですぐ帰ってしまう。
久しぶりに科学班にリナリー以外の花が咲いたと思ったのに。
「うん、一応本業じゃないから長居しちゃいけないよね」
……前にアリィンさんだけ怒られた事があったから、たぶん未だにそれを気にしている。
関係が修復されたと思った、今でも。
何となくわかっていた、2人の行動が不自然になっていたのは。
今だって、ロクに話もしないで出て行こうとしている。
どうしてそんなに、怯えているような笑顔をしているのだろうか。
―――そんな時だ、室長が司令室から顔を出したのは。
「アリィン、ちょっといいかい?」
「……はい」
これが恋人の会話だろうか。
室長の前には僕らにもわかるぐらいの冷たい壁があって、アリィンさんはそれに戸惑っているようで。
どうしてこうなってしまったんだろうか。
つかの間だった見せかけの幸せ、それが少しずつ剥がれ落ちていく。
もうすぐで彼女は、錆びてしまう。
36・Clockwork
「アリィン、新しい任務だ」
「はい」
事務的に手渡された資料に目を通す。
「……これ……」
それは、恋人同士としてコムイと2年半を過ごした街。
思い出だらけで詰まった、あの家。
だけどアリィンの呟きに表情一つ変える事なくコムイは続ける。
「アクマが現れたとの情報が入った、すぐ飛んで」
「……はい」
「パートナーは神田くん、すぐに来ると思うから」
……まただ……
ほんの少し優しさを見せてくれたかと思うと、すぐもうこの顔。
突き放されて、でも時々心配してくれて、それでもやっぱり突き放されて。
わからない、貴方の心がわからない。
気のせいじゃないよね?
ねぇ、どうして……?
どうして貴方は私と神田くんをくっつけさせようとするの……?
思わず、心の言葉が音を成して表に現れる。
「…………どうして……」
「なに?」
何も言わない貴方が怖い。
「…………」
「言いたい事があるなら聞くよ?」
だけど貴方に決定的な事を告げられるのは、もっと怖い……
「……神田くんは、任務続きで疲れてると思うんだけど……」
「彼ならこれくらいなんともないと思うよ。室長判断だけど何か問題でも?」
違う……こんなのは違う……
「……変えて、ください」
「悪いけどそれは聞けないね。アレンくんと違って君は神田くんと仲がいいだろう?」
違うよ……何か言ってよ……!
「……私、神田くんとは何もないよ?」
「…………」
――すっと、コムイの表情が変わった。
もっと…………冷たく。
長い長い沈黙。
パラ……と書類をめくる音だけが響いて耳障りだ。
「ねぇ……何か言ってよ……!」
いやだ、何で私、自分で破滅するような事言ってるんだろう……!
「私達……やり直すんじゃなかったの……!?」
貴方の本音が聞きたい。
だけど、怖くてたまらない。
不安定な要素で繋がっている私には、貴方の言葉で一瞬で地獄にさえ行ける。
「……じゃあ、あのキスはどういうつもり?」
「…………っ!!」
地獄に……堕ちた。
一度だけ冷たい瞳に射抜かれ、空間が凍り付く。
黙々と書類にサインをしていくコムイ、それを見下ろし立ち尽くす私。
「あ、あれは……!」
「…………あれは?」
抑揚のない声に背筋がゾクッと震える。
あれは、意味なんかない。
されたから目を閉じた、ただそれだけの事でそこに感情など何一つない。
そんな答えを言ったら、貴方は本当に離れていってしまう……?
「あれは……っ!」
――ガチャ、とタイミングよく神田が入ってきた事によってアリィンは我に返った。
この黒髪の少年は、一瞬で部屋の雰囲気がおかしいことに気がついた。
「……どうした?」
「…………どうもしない」
自分の事を何でもわかってしまう少年からフイっと目を反らした。
しかし手の震えを抑えるように拳を握りしめ、強がるように下唇を必死で噛んでいるのが、神田にはありありと見て取れた。
「…………何言った」
案の定何かを察した神田がコムイへと向かっていく。
「アリィンに何言ったんだよ……っ!」
「神田くん、いいから………」
「何考えてんだよあんた!!」
「神田くん!!」
アリィンは机にかじり付くように迫っている神田の腕を無理矢理引く。
それに抵抗しようとするが、女とはいえ彼女はエクソシスト、本気を出せば男にだって力比べで勝てる。
「離せ!何で黙ったままなんだよ!言いたい事があんなら言えばいいだろ――!」
「いいから……っ!」
「アリィン!!」
神田が彼女の名を呼んだ所で、エクソシスト2人は逃げるように姿を消した。
さっきの質問の答えも曖昧なままで、彼は怒りを隠しきれないままで。
とたんに沈黙が訪れる司令室。
ふぅ……と、気怠げに落とされる一つの溜息。
大量の白い紙の絨毯の上で、コムイは空を見上げた。
どこを見渡しても無機質な世界。
「…………そろそろ僕も限界だよ、アリィン……」
無機質な列車の中で、彼と彼女は対面していた。
怒りを吐き出せなかった事が余計に怒りを倍増させたようで、
彼は、立てた右手に顎を乗せ、深い皺が彫り込まれた顔を窓の外に向けていた。
「何で邪魔したんだよ」
「…………」
対して彼女は疲れきった人形のように茫然としていた。
焦点の合わない瞳が虚空に漂う。
それでも彼は口を閉じようとしなかった。
「ふざんけんじゃねぇよ、あいつもお前も」
「…………」
「お前と一緒にいると、あいつの策に乗せられてる気がしてムカつくんだよ」
……やっぱり、神田くんも気付いていた。
「……神田くん」
名を呟くと、アリィンの深紅の瞳が神田を捉えた。
虚ろに怪しく光るそのルビーは涙など浮かんでいなくて。
だけどいつもの『大人のフリ』をする訳でもない。
儚くて、不安そうで、いつも怯えている。
それが……彼女の本当の姿のような気がした。
「……ねぇ、どうしてやり直すなんて言ったのかな……?」
神田くんとの関係を気にしてたのに、やり直すなんて言った。
私はあの人しか見ていなかったはずなのに、結局あの人は私を突き放した。
――「じゃあ、あのキスはどういうつもり?」――
違う……悪いのは私。
汚れている私が悪い。
でも……やり直す気がないなら初めから言わないでほしい。
余計な期待を持ってしまった。
「もう……わからないよ……」
あの人がどうしたいのかわからない。
私はどうすればいいのかわからない。
愛しいあの人の優しい眼差しは、もうしばらく見ていない………
「……私、神田くんとだったら幸せになれるのかな……?」
神田は何も答えず、ただ顔を歪ませた。
……どうすればいいのかは最初からわかっている。
やり方が酷すぎるが、あの男がどうしたいのかもわかっている。
だから、あの2人のうわべだけの復縁はすぐ崩れると思っていた。
答えを言わないのはアリィンの為……そう思いながらも、恐らくそれは自分の為。
何をしても結局アリィンは自分を見ない。
わかっているのに、潔く背中を押す事もできない。
なんて我が儘なんだろうか自分は。
アリィンの言葉は、余計に苛立ちが募るだけだった。
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中途半端ですが長くなりそうなので切ります。